君に「要らない」と言われたとしても 7

 かの戦いが終わり、帰還して一時間か二時間か。

 カイニは王都東端の原っぱで寝っ転がっていた。

 ほとんど十年ぶりののんびりした時間。

 しかし、のんびりしているだけで休んでいるわけではない。

 風の音、風で草が擦れる音、周辺で動く虫一匹一匹の気配、それを狙う鳥の飛翔と視線の動き、地面に落ちる種まで、全てを感覚的に追っている。

 こういう作業をしているだけで、カイニの鈍った感覚は戻っていく。


 こんなことをしているだけでも強くなれるから、『本物の天才』と言われるのだ。


「うーん……こんな日にお兄さんと一緒にお昼寝がしたい……」


 ぽかぽかしながら、カイニは青空を見上げ、青空に浮かぶ星を見る。

 歪な星がふよふよと流れている。

 あの星には、大昔勇者を迫害した国の国民全てが、勇者に恋慕した女の子の拳で全員殴り潰されて肉塊にされた上で魔法で石化させられ、空に投げ飛ばされ、永遠に皆が見上げるさらし首もどきにされたという伝説が残っている。


 いつも視界に入る星を見る意味はない。

 カイニは星から視線を外し、今回の事件の顛末を思い返していた。


「ボクは絶滅存在ヴィミラニエと戦って、あんな風になったことなかったな」


 絶滅存在ヴィミラニエとの戦いは、多くが地獄に始まり地獄に終わる。

 絶滅種達は倒されても怨嗟の声を上げて渦の根源へと還るだけ。

 宿主の人間も死んでしまうことが多い。

 誰も救われない結末を、世界継続のため延々と繰り返すのが宿命だ。


 それが、覆された。


 あの聖剣が放った特別な一撃には、特異点のようなものを消し去り、歪んだ魔力を消滅させ、人と絶滅存在ヴィミラニエを生きたまま切り離し、永遠の淀みに在るはずの絶滅存在ヴィミラニエを輪廻の環に送る力がある。

 あるいは、もっと多くの力も秘めているのかもしれない。


 カイニは、勇者になってから聖剣の存在、その伝説、聖剣の情報を統制する『教会』の断片的な情報を知っていったが……あの力は、完全に未知であった。


「もし、運命っていうものがあって、ボクに役割があったとするなら。魔王を倒す、お兄さんが聖剣を手にするまで成長する時間を稼ぐ、お兄さんをずっと傍で守る……どれがボクに与えられた運命だったんだろう……?」


 カイニは少し考えるが、すぐやめる。


 直感的に『これ考えても意味ないな』と思えば即投げ捨てることができるのが彼女の持ち味だ。


「ま、いっか。運命があってもなくても。ボクはボクらしく選んでいけば」


 カイニは街のにぎやかな方へと歩き出した。


 平和な街が戻っている。

 服屋と服屋が叩き売りで客の奪い合いをしていた。

 孤児院を飛び出した子供達とシスターが公園で遊んでいた。

 魔導列車に乗る若者達と発券の老人が楽しげに話している。

 力自慢の冒険者達が、転んだ老婆がぶち撒けた荷物を拾ってやっていた。


 全てキタが愛したもので、一度は全て失われたもので、ルビーハヤブサを倒したことで蘇ったものだ。


「散歩しよ」


 カイニがどこからともなく取り出した帽子を深く被り、顔バレで騒ぎを起こさないようにしてから、街を彷徨うろつき出す。


 カイニはカエイのことがあって、今回僅かに剣先が鈍った。

 だがそれがなければ、ルビーハヤブサやネサクが抱えていたものに同情的になることなどなかったし、剣先が鈍ることもなかっただろう。

 カイニには、かわいそうなだけの敵に気持ちを重ねる甘さがない。


 でも、そういう敵を倒すことが罪であるかといえば、罪になるわけがないと、カイニは守られた街を眺めて思う。


 こういう人々のごく普通の日々を守るためという目的さえあれば、それが罪になるわけがないと、カイニはスパッと割り切れる。


 だから彼女は偽勇者にしかなれず、だからこそ本当の刻の勇者と共に戦う者として理想的なメンタルを持っている、と言える。


「めでたしめでたしなんだなぁ……」


 そして、ある街角を曲がったところで、カイニはそれを見た。


 知っている顔二人が、初対面の二人として話しているのを。




「はい、今日から王都に引っ越してきたんです。ネサクと言います。服屋を営んでおりますので、ご入用の時はお声掛け下さいませ」


「僕はキタと言います。王都で冒険者をやってます。その木箱重いでしょう? 運ぶならちょっと手伝いますよ」


「え? あ、すみません。助かります。重くて動かせなくてどうしようかと」


「いいんです、王都は助け合いですよ」




 カイニは一瞬の判断で、全く目立たず歩く先を変え、近くの路地裏に入った。

 そのままジャンプ一回で、近場の四階建ての屋上に飛び上がる。

 耳と目をキタとネサクの方に向け、カイニはそこから盗み聞きを始めた。


「あ、キタさん、そこですそこ」


「ここに下ろしますねー」


「はい、ありがとうございます!」


 絶滅存在ヴィミラニエと一体化し、絶滅存在ヴィミラニエになることは、主に精神面において一体化するということだ。

 人と絶滅存在ヴィミラニエをどう切り離したとしても、相方の絶滅存在ヴィミラニエが消滅に至った時点で、宿主は色々なものを失うことになる。


 無くすことはない。

 減るだけだ。

 絶滅存在ヴィミラニエの撃破後、宿主からは何かが減る。

 カイニは『時間が解決してくれる物事、くらいの塩梅』だと思っている。


 後悔は薄くなる。

 悲しみには慣れる。

 嫌な記憶は朧気になる。

 憤怒は削れる。

 狂おしいほどの後悔は目減りしている。


 絶滅存在ヴィミラニエに願った事柄に繋がる何かが、心の色んなところで減るという事象が発生し、そういう状態になっているのだ。


 そして絶滅存在ヴィミラニエの存在、誓約したこと、過去に戻ったこと、刻の勇者と戦ったことなど、そういった記憶は綺麗さっぱり消える。

 いや、正確には、宿主は絶滅存在ヴィミラニエとは出会っていないことになっている。そういう風に時間が修正されているのだ。

 記憶と時間は、置き換えられている。


 ネサクはルビーハヤブサに呼びかけられる直前辺りから時間改変を受け、ここ数日前に引っ越し準備を終えて、今日引っ越して来た。そういうことになっている。

 だからキタはネサクのことを覚えているが、ネサクはキタのことを覚えていない。

 ルビーハヤブサのことも覚えてはいないだろう。


 キタと話しているのは、敗北によって、カエイに対する後悔、カエイを失った悲しみなどがいくらか軽くなり、ルビーハヤブサの記憶を失って、ただの一般人に戻った普通の人、ネサク。

 絶滅存在ヴィミラニエに願うほどの強い後悔はもう、残っていない。


「実はこの前まではじまりの街で服屋をしていて……」


「始まりの街! 僕もあそこで短い間でしたが冒険者をしていて、色んな人にお世話になりました。どこかですれ違っていたかもしれませんね」


「ああ、かもしれません。キタさんとは初めて会った気がしなかったんですよ」


「僕もです」


 カイニは二人を見守りながら、キタの話し方にちょっと感心していた。


 するすると仲良くなっていき、距離を縮めていく。

 気付けば初対面のネサクに身の上話をさせている。

 やがて敬語無しで話すことを受け入れさせ、続いて名前のさん付けもなくした。

 もうほとんど、『今日出来たばかりのお友達』の距離になっていた。


 ネサクの荷解きを手伝いながら話していた少しの時間で、キタはネサクと、赤の他人とはあまりしない話題を始める段階まで至る。


「私は、カエイ……婚約者を先の戦いで失って、それで婚約者を待っている意味がなくなって、色んな気持ちを振り切るために王都に引っ越した、感じかな。でもまあ死んだ人も多いから、私もありふれた不幸の有象無象って感じだけどね」


「冥福を祈らせてくれないか。流れた血は多かった。それでも、流れた血の一滴一滴の価値が下がるわけでもない。一つ一つに、僕も冥福を祈りたい」


「ありがとう。私の大好きだった人が死んでしまったことは、悲しい。でも……だからって、後ろを向いて生きるのは違うと思ったんだ。大いに泣いてしまったけれども、そこで終わりにしてしまうのは違うかな、と」


 それは、狂おしいほどの後悔の奴隷になっていた時の彼の口からは、聞けるはずの無かった言葉だった。


 ネサクはもう、悲しみに抗えず、後悔に逆らえない後悔の奴隷ではない。


 これから先、時間をかけていけば、色んなことを乗り越えていける。


 人には誰にも、そういう力がある。


「私の婚約者のことで思ったこと、だったと思う。『私は生きねば』と思った」


 ネサクが、拳を握っている。


 ネサクはこの度の戦いの記憶を全て失っている。

 彼からすれば、カエイの死の報を聞いて、泣いて、喚いて、酒浸りになり、されど少しだけ立ち直って、王都で心機一転を始めただけ。

 そういう風に記憶しているのだろう。

 戦いのことも、ルビーハヤブサのことも覚えてはいない。


 けれど、無意識の下側に残っているものはある。

 ルビーハヤブサが、彼の中に遺していったものがある。


「この今を生きることができなかった人達が居る。未来に生きたかったのに死んでしまった人達が居る。そんな人達の代わりに、まだ生きている私は生きていかないといけないと、そう思ったんだ。だって……」


 人と絶滅存在ヴィミラニエの出会いが築いたものがある。


「昔、私に『生きろ』と望んでくれて、今、生きていない人達は、皆……私の未来の幸福を、願ってくれていたような気がするから」


 人には、生きる権利がある。

 人には、生きる責任がある。

 今を生きられなかった、今を生きたかった、過去に死に絶えた者達の代わりに。


「その人達の魂が、私を見て笑っていられるよう、生きていたいと思う」


「……素晴らしい心がけだ。君を尊敬する、服屋のネサク」


「そ、そんなことは……私は何も特別じゃないさ。魔王軍との戦争で大切なものを失った人は多い。皆悲しんでいるし、皆後悔してる。辛いのは私だけじゃないんだ。私だけが不幸だ、みたいな顔をしているわけにはいかないとも」


 そうだ。戦いは終わった。勇者カイニが世界の平和を勝ち取った。

 倒すべき魔王はもう居ない。戦争は終わりを迎えたのだ。


 だが、地に満ちる悲しみと後悔は未だ健在で、

 絶滅存在ヴィミラニエはそれらに取り憑ける。

 未だ、全てが終わったわけではない。

 人々は全てを乗り越えられたわけではない。


 STAGE IIという絶滅存在ヴィミラニエの進化、今ここからでも魔族が大逆転勝利を叶えられる時間改変のことを思えば、絶滅生物による絶対の絶滅の包囲から、人類は逃げ出すことさえできていないと言えるかもしれない。

 それでも。

 誰もが皆、多くの気持ちを飲み込んで、明日のために今を生きることはできる。


 これは魔王を倒して世界を救う勇者の物語、ではない。

 勇者が魔王を倒し世界を救った今へと繋がる、過去を守る物語。

 世界は既に、救われている。


「これも何かの縁だから。困ったことがあったら冒険者ギルドでキタって名前出してくれないか? すぐ駆けつけて手を貸すから」


「……? ありがとう」


 キタの言葉に、ネサクは感謝しつつ、気付いたことを口に出す。


「君、もしかして、いつもこんなことしてるのかい?」


 見ず知らずの人を助けて。

 荷物をひいこら運んだりして、汗を流して。

 見返りを求めず。

 笑顔で「何かあったら頼って」と言う。

 それはキタにとっては、本当にいつものことだったけど。


「たまにしかやらないよ」


 少し照れたキタは、ちょっとだけごまかした。

 キタが笑顔を浮かべ、ネサクもつられるように笑った。


 カエイのおかげで帰って来れたカイニが居た。

 カイニのために自分を犠牲にし、帰って来れなかったカエイが居た。


 カイニを追おうと必死に走り続けたキタが居た。

 カエイを追わず、彼女が帰る場所を真摯に守り続けたネサクが居た。


 帰って来たカイニを抱き締めて、だから変わらないでいられたキタが居た。

 カエイが帰って来れなくて、だから変わってしまったネサクが居た。


 変わっていないキタに迎えられたことで、救われたカイニが居た。

 変わってしまったネサクが破ってしまった、カエイとの約束があった。


 決して優しさを失わないキタに応えた聖剣があった。

 優しさを失ってしまったネサクの嘆きに応えたルビーハヤブサが居た。


 失って。

 嘆いて。

 戦って。

 守って。


 それでも。

 生きている者達は、明日へと物語を続けていく。






 ネサクと別れたキタと合流したカイニは、独り言ちるように語り始める。


「誰でもね、時間をかけて忘れていければ、ああいう風に後悔を風化できるんだ」


 思い返すは、ネサクのこと。


「人は、忘れるから生きていけるんだよ。狂おしい後悔だって、絶滅存在ヴィミラニエに利用されなければ、いつか忘れていけるんだ。放っておけば、悲しみも怒りも後悔も薄れて、人は幸せになろうとしちゃう。そうしたらもう絶滅存在ヴィミラニエには利用できない。だから急いで取り憑くんだ」


 カイニは多くの絶滅存在ヴィミラニエと宿主を見てきた。


 だから、色んなことを知っている。


 彼女は戦いしかしてこなかったが、ゆえに戦いの中でのみ垣間見える真実というものを、理屈ではなく感覚によって知っていた。


「絶滅した生物のことだってそう。毎日『お前達のせいでこんなに絶滅してるんだ』って言われると気が滅入っちゃうでしょ? だから人間にはそういうのを自己正当化で弾いて、言われた内容もゆっくり忘れていくような頭の仕組みがあるんだよ」


「人は忘れる、か」


「そう、人は忘れちゃう。だから、他の生物を絶滅させることもなくならない。だって『絶滅させてしまった。なんという罪悪感だ。もう二度と繰り返さないようにしよう』ってなることないでしょ? 人類ってさ」


 ルビーハヤブサの前に絶滅させた生物がいた。

 でも、別にその反省が後世に残るということはなかった。

 だからその後も、ルビーハヤブサが滅びた。


 ルビーハヤブサの後もずっと絶滅させている。

 これまでも、これからも、人は何かを絶滅させていくのだろう。

 そうして、影絵のように己に映した他者の痛みを忘れていく。

 新しい料理が出来て、新しい技術が出来て、新しい工場が出来て、新しい市街地が出来て、過程でまた何かが滅びる。


 そのサイクルが絶滅存在ヴィミラニエを増やし、進化させていく。


「そうしてボクらの敵、絶滅存在ヴィミラニエは生まれた。人間が絶滅させた種が一つや二つなら、絶対に生まれなかったようなものが」


 人は忘れるから生きていられる。

 大切な人をなくしても、『悔い続けなくていい』と許される。

 その悲しみを乗り越えていく。


 人が忘れるから絶滅存在ヴィミラニエは増え続ける。

 『絶滅させたことを悔い続けよう』とはならないから。

 滅ぼされた者の痛みを忘れた人類は、またどこかで何かを滅ぼしていく。


 この救いと絶望は、表裏一体だ。片方だけ無くなることはない。


「ねえ。忘れられることって、いいことなのかな、悪いことなのかな」


 だからカイニには分からない。


 それがいいことなのか、悪いことなのか。


 生き続けて、戦いの中で、その答えを探し続けている。


「世界から『お前は世界に必要なわけじゃない』と追い出されたのが絶滅存在ヴィミラニエ。たとえば、追い出した人達が、追い出した後に罪悪感とか嫌な気持ちを感じないために綺麗サッパリ忘れちゃうのって、追い出された方からすると、どんな気持ちなんだろうね……」


「……」


 街を歩いていた二人は、そうして。


「あ」


 あまり会いたくなかった二人と、出会ってしまった。


「ダネカ」


 黄金の戦士と。


「チョウ」


 銀麗奴隷。


「……キタ」


 向き合わねばならないことがある。

 それは過去。

 あるいは現在。

 はてさて未来か。


 かの追放から、まだ一日経っていない、今。


 追い出した者と追い出された者は、再会した。

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