君に「要らない」と言われたとしても 6

 空は、特に好きではなかった。

 私は鳥だが、鳥は大抵空が好きではないと思う。

 飛べるのは、生まれつき普通のことだからだ。

 息をするのが好きなやつはいない。


 ルビーもそうだ。

 自分の体にあるものを特に綺麗だとは思わない。

 自分の爪に見惚れる動物などいるのか?

 探せばいるのかもしれないが。


 私が好きだったもの、か。

 ルビーハヤブサの総体の代表としてではなく、私が好きだったもの。

 私という個体が好きだったもの、か。

 そうだな。

 『友』。

 いや、『仲間』だったかもしれない。


 どっちの呼び名でもいいかもしれんがな。

 共に狩りをする。

 共に木の実をつつく。

 私が追い詰められた時、助けてくれる。

 力を合わせて、生まれたばかりの雛を守る。


 ほら。

 空よりも、飛ぶことよりも、ルビーよりも、よっぽど価値があるだろう?

 だから私は、そういうものが好きなのさ。


 私が抱える、狂おしいほどの後悔は。


 大切な友を、仲間を、守れぬままに、滅びを迎えたことだけだ。











 キタとカイニは、同時に振り向いた。

 街の一角、戦いの決着をつけた区画から、歪んだ魔力が感じられたからだ。

 膨大な魔力ではない。

 歪んだ魔力である。


 魔力は、世界の理を歪めるエネルギー。

 宇宙の基本則の全てを超越することが可能な力。

 膨大な魔力は、言わば大きな紙にぶちまけられたペンキ。

 歪んだ魔力は、紙を切り裂く鉄のハサミだ。


 たとえば一万年生きる生物が、一万年毎日鍛え続け、膨大な魔力を右肩上がりに鍛え続けても、歪んだ魔力と同じ形質を得ることはない。

 爆弾の威力をどんなに増やしても、時を破壊することはできない。

 そういうことだ。


 この世界において、最も人々に知られた歪んだ魔力の持ち主は、かの『魔王ズキシ』である。


「なんだ!?」


「行こう! お兄さん!」


「あっちょっと待ってカイニお姫様みたいに抱えないであっ」


 キタを抱えたカイニが、超特急で現場に向かう。

 数秒後、キタとカイニは異常事態の中心を目にした。

 そうして、キタとカイニは、おぞましきその光景に絶句する。


「『ようやく来たか……遅いぞ……!』」


「ルビーハヤ……こっ、これは……!?」


 全ての光が、呑まれていた。


 それは、全ての光に対する暴食。

 世界を照らしていたはずの陽光も。

 キタの冒険の書のページから放たれていた修復の光も。

 カイニが逆手に持っている、魔剣クタチの黒い魔力光さえも。

 全てがに吸い込まれ、飲み込まれていた。


 そこに在ったのは、人型だったはずのルビーの魔人。


 だがもはや、彼は原型を留めていなかった。


 たとえるならば、生きたまま捏ね繰り回されて作られた肉団子。

 手も見えない。

 足も見えない。

 動けそうな気配もない、大まか球体の肉団子。

 その肉団子の全体から、


 カァ、キィ、と、全ての頭が鳴いている。

 ケェ、クゥと、全ての頭がグリグリと動いている。

 生きている、ように見える。


 だが違う。

 声は一定周期の声を繰り返しているだけだ。

 まるで、録音されたテープのように。

 首も特定の動きを繰り返しているだけだ。

 同じ軌道を同じように回るだけの頭が、いくつもあるのが分かる。

 生き物の頭をしているのに、まるで同じ軌道を行き来するだけの振り子のよう。


 これは、生前のルビーハヤブサ達の断片を繋ぎ合わせた模倣品。

 極めて何か、命に対する侮辱を成しているもの。


 


 あまりのおぞましさに、カイニは苦い顔をする。

 だがキタは、その中心で苦しんでいる『先程まで戦っていたルビーハヤブサ』の頭を見つけ、『どうすれば助け出せる?』と焦りつつも思案した。

 そして、ルビーハヤブサはもう、自分自身を諦めていた。


「『く、くくっ、そうだったな。私はSTAGE IIの最初の一体。絶滅存在ヴィミラニエがどんな進化を遂げていたかなど、私自身ですら、正しく分かってはいなかったのか』」


「何が起こってるんだ!?」


「『どうやらSTAGE IIは倒されると、歴史を巻き込んで爆死するようだ』」


「───!?」


「『ヒーローにやられた怪物は爆発して死ぬ……か。子供向けの絵物語でもあるまいに。その爆死をもって、歴史の一部を消し、時間を揺らがす。これで魔王ズキシは蘇り、人類はその発祥から痕跡も残さず全て消え去る……というわけだ』」


「そ、それじゃ……」


「『どうやら我々の戦いは、誰が勝とうが負けようが、最初から結果の決まっていた出来レースであったようだ。笑い話にもなりはしないがな』」


 今のルビーハヤブサは、ただの爆弾だった。

 歴史を消し飛ばしてしまう爆弾。

 勇者が勝とうと負けようと、絶滅存在ヴィミラニエが迷おうと迷うまいと、どうなろうと最後には起爆し、魔王ズキシの勝利を確定させる終焉装置だ。


 ルビーハヤブサは苦悶の表情を浮かべ、力と魔力を絞り出す。


「『このような決着は私も望んでいない。早く、なんとかしろ……! ぐ、ぐぅ、ぐぐぐぐっ……がぁっ……』」


 そうして絞り出した力で押し出すように、己が体の中から『それ』の頭を出す。


 それは、ルビーハヤブサと一体化していたはずのネサクであった。


 桃色の粘液濡れのネサクの体が頭、首、肩まで出て来たところで、止まる。


「人が……絶滅存在ヴィミラニエの宿主が出て来た!?」


「『こいつを引き抜け……早く、なんとかしろ!』」


「なんとかしろ、と言われても……」


「……宿主と絶滅存在ヴィミラニエは切り離せない。それがボクら勇者のルールだ。絶滅存在ヴィミラニエの部分だけを殺して運良く人間が残る、ってことはなくもないけど……両者健在の内に切り離すのは、ボクもやったことないよ!」


 ネサクは引っ張っても取り出せない。

 肉に埋まっている、などという話ではない。

 体の大部分が、肉塊と完全に融合していた。

 いや、そもそも取り出したところでどうなるのか。

 それで何かが解決するわけでもない。


 分かっているのは、今この肉塊が爆発すれば、世界が終わることだけだ。


 焦燥が滲む。

 されど、迂闊な行動は死を招く。

 歴戦のキタとカイニは、直感的にそれを理解していた。


「……お兄さん、迂闊に斬らないで! これ、『』だ! 形は全然違うけど、あの日に魔王城で見つけたものと同じ……魔王が魔王城で作ってた地上最大最悪の爆弾! 一つにつき宇宙の物理法則を一つ壊すもの! 魔王が作ってた神鉄の兵器を、動物の肉で再構築して、模倣してる! たぶんそうだ!」


「どうしたら対応できる!?」


「分からないっ……あの時特異点を無力化したのはボクじゃなくて、ボクの仲間だったキアラなんだ! キアラはもう死んでしまってる……!」


「……っ」


 焦燥が加速する。


 どうすればいいか手探りで模索するキタとカイニに、魔人の口が叫んだ。


「『なんとかしろ! それでも勇者か! この人間を肉塊から助け出し、この肉塊を無事消滅させ、凱旋する! それだけだ! 勇者にはいつものことだろう!』」


「えっらそうに、特異点なんてボクら含めて処理できる人間ほとんど居な───」


「『この男は! 待っていたのだ! 愛する女を! ただ誠実に生きていた! 誰も傷付けないように! 愛する女に恥じない自分でいようとした! 敵など何も倒しておらん! 毎日真面目に皆の服を作っていただけだ! 私のような鳥の一匹も殺していない! ただ、愛した女を生真面目に待っていただけの、哀れなほどに一途で、悲しいほどに優しい男だ! このままだと、この男も巻き込まれて爆死する!』」


「……」


「『こんな哀れな男一人助けられず……何が勇者だ! 恥を知れ!』」


 こんなにも、『この男を助けてくれ』を言えない男を。


 『この男を助けてくれ』と、口ではなく、心で叫ぶ男を。


 勇者カイニは、見たことがなかった。


「『お前達が、本当に刻の勇者を名乗っているのなら! 絶滅存在ヴィミラニエの否定を全て跳ね除けてでも、人間には存続する価値があると叫ぶなら! 未来にはきっと誰もが笑えると、信じているのなら! この程度の困難など! 鮮やかに奇跡で跳ね除けて見せろ! お前達に……勇者の資格があると言うのなら!』」


 勇者の資格を、怪物は問う。


 奇跡こそが勇者の条件であると、怪物は叫ぶ。


 肉塊の内部で膨らんでいく歪みの魔力が光の明滅、点滅を始めた。


 おそらく、あと5分と経たずに、この時間は跡形もなく爆散する。


「……」


「お兄さん?」


「ああ。分かったよ」


 キタには、自信など無かった。

 根拠も無かった。

 知識も無かった。

 実力も無かった。

 方法も無かった。

 爆発寸前の特異点という肉塊を、どうすればいいのかまるで分からなかった。


 それでも、キタは応えようとした。

 ネサクを助けてくれと心で叫ぶルビーハヤブサが、泣いているように見えた。

 だから、絶対に応えなければならないと、そう思ったのだ。


 そのために必要な奇跡が、どんなに甚大で膨大だったとしても。


「どうすりゃいいのかなんて分からないけど。その願い、叶えてみせる」


「『……やってみせろっ!』」


「ああ」


 キタが頷いた、その時。

 ルビーハヤブサが喜びに頷いた、その時。


 キタの心が、

 勇者の条件が心のみであるならば、その成長は心のみで測られるだろう。

 キタの心が、一つの基準線を越え、向こう側へと到達する。

 歴代の刻の勇者の中でも、選ばれし者のみが到達した領域へ。


 ルビコン川を渡れcross the Rubicon.

 賽は投げられたalea iacta est.


「誰だ?」


「ボクの手札で出来るのは……お兄さん?」


「僕を呼んでるのは誰だ?」


 誰かが、キタを呼んでいた。


 違う。それはずっと誰かを呼んでいる。


 キタは今、その声を耳にする資格を得た。だから聞こえる。


 遠い遠い昔から、己の声が聞こえる誰かに、呼びかけ続けるその声が。


 2000年を越えて、優しき者へと呼びかけ続けるその声が、聞こえる。


「『きみのじかんはここにある』……?」


 そうして、キタが聞こえた声を鸚鵡おうむ返しに口にした、瞬間。


 時間が、裂けた。

 空間が、裂けた。

 世界が、裂けた。


 何もかもを切り裂いて、『それ』がキタの手元に飛来する。


 反射的にキタがそれを掴んだ、その瞬間───銀光が、世界を飲み込んだ。


 ルビーハヤブサが目を見開き、驚愕し、そして笑って、穏やかにはにかむ。






「『───聖、剣───この時代では、その男を、選ぶのか───』」











 昔々、あるところに。

 勇者と、英雄と、鍛冶屋の女の子と、光の女神様が居ました。


 子供だった女神様は、自分に優しくしてくれた三人の子供を選びました。

 世界を救ってほしかったのです。

 其処そこ彼処かしこに、魔獣がいっぱい。

 世界中の動物と植物が、神様でさえ、彼らに食べ尽くされそうでした。


 勇者と、英雄と、鍛冶屋と、女神様は旅に出ました。

 世界を救う、立派な旅です。

 たくさんの魔境を越えて、たくさんの秘境を冒険しました。

 四人は溢れるほどの記憶を抱えて、とても仲良くなりました。

 しかし、英雄が女神様を守って魔獣に食べられてしまいます。

 皆はいっぱい泣きました。


 女神様は特にいっぱい泣きました。

 女神様は英雄のことが好きだったのです。

 女神様は大好きな男の子のことを想って、三日三晩泣きました。


 英雄を失い、彼らはもっと強くなりました。

 そして、世界を救いました。

 勇者と、鍛冶屋と、女神様は、その喜びを分かち合ったのです。


 けれど、鍛冶屋の女の子は勇者に言いました。


「君はこの世で一番強い獣を倒してしまった。このままでは君が世界で一番恐ろしい生き物だと皆に思われてしまう。作ろう。この世で一番強く見える剣を。その剣があったから、その剣がとても強かったから、君が世界を救えたことにしよう。ボクが打つよ。君の未来を救うための輝く剣を」


 そうして、世界で一番強い剣は、世界が救われた後に創られました。


 女神様が、鍛冶屋に自分の腕を差し出します。


「なら、わたくしの腕を打ち直し、剣としてください」


 女神が差し出し、鍛冶屋が鍛えて、勇者が掲げる。


 それは、『つながりのつるぎ』と名付けられました。


 人々はそれを、『ときながれのせいけん』と呼びました。


「どうかわたくしの手が、貴方達を未来永劫守る、救いの手となりますように」


 鍛え直された腕は、剣の形をした船になりました。

 時を渡る船です。

 過去から未来、未来から過去、時の河を渡る光の船です。

 その船は、人々をここではないどこか、輝ける場所へ連れて行く船なのです。


 さあ、その名を呼んであげましょう。

 聖剣。

 聖剣。

 我らが友。

 悠久の時の中、永遠に我らと共に在る、我らが盟友よ。

 聖剣よ。


 共に生きよう。この時が、この歴史が、このまま続いていく限り。


 君想う故に、我ら在り。






 一瞬の、出来事であった。

 銀光が煌めき、剣に吸い込まれるような感覚と共に、キタはその剣を振るった。

 全体的に銀一色で、蒼いラインが所々に入った、翼と宝玉の意匠の鍔がある、清浄なる銀のツルギ。

 キタの手元で、聖剣はその真価を発揮した。


 特異点は、消滅した。

 歪んだ魔力は、全てが消えた。

 ネサクは無傷で放り出される。

 悪趣味な肉塊も残っていない。

 ルビーハヤブサの意思であった魂魄が、静かに漂っている。


 数秒前まで、人類の歴史が残らず消える寸前まで行っていたはずだった。


 それが、ただの一振りで、全て解決してしまった。


 誰も殺さず。

 誰も消さず。

 ただただ、悲劇を引き起こす悪性だけを消し去った。

 聖剣から放たれた銀光は、そういう性質のものであった。


 これが聖剣。

 伝説に語られる銀の神器。

 人と神の絆の証。

 光の女神と初代勇者の間に結ばれた契約、その証明書。

 教会によってその性質のほとんどが隠蔽されている、世界最強の武具が一。


 キタが目的を達成したことを感じ取り、聖剣はキタの手の中からかき消えた。


「なんだ……今の銀色の剣。びっくりするくらい、手に馴染んでたけど……」


「今の、せ、聖剣……? 現代で聖地に刺さってるはずじゃ、なんでここに……いや、まだ誰も抜いてな…………? いや、そんなことが起こった勇者なんて過去に一人も……」


「いや、それより!」


 キタはとにかく目の前のことに向き合おうとした。

 倒れたネサクの呼吸、脈を確認する。

 ネサクが意識朦朧としているだけで何も問題がないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろし、キタは上着を脱いで掛けてやった。


『おい、やってくれたな』


「え? ……ルビーハヤブサ?」


 ふよふよと浮いている、ルビーハヤブサだった魂魄が、キタに語りかける。


『そうだ、勇者。聖剣まで抜くとはな。……いや、聖剣からあんな力を引き出したのはお前が初めてだろう。喜べ、勇者キタ。貴様はどうやら唯一無二らしい』


「あんな力……?」


絶滅存在ヴィミラニエは死した後に転覆を願う者。ゆえに死などない。既に絶滅している生物を殺す方法などどこにもないからだ。人類は絶滅存在ヴィミラニエと永遠に戦い続けなければならない。その運命を代行するのが刻の勇者だ。刻の勇者は世界の平穏のために、未来永劫死ぬまで戦わねばならない……が』


 そう、ルビーハヤブサは、もう絶滅存在ヴィミラニエではなく。


『我らの怨念を輪廻の環に送り、幸福のある来世に送る能力とは。こんなものを聖剣から放った男など、貴様以外に誰も居ない。絶滅存在ヴィミラニエの復活を阻止できる能力を見せたのも、絶滅存在ヴィミラニエを救うための力を目覚めさせたのも、おそらく人類の歴史の中で……お前だけだ。まったく、大した男だな』


 救いのある次の生に向かう輪廻へと、既に送られ始めていた。


 それが聖剣の力。

 いや、それも正確ではないだろう。

 キタが手にした時の聖剣以外から、そんな力が発されたことはない。

 ならば、『絶滅した生き物の怨念を幸せな来世に送るだけの力』は───勇者キタという人間が、その心から発した力であると見るべきだ。


 その力こそが、キタの心。キタの願い。キタの優しさ。キタの求め。


 人の滅びを否定するため、絶滅存在ヴィミラニエの蛮行を打ち倒し、されど絶滅存在ヴィミラニエ達を倒すだけの存在と定義せず、救おうとする心の結実。

 運命を司る聖剣は、彼を選んだ。


『もう、私も輪廻に還る。来世では貴様のような無鉄砲で誰彼構わず背負おうとするような善人は、一切合切関わりたくないものだな。頭の血管が切れそうだ』


「あはは……」


「は? お兄さんと出会えたことが最高の幸運のボクに対する挑発だろ……」


「カイニ、大人しく」


「スン」


 1000年前、誰かが夢を見た。

 絶滅存在ヴィミラニエとの終わりなき戦いで、優しき勇者達が未来永劫すり潰される、この地獄のような繰り返しを、終わらせたいと。

 終わらせるにはどうすればいいのか、その人物は考えた。


 考えて、考えて、考えて。

 ようやく出た答えは、『勇者を頼る』しか無かった。

 勇者をもう戦わせないために、勇者を救うために、勇者の力を借りるしかないという致命的矛盾に苦しみながらも、その人物は実行した。


 数え切れないほどの人造エルフを作り出し、時間を観測し、勇者の運命を終わらせることが出来る存在の発生する時間点に向け、送り出した。

 数え切れないほどのエルフ達が失敗した。

 数え切れないほどの可能性が潰えていった。

 されど1000年前に始まった夢は、小さな可能性と因果を手繰り寄せ続け、いつかこの地獄のような世界が救われるようにと、祈りを世界に積み上げ続けた。


『君達は夢追いだ。どうか夢を追ってくれ。この夢が叶うその日まで』


 そうして、1000年が経ち。


 夢が実る、その日が来た。


 長い長い夢だった。いい夢だったか、悪夢だったかは別として。


「ねえ、ルビーハヤブサ」


『なんだ、呼び止めるな。今行こうとしていたところだ』


「君達のこと、覚えていていいかな。僕が死ぬまで、あと50年くらい」


 キタの言葉に、ルビーハヤブサはきょとんとする。

 やがて、くっくっくと笑い。

 そして、わっはっはと笑った。


『勝手にしろ』


 そうして、ルビーハヤブサは気付いた。


 絶滅生物の怨念であるはずの自分が、全人類を絶滅させるという大罪を実行した自分が、『笑って死ぬ』という結末を迎えるということに。


 本当は、そんなことは、絶対に許されていないことであるはずだったのに。


『なんということだ』


 笑って、ルビーハヤブサが消えていく。


『我々は、こんな穏やかな気持ちで、笑って、消えることが許されるのか……あんなにも生きていたくて、あんなにも滅びたくなかったというのに……』


 何も無かったことにはならない。

 滅ぼされた憎しみも。

 守れなかった悔しさも。

 滅びたくなかったという願いも。

 人が重ねてきた許されざる罪も。

 何も覆されてはいない。


 けれども、来世の幸福を運命に約束され、最後に笑って消えられるのなら。

 その終わりに、暗く重いものが付随することはない。

 悪くない気持ちだ、なんて思いながら、消えていけるのかもしれない。


『───ありえないことも───ある、ものだな───』


 ルビーハヤブサの足が消えていく。


 消えながら、ルビーハヤブサは意識朦朧としているネサクの下へ飛んだ。


 キタの上着を掛けられ、虚ろな瞳で空を見ているネサクの胸の上、そこへとルビーハヤブサの魂魄が降りる。


『───ネ───サク───聞け───これが最後だ───』


 ルビーハヤブサの、足が消えた。


『───強く───優しく───時に泣いてもいいから───』


『───生きていけ───ネサク───お前には明日がある───』


 ルビーハヤブサの、翼が消えた。


『───明日良いことがある保証など───無い───けれど───』


『───綺麗なもの、楽しいもの───笑えるもの、大切なもの───』


『───お前は───それらと───出会っていける───きっと───』


 ルビーハヤブサの、胴が消えた。


『───お前には、私達が生きたくても生きられなかった、未来がある───』


『───生きてほしい───私達の代わりに───健やかに、楽しく───』


 ネサクの虚ろな瞳に涙が流れ、ネサクは「行くな」とばかりに手を伸ばすが、ネサクの手は空を切る。

 もう、その手では触れられない。


『───お前がお前らしくあれば───それで───だから忘れるな───』


『───世界が残酷でも───自分が優しく在ることは───できる───』


『───世界が優しくなくても───お前が優しいことで───』


『───救われる者が───どこかにきっと───居ると───信じる───』


『───強く、優しく、時に泣いても───お前はお前らしく在れ───』


 そうして、ルビーハヤブサの頭が消えて。


 ルビーハヤブサという種族の魂、その全ては輪廻に還った。


 聖剣とキタの力によって、来世の幸福を約束されて。




『頑張れよ』




『さようならだ』




相棒ネサク






「───ありがとう、最高の相棒ルビーハヤブサ






 勇者キタは、勇者の資格を示した。


 救われぬ者を奇跡によって救いに送る、勇者の奇跡を世界に示した。


 ルビーハヤブサに求められ、求められるままに資格を示した。


 それがきっと、数え切れないほどの悲しみを終わらせる旅の始まりであり。


 これより始まる、数え切れないほどの地獄の始まりでもあった。

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