刻の勇者カイニの過去回想 6

 魔王城を前にして、皆と最後の話をした。


 誓うように、言葉を紡いだ。


 一緒に帰ろうと、約束してほしかった、そんなボクが居た。


「私はあなたと生きて帰りたい。苦しんでいる人達を皆救ってあげたい。大好きな人が待ってる故郷に帰りたい。だからカイニちゃんと一緒に戦うの」


「ありがとう。あの、さ。ボクは……カエイの婚約者さんに会ってみたいし、ボクのお兄さんに、カエイに会ってほしい。上手く言えないけど、ボクの大切な人達に仲良くなってもらったら、仲良しの輪ができたら、ボクは嬉しい、みたいな……」


「……うん。一緒に帰って皆で仲良くしようね、カイニちゃん」


 カエイは笑った。綿毛みたいに。


「二千年生きてるとなぁ。人は死ぬ。国は消える。時代も終わる。正直言って生きてるのが嫌になることばっかじゃ。でものう、人生は悪いことばかりではない。カイニ……お前さんのような若者と明日を生きることは、老人の楽しみなんじゃよ」


「キアラはそれで何が楽しいんだい?」


「ワシが知らん楽しさや幸せってやつを、若いやつらがこの世界から掘り出す瞬間を見るのが楽しいんじゃよ! がははははははっ!!」


 キアラは笑った。荒波みたいに。


「俺とカイニさんと皆で生き残って環境が変わったら、戦場では見えなかった日常の中での魅力が見えて、カイニさんが俺を好きになってくれるとかワンチャンないっすかね? 希望あるんじゃないっすか?」


「無いよ」


「ウオオオオオオオ本当に脈がない! 俺の手首の脈は途切れたことないのに!」


「いや……だからさ……キミがどういう人でも、ボクは故郷にぞっこんラブのお兄さんが居るから、その人以外に惚れることは無いんだってば」


「ぞっこんらぶ? なにそれ方言っすか?」


「……」


「ちくしょう……こんなんとにもかくにも生き残って、カイニさんの故郷のお兄さんとやらに会って納得してからじゃないと死んでも死にきれねえっすよ……!」


「お兄さんに迷惑かけたらキミの唇をつま先にキスさせるからね?」


「斬新な斬首殺害予告!」


「あははっ」


 ボクが笑って、コロカが女の子みたいにころころと笑った。




 三人とも、ボクと一緒に生きて帰るって約束をしてくれた。


 でも。


 誰も、約束を守ってくれなかった。




 コロカは、魔王ズキシの最大の一撃を一人で受け止めた。

 後に残ったのは、溶けた鎧と、蒸発し損ねた骨と、ちょっとの焼けた肉。

 それがあったから、ボクは魔王を倒すことができた。


 キアラは、ボクの最大の一撃を当てる隙を作るため、死力を尽くした。

 矢、矢、矢。二千年以上の研鑽で生まれた、キアラの弓矢の絶技の嵐。

 魔王とキアラの攻撃が互いに直撃した後、キアラは砂になって消えた。


 カエイは、ボクを見捨てれば生き残れたはずだった。

 瀕死のボクを瀕死の魔王が狙って、瀕死のボクを回復しながら突き飛ばしたカエイが真っ二つになって、それでおしまい。

 ボクは泣きながら魔王の首を落として、それでおしまい。


 何の爽快感も達成感も無くて、虚しさと悲しさの中、それでおしまい。




「……これで……終わり……? こんな……終わり……?」




 現実から逃げるように向き合ったボクは、気付いてしまった。

 『一緒に死んでくれる仲間』が欲しかっただけで、『ボクを守って変わりに死んでくれる仲間』なんて求めてなかったことに。

 ボクだけが生き残るなんて、望んでなかったことに。


 一緒に死ぬか、一緒に生きて帰るか、どっちかなら良かった。

 諦める終わるか、笑って帰れる終わるか、どっちかなら良かった。

 ああ。

 嫌だ。

 ボクはボクが嫌いになってしまう。


 キタが生きて幸せになれればそれでいい、って思ってたのに。


 キタの代わりに果たそうとしてたことを、果たせたのに。


 喜べない。


 こんなにも苦しくて、こんなにも辛い自分が、情けなくて憎らしい。


 歴史を改変する敵と戦い、過去を変えることを否定するために戦う勇者になって、がむしゃらに走って戦ってきたのに。


 ボクはいつの間にか、「こんな過去を変えたい」とすら思っていた。






 胸の奥についた傷を抱えたまま、ボクは王都に帰還した。

 誰もが褒めてくれた。

 誰もが感謝してくれた。

 誰もが認めてくれた。

 だから笑顔で応えて、手を振った。


 上手く笑えていたかなんて、ぜんぜん自信がない。


「ボクはカイニ。勇者カイニ。世界を救って帰って来たよ」


 薄々と、神が何故勇者を心で選んでいたのか、ボクには分かってきた。


 人はみんな、後悔する生き物なんだ。

 そして、過去を変えたがる生き物なんだ。

 失敗。

 喪失。

 敗北。

 追放。

 崩壊。

 みんな、みんな、何かの形で、人生が上手く行かなくて。

 どこかで何か、どこかがダメになってしまっていて。

 『あの時ああしていれば』とか、『あの人にもう一度会いたい』とか、『どうしても死なせたくない』とか、そういうことを思ってしまう。


 帰って来た時のボクがそうだから、よく分かる。

 自覚はあったんだ。

 魔王を倒した後のボクは……絶滅存在ヴィミラニエんだって。


 だって。

 本当に変えたかったんだ。

 あの結末を。

 皆との別れを。

 何を犠牲にしてでも、あの悲しみが無くなるならいいって、そう思ったんだ。


 神が勇者を心で選んでいた理由。

 それは、冒険の書を与えられた勇者の心が完璧でないと、ボクみたいにこうして魔道に堕ちてしまう危険性が常に在るからなんだ。


 笑っちゃうよね。

 やけっぱちになると人の思考はおかしくなるって、本当にそうだったみたいだ。

 キタを救いたかったはずなのに。

 キタを救うために仲間も求めたはずだったのに。

 キタを救うために何もかも犠牲にして魔王を倒したはずだったのに。


 ボクはあんまりにも弱かったから、キタと世界を犠牲にしてでも、絶滅存在ヴィミラニエに魂を売って、あの人達を救おうとしてたんだ。

 誰がどう見たって、ボクは愚かで、間違っていた。


 でも。

 だから。

 そうなんだよ。

 だからボクは、改めて知ることができたんだ。


 この世界でキミだけが、誰よりも、ボクにとっての特別だって。


 キミはボクを迎えてくれた。

 ちょっと、遠かったけど。

 十年前と同じ瞳で、同じ優しさを宿して、ボクを見てくれていた。

 十年前と同じように、いつもボクを優しい瞳がそこにあったから、ボクは嬉しくて、嬉しくて、泣きそうになってしまった。


 キミを見た瞬間、ボクの中から沢山の気持ちが溢れ出た。

 悲しかったこと。

 辛かったこと。

 楽しかったこと。

 嬉しかったこと。

 全部全部、キミに話してしまいたくなった。

 我慢していた気持ちを全部、溜め込んでいた想いを全部、思いっきり吐き出してしまいたくなった。


 気付いたら、パレードも何もかも投げ出して、駆け出していた。


 キミに向かって、駆け出していた。


 あの村で、キミの背中を見つけて、嬉しくなって抱きつきに行った時みたいに。


 気持ちだけが、十年前のただ純粋に楽しかった時に帰っていた。


 足が勝手に動く。

 息が切れる。

 頬が緩む。

 涙が流れそう。

 心臓が早鐘を打ってる。

 口が勝手に「大好き」って叫び出しそう。

 そんなボクが、気付けばキタに飛びついて、抱きしめて、頬ずりをしていた。

 十年前の、子供の頃の幸せなボクが、そのままボクの中に帰って来ていた。




「───会いたかった。ううん、欲しかった。ずっと触れたかった」




 会いたかった。泣きたくなるくらいに。

 キミが欲しかった。そのためにここまで走り続けて来た。

 ずっと触れたかった。だって本当に、辛かったから。


 キタと再会しただけで、ボクは結構救われてしまった。

 ちょっと恥ずかしい。

 改めて、ボクがどれだけキタのことを大好きだったのか自覚してしまった。

 改めて、キタがどれだけボクにとって大切な人なのか自覚してしまった。


 あの人達との繋がりを自分で穢してしまいそうになっていたボクを、キタはあっさりと引き戻してしまった。


 キタはボクに「変わらないな」と言う。

 でも、違う。

 ボクは変わって、汚れた人になってしまった。

 本当に本質が変わってないのは、キタの方だと、ボクは思う。


 あの日のままのキタの優しさは、信じられないくらいボクの心に染みてくれた。

 成長したキタの変わっていなかった部分が、ボクを救ってくれた。


───恋をして! 強くなっても! 弱くなっても! たぶんどっちでもいいんだよね! 一番大事なのは! 恋をして変わること! 恋は肯定しやすい変化! 良くなっても悪くなっても! 恋なら別にいいやって感じしない!?


 ネバカさんが、変わることの良さを教えてくれたから。

 キタが、変わらないことの良さを教えてくれたから。

 弱かったボクは、変わることを受け入れて、失ったことを受け入れて、それでもなお変わらないもの、失われていないものを見つめられる人間になれた。


 だからボクはまだ、膝を折らずに歩いていける。






 ボクはボクのこれまでを、かいつまんでキタに話した。

 流石に話せないことも多かったし、ネバカさんやアオアのことは今は要らないからって外したけども。

 キタはボクの苦しみを自分の苦しみのように感じて、ボクの悲しみに共感して泣きそうな顔になっていた。


 きっとキタは、ボクが楽しい時は一緒に笑ってくれて、ボクが泣きたい時は一緒に泣いてくれて、ボクの敵には一緒に立ち向かってくれるんだろう。


 ああ。

 やっぱり、好きだなぁ。


「じゃあ……じゃあ! カイニ、君は、僕の代わりに、命懸けの魔王討伐の役目を引き受けて……そんな……!」


「言ったじゃないか。ボクには、守りたい人がいるんだって」


「───」


「お兄さんがボクを助けようとしてボクを追って旅に出てたなんて、ホント、本末転倒で喜んでいいのやら悲しんでいいのやら……えへへ。いかんにやけちゃう」


 キタは絶句していた。

 うん、そうだよね。

 キミは優しいもの。

 ボクが全てを話したら、キミがそうなるのは分かってた。


 でも、話さないといけない。

 ボクしか残ってないんだから。

 ボクだって死ぬかもしれないんだから。


 絶不調のボクは、キタに戦える知識を残しておかないといけない。

 何の役に立つか、今は分からないとしても。

 アオアがとりあえずで『使えるかもしれない』知識をボクに与えてくれたように、ボクもキタに知識を残しておかないといけないんだと、思う。


「これが勇者の本当の役目なんだよ。人と人の戦争で戦う存在じゃない。ただ強いだけの魔族が名乗った、名ばかりの魔王なんかと戦う存在じゃない。世界を滅ぼす大魔獣ですらもののついで。時間という巨大な大河の変更と戦う、時の修繕者」


「……」


「人間を始めとする人の形をした人間種達全てが絶滅させてきた、絶滅種達の怨念全て。魔族に自然発生する時間能力者。古代文明の時間改変遺物。全てと戦い、人と人に類する生命の歴史を守る、歴史の守護者。それがキミの本来の使命」


「……僕の、使命……?」


「神はキミを選んだ。世界はキミに助けて欲しがってる。だから冒険の書は、ずっとキミの手元にあるんだ」


 今のキタの胸の奥には、完全な形に戻った冒険の書が脈動している。はず。


 今のキタが、本当の勇者。時の波浪を治める者。


「僕は勇者の資格にあたるページを奪われてたから、どこかでカイニが時間を書き換える勇者の戦いをしてても気付けなかった。でも今はカイニがページを戻してくれたから、分かるようになった、ってことでいいんだな。ページを戻したのは……」


「ボクも生きて帰れる保証がないから。もう……ボクを庇ってくれる仲間は一人も残ってないから、お兄さんしか全面的に信頼できる人が居ないから、かな」


 ボクが死んでも、キタが戦えば世界は守られるかもしれない。ボクの仲間が命と引換えに守ろうとした世界は守られるかもしれない。


 でも。

 それだと。

 ボクの願いは。

 キタを絶望的な戦いから遠ざけたかったボクの願いは?


「なあ、カイニ」


「なんだい?」


「お前は、僕に戦ってほしいのか?」


 キタの言葉が、胸に刺さった。


 なんなんだろう。


 今のボクは、なんなんだろう。


 体が端から消えていってる。歴史改変でボクは消されかけている。体だけじゃなくて、意識も少しずつ不安定になっていってる気がする。

 考えれば考えるだけ、ボクからボクが抜けていく気がする。

 まとまらない考えを無理矢理まとめようとしても、何も浮かばない。


「わかんない」


「……」


「わかんないんだよ。どうしたいんだろうね、ボクは」


 もう、話すべきことと話すべきでないことを分けて話すことができたのか、それさえも分からない。


 けど。


「でも、たぶん、きっと、今のボクの気持ちをそのまま言葉にするなら、戦ってほしいとか、戦ってほしくないとか、そういうのじゃなくて」


 思ったことをそのまま口に出せば、キタならきっとなんとかしてくれる。




「たすけて、お兄さん。ボクを……何もできなかったボクを……たすけて」




 だって、思い出の中のキミが『そう』だったから。


 今だって、きっとなんとかしてくれるって、信じられる。


 ……違う。


 信じたいんだ、ボクは。だから信じる理由を探してるんだ。


 勇者キタ。ボクのお兄さんのキタ。ボクのヒーロー。ボクの勇者様。


 ボクにはできなかったことも、キタならできると、信じたいんだ。


「わかった。一緒に戦おう。この世界を守るために。もう二度と大切な人を失わないために。そして、一緒に居たい人とずっと一緒に居るために、戦おう」


 キタが、ボクの手を握ってくれる。


 繋いだ手から伝わる暖かさが、心地よかった。


 十年ずっと求め続けて、ずっとこの手に触れられなかった暖かさだった。


「地獄で、君の隣に居たい。滅ぶ時は共に滅びたい。一緒にいさせてくれ」


「───」


 うん。


 だから、大好き。






 ボクとキタで、揃って浮かんだ珠じくうのあなに触れる。

 移動は一瞬だ。


 ボクらは気付けば見知らぬ場所へと転送されていた。

 のどかな風景。

 色濃く残る自然で、ここが王都のような都会でないってことがわかる。

 建築様式は神聖王国イアンの、現代のそれ。

 たぶん、国は移動してないし、時代も大して移動してない。

 植生をパッと見た感じだと、王都の北側の方の街かな?


 ここが今回の時空改変の基点地点。

 ここで、何かの出来事が改変され、改変によって生まれた揺らぎが押し切られ、現代は魔王が勝った歴史に変えられてしまった、はず。たぶん。おそらく。


 キタは時間移動さえ初めてのはず。

 ボクがしっかりしていかないと!


「じゃ、聞き込みをして時間と土地の特定をしていこう。ボクらの戦いはそうして『何が改変されたのか』を特定するところから始めるのがセオリーなんだ」


「分かった。頼りにしてるよ、カイニ」


 あっ。

 キタに頼ってもらえるの、ちょっとうれしい。


 聞き込み聞き込み。

 僕らはささっと、道行く農夫から今が何年かという話を聞き出した。


「神王歴2488年かぁ。ボクらの転移前から見て九年前だね。直近だ」


「九年前……?」


「?」


 キタの様子がちょっとおかしい。


「いや、待て。これ……九年前……この街の景色……まさか」


「知ってる時代の知ってる場所?」


「ああ。僕が、僕を殴って追放した男……リーダーのダネカと出会って、意気投合して、二人だけのPTを作って、冒険を始めた街だ。冒険者にとっての旅立ちの街……はじまりの街、チカ」


 え?


「九年前の僕とダネカが、二人だけの始まりの『明日への靴』が、たぶんこの街のどこかにいるんだ」


 それはまた、嫌な偶然だなあ。


「気を付けて、お兄さん。九年前のお兄さんを殺す形で、ついでの時間改変をされたら、最悪そこでボクらは詰むよ?」


「ああ、確かにそうなるのか」


絶滅存在ヴィミラニエは、誰かに憑いてこの時代に来てるはず。その人は九年前のこの街で何かをして、時間を改変したはずなんだ。ボクらはその改変が行われる場所に、行われる直前に飛ばされた、はず。その改変をある程度でいいから阻止して、改変を起こした絶滅存在ヴィミラニエを倒すんだ」


「ある程度でいいのか?」


「うん。沢山の死者が出たりとかしない限りは、世界の方が辻褄を合わせてくれるから、タイムパラドックスとかも起きないはず。大事なのはちゃんと絶滅存在ヴィミラニエを倒すことだよ。絶滅存在ヴィミラニエを倒した時に発生するエネルギーで歴史が修正されるから、倒すまでは歴史が戻らないんだ」


「なるほど。じゃあ、手分けして絶滅存在ヴィミラニエを探そう。見つけたら合図を送る、そして二人で倒す、それでいいか?」


「えっ」


 え゛っ。


「改変が行われる直前に飛ばされてるんだろう? じゃあ、もうすぐ絶滅存在ヴィミラニエが動き出すはずだ。僕らの目的を考えれば、最悪は時間改変が成立した上で絶滅存在ヴィミラニエに逃げられることだ。逆に言えば、絶滅存在ヴィミラニエを発見して見失わないようにする、これが一番大事だろう?」


「……そうだね」


「時間改変した絶滅存在ヴィミラニエが魚で、海にでも潜られたら綺麗に詰むからな……これが絶滅種との戦いなのか。相手の種族が分からないのがこんなに厄介とは」


 うん。

 まいった。

 反論の余地がない。

 絶滅存在ヴィミラニエを発見するために手分けするのは、ボクらも四人で戦ってた時にしてたから、理性的には賛成としか言えない。


 まさか『お兄さんは弱いから一人で行動しちゃダメ』なんて言えないし。


 脳内カイニ会議が始まる。

 理性のボクが「お兄さんは賢いなあ」と言っていて、感情のボクが「お兄さんを危ない目に合わせるな」と言っていて、幼いボクが「お兄さんなら何があっても大丈夫だよ!」と言っている。

 ……。

 なに遊んでるんだボクは。


「じゃあ、ボクは北の方を探すよ。お兄さんは南をお願い」


「ああ、気を付けて」


「誰に言ってるの。ボクはキミの勇者様だよ?」


「……はは、そうだったな。世界を救った、僕の誇りだ」


 うっ。


 好き。






 嫌な空気を感じる。

 嫌な予感が拭えない。

 ずっと何か、嫌なものがどこかにある。


 こういう感覚がある時、大抵はロクなことにならない。

 ボクの勘はまあまあ程度の的中率だ。

 ただ、本当にヤバい時の嫌な予感だけは、ほぼ当たる。

 一番最悪なパターンは、ヤバい時なのに嫌な予感も無いってパターンだけど。


「……いた」


 ほどなくして、ボクは目標を見つけた。


 男だった。

 メガネを掛けた普通の男。

 どことなく優しい印象で、白い外套と、黒いズボンを身に着けている。

 普通の人に見えるけど、あれがたぶん、今回の絶滅存在ヴィミラニエ


「よかった。お兄さんがボクが見てないところで先に見つけて、殺されるのが最悪のパターンだったけど……これならなんとかなる」


 慣れてくると、上手く擬態してる絶滅存在ヴィミラニエも三割くらいは見分けられる。

 服装やアクセサリーが現代みらいのものだったり。

 時代から浮いているノリが目立つ、みたいな人になってたり。

 ……世界への憎しみが隠しきれていなかったりするからだ。


 この男は、憎しみを隠しきれてないタイプにあたる。


「や」


「……」


「そこの男の人、元気? 過去を壊したいなら思い留まってほしいんだけどな」


「……!」


 男は、弾かれるように後退した。


 ボクの発言から誰なのか、大まか見当がついたから……じゃ、ない?


 ボクの顔を凝視している。


 憎悪にまみれた表情で。


 この男、ボクの知り合い? いや、覚えはない。嫌な予感がする。


「お前……お前っ……お前はぁっ……!」


 嫌な、予感がする。

 空気が悪い。

 呼吸が重い。

 息がし辛い。

 心臓に圧がかかってる、気がする。


「は、ははははっ! 最高だ! 今日は最高の日だ! 運命を変えるだけでなく、勇者カイニまで殺せてしまうだなんて! これで全て悔いはない!」


 男は、目の焦点が合っていない。

 ボクはこういう人種を知っている。

 語る言葉は支離滅裂でないのに、言葉を操る理性が支離滅裂。

 悲劇によって心が壊れてしまった人間によく見られる状態だ。


 この男も何かの悲劇があって、心が壊れて、その狂気を絶滅存在ヴィミラニエに増幅されている……かもしれないし、素でこうなのかもしれない。

 男は何故かボクに狂気混じりの殺意を向けている。

 でも、ボクはこの男に見覚えがない。


 嫌な予感がする。

 冷や汗が、背筋を静かに伝った。


「キミ、ボクの知り合い?」


「知り合いなわけないだろう。今日が初対面だ」


「……ボクは、キミに恨まれる理由がある感じ?」


「ああ……ああ! あるとも! ある! 大いにな!」


「それは教えてもらえる?」


「お前は私の大切な人を奪った! 私は永遠に大切な人に会えなくなった! 許さない! 許せるものか! 私は歴史を書き換えてあの人を取り戻し、お前を殺してあの人を死に至らせた罪を償わせてやるのだ!」


 復讐者型。

 心の中で、密かに舌打ちする。

 現代で大切な人を失って、その心の穴を埋められなかった人だ。

 憎悪と喪失感をギアにした絶滅存在ヴィミラニエは、強力になりやすい。


「ごめんね。勇者として、キミの願いと時間改変を肯定するわけには」


「黙れ! 貴様の意見など聞いていない! 私は貴様の全てを否定する!」


 嫌な予感が止まらない。


 早くこいつを倒さないと、何か、不味い気がする。


「あのね、ボクは」


「私の婚約者のカエイを殺した貴様を、私は絶対に許さない!」






 え?






「私の婚約者のカエイは、素晴らしい人間だった。子供の頃から人の傷を癒やして回っているような、敬虔な僧侶だった。私なんかにはもったいない婚約者だった。世のため人のため、そして私のため、魔王を倒して平和な世界を取り戻すと……そう言って……旅立って……それが、私の最後に見た、彼女の姿だった」


「あ……」


「あってはならない! カエイが殺されて、そのまま続く世界など! そんな世界は終わってしまって構わない! カエイの死の運命を変えるのだ! 九年前のここから改変を行って! カエイが旅立たなかった世界を作るのだ! そうすれば……勇者のせいで死んでしまったカエイと……もう一度、出会える……!」


 憎悪が見える。

 愛情が見える。

 懺悔が見える。

 信念が見える。

 執着が見える。

 未練が見える。

 希望が見える。

 後悔が見える。


 ボクの心が、される。


「お前を、許さない。カエイを連れて行ったお前を! カエイを戦わせたお前を! カエイを死地に招いたお前を! ……魔王の攻撃からお前を庇わせ、カエイを殺したというお前を、許さない! 武勇伝にも伝説にも、させてたまるかっ……!」


 そうだ。

 ボクが、キタに教えたばっかりだったじゃないか。


───僧侶のカエイは、誰よりも優しい女の子だったんだ。ボクなんかよりずっとずっと可愛い女の子だったんだよ? 本当だよ。可愛くて優しいから、旅先のどこに行ってもそりゃもうモテるんだよ。でもね、故郷に結婚を約束してた人が居たんだってさ。その婚約者が生きる未来の平和を守るために、ボクについて来てくれたんだ


 カエイには、婚約者が居るって。


「許さない、救う、許さない、救う、許さない、救う、許さない、救う」


 ああ。

 そっか。


 キタは待っていた。

 この人も待っていた。

 ボクは帰って来れた。

 カエイは帰って来れなかった。


 同じだけど、同じになれなかった。

 ボクに『無事帰ってきたことを喜んで抱き締め合う』権利があったのは、カエイが自分の命を犠牲にしてボクを助けてくれたから。

 ボクが、カエイの生き残りの席を奪ったから、こうなった。


 これは、ボクの罪だ。


「『許さない、救う、許さない、救う、許さない、救う、許さない、救う』」


 ねえ、カエイ。

 ボクが、キミを犠牲にしてまで守った世界を守るために、キミの婚約者を斬るって言ったら、キミはなんて言うのかな。


 それとも、キミの婚約者を斬りたくなかったから、キミが守った世界と、ボクの大好きなキタを犠牲にしたんだよって言ったら、キミはなんて言うのかな。

 怒るかな。

 呆れるのかな。

 許してくれるのかな。


「おいで、クタチ」


 どっちだとしても。

 ボクが死んだ後に、カエイともう一度会えたら、ボクがカエイお姉さんって呼ぶのを許してくれるかな。

 ねえ。

 どうなんだろうね。

 優しいキミは、なんて言うのかな。

 また綿毛のように、ボクに笑いかけてくれるのかな。


 ごめんね、カエイ。


「『我々が、この時間を、この歴史を否定する! 消えろ勇者ァ!!』」


 ねえ、神様。

 これが、勇者の資格を奪って皆を騙して、仲間を守れず、好きな人と一緒にいたいだなんて願ってしまったピエロに対する相応の罰ってやつなら。

 ちょっと、ひどいんじゃないかな。


 やっぱり、ボクが全部悪いのかな。


 ごめんね、みんな。

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