刻の勇者カイニの過去回想

 16年前、とある村に、とある女の子が生まれた。


 誰の意図によって生まれたわけでもない、何かの法則性によって誕生したわけでもない、ごく自然に生まれた自然発生の女の子。

 飛び抜けた剣の才能を持っているだけの、ただの女の子だった。

 3歳の頃に村に逗留していたA級冒険者の剣士を叩きのめしたこと以外、何も特別なものは持っていない女の子だった。


 生まれつき、魔法は使えない。魔力も持っていない。

 『冒険の書』のような固有能力も持っていない。

 英雄の子孫でもなく、貴族の落し胤でもなく、王族の隠し子でもなく。

 ただ、その辺に自然に生まれただけの、なんてことのない天才の女の子だった。


 少女の名はカイニ。


 後の時代に世界を救う、偽物の女勇者様。











 ボクはうんと子供の頃、キタのことが嫌いだった。


 ああ、でも違うかも。

 子供の頃のボクは、キタにきらい、きらい、って言ってた。

 でも本当は、嫌いなんじゃなくて、苦手だったのかもしれない。


 子供の頃に色々あって、キタのことが嫌いじゃなくなって。

 それからなんでもない日々の中で、ボクはキタが特別になった。

 ボクがキタを嫌いじゃなくなった理由は特別だったけど、ボクがキタを好きになった理由は、全然特別じゃなかったと思う。


 ボク達の村は、王都から見て、うんと北の方にある。

 夏も寒くて、冬はもっと寒い。

 食べ物だってそんなにあるわけじゃない。

 辺りをうろついている魔獣は強くて、人間を食べる草木も多い。

 新しく引っ越してくる人なんて全然いない、辺境の村だ。


 だからボクの本当の両親は、あっという間に死んでしまった。

 獣にぱくりと食べられて、それでおしまい。

 死体は獣の排便と一緒に出てきて、糞と蝿にまみれた頭蓋骨を拾ってくれた冒険者が村に届けてくれて、それでようやく死んだことが確かになってた、はず。


 ボクは村で他の育ての親に預けられて、育ての親にはそっけなくされて、村の子供達にはいじめられて、でもキタが優しくしてくれて、キタが大人にも子供にも掛け合ってくれて、それでちょっとずつよくなっていったんだっけ。

 寂しさを埋めてくれるのはキタだけ。

 それが嬉しくて、お兄さん、お兄さん、なんて言いながら、キタの後ろをついてまわってたような気がする。


 今思うと、やっぱり辺境の村はダメだ。

 ダメダメだ。

 狭い閉鎖環境で煮詰まってるから、変なルールがいっぱいある。


 ボクがいじめられても、大人は誰も助けてくれなかった。

 村がいずれ老人だけになって滅びるって分かってるのに、誰も何もしなかった。

 魔獣に村人が食べられても、『それが自然の摂理だ』と対応もしなかった。

 他の村が魔導栽培で収穫量をどんどん増やしても、ボクらの村はずっと後になるまでそれを導入しないで、神に豊穣と快晴を祈ってどうにかしようとして、それで飢えてたんだからしょうもない。


 子供の頃、ボクはあの村を出たくて出たくてたまらなかった。

 そんな記憶がある。


 そんな村だから、人の行き来なんて、せいぜい行商人くらいのもの。

 だからだったと思う。

 あの日村に来たあの人に、ボクが目を惹かれたのは。


「わぁ……真っ赤な、炎みたいな髪……」


 燃える焚き火みたいな赤い髪。

 まっしろな僧侶職の修道服。

 回復にも、敵を殴るのにも使うらしい、おっきな杖。

 『世界を回って本が欲しい人に本を届ける仕事をしている』って、その女の人はそんちょーさんに説明していた。


 ひそひそ、声がしていたのを覚えてる。

 辺境の村ってのは、顔を知らない人にけっこー冷たい。

 閉じられた環境だから、ってだけじゃない。

 王都から逃げてきた犯罪者とか、ちょろい田舎者を探してる詐欺師とか、街に居られなくなった乱暴者とか、そういうのが辺境の村に来るからだ。


 皆分かってるのだ。

 『そうでもなきゃこんな何もない村に新しい人は来ない』って。

 悲しい話だね。


 でも。

 その人は、すぐにそういう偏見を払拭して見せた。

 明るく笑って、明るく話して、明るく振る舞って、すぐに皆に好かれてた。

 ボクにも明るく話しかけてくれて、仲良くしようとしてくれていた。


 十年前だから、もう顔もちょっとうろ覚えなんだけどね。


「そこな少女! あたしが気になるなら話しかけてきな! さあ来い!」


「ボク?」


 あの人の名前は、えっと、なんだっけ。


「あたしは二バカとヌバカの妹、ノバカとハバカの姉、ネバカ! 人呼んで歩行人型古本屋! いやまあ呼ばれたことないけど! これは呼ばれたい名前ってことで! これは自称の二つ名ね! よろ! 少女!」


「よろ~」


 そうだ。


 ネバカさんだ。






 ネバカさんは、変な人だったと思う。

 とにかく本が好きな人だった。

 村のリクエストを聞いて、後でよそで集めてきた本を売る。

 村で秘蔵されていた本を見つけて、それを相場で買い取って持っていく。


 あ、そういえば、本を書きたい農民の人に学校を紹介とかもしてたっけ。

 本を書く人が増えたら最高、とか言ってたような。

 王都の中央学園。

 行ったことないなあ。


 ボクらの村の近くには遺跡があって、その奥には『破れるし燃えるが決してページが減らない本』があるっていう話を聞いて来た、とかネバカさんは言ってた。

 手に入るやいなや、すんごい喜びようで転げ回ってたのを覚えてる。


 村に来てた期間が短くて、本を欲しがる人の注文と本を交換していくだけだったから、確かいっつも忙しそうだったキタは会ったことが無かった気がする。

 たぶん。

 ボクの知らないところで会ってたら、分かんないなぁ。


「本! 本はいいよ! 本はめっちゃいい! あたしね、これを布教して回ってんのね! 空想を楽しみ! 歴史を学んで! 技術を得て! 恋愛を知る! これぞ本の醍醐味! 本こそが人類の存続価値なんだよ!」


「れ、恋愛……子供の頃からお互いに知り合ってる男女の恋愛の小説とか、そういうのありますか!」


「! カイニちゃん! あるよあるある! 君の恋も応援するよ!」


「あ、でもお金が……」


「いいよいいよ! 子供からお金は取らないから!」


「……ありがとうございます!」


 良くも悪くも、ボクはあの人と出会わなければ、人生が変わらなかった。


 ただ、どういうことを話してたのか、どういう顔だったのか、というところはあんま覚えてない。受けた恩は覚えてるんだけど、ネバカさんのことはあんまり覚えてない。ま、もう十年も前だからかな。


「本、好きなんですね。ボクも好きになってきました」


「でしょ!? でしょでしょ!? あのねあのね! あたし達の姉妹は何か一つのものを極端に好きになりやすいの! あたしは本ってわけ! それぞれの姉妹がそれぞれなんか一つ! めっちゃ好きになって生きていくの!」


「姉妹がいらっしゃるんですか?」


「そうそう! でもみんなに『要らない』って言われちゃってね! なんか追放されちゃったのね! へへへのへ! 仲間外れはさみしーわ!」


「ええ……」


 ああ、でも、愉快な人だったってことは、なんとなく覚えてるかな。


「姉妹は皆同じ顔してるからね! 皆こんな顔! 美少女顔でしょ! 綺麗系の顔に垂れ目の優しげな風貌! これがあたし達の持ち味! きらーん!」


「双子とか三つ子とかああいうのだったんですか?」


「似たようなもんかな! よっぽどのことがない限り全員顔も身長も体重も一緒だから! 一緒に居るとどっちが自分なのか分かんなくなりそうになるね!」


 ボクはネバカさんのことを尊敬してたはずだけど、覚えてる会話はそんなにないし、覚えていても途切れ途切れだ。

 逆にキタとの会話は一言一句覚えてる。

 ううん。

 我ながら色ボケすぎる気がする。

 ごめんなさいネバカさん。

 出会ってくれてありがとうキタ。

 らぶゆーらぶゆーだ。


「じゃあ、同じ顔の姉妹が悪いことをして、その悪評をネバカさんが被せられちゃうこともあるんじゃないですか?」


「だいじょぶだいじょぶ! あたし達の顔覚えておける人ほとんどいないから! というかたぶんこの会話も数年経ったらほとんど覚えてないよ! 普通の人はね!そういうもん! 人類皆ボケ老人になる才能って持ってるってことね!」


「へ~」


「あ! でもそうだね! 冒険の書持ってるなら話は別だよ! あれは伝説のもんだけどね! あれを持ってる人があたし達のこと忘れるってことはないから! カイニちゃんのダーリンがそれを持ってるかもしれないんだって!?」


「まだダーリンではないです」


「『まだ』とな!?」


「ま……ボクにかかれば時間の問題ですよ。15歳までには籍を入れてみせます」


「時間かかりそう! かわいそう! 驕れる者久しからず!」


「どういう意味?」


「心の中でしか好きな人のことを呼び捨てにできないかわいそうな子!」


「やめて!」


 ネバカさんはどんな本でも仕入れられる人で、ボクがネバカさんに頼みたかった本は、たった一つだった。


「なので、勇者について詳しい本って手に入りませんか?」


「おっけ! 任せといて!」


 勇者と、スキル・冒険の書。

 誰に聞いても、そこに繋がりがあるという話は聞けなかった。

 知識豊富な読書家のネバカさんでも、そういう話を聞いたことはないらしい。

 というか、冒険の書って固有能力自体、知名度が無かったらしい。


 でもボクはけっこー怪しんでいた。

 冒険の書は、持っている人の心を守る。

 伝説の勇者の御伽噺は、触れると心が壊れる武器をいくつも使いこなしていた。

 もしかして同じなんじゃないか、とボクは思ったんだ。


 なにより。

 ボクは、キタのことが大好きだった。

 まいっちゃうくらい好きだった。

 当時のボクは好き好き過ぎてバカになっていて、『ボクが好きな人が勇者様だったらいいなあ』という妄想をかなり暴走させていたのだった。


 我ながら恥ずかしい。

 思い出すだけで死んでしまいそうだ。


 そう、ボクは。

 キタに勇者であってほしかった。

 そして、キタのお姫様になりたかったんだ。


 いや。

 本当に恥ずかしい……キタにバレたら死んでしまう。


 それからしばらくして、ネバカさんは一冊の本を持って村に戻ってきた。


「あったよ! 勇者の本! ごめんね時間かかって! たぶんカイニちゃんが知りたいこと全部載ってるよ! 上手く使ってね!」


「ありがとうございます、ネバカさん。どこで見つけられたんですか?」


「教皇様の部屋にあったよ! 忍び込むのに苦労しちゃったね! まあでもあたしの顔なんて覚えてられる人そういないからね! あとあたし美人だからね! 時間かければどうとでもなったよ! でもバレたらあたし殺されるから読み終わったら本は燃やしちゃってね!」


「待って?」


 なんだろう。

 なんか、十年前のことだから、あんま思い出せないけど。

 ネバカさんがとんでもないことをしてたような覚えはある。

 なんだっけ……?


「さて、ここから始まるんだ、ボクによるお兄さんの最強最高プロデュースが……世界に知らしめてやるぞ、ボクのお兄さんの素朴な良さの味わいを……」


 そうして幼いボクは、その写本を読み始めた。


 その本が、教会がひた隠しにしていた真実であると、想像もしないままに。


「!」


 キタは、村の子供達みんなのお兄ちゃんだった。

 ボクにとってもそうだった。

 キタは独学で文字を覚えて、無学な大人や、他の子供達に文字を教えたり、代わりに読んであげたりしてた。


 深夜に村のおじさんに叩き起こされて王都からのお触れを読んで、村のお姉さんにネバカさんから買った恋愛本を読んであげて、子供達に言葉と文字の対比表をあげて……でも一度も、『嫌だ』とも『面倒臭い』とも言ったことはなかった。

 ボクに対してもそうだった。

 だからボクにも、本が読める。


 本を読み進めると、すぐに求めていた記述にあたった。

 『冒険の書を持つ者、すなわち世界と神に選ばれし者、勇者なり』。

 ボクはうきうきして、わくわくして、小躍りしてしまった。


「やっぱり、お兄さんが勇者なんだ。わぁ……」


 そして、ボクは記述を追っていった。

 その先に、とても素晴らしいものがあると疑わずに。

 お兄さんに『貴方は特別なんだ』と教えてあげたくて、読み進めた。


 『勇者とは、暴王とも、魔王とも、獣王とも戦うものではない。神ですら勝てない時間という最大の敵、最大の母、それこそが勇者の戦うべき敵である』。


「……?」


 ボクはそこで、時間を書き換えるものの存在を知った。

 時間を超越する絶滅種、絶滅存在ヴィミラニエ

 『魔王』と呼ばれた魔族がたびたび発現する、時間操作能力。

 大昔の文明の一部が保持していた、不完全な時間干渉魔道具。

 それらがたびたび世界を、そして人類を滅ぼしかけていることを知った。


「……」


 そして、ページを捲っていって、見てしまった。


 歴代勇者の中で、使命を果たせず道中で敵に殺された、そんな人達のリストを。


 そこには『おびただしい』としか言いようのない、数え切れないほどの『どの記録にも残されていない勇者の殉死者』が記されていた。


 何も成せず殺されていった勇者達に対する、教会の人達の懺悔の言葉が、死後の安寧を願う言葉が、所狭しと書き込まれているページまであった。


「……え……」


 教会の人の独自考察も、そこには書き込まれていた。

 曰く、光の神は『心で勇者を選んでいる』と。

 だから、強い勇者を選ぶということはできないのだと。

 光の神が選ぶ人間は、善良で、優しく、他人の罪をよく許し、前向きで、折れることを知らず……だから、一人も使らしい。


 強い人を選ばない。

 優しい人を選ぶ。

 優しい人は人々のために、どんな強い敵にも立ち向かう。

 だから死ぬ。


 そんな悲劇が、教会が設立されてから現在に至るまでずっと、繰り返されていたらしい。

 生まれつきそういう人間が選ばれて、冒険の書というスキルを持たされて、世界を救うために生まれてきて、教会が見つけて、勇者にする。


 時間改変が起きれば、冒険の書を持たない人間は皆記憶を維持できない。

 よって、元の世界を取り戻せない。

 教会にできることは勇者に有望な戦士を付けることだけだと、そう、教会の人のメモには書かれていた。


 それでもなお、これだけの数が死んでいると。

 魔剣の時代までは、絶滅存在ヴィミラニエによる時間改変は何度か成功してしまっているが、勇者が自分の命と引き換えに世界を戻していると。

 そう、書かれていた。


「そん、な……」


 ボクは間違っていなかった。

 キタが勇者だったらいいなと、ボクは思った。

 光の神もそうだったんだろう。

 だからキタを選んだ。

 ボクと光の神の『男の好み』ってやつは、意外と近かったのかもしれない。


 それが、心底嫌だった。


「じゃあ……あの人も……いずれ……」


 キタも死ぬ。

 殺される。

 どこかの誰かのために、世界のために、神のために。

 そんなこと、受け入れられるわけがなかった。


「……!」


 写本の巻末には、更に最悪なことまで書かれていた。


 魔王ズキシ。

 歴代最強、歴代最悪。

 教会は魔法に関連する専門家との共同研究で、魔王ズキシの能力が『条件を満たすと敵対種族が歴史に最初から存在しなくなる』というものだと突き止めた。

 分かり難いけど、すごいことだと思う。


 魔王ズキシはこれで、デッドライズデーモン、ウィードヒューマン、ロックブレイン、アイスクラウズの最低四種を滅ぼし、その国土を取り込んで、始めたらしい。

 『魔王時代』を。

 そして今その力が向けられているのは、人類だと、そう書かれていた。


 絶滅存在ヴィミラニエが、これに加担した。

 だからもう、魔王は倒せない。倒しきれない。

 魔王が倒されても、絶滅存在ヴィミラニエが復活させてしまう。


 彼らにとって、魔王ズキシはずっと待ち望んでいた、人類の歴史そのものを消しされる希望……『絶滅種の勇者』だったらしい。

 世界を救う、絶滅の勇者。

 人を絶滅させて、他の絶滅させられた生き物を復活させるもの。

 絶滅の魔王。


 ふざけるなって、ボクは怒った。


「こんな……こんなの……よりにもよって、キタの時代に、こんなの……!」


 次に選ばれた勇者キタは、ほぼ確実に殺される。

 最高に上手く行っても、永遠に戦い続ける人生を生きなければならなくなる。

 幸せにはなれない。

 絶対に。

 救われることはない。

 絶対に。

 勝つことはない。

 絶対に。


 全ての要素が、ボクの大好きな人を悪辣に囲い、未来の希望を奪い去っていた。


 絶対にキタを不幸なまま死なせようとする絶滅種の悪辣な包囲。


 絶対絶滅包囲は、キタの人生から全ての可能性を奪い去っていた。


「ボクがこの世で唯一幸せにしたい人に……こんな、こんなっ……!」


 真実を知った。知りたくもなかった真実を。知らねばならない真実を。


 そして、ボクは。


 だから、ボクは。


 ボクが代わりに、全部を背負おうと思ったんだ。

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