みんなに「要らない」と言われた君へ 8

「やっぱりだ。やっぱり終わってなかった。ボクは自由になんてなってなかった。ボクはまだ幸せになろうとしちゃいけなかった。まだ何も終わってなかったんだ。人の罪は……積み重ねられた怨念は……消えてなかった……」


 勇者カイニは地獄を駆ける。

 キタを探して燃え上がる王都を突っ切り、飛び跳ね、疾走する。


 その途中、王都を制圧した『この歴史の魔王軍』がカイニに襲いかかるが、一瞬にしてバラバラにされ地に還る。

 勇者が武器を振ったのか?

 それとも魔法で反撃したのか?

 それすら、襲いかかった魔王軍の魔族には分からなかった。


「お兄さん、どこに……!」


 歴史が改変される予兆を見落としていたことに、カイニは舌打ちする。


 見通しが甘かった。

 油断にもほどがあった。

 張り詰めた心は失われ、緩みきった心は暖かさに包まれていた。

 四六時中戦いのことだけを考えていたカイニはどこかへ行って、四六時中キタと明日どこを回ろうか考えているカイニになってしまった。


 たった一日でこんなに幸せになってしまえるなんて、こんなにも幸せに溺れて自分を見失ってしまうだなんて、カイニは想像もしていなかった。


 勇者カイニは、幸せに浸かることで一瞬にして鈍ってしまった。

 たった一日で研ぎ澄まされた心の強さを失ってしまった。

 そのツケがこれである。

 気を引き締めなければ、いつどこで何に負けてしまうか分かったものではない。


「!」


 王都の外に、巨大な影が蠢く。

 それは、核に悪魔を使った巨大なスライムだった。

 高さ50m。横幅240m。奥行き320m。

 鈍重な粘液によって、推定総重量400万トンの超巨体。


 それが、王都の『大掃除』を務めるべく、王都に接近していた。

 キタを発見する前にあれが王都を蹂躙すれば、最悪何も残るまい。


「推定S級相当かな」


 流石にこれを放っておくという選択肢は、カイニには無かった。


 燃える炎が包み込む、紅蓮に照らされた大通り。


 その中心で、カイニが優雅に右手を掲げる。


「おいで、クタチ。お散歩の時間だ」


 そして、パチンと、指を鳴らした。


 瞬間、何かが音速を超える猛烈な勢いで飛来する。


 紅蓮の大火を吹き飛ばしながら来たそれを、カイニは鮮やかに掴み取った。


 それは剣。

 漆黒の、異形の剣であった。

 その出で立ちと、刀身からこぼれ落ちるおぞましい魔力ゆえに、この剣を見た者は誰もが口を揃えて同じ名でこれを呼ぶだろう。


 『魔剣』と。


 ガラスのコップの表面を、水滴が流れ落ちる時のように、つつつ、とカイニが魔剣の剣先を持ち上げ、スライムを内から操る悪魔に向ける。

 400万トンの巨体が、後ずさった。

 おそらくは、無自覚の恐怖ゆえに。


「ボクはね、魔族が嫌いなんだ。……親も友達も魔族に殺されてるから。キミらがボクから奪ってないのは、お兄さんだけだ」


 魔王時代の前に、三つの時代在り。

 魔獣時代、魔導時代、魔剣時代。


 それらの時代に生み出された過去の強力な武装は、現代に生きるほとんどの人間には扱うことのできない、魔の逸品である。

 2000年以上もの間、数え切れないほどの者達が力の誘惑に負け手を伸ばし、そして破滅してきた。

 この魔剣も、その一つ。


 其は冒険の書に正常な心を保存セーブしてもらっている人間でなければ、その柄に触れたその瞬間、視界に入る人間尽くを殺し尽くしてしまう人喰いの魔剣。


 魔剣・クタチ。

 くの字に折れ曲がった刀身と、ノコギリのような刃を持つ魔太刀。

 太古の昔、浮気をした恋人を刺し殺そうとした女が、恋人が英雄であったために並大抵の刃が刺さらず、故に己の存在そのものを魔剣と化して刺し殺したという逸話が残されている、殉愛の魔剣。

 使い手が一つの愛に殉じている間、持ち主に強大な力を与えるという。


「せいっ」


 カイニは飛び出し、つつつ、と、なぞるように、神速の斬撃が振るわれた。

 その斬撃が、巨大なスライムの表面をなぞるように命中する。


 そして、スライムを内から操っていた悪魔の首がごろりと落ちた。


 いかなる魔技か。

 巨大なスライムには、表面に傷がついたのみ。

 されど内に在ったはずの悪魔の首が落ちている。

 悪魔の首は驚愕の表情を浮かべ、スライムの崩壊と共に、地に落ちていった。


 崩壊するスライムが莫大な水量に還元され、ともすれば王都に水害をもたらすほどの流水を発生させる。

 魔族の体液だけで構成された大洪水。

 カイニはその大洪水を見据え、その先頭に鋭く魔剣を叩きつけた。


 またもやカイニの極めた剣技が、大洪水の向きを真横に捻じ曲げる。

 大洪水は王都に向かわず、近場の山へと激突し、地面に染み込み消えていった。


「ふぅ。早くお兄さん見つけないと」


 余計なところで時間を食ってしまったカイニは、駆け出そうとする、が。


 首だけになっても死んでいなかった悪魔が、地面に転がったまま、勇者カイニを嘲笑して、魔族の間で最も語られている『勇者カイニの疵』に触れる。


『聖剣にさえ出来損ないの勇者が、何を守れる?』


 カイニは応えなかった。

 カイニは無言であった。

 無言のまま、魔剣を悪魔の首に突き刺して、悪魔の生涯を終わらせた。


「喋らなきゃ死ななかったのに」


 カイニは悪魔の言葉を振り切るように走り出す。


 そうしてカイニはキタを見つけ、息を整えてから、その前に現れた、のだが。


 カイニが一度失ってしまった冷たい強さは、まだ戻りきってはいなかった。






 カイニがキタに提示した希望。


 それは『この事態は過去を改変したせいで発生したものであるため、過去に戻って改変を行った犯人を倒せば、世界の修正力によって全てが元に戻る』というあまりにも突飛すぎるものだった。


「僕とカイニで過去に戻って、過去で行われた過去改変を阻止する!?」


「そういうこと」


 当然、キタはついていけない。


 タイムスリップや時間改変はサイエンス・フィクションの定番であるが、そういう概念が根付いていない社会において、この概念の説明は案外手間がかかるものだ。

 カイニは当たり前のように話している。

 しかしキタにとっては、高度な数学の論文を朗読されているのと大して変わらない気持ちである。


 この世界においても、時間改変、歴史改竄といった概念に精通している者達はそれなりの数存在している……が。

 キタは、そちら側の人間ではない。

 だからいまいちピンと来ない。

 『国の人間のほとんどがタイムスリップありの娯楽作品を摂取したことがあるので理解が早い』などという国は、異世界にだってそうそうないということだ。


「いや待て、過去改変って!? この惨状の原因がそれなのか!?」


「うん。歴史が改変されて、揺らいだ歴史を細かい調整せず、力で押し切って……『勇者が勝った世界』を『魔王が勝った世界』の支流に押し込んだんだ」


「押し込んだ、って……」


「この改変が完了すると、たぶんボク消えるんだよね。魔王を殺したのボクだし。最終的に世界改変の辻褄を合わせるのは世界だから、どうなるか分かんないけど、最後の戦いでボクが魔王に返り討ちにあったとか、そういう感じに歴史を改変されたら……あはは、ほら見てよ、もう小指一本消えかけてるよボク」


「笑い事じゃないが!?」


 カイニが微笑み、キタの前で手を振って見せると、本当に左手の小指が半透明になり、消えかけていた。

 これが全身に広がれば、カイニは消滅して死に至るのだろう。

 『魔王が勇者を倒した』という歴史を確固たるものとするために。


 キタは状況を理論的に、完全に理解できているわけではない。

 しかし、彼にはちゃんとした理解力がある。

 大まかには理解しているつもりだ。


「僕は、カイニが頑張って掴み取った未来を踏み躙るなんて許せない」


「……お兄さん」


「君が勝ち取った平和を、無かったことにするなんて許せない」


「ん」


「誰にも、君を消させたりなんかしない。僕に何かできないか、カイニ」


「ありがと。嬉しいよ」


 カイニはまた心が緩みそうになるのを抑え、話を続ける。


「大丈夫、ボクならまだ間に合うさ。そのために改変が行われた過去に飛ぶんだ。この時代から過去の時代に誰かが飛ぶと、それは穴の痕跡としてそこに残る。時間平面に空いた穴は、現実で人の目に三次元解釈されると球に見える。たぶん今回もその辺にオーブみたいになって浮いてるんじゃないかな、たぶん。……たぶん」


「二秒で三回くらいたぶんって言ったなコイツ」


 どうも、カイニは過去改変の相殺というイベントに慣れているようなのだが、本人的にもあやふやで、感覚的に成功させているという要素が大きいようだった。


 冒険者としてのキタは堅実な依頼達成を主とする。

 そのため、彼は依頼前に色々と確認することが多くなる。

 必然、いつも質問が多くなる人間なのだが。

 今はもはや、何を質問すればいいのか分からなくなっていた。


「わけわからん……僕は何から聞けばいいんだ……」


「ボクのスリーサイズなら上から89、」


「聞いてないことを先んじて答えてこないでね」


「気にならないの?」


「気になることが多すぎる今の僕をパンクさせようとするな……!」


 二人は話しながら走り、空中に浮いているというオーブを探す。


 ほどなくして、それは見つかった。


「あった!」


 そこは、神殿車両の車庫だった。

 すなわち教会の私有地である。

 パレードの時、カイニが乗っていた車両も収められていたようだ。


 しかし車両も車庫もことごとくが破壊され、垂れ流された魔導燃料には魔法の火が着火して、そこかしこに大きな炎が燃え盛っている。

 教会が特定の儀礼でのみ使う空中道路の類も、軒並み灰になっているようだ。

 そんな中、ひときわ目立つものが一つ、宙に浮いている。


「浮いてるな、本当に……」


「魔王討伐祝賀会で裸踊りしてたお笑い騎士ラトリくらい浮いてるね」


「そんなには浮いてないだろ……あれでいいんだな、カイニ」


 燃える車庫の炎の中、不思議な質感の空色の珠が、空中に浮いていた。


「うん、ボクの頭を撫でながらあの珠に触れれば過去に飛べるよ」


「そっか、よし……ん?」


「ほら、早く行こう、お兄さん。ボクが消えちゃうよ、早く早く」


「しれっと嘘吐いたな君」


「ボクの頭を撫でないと過去に行けないってのが……嘘だって言うのかい!?」


「うん」


「まあ嘘だよ。普通に触れれば過去に行けるね」


「自分が消えかけてんのになんでそんな余裕なんだよ……!」


「お兄さんが消えるならともかく、ボクが消えるくらいならまあ別にそんなに……そんなことより早く行こう、ね」


 キタは嗜めるために言葉を選ぼうとした。

 だが、その言葉が紡がれる前に、何かがキタの足を掴んだ。

 黒い泥のような腕が、キタの足を掴んでいた。


「!?」


 そしてキタが驚いたとほぼ同時に、カイニの斬撃が放たれていた。


「お兄さんに汚い手で触れないでくれるかな」


 キタの目では終えないほどの速度で、斬撃三連。

 一撃目が、キタの足を掴んだ手を切り飛ばした。

 二撃目が、キタの足を掴んだ者の首を切り飛ばした。

 三撃目が、キタに触れようと近付いて来ていた者を真っ二つにした。


 そこでキタは気付く。

 何か、黒い何かに自分達が囲まれていることに。

 十や二十ではない。

 どう少なめに数えても、百や二百は超えていた。


「……!?」


 人型、魚型、鹿型、樹木型、その他諸々、多種多様な黒い何か。

 形が有るのか無いのか、それすら判然としない何か。

 目を凝らせば輪郭が見えるようで、それも気のせいだった気がしてくる。


 気配は無かった。

 何かが動く気配は、こうして視界に捉えてなお感じられない。

 元S級PTのキタですら感じられないのだから、本当に気配は0に近いのだろう。

 まるで、夕と夜の狭間に伸びていく、不気味な黒い影のようだった。


 カイニがキタを庇うように立ち位置を調整し始めると、二人を囲む黒い何かの集団は、口々に何かを喋り出した。


『キタ』『デタゾ』『アイツダ』『マタユウシャ』

『ホンモノダ』『ホンモノノユウシャダ』『コロセ』

『マタジャマヲシニキタ』『コロセ』『コロセ!』

『ホンモノノホウヲ』『コロセ!』『ニセモノハイイ!』


「……え?」


 まるで、切り刻まれた書物の中に暗号の答えが混ざっていたのを見てしまった人のような、そんな反応をキタがして。


 黒き者達が、殺意を剥き出しにして、一斉に飛びかかって。


 パチン、と少女の指が鳴る。


 カイニの手元に飛び込んで来た漆黒の魔剣が振るわれ、黒いドレスと真珠白の髪が鮮やかに翻り、黒き者達が一瞬にして一体残らずバラバラになった。


「一時間くらい待って、ボクの両腕が消えてからかかってくればよかったのに」


 圧倒的な数で囲んでも、四方八方から同時に襲いかかっても、キタに触れることさえ叶わず、カイニに指一本届かせることさえ叶わない。


 キタの目でも斬撃の軌道を追うことすらできない剣速は、まさしく世界を救った勇者に相応しい強さのそれだった。


絶滅存在ヴィミラニエから波及した現在の破壊は、過去を修正すれば何事もなく元の形に回帰する。過去を破壊されすぎると、影響は一部残るけど……ま、ざっくり言うと、ボクらが倒さないといけないのは、今の黒い奴らの親玉だね」


「ヴィミ……何? カイニはあれが何なのか知っているのか?」


「うん」


「それに、今の敵……俺を狙って……本物の方をって……?」


 カイニは顔に出していないが、段々と体調が悪くなっていくのを感じていた。

 小指はおそらく、ほどなくして消える。

 そういう影響が体内にも発生していた。

 内臓に、血に、神経に、骨に、僅かな違和感が感じられ、それが命の刻限を感じさせる嫌悪感に昇華されていく。


(どうしようかな……ボクにとって一番大事なことは、お兄さんを守ること)


 休まなければ戦えない。

 されどカイニはキタにかっこ悪いところを見せたくない。

 カイニはいつだってキタに甘えたい女の子だが、いつだってキタの前ではかっこいい頼れる女の子でも居たいのだ。

 弱いところを見せないまま、どこかで休みたいのだと、そう考える。

 だから。


(お兄さんが自分で自分を守れるチャンスも、ボクが残さないといけないんだ)


 カイニは悩み、迷い、断腸の思いで決断をした。


 キタに自分の弱体を隠し切るために。

 かつ、心配をかけずに休みを取るために。

 そして、弱っている自分がもしも負けた時、キタだけでも助かるように。

 カイニはとうとう、十年来の隠し事を、そしてそれに繋がるこの世界の真実を、全て語るために腹を括る。


 キタを守るために黙っていた真実を、キタを守るために語ることを決めた。

 それが、カイニの決断。


「ね、お兄さん」


「なんだい?」


 話し難そうにするカイニに対し、こんな時まで声色を優しくするキタの気遣いに、カイニは心底感謝していた。


「もしも、人間のせいで絶滅させられた多くの生物が、世界に対して叫ぶことを許されるなら。『こんな世界は間違ってる』とか、『こんな歴史は間違ってる』とか……そういう風に叫ぶんじゃないかなって、ボクは思う」


「それは……どういうことだ?」


「誰だって滅びたくはないんだ。だから抵抗するんだよ。たとえば絶滅してしまった生き物が、なおも滅亡に抗おうとするなら……しかないよね」


「時間を、遡る」


 もしも。

 もしも、である。

 人は繁栄の代償として、多くの生物を絶滅させてきた。

 人が滅ぼしてきた生物達の意思だけが、宇宙のどこかに残っているのなら。

 人に絶やされた生物は、必然の帰結として、人を憎んでいる。


 もしもそんな怨念の蓄積が、一定のラインを超えて力を持ち、それが時を越えるなんらかの干渉力を得ることができたなら、どうなるのだろうか。


「お兄さん。ある節期の第12日に人に絶滅させられた動物が、とりあえず絶滅を回避だけしたいならどうすればいいと思う?」


「絶滅の回避、か。そりゃ、仲間を助けて逃げるとか……」


「違うよ。12日の絶滅の犯人を、11日に殺してしまえばいいんだ」


「……!?」


「とりあえずは、って感じの話ではあるけどね。誰かに絶滅させられたなら、絶滅させたその人を殺してしまえば、絶滅はそもそも発生しないってことになるのさ」


 『絶滅回避』。

 これほどに語られるジャンルはそうそう多くはない。

 種は絶滅する。

 それを回避するにはどうするべきか?


 繁殖を誘導する?

 クローニングで個体を増やす?

 増えやすい環境を作ってやる?

 稚魚を増やしてから自然に離す?


 この世界では、違う。


 魚の絶滅を避けるため、鯨を根絶するような。

 鼠の絶滅を避けるため、猫を根絶するような。

 恐竜の絶滅を避けるため、飛来した隕石を消滅させるような。

 そういった『時間改変』を前提とした、暴の極みのような手段が選ばれた。


「光の神は、人類を哀れんだ。世界の意思と結託して、滅び行く人類を救う存在を生み出す仕組みを創り上げた。そうして生まれたのが『勇者』」


 カイニは語る。

 光の神は人を贔屓し、生み出した。

 人の滅びを回避する、そのためだけに生まれてくる人間を。


「邪悪なる神は、人類に絶滅させられた生物達を哀れんだ。絶滅した者達の嘆きが、世界を、歴史を、時間を捻じ曲げられるよう、力を与えた。それが絶滅存在ヴィミラニエ


 カイニは語る。

 邪悪なる神は滅亡した種族を贔屓し、時を上書きする力を与えた。

 絶滅した命が集積し、怨念の渦となって形を持てば、それは人に牙を剥く。


「魔王時代を生み出した歴代最強の魔王、魔王ズキシが持っていた能力は、『特定の勝利条件を満たせば敵一族を歴史から消し去り最初から居なかったことにできる』。魔王ズキシはこれで幾多の国家を消し去り、世界に魔王時代をもたらした」


 魔王ズキシ。

 歴代最強の魔王。

 勇者カイニ以外の誰もが倒せなかった、究極無敵の存在。

 邪神の力など借りずとも、邪神が力を与えた絶滅種の怨念に助けられずとも、時間を改変し、世界の大半を支配してしまった闇の極点。

 それを絶滅種が復活させれば、人は滅びる。

 何度でも。


「絶滅種から生まれた怪物は、過去を書き換え、魔王ズキシが勝利した歴史へと世界を移行させる。歴史が書き換えられ勝利した魔王ズキシは、その能力で『人類は最初から居なかった』ことにする。人類が居なくなったことで、歴史の中で人類に絶滅させられた生き物は全て蘇る。これが絶滅存在ヴィミラニエの目的」


「それじゃ……カイニ……君は……ずっと……」


 魔王ズキシが勇者に勝っていれば、人類は最初から居なかったことになる。

 人のせいで絶滅した生物は全て復活。

 全てが変わり果てた新世界が来るだろう。


 魔王ズキシが勇者に負けても、絶滅種達が歴史を書き換え、生まれた時間の揺らぎを押し込んで魔王ズキシが勝ったことにする。

 そして、結果は同じになる。


「ずっと……こんなことを……抱えてたのか……?」


「お兄さんが生きてる世界を守りたかったから」


「───」


 カイニが頑張ったことも、仲間の犠牲に涙しながら勝ったことも、世界を平和にしたことも、何もかも無駄だったと言えるのかもしれない。

 何故なら、勇者が魔王に勝っても負けても、最後は同じであるからだ。

 延々と続く改変の地獄。

 時は何度でも書き換えられ、カイニが負けるまで続く。

 魔王が人類の歴史を消し去るまで、絶滅種達は湧き続ける。


 魔王を倒して、『もしかしたらこれで全部終わってくれるかも』と淡い希望を持っていたカイニは、今日この日の歴史改変で、その希望を失ったのだ。


 これこそが、カイニが臨んだ戦い。

 終わり無く、勝ちも無い、大切な人の明日を守り続ける永遠の防衛戦。

 何故、カイニが笑ってこんなことを話していられるのか。

 キタには分からなかった。


 カイニが泣いて、怒って、絶望して、心が擦り切れるほど戦って、これまでもこれからも戦い続けるのだと思い知らされて、それでも帰って来た王都で、カイニをに、カイニの幼い心がどれだけの感情を抱いたのか、キタには分かるはずもない。

 ただそれだけを理由として戦えるカイニの気持ちが、分かるはずもない。


「過去を変えるそのために、絶滅存在ヴィミラニエは、現代で生きてる誰かの『狂おしいほどの後悔』を利用して、その対象に取り憑くんだ」


「後悔を……利用?」


「この空間の珠じくうのあなの向こうの時代はボクらの時代の十年前か、二十年前か。エルフだったら百年前、千年前だったりするかもしれない。特別な種族ならもっと前かも。誰だってあるよね。『あの時に戻りたい』って一瞬が」


 殺された父親を助けたい。

 商売で失敗した判斷をやり直したい。

 街のど真ん中でかいた恥をなかったことにしたい。

 誰かが大当たりしていた賭博に自分も賭けたい。

 学生の時に話すこともできなかった初恋の子に告白したい。


 誰かの『狂おしいほどの後悔』に相乗りして、絶滅存在ヴィミラニエは過去に戻る。

 その時、絶滅種は、後悔を持つその者に、こう語りかけるのだ。




『どんな過去でも一つだけ、変える権利を君にやろう。滅びと引き換えに』




 今、世界がこうなっているのは、誰かが絶滅存在ヴィミラニエに世界を売り渡し、世界の崩壊と引き換えにしてでも過去を変えたいと願う『狂おしいほどの後悔』に身を任せたからだ。


 絶滅存在ヴィミラニエは後悔に相乗りして過去に戻る。

 そこで宿主の願いを叶え、歴史を改変する。

 その改変が、魔王を復活させるのだ。


 果たして、それはいつのことか。それはどんな後悔なのか。

 百年前に戦死した親友か?

 十年前に事故死した母親か?

 一年前に落ちた試験か?

 一ヶ月前に無くしたまま見つからない宝物か?


 絶滅存在ヴィミラニエに魂を売れば、それを一時の間だけでも、過ぎ去りし事実を覆すことが許される。

 その後に、必然の滅びが待っているとしても、である。


 過去に死んだ誰かを、過去に戻って救っても、その先に待つのが滅びであれば、意味はない。意味はなくとも……すがってしまう者は居るだろう。


「そんなこと……できるわけが……」


「できる。できてしまうから、ボク達はそれを止めないといけなかった。……でも、もう……戦えた人の中で残ってるのはボクだけで……ボクは、一人だったんだ。ボクが最後の一人になった上でボクが負けることは許されない。だから」


 カイニがキタの冒険の書を借りて、最後のページを開く。


「借りていたページを、返したんだ。お兄さんに」


 冒険の書とは、最後のページに名前を書かれた者を、いかなる精神干渉からも守りきり、好きな時に保存セーブした精神状態を引き出せるスキル。


 ページが戻された冒険の書の最後のページには、キタと、カイニと、死んでしまったというカイニの仲間の名前が書き込まれている。


 それが、全てであった。


「本当の勇者は、お兄さんの方。ボクは資格を借りていっただけ」


「……え?」


「この本が勇者の証なんだ。『冒険の書』を持つ者こそが、選ばれし者」


 もしも、冒険の書に保存セーブする権利が、勇者しゅやくだけの特権であるとするならば。


 その特権を人知れず『借りる』ことができた人間が、一人だけ居る。


 勇者しゅやくが過酷な運命に放り込まれ、戦いの中で死んでいくことを恐れ、その役目と責任を横から奪い取った勇者にせものが、いる。


「ボクじゃなくてキミが、世界と神に選ばれた、本当の勇者だったんだよ」


 簒奪者カイニ。

 偽勇者カイニ。

 只人のカイニ。


 それが、世界を救った勇者と讃えられている彼女の、本当の肩書きだった。

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