第10話

ロジャー様は大声をあげて、私の肩を揺さぶりました。


「どうしたんだ!どうしたんだその顔は!あの傷は、あの美しい傷はどこへやった!君は本当にアンナなのか!?」


「ロジャー様?」


 喜んでくださるはずだった。そのはずでした。


「私、私は、確かにアンナです。あの傷が、嫌で……」

 私はカインツ夫人とのこと、今までの1週間のことを話しました。ロジャー様の顔色は、やがて紙のように白く、青く、土気色に変わっていきました。

「ああ、ああ、あ、あ、あ」

 彼は私の前で崩れ落ちました。

「ああああああアンナ、アンナ、アンナ。死んでしまったのか。僕の愛したアンナ。死んでしまった、死んでしまった、死んで、」

「私は生きてここにおります、ロジャー様、」

「その声で僕を呼ぶなぁ!!あ、あああ、アンナ、アンナァ!!!!!!!!!」


 私は混乱の最中におりました。レニが飛んできて、彼を宥めようとしますが、かえって逆効果でした。彼は徐々に彼の中にある絶望の淵に追い詰められていきました。

 ロジャー様は、執務室のデスクに駆け寄り、その引き出しから黒光りするピストルを取り出しました。レニが咄嗟に私の前に出ます。


「旦那様!おやめください!アンナ様にも、アンナ様にも考えがあってのことでございます!」

「レニ!」


 けれど彼にレニの言葉は届きませんでした。彼は涙を流しながら安全装置を外すと──それを、自らの顎に押し当てました。


「旦那様!!」

 レニが悲鳴のような声を上げました。私はといえば、整えたばかりの顔に手を当てて、震えるしかありませんでした。


「アンナ。愛していた」



 銃声。


 それが彼の最期の言葉になりました。その後のことは、読者の皆さまの想像に難くないでしょう。

 錯乱した私は顔をかきむしり、傷は開き、皮膚はちぎれ、以前より醜悪な顔になってしまいました。けれどもそんなのは瑣末なことでした。問題は愛する彼が死んでしまったこと、そして美しくなったはずの私を、命を絶ってまで拒んだことでした。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 レニは泣きながら旦那様の亡骸に縋りつきました。本来私がそうすべきなのに、私は呆然と立ち尽くし、顔をぐしゃぐしゃにかきむしることしかできません。

 メイド達が騒ぎを聞きつけてやってきます。その足音を、彼女達の悲鳴を聞きながら、私は悟ったのです。









 

 元からあの人が見ていたのは、私などではなかったのです。



 神様。ああ、神様。どこで間違えたのでしょう?

 転がっているピストルを拾い上げて、銃口に頭を押し当てて、躊躇いなく引きました。


 かちり。

 情けない音がしただけでした。

 弾は、もとから一発しかなかったのです。





 腹部がずきずきと痛み出しました。命が流れていく、と直感しました。私は泣き笑いました。笑い、泣きました。メイド達は私の顔を見て恐れおののき目を逸らしました。

 それでも、それでも笑いは止まりませんでした。涙も止まりませんでした。


 全てが、ここで終わる。それなのに、私の人生は情けなく続いていく──そんな気がしたから。

 


 

 了

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醜悪な恋人 紫陽_凛 @syw_rin

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