夢を追いかける歌うくじら型と入道雲

桃もちみいか(天音葵葉)

君はとなりにいるのに遠い

 あのね、私の声は変わってるんだ。

 私の声は、可愛い女の子の可愛い声じゃない。


 自分の声は嫌いだけれど、歌うのは嫌いじゃない。

 でもね、人前では歌いたくないな。


 だってさ、からかわれるのが分かっているから。


 お母さんは私の声はハスキーとかいうものであるらしくて、将来はブルースとか歌う歌姫になるのとか良いんじゃないかなとかってなぐさめてくる。


『ブルースってなに?』

『かっこいいジャンルの歌よ』


 そんななぐさめは小学生にも中学生にも、ついでに高校生になった私にも気休めでしかなかった。


 学校の音楽の授業に好きと嫌いが混在する。


 音楽も歌も聴くのは大好きだ。

 合奏も好き。


 私は人のいないところで歌うことは好きだったが、授業とか合唱の歌声は極力小さく、なるべく他人ひとに聞かれないようにする。

 声もあまり出したくないので、おとなしいとか思われてしまうが本当はそうでもない。


 自分の心のなかにはうごめく熱いドラゴンみたいのがいて、思いっきり歌を歌いたいんだ! とか思ってる。


『だみ声、男声』

『お前、女のくせに声低すぎでしょ』

『でかくて唸り声みたいな声。まるでくじら女だな。お前はくじらだ、わははっ、ホエールだ』


 そう言われて小学校中学校はいじられてきたけど、高校生になったら少しずつ周りの反応が変わってきた。

 そこは不思議だった。


和歌わかちゃんって見た目が凛々しくてカッコいいし、声もすごく響いて素敵じゃん。宝塚歌劇団のイケメンな男役みたいですっごくキュンキュンしちゃう。ほんっとかっこいいよね〜』

久慈くじって良い声してるよ。声優とかになれるんじゃね』


 私には親友が出来た。

 明日香あすかちゃんと景大けいだいだ。


 ――二人は私の今までの学生生活で初めて、私の声を褒めてくれた人。 


久慈くじ、ちょっといい?」

「何なん? あらたまっちゃって」


 景大けいだいに「ちょっとちょっと」と手を掴まれ連れて行かれたのは学校の校舎の屋上だった。


 男子に手を掴まれるなんて初めてだった。

 わたしは長身で女子らしくないし声が変でいじられ対象でしかなかったから、同じ年頃の男の子はすっごく苦手で嫌で少しばかりの恐怖すら覚えていた。

 クラスメートの男子に気安く話しかけられることも、こうやって景大みたいに触れてくる男子もいなかった。

 男子にはいじめとまではいかないけど、「デカ女」とか「オトコ声女」とかって言われずっとからかわれてきたから。


 ちょっとドキドキした。

 景大にとっては些細なことで、深い意味なんてなかったのだ。

 私は景大の恋愛対象ではないのだから。


 暑い夏の夕方、だけどまだだいぶ空は夜の帳の色が遠くて明るかった。

 不意に見上げたら、入道雲が見えていた。

 ぐんぐん育つ雲の隆起に夏の陽光があたって、陰影を作る。


 ――私は景大けいだいに手首を掴まれたままだった。


「……景大。手、離して」

「ああ、ごめんっ」


 馬鹿だ、私。

 景大の手が私に触れているの、嫌じゃなくて。

 離してもらわなくても全然良かったくせに。


 ほんとはもう少し触れていたかったとか思ったのは、なぜだろう。

 ……恥ずかしかったから。

 距離が近ければ顔が赤くなってるのを間近で見られてしまう。

 知られたくない。

 君を意識してしまったことなんか。


「歌、歌ってほしいんだ」

「はっ?」

「久慈にさ、俺の曲の歌を歌ってほしいんだよ」


 突然のお願い。

 青天の霹靂――。


 それからドキドキが起きた。

 私の胸の中に恋が生まれた。

 景大への恋が、生まれた。


    ◇◆◇


 生まれて初めて……誘われて、男子の部屋に初めて来た。


 景大の部屋に――。


「ああ、適当に座ってよ。さっきも話したけどさ、俺の歳の離れた兄ちゃんがわりと有名なバンドの曲を書いたりしてたんだ。今はプロデューサーみたいなことがメインらしいんだけど」

「ああ、うん……」


 私は適当と言われても座る場所が見つからなかった。

 6畳ぐらいでシンプルな部屋だ。

 勉強机と椅子とシングルベッドに小さなローボードに雑誌やCDがいくつか載ってて、あとはこの部屋でかなり存在感マシマシで主張してるなっていうのはなんかパソコンとかよく分かんない機械がたくさんとか電子ピアノ? があって。


 どこに座れと言うのだろう?


わりい。女子を部屋にあげるのは初めてだったから、気が利かなくて」

「私も男子の部屋が初めてだから……。こんな秘密基地みたいなのわくわくしてる」

「……ププッ。相変わらず、お前って面白いやつだなあ。そんなん言われて嬉しい」

「嬉しい?」

「母さんには少しは片付けろとかすっげえ小言いわれるの。でも、どれも片付けらんないし、今は捨てらんない」

「大切なんだ? 景大にはどれもこれもが――」


 ここ、座ってとベッドに座る景大がとなりをポンポンと叩く。

 一瞬戸惑ったが、床にも散らばるごちゃついた機械の配線とか踏んづけてなんか壊しても悪いので、景大のすすめに従った。


「ねえ? 声を聴かせてよ、久慈」

「……はっ? な、なにいきなり。さっきもあんたの作った歌を歌えとか訳わかんないよ」

「俺の耳元で囁いてみて。小声でも良い。久慈の好きな歌、歌って」

「や、やだ」

「拒否るとは思ったけど。俺は諦めないぞ。単刀直入に言う」


 景大が私の両肩を掴んで、熱い眼差しを向けてくる。

 な、なんなんだよ、景大!


「久慈は何を突然にとか思っている。俺を変なやつと考えているだろう」

「お、思ってる。……景大すごい。心を読んだの? 当たってるよ、それ」

「いや、至極まっとうな反応だ。実は俺、出会った時から入学式の日の自己紹介の時からお前のが好きだ。大好きだ、惚れた!」


 ワタシノコエニ惚レタ?


「ちょっと! 途中から意味不明な単語が並んだんですけど?」

「はあ〜っ。やっと言えた。ずっと伝えたかったんだ。お前の声は最強で最高で俺のイメージぴったりなんだ」

「……そ……んなわけないじゃん」

「そんなことある。それにお前の歌声を聴いたんだ。学校帰りに川の土手で座ってさ、お前ちっちゃな歌声だったけど歌ってた。組むなら絶対に俺にはお前しかいないと思ったんだよ」

「聴いたの? 私の歌う声を……」

「そうだよ。マジ最高だって思った! 組むのはお前とが良い」

「組むってなに?」

「バンドだよ。ヴォーカルとギタリストだけの。もしくはヴォーカルとピアノ。俺、歌うのはからっきし。歌は下手っぴなんだけど、楽器はあれこれ練習してんだ。曲作りが好きなんだ」

「バンドって……。冗談でしょう?」


 私はからかわれてるんだと思った。

 景大もそんなやつだったんだ。

 私の声を面白がる今まで出会った男子たちとはちょっと違うのかとか思ってたのに。


 ――でも。

 景大は真剣だった。

 あの時、景大に誘われて。

 まさか自分がオーディションコンテストに出ることになるとはひと露ほどにも思わなかった。


 なんども懇願されて、ついに私は景大の情熱の炎に気圧されてしまった。

 熱量が私を焦がしていく。


 この頃から私は……歌声を褒められたことだけでなく、景大の真剣さに胸が奪われていたのに気づいていた。



 景大と毎日練習に明け暮れてた。

 学校の屋上とかカラオケ店やどこかの安い貸し音楽室とか探して、二人で練習練習ばっかりしてた。

 楽しかった。

 思いっきり歌って。

 景大と二人きりの時間を過ごして。

 だって私がお願いしなくても、景大の方から今日も練習しようぜ、久慈に今日も会いたいんだと誘ってくれる。


 オーディションは三ヶ月後で、主催は景大のお兄さんのバンドが自分たちとセッション出来るようなバンドを育てたいからと募集してる。

 景大はお兄さんから「弟だからって忖度は一切なしだ」と厳しく言われてるみたいだけど、あえてぶつかってみたいらしい。


 景大にとってお兄さんは憧れで、永遠のライバルってとこなんだって。


「越えられない、でっかい壁なんだ。でも尊敬してる。音楽の楽しさを教えてくれたのは兄貴だから」

「いいね、そんな関係。……私は一人っ子だからなあ」

「俺は久慈と明日香みたいなのも良いと思うけど」


 あれ? えっ? うんっ?

 明日香のこと、景大は「明日香」って呼んだ。

 ずっと苗字で呼んでなかったっけ?


 私のことはいつまでも「和歌」じゃなくって「久慈」って呼ぶくせに。


 私は心にぶわっとした黒い風の感情が芽生え燻っていくのを感じてた。

 心に棲まう熱くたぎるものが、穢されたような。


 練習になんとなく行きたくなくなった。


 けど、会いたい。

 景大に会いたいから、行く。

 誘われて、景大のいる場所トコに行く。


 明日香もいつしか私達のバンド練習に参加していた。観客、応援、ファンだって言ってくれる。


「明日香もなんか楽器やって参加したら?」


 私が自分自身に意地悪をして、そんなことを言うと明日香は一度断った。

 私は私に、傷をつける。

 景大を好きなこと、諦めてしまえるように。


 明日香の熱っぽい視線が景大に向かっているのを、ずいぶん前から気づいていた。



     ◇◆◇



「なあ、久慈。お前、本気で明日香のことバンドメンバーに誘いたいの? 俺は久慈と二人でやっていきたいけど。……お前が明日香をどうしても入れたいのなら持ちパート、明日香が出来そうなのかやってみたそうな担当とか話し合って考える」

「明日香だけ……、私と景大が楽しんでるのに、明日香だけが仲間はずれみたいで嫌なんだよね」


 これも本心だ。

 私と明日香と景大の三人で学校では仲良く過ごしてるのに、放課後は明日香が蚊帳の外みたいなのが裏切ってるみたいで胸が痛む。


 景大と二人きりでも良かった自分と、放課後寂しそうに一人で帰る明日香のことを放っておけない私がいる。


 私は大好きな景大と二人で過ごせば過ごすほどに、罪悪感にさいなまれる。


 明日香は景大のことが好きだって、誰が見ても分かるぐらいに態度に出ていた。

 景大もまんざらでもない感じ。……というか私だけが知らされてないだけで、実は二人は付き合ってるとか? あるのかもしれない。


「明日香には悪いかもだしさ。でも俺の気持ち聞かずにさ、明日香をメンバーに入れるとか言い出したりして。俺からしたら久慈ってすげえ勝手なんだけど。俺はお前しかいらないんだが。……分かる? この意味」


 それは嘘だった。

 この時点では本当でも、未来さきのあるひでは……。


 私は景大の才能の一部でしか過ぎない。景大の作り出す歌を歌う歌い手というポジションでしか、景大のそばで存在する価値のない人間だ。



 一度だけ、キスされた。

 怒った風な景大に口づけられて、私は大泣きした。


 あのキスがどんな意味だったのか今さら聞けない。




  ◇◆◇




 あの頃が懐かしい……。

 スポットライトを浴びる前、高校生の自分。

 劣等感はいまだにどこかにいて、私を時々苦しめるが。

 あの声に対するコンプレックスはもうないのに、別の原因が私の中を抉っていく。


「和歌、今日のコンサート終わったら飯食いに行かねえ?」

「……今日はホテルに帰って休む」


 私は景大と明日香と結成したバンドでメジャーデビューを果たした。


 ヴォーカルは私、景大はギター、明日香はピアノで、元気の出る歌を作って世の中に届けようって決めたんだ。


 私の声はバラード向きの声だしノリのいい曲は苦手だったけど、景大の作る曲は私の声を考えて作ってくれてるから最高で、すごく歌うのが心地よくて私にぴったりと合ってる。


 歌詞のあれこれが良い、それにこの辺がいいってところで曲の最高潮の盛り上がりがきたりがものすごく気持ちよく歌わせてくれる。



 私は歌う時に一番自由でいられた。


 歌を歌う時が何もかもから、ひととき羽根が生えたみたいに飛んでいける。空を飛ぶ鳥になった心は、解放されるんだ。



 バンドを結成して、最初に受けた景大のお兄さん関連のオーディションコンテストでは優勝は出来なかった。


 準優勝で悔しくて、私は夢中になって大学は音楽学校に入った。レッスンやダンスレッスンにも励んで、全身全霊、魂のそこから楽しんでいた。


 運が良かったのもある。けど、人一倍諦めずに私も景大も明日香も頑張ってきた。

 頑張りがすべて実って報われるほど甘い世界じゃないけれど、何かしらが私たちの音楽活動に味方したってことなんだと思う。



 デビューしてから数年、道で歩けば声をかけられるようになった。

 サインを求められたり握手や写真撮影を頼まれ声援を受ける。ちょっとは売れたのかな。


「付き合い悪いぞ。俺とお前、恋人同士だってのに」

「なんか気がのらない。喉もちょっと痛いし」


 それはうそ。

 私もこの目の前の人も歌を歌うことをこよなく愛するヴォーカリストだから、このうそはこの人には抜群に効果を発揮する。


 数組のバンドが集まるチャリティコンサートでは、私たちのバンドはトリを飾る。

 この人は、トップを彩る国民的人気のバンドのヴォーカルだっていうのに人懐っこくて気さくで、……景大より、私に夢中でいてくれてあったかい。


 付き合ってよって、怖いぐらい奥の闇が深くて真剣な瞳で告白された。

 断る気まんまんだったのに、私の景大への気持ちを本人と嫁にばらすぞと笑顔で脅されて強引に付き合わされてる。


 大人になって、しがらみも出来て、自分が用意周到に心んなかにバリケードを張れるようになった。


「景大のこと、忘れさせてやるから俺と付き合えよ」


 その言葉を信じたのに、男なんてみんな嘘つきだ。


 こっそり一人でコンサート会場を抜け出して、すぐそばの海を見に行こうとした。

 まだ明るい夏の夕方の空には入道雲が勢いを増し覆い、ただひとつだけ星が瞬いていた。


 ああ、こんな空は景大に初めて触れられた日を思い出す。


 もう戻れない、高校生の私と景大だけの時間――。

 どうして独り占めしなかったのだろう。


 私は景大のことが好きな自分を失くせない。


 大好きなアイツが私のとなりでギターを爪弾く瞬間がたまらない。忘れられるわけないじゃん。


 誰よりも近くで、誰よりも一緒の時間を過ごして。


 私の声が大好きだと言ってくれた初めての男を、好きなこと忘れることなんて出来るわけないじゃんか。



   了

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