二章② 氷が解ける時

「よしよし。ここからならよく見えるね」


 双眼鏡を覗きながら、嬉々とした声を漏らす私。すっかり日は落ちて、昼間よりも人気が感じられなかった。


 私は今、とある旅館の一室にいる。

 被害者の家から、百メートルほどしか離れていない旅館だ。部屋は三階にあり、旅館の塀に邪魔されることもない。


「おっ。ゲーム持ってきたんだね」

「うん」


 視線を部屋の中に戻すと、ゲーム機を準備している氷名乃が目に入った。

 

 彼女は毛布に包まっている。

 ただでさえ肌寒くなってくる季節だ。冷え性の氷名乃には辛い時期だろう。

 駆けつけてもらうのは心苦しかったが、今後、彼女の力が必要になる。

 

「あっ。もしかしてそれって――」

「予備のコントローラー。早速買った」

「ピンクって珍しいね。いつもは必ず緑色のやつ買うのに」

「潜香が好きな色だから、これにした」

「ん? なんで私?」

「それは……」


 ……まただ。

 またあのときの、寂しそうな顔。

 

「氷名乃。少し、お話しよ」

「……監視は?」

「まだ明かりがついている家が多いし、この時間には来ないはずだよ。それに――」


 私は、国の下で働くエージェント。

 任務に私情を挟むなんて、言語道断。

 だけど――。





「――氷名乃の方が大事だから、今だけエージェント辞める」 





 その場で膝を折り、彼女の目をじっと見つめた。


「潜香……」


 私の名をポツリと呟く、緑髪の少女。

 名は、柳氷名乃。

 私の大事な親友だ――。


「氷名乃って、どうしてゲームが好きなの?」


 彼女の悩みにゲームが絡んでいるのは、まず間違いない。

 ならば、ゲームの話題に花を咲かせる。私もゲームに興味があるんだ、と思ってもらう。そうして、打ち明けやすい雰囲気を作る。


「改めて訊かれると、ちょっと難しい。自然と好きになってた感じだから」

「そっか。気づいたらハマってた感じかな?」

「そんな感じ。でも、初めて手に取ったときのことは覚えているよ」

「おっ。よかったら聞かせてよ」

「まあ、別にいいけど」


 エージェントの中には、思い出したくもないような、辛い過去を持っている者がいる。私や支信も、行く当てがないところを拾ってもらった身だ。


 氷名乃と初めて出会ったとき、こう思った。

 ああ、この子も同じだ。何か、辛いことがあったんだろうな。と。

 そう察せるほどに、彼女の視線は冷たかった。まさに、氷のように――。


 これまで、過去を詮索するのは避けていた。嫌なことを思い出させてしまうかもしれないから。

 でも知りたい。柳氷名乃という少女のことを。もっと、柳氷名乃を理解したい。

 




「――両親がいなかった。生まれたときから」





 目の前の少女は落ち着いていた。淡々と、言葉を連ねていく。


「兄弟も、頼れる親戚もいなかった。友達と呼べそうな相手も皆無だった。でも、紗英さんに拾ってもらって、人生が変わった。ゲームに出会ったのは、その時」


 驚くほど無表情な少女の言葉に淀みはない。

 苦い記憶だと思う。今がどんなに幸せだったとしても、精算すればチャラになってしまいそうな、辛い思い出。少しでも引きずっているのであれば、それを語るときの表情に多少の変化はあるだろう。

 でも、氷名乃は強い。過去に囚われず、未来を生きようとしている。思わず惚れてしまいそうなほど、かっこいい。

 私も、氷名乃のようになれたら――。


「そう、だったんだ。ありがとう。話してくれて」

「ううん。こちらこそありがとう」


 ――その時。

 無表情だった少女が、頬を緩めた――。


「おかげで、ずっと言いたかったことが言えるよ」

「なんでもばっちこいだよ」


 氷名乃の強さに気を取られて忘れかけていたけど、本題はこちらでしたな。


「ゲームは、一人でなんでもできちゃう。学校にも行けるし、恋愛もできる。時には異世界に行って、世界を救うこともできる」


 言葉の節々から、ゲームへの愛が伝わってくる。

 確かにゲームであれば、現実も非現実も、日常も非日常も体験できる。少し大袈裟かもしれないが、ゲームを起動するだけでいろいろな世界に足を踏み入れることができる。

 これが、ゲームの魅力なのだろう。


「でも、ふと思ったの。〝誰か〟と一緒にやれば、もっと楽しめるのかなって」


 毛布に包まったまま、腕だけ外に出している氷名乃。ピンク色のコントローラーを手に取る。そして――。



 


「――私と一緒に、ゲームをやってもらえませんか?」





 彼女は、私の眼前にコントローラーを差し出した。

 ひったくり犯を捕まえたとき、なぜ購入を渋ったのか。当時は分からなかったが、今なら分かる。

 それは、私のコントローラーを私自身に用意させるのが、嫌だったからではないだろうか。自分で購入して、私へのプレゼントにしたかったからではないだろうか。

 そう。このコントローラーは予備などではなく、私のために買ってくれたのだ。


「氷名乃。あのさ」

「うん」

「言わせておいてあれなんだけどさ、私も恥ずかしくなってきた」

「うん」

「だから一旦、エージェント復帰するわ」

「うん………………へっ?」


 氷名乃は素っ頓狂な声を上げた。

 顔色には、戸惑いが滲んでいる。

 




「この依頼が終わったら、思う存分ゲームしよっか」





 私は自信満々に、そう宣言した。

 次に氷名乃が放ったセリフは――。





「なんかそれ、死亡フラグみたいだね」





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