3 佐倉智恵利

1)令和4年12月18日

 三時半に待ち合わせをした樹里じゅりから、あと五分というところで「ちょっと遅れる」と連絡が入った。私が「シャインマスカットラスイチ」と返すと、樹里からは土下座のスタンプが送られてきた。先についていた私は、遅れて来る連れの分も一緒にと言って、今期は今日が最後というシャインマスカットのタルトと自分の分のいちごのタルトを注文した。

 私は空いている限り、この、出入り口にほど近い席に座る。ここはかつて、オオガさんがインスタントコーヒーを出していたときオオガさんが座っていた場所である。お店の外がよく見えて退屈しない。


 今の店主の井原さんご夫妻は、もともと旦那さんのほうがコーヒーが好きで、奥さんもお菓子作りが好きだから、自分たち好みのコーヒーとお菓子とをいろんな人に楽しんでもらいたいと思ってこのお店を開いたんだそう。そういう話は、私が管理会社の担当者として話をする中での世間話として聞いたものだ。

 借主である旦那さんの蒼介そうすけさんは大家さんのご親戚で、賃料は当社を通さずに直接支払っているけど、共用部分の管理とかの関係とかで当社ともそこそこやりとりがある。蒼介さんは大学以来ずっと県外にいたということで近所に知り合いも少ないらしく、最初のうちは私にちょっと弱音めいたことも漏らした。「タルトがおいしい」とは言われどもコーヒーについてはあんまり褒めてもらえなくて、夫婦の間が微妙な空気になってるとか。

 そのとき蒼介さんは、気の毒になってしまうような苦笑いをしながら「前、朝だけ開いていたコーヒースタンドはコーヒーしかなくてもお客さん来てたでしょう」と言った。私は曖昧な笑顔でお茶を濁した。だって、オオガさんが出してたのはこだわりの豆でもなんでもないインスタントコーヒーだし、一ヶ月千円のサブスクだし、あと店主が女子学生にめちゃくちゃモテた。なんかもう、井原夫妻のお店とはほとんど共通項がないのだ。ちなみに蒼介さんは人の好さがにじみ出た顔をしていて、不潔な感じのしない髭とか、眼鏡越しにもわかる目尻の皺とか、おなかいっぱいで幸せなクマ(中サイズ)っていう感じ。これはすごく褒めている。


 蒼介さんはその後、奥さんと相談して、奥さんの作るタルトに合わせたコーヒーを出してみることにした。そしたら急に、コーヒーがおいしいと言ってくれる人が増えたらしい。蒼介さんは初めはなんだか複雑そうだったけど、最近、それとは別に「店主の好みを詰めこんだコーヒー」を別に提供するようになった。結構人気があるんだと嬉しそうに教えてくれたときは、こっちまで嬉しくなった。

 なんだろう、タイミングなのかな。よくわかんないけど、なんにせよ繁盛してるのはいいことだ。私は、蒼介さんがコーヒー豆を挽く音を聞きながら、お店の出入り口のほうに目をやった。


 樹里はまだ来ない。次に入ってきたのはしっかりした体格の眼鏡の男性だった。クマ(中)の蒼介さんより少し背が高そう。私はその人の顔を見、あれ、と思って立ち上がり「瀬上先生」と声をかけた。

 瀬上先生は、うちの会社がお願いしている税理士事務所の税理士さんである。ここでかつて開業していたおじいちゃん先生の弟子筋にあたるとかで、前の担当の先生から最近うちの会社の案件を引き継いだ人。瀬上先生は私を見ると会釈をしてくれた。


 瀬上先生に気づいた蒼介さんは「ちょっと待ってくださいねえ」と言いながら、挽いた豆の袋の空気を抜き、封をすると大切そうにシールを貼った。

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