閑話 芥間イヅミと幼い剣士

 芥間イヅミは生天目ユキノスケのことを大層気に入っていた。自慢の弟子として、愛する親友の息子として、目に掛けていた。最初こそ、親友の引退を招いた原因という気持もあったが、実際に会ってそれは酷い言いがかりだと気がついたのだ。


 もとより興味はあった。

 カゲヨシが死ねば、彼は一人きりとなる────あの日、親友の死んだと聞いた晩に急ぎ迎えに向かっていた。

 僅かにがっかりしたのは、姿形は面影を感じても、その性質はあの破天荒な彼とは真逆のものであったからだ。

 それでもユキノスケはとてもいい子だった。理由なき庇護を拒み、自ら使用人として働くことを望み、礼儀も荒削りだが弁えていて、とくに聞き分けがいい。真面目によく働く。


 父を失った少年は、引き取られて一月ほどで落ち着いた。あらゆる感情を押し殺し、理不尽が降ってきても耐え忍ぶ。芥間の言うことはきちんと守り、普段話す相手も居ないというのに会話もそつがなく、不満もなく、何かを与えろと乞うこともない。淡々と己の仕事をこなす。文句のつけどころのない子だ。


(人形のような子だ)


 生天目カゲヨシの形によく似た人形。

 そんなユキノスケがある日、床に頭を擦り付けて芥間に願ったことがある。


「──やはり剣を学びたいのか、ユキノスケは」


少年が隠れて棒切れを振り回しているのは知っていた。その度に他の使用人に見つかっては棒を取り上げられて、怒られて、別な仕事を押し付けられているのは日常の光景だった。

 この少年は、将来は父のような剣士になるとは芥間自身思っていた。だから稽古もいずれつけてやるとも言ったのだが、しかし、改まって言うとはどんな心境の変化だろうと。言われずとも落ち着けば稽古場に誘うつもりではあったのだ。

 ユキノスケは居住まいを直して、はっきりとした口調で言った。


「はい。俺に、剣術の稽古をつけてくださるという話、まだ生きておりますでしょうか。俺は芥間流の剣を習いたいのです。皆さまの邪魔にならないようにいたしますので」

「元は……カゲヨシに教わっていたのだったか」

「はい。父から手解きは受けています。……型は、だいぶ父の我流のものですが、基本的なものは教えてもらいました」


 確かにカゲヨシは独特の型で戦う剣士だったなと思い出す。生天目流と称していたその型と、芥間流の型をどちらも兼ね備えた剣士になったならと、ふと想像した。

 前に見た時に、筋は悪くないことは分かっている。飲み込みも早く、目がとても良い。人の動きをよく覚える子だ。息子イナタもそれなりの才と努力する気概はあるのだが、アレは剣士にはなれないとわかっていた。妖術士としては文句はないが、剣士の才はない。

 その代わりにこの少年を理想的な剣士に導けば、どんな剣を操るのだろうと想像すると落ち着かなかった。


(この子を私が育て上げれば良い。カゲヨシのような剣士を

、私が育てるのだ……)


 ぞくりと何かが背筋を走る。久しい感覚だった。

 一も二もなく頷いていた。


「いいとも、私がきみの師となろう──ただし、ほかの者と同時の稽古はしない。ほかの者と打ち合ってはいけない。稽古の見学自体は好きにすると良いが、きみは私が一対一で稽古をつける。よいな」


主人の言葉に、願い出たはずのユキノスケは困惑を隠せずにいた。それもそうだ、一介の使用人にそこまでする義理はないのだから。しかし、彼は親友カゲヨシの子でもある。


「芥間さま直々に……良いのですか」

「勿論だとも。カゲヨシはきっと、そう望むだろうな」

「こ、光栄です! 父から、旦那様がとても素晴らしい剣の腕をお持ちだとずっと聞いておりました」

「カゲヨシが?」

「はい。あなたは父の目標でしたから」

「…………さて、それはどうだろうな」


芥間は笑った。どちらが、どちらの目標なのだか。

 ユキノスケは嘘をつかないし、或いは嘘が下手くそである。感情はスッと隠すし、使用人相手には無表情を貫くが、嘘をつくときはわかりやすく映った。

 そこも親友に似て、好ましいと思っていた。

 なによりユキノスケは鍛え甲斐のある子だ。元より資質もあって、父カゲヨシの教えも良かったのだろう。


 敢えて何の為に剣を振るうかは聞かないことにした。聞かずとも分かる。その未来を考えるだけで胸が疼いた。



 早速、その日から稽古を開始した。

 初めの頃はイナタやそれに唆されたであろう使用人たちの妨害もあった。素振りの場所も変えるように指示を出した。


「一人でするのなら、人目のないところで振りなさい。人が怖がるやも知らん」

「はい、芥間様」

「人に気が付かれないように。音を立てぬように素早く動きなさい」

「気をつけます」


 ユキノスケは器用なものだった。どんな無茶を言っても、可能な限りそれを為そうとする。

 そのうちにユキは誰にも見つからない場所に音もなく現れては素振りをするようになった。一度、場所がなくて木の上に登ろうとしていた時は思わず笑ってしまったものである。

 使用人頭の立花もこのところのユキノスケは仕事が早いと言っていた。


 ユキノスケは剣に貪欲だった。

 芥間も余計なことは教えず、ただひたすら剣ひとつを教えた。彼の父、カゲヨシは妖術は不得手であり、ならば息子である彼も使う必要がないと感じたからだ。特に教えるように頼まれてもいない。

 現に誰でも使えるような妖具もありふれており、圧倒的な剣の才があればよいと芥間は判断していた。いつだって学べば取り返せるのだ。ユキノスケは文字も計算も身につくのが早く、気まぐれに渡した僅かな本もたちまちに吸収する。


(カゲヨシが鍛えたあの子を、今度は私が鍛える──あの子は私たち二人の弟子だ。そしてそれに恥じぬ実力と勤勉さがこの子にはある)


芥間はとても満足していた。

 亡き友に変わって、この小鳥を護らねばならないと友人の墓前で誓っていた。亡き友が目指していた「善き剣士」とやらにユキノスケを至らせる。ユキノスケにはその素質がある。


 純粋で、しなやかで、強かで、粘り強い。


 ユキノスケなら或いは、カゲヨシや芥間よりも強くなれるとすら期待していた。大切な友の血を引き、己の技を自在に操るこの少年こそが跡取りに相応しいとさえ思っていた。


「きみの行先が幸多いことを願っているよ、ユキノスケ。そうして、剣士として戻っておいで」


あの子のことだ、きっと待たずに便りくれるだろうという予感はあった。その時に、いつでも戻れる場はあるのだと言ってあげればいい。

 ユキノスケが帰るべき家はここなのだ。


「あの子が至高の剣士になれば、そうすればきみは喜んでくれるのかな。カゲヨシ……」


今日も、ひとりごちる声が部屋に落ちる。

 眠る亡き友は答えるはずもない。

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廻る縁の妖剣士 井田いづ @Idacksoy

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