閑話 芥間イヅミと生天目カゲヨシ
芥間イヅミは、ヨウ国の一地方を治める領主の息子として生まれた。
物心ついた頃には剣を握り、習う剣術を瞬く間に我が物にして、天才だ神童だなんだと誉めそやされていた。近所の子供では相手にならず、大人に混じって稽古をしていたこともあり、彼自身もそう呼ばれることに抵抗も違和感もなかった。当然だとすら感じていた。
とんだ思い上がりだったなと、芥間は振り返る。
芥間の思い上がりも、綺麗な「道場剣術」もをぶち壊した男がいたのだ。それこそが、生天目カゲヨシだった。
初めて出会ったのは、ある領主の集まりでのことである。
目つきが悪く、ボサボサの髪も相まって鴉のようだと揶揄される少年は、ずかずかと大股でやってくるなり、挨拶もなしに芥間に声をかけてきた。白い歯が光るような錯覚を覚える。
「よォ、芥間家の神童って、あんたのことだろ?」
──面食らった。
不遜である。不敬である。聞けば、生天目家は剣術で由緒ある家系らしいが、礼儀作法は何処かに置いてきたらしい。
即、裳倉家の若当主に頭を叩かれていた。アイテ、と間抜けな声が上がる。
「あいすみませぬ、イヅミ様」
「いや、構いませんよ。初めて見るご家臣ですね」
「生天目カゲヨシといいまして、こんな奴ではございますが、剣の腕には嘘がないのでございます」
「嘘がない剣と?」
「ええ──これ、生天目、頭を下げんか! また謹慎させられたいか!」
カゲヨシは頭を下げさせられて、ようやくへらりと笑った。人好きのする笑みだった。
「へーへー、こいつは失礼いたしましたっと! ところで、芥間の若旦那サマ、俺に稽古をつけてくれませんかね」
「これ、馬鹿! 言ったそばから! もうしわけありませぬ、とんだ失礼を」
ごつんと頭に一発鉄拳を受けて沈む少年と、裳倉の若当主は随分と仲がいいようである。この時点で興味を惹かれたのかもしれない。
「いえいえ、構いませんよ。嘘がない剣とやら、私も興味があります」
穏やかに微笑んで、芥間はこの無礼な少年を屋敷へ招いた。
一週間を挟んだ後。
あの後盛大に叱られたらしいカゲヨシは、前よりは幾分かマシな態度で芥間屋敷を訪れた。小綺麗に身なりを整えられて、実年齢よりも幼く見えるこの男が同年齢くらいだと分かった。
二人は道場にて向き合う。
すぐに圧倒される。
生天目カゲヨシはまさしく、剣の天才だった。彼が構えると空気が凪ぎ、音がなくなる。瞬きのうちに型を変え、相手はお構いなしに変幻自在に攻める剣法。
しかも一打一打が重いのだ。
剣に魅入られた者同士、数度打ち合えばすっかり意気投合してしまった。それだけにカゲヨシは魅力的な剣士だった。
「あはは、いや、楽しゅうございます! 芥間
汗を拭い、楽しそうに笑う彼に、芥間も釣られて笑っていた。
「無理をしなくていいよ。別に」
初めての感覚だった。彼には距離を置かれたくないと咄嗟に口をついていた。
「きみなら芥間と呼んでもいいし、そう畏まる必要もない」
「おん、ホントか?」
「本当だとも」
「じゃ、イヅミでいっか?」
「……おまえは本当に適当な奴だな。ふふふ、いいとも、カゲヨシ。この時から私とおまえは友だからな」
「はは、光栄だ! 俺の友の中でも、おまえはいっとう貴い奴だ!」
領主の嫡男と家臣では身分が違う。
けれども二人は非常に良好な仲を築いていた。度々剣を打ち合わせて、芥間が当主になるまでは、時折旅なんかもしたりもする。二人はよい友人であり、裳倉家とも芥間家は良好な関係を築いた。
青年となり、家庭を持ち、幾分か破天荒なカゲヨシの性格も落ち着いて、それからも二人の関係は相変わらずだった。二人は酒を酌み交わして互いの状況を語り合ったりもして。仕事の愚痴にも付き合った。
生天目カゲヨシが表舞台から姿を消したのは、突然のことだった。子供が生まれてからというもの、彼は己の仕事を厭うようになっていた。それでも頼まれれば断れない男だから、細々と言われれば続けていたのだが、妻を亡くした途端にそれもやめてしまった。
彼はさっさと仕えていた裳倉家から暇を貰って、田舎に引っ込んでしまったのだ。
「カゲヨシ! 私は何も聞いていないぞ。勝手に消えるとはどういう了見だ」
芥間は久しぶりに街に出てきた友に詰め寄った。あれほど頻繁にあった剣の稽古も、飲みの時間も、カゲヨシはあっさりと捨てたのだ。
すべては、彼の息子のために、よく知っているはずの男が知らない顔を見せる。知らない時間が増える。
それがどうしようもなく苦しかった。
「ああ、すまぬ、きっときみは止めてくれると思ってな。此度ばかりは留まるわけにもいくまい──イヅミ、きみも子供がいるのならわかるだろう」
「……私ならば、カゲヨシを守れる。君の家族も守ろう。約束するよ、それではダメなのか」
「きみの細君が嫌がるだろう。彼女は、俺が気に食わんらしい」
からりと笑いのけるカゲヨシに芥間は顔を歪めた。それもお構いなしに彼はのんびりと語った。
「北の方をあちこち巡ってみようと思うんだ。少なくてもユキノスケはそちらの気候の方があってるだろうし、健やかに育てられるだろうしさ。それに、俺は道場を開きたくてね。生天目流剣術道場、どうだ、かっこいいだろう」
師範代と呼ばれるんだと得意げに笑う親友の姿に、咄嗟には何も言えない。どうすればこの友を遠くに行かせずに済むか、手放さないで済むかで、ぐるぐると思考を巡らせていた。
カゲヨシは歯を見せて笑う。話し方や気質が落ち着いても、こういうところは少年の頃から変わらない。
「な、イヅミ。わがままをひとついいか」
「おまえはいつもわがままばかりだろう────言え」
「俺は生きるのが下手くそだから、もし息子が、ユキノスケが困ることがあれば助けてやってはくれねえか。あれは妻に似て大人しい子だ、荒っぽいことも苦手だろう」
「……おまえの望みをどうして断れよう」
芥間はひどく暗い顔で頷いた。ばん、と励ますようにその背中を叩く。
「はは、そうだったな。なに、そう落ち込むなって! 永遠の別れでもなし、たまにはこうして酒を交わそう。落ち着いたら俺も出てくるし、領主のきみが出てくるのは大変だろうが、気が向いたら我が家にも遊びに来てくれよ」
「……ああ、わかった」
「ついでにもうひとついいか?」
「……カゲヨシ、わがままはひとつと言わなかったかな」
「いいじゃねェか、ひとつ増えるくらい。──俺の刀をおまえに預けるよ。俺にゃ上手いこと扱えんかったが。力尽くで抜けば切れ味は悪くない」
そう言って、彼は刀を押し付けてきた。
「勘違いするなよ、俺は剣を捨てたんじゃない。これ以外にも刀はあるが、こいつばかりはお前が持っていたほうがいいと思うんだ。俺にも息子にも過ぎた刀だしな、いつか息子共々成長し切ったら取りに行く」
まだ成長する気かよ、と吐き出す。けれど、やはり断れず。大人しく受け取った。
「──わかった。預かるだけだからな、カゲヨシ」
「おう、おまえになら安心して任せられる! 適当に蔵にでもしまっておいてくれりゃあいい」
「……そうしよう」
「あはは、相変わらずだな、おまえは! さらばだ、イヅミ。また会おう」
「必ず」
生天目親子はそう言って、どことも知れない田舎の村に消えてしまった。生天目流剣術道場が出来ることもなく、細々と便りだけが芥間家を訪ねてくる日々。
それでも芥間はいつかはまた友人と肩を並べて生きられると信じていた。領主と剣士、身分は違えど共に生きていけるのだと信じきっていた。
だからこそ、あんな結末を迎えるとは思ってはいなかったのだ。
あの日、誰よりも強かった生天目カゲヨシがあっさりと死んでしまうなどと。
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