小話(蛇足)

閑話 妖刀と妖術士・弐

 櫻葉の訃報が町を賑わした翌々日の晩。

 しん、とした夜半に興長は目を覚ました。重たい頭を向ければ、文机の灯りがついて、小さな背中が興味なさげに本のページをめくっている。

 ユキの姿をしているが、そうではないとすぐに分かった。


「……や、妖刀殿」


声をかける。振り返る。


「あンれ、起きたのかモンモン────って、あははは! なんだそれ、驚いた、おまえでもそんな顔色が悪くなるンだナ? なんだかんだ、普段妖術乱用しててもけろりとしてっからさ」

「一体きみは僕をなんだと思ってるんだ……それに、きみの取立てが情け容赦もないから」

「そーゆー契約だろ?」


 興長は苦笑して、おえんを見た。ユキもげっそりとしているように見えるが、想定よりもよっぽどマシな状態に安堵する。妖刀がうまい具合に調整したのだろう。


「カゲユキの状態はどうかな」

「ずっとうなされてるヨ」

「……当然か」

「あんまりにも酷いからサ、今は強制的に意識をシャットダウンしてるのさ。あたしはそこらの妖物と違ってウンと優しいんだぜ」

「きみが融通の効く妖物であることは認めるとも。本音を言えば、きみはその少年を気に入っているようだから、もう幾分か手加減するかとは思ったんだけど」


そう言えば、妖刀は鼻で笑った。くるくると胸の辺りを指先でなぞる。


「はん、コイツは気が滞りすぎなンだよ。出口がわからなくてくるくる廻ってやがる。一度ぜーんぶ吐き出さないと気の廻りは良くならンだろ? これくらい大業でさ、限界を知るついでに気力を吐き出すいい機会さ。その点では感謝してるぜ、モンモン」

「へえ?」

「それに、すこーし経ったらおまえから吸い取った気力をこいつに廻すから、こいつはすぐ回復するよーになる。そんなら甘ちゃんのおまえだって文句ないだろ?」

「うん、それならよかった。そういうことなら、僕相手にも加減してくれてもいいんだけど」

「モンモンはあたしが選んだ剣士じゃないだろ」

「それもそうだ」


 興長はあっさりと頷いてから、おえんの隣に移動して、ゆっくりと腰を下ろした。ともすれば触れ合う距離におえんは怪訝に眉を顰めた。


「近ぇナ、なンだヨ?」

「実を言うと、僕はとんと甘い人間でね」

「実はも何もめちゃくちゃ知ってるケド」

「そうそう。まあ、甘いというのは手ぬるいとか優しいとかそういう意味ではなくて、僕自身の考え方のほうだ。今までも腕づくで有耶無耶にはしてるが」


興長は大袈裟にため息を吐いた。


「僕には他力本願なところがあってね。あの子にはきみがいるから問題ない、きみはあの子を傷つけないだろう。やるにしたって彼が正当化できるように手引きするとかね。…………櫻葉と何があったのか、聞いてもいいか」

「ふうん? おまえ、あいつが人を斬るって想定してなかったのか」

「少しはしていたさ。力量差からして、万が一程度にだけどね」

「妖刀つったって、刀相手に何を期待してンだって話だナ。いいか、あたしはユキの願いを止めない。それがあたしの願いのためだからナ。──はは、おまえってば、自分勝手に期待して、相手が思い通りにいかなかったからって失望してんのかヨ」

「まさか、失望なんてしてないさ。すべては僕が足りていないだけさ。僕はただワケが知りたいだけ──もっとも、僕が自分勝手なのは確かなんだけどね」

「アイツ自体は無事に帰ったンだからいいじゃねーか」

「うん、身体は無事だとも。そういうことじゃないと分かるだろう」


 まるで事故がないと思っていたかと言われれば嘘になる。軽い怪我をユキが負う恐れもあった。当然、斬ってしまうことも想定にはあった。

 あくまでも可能性として、だが。

 急いて実践を積ませる必要はなかったのに、送り出したのは興長で、行くと決めたのはユキだ。


「彼自身の選択であり、それを促したのは僕だ。まあ自己都合を優先した僕の責任ではあるのだけど────きみは何故、止めなかったのかな」

「止めるって何をさ。あぶねーぞって忠告こそすれ、悪人を斬るのに何も止める必要はないだろ」

「彼が人を手に掛ける、少なくても彼がそう思い込む前にきみなら止められたろうに。彼が人を斬るのは今じゃなくてもよかったはずだよ。いずれはそうなったとしてもだ」


などと勝手なことを言えば、おえんは口を尖らせた。


「ふん、第一アイツを櫻葉のもとに行かせたのはおまえだろ? だってアイツの実力ならさ、ユキをアンドゥーの護衛側に回らせて、おまえが陽動でもよかったはずだし、なんなら二手に別れる必要すらなかった。おまえは自分の都合と、あとは単純に対人経験にちょうど良いと思ったんだろ?」

「そうだ」

「それにおまえのことだからどっかから見てたんだろ? 止められたのは、おまえもだ。どーせ、剣士ユキ妖刀あたしとの力関係でも見たかったんだろーケド」

「……見てはないさ。妖術を幾つか掛けておいたのは確かだけれど、どれもきみたちを監視するようなものじゃない」


ゆっくりと否定をした。


「ま、実際相手としてちょーどよかったのは確かだぜ? 実力差もあったしナ、ユキが死ぬような戦いでもない。引き時さえ合ってりゃ殺さないと逃げられない相手でもなかった」


おえんは腕を組んでウンウンと頷く。


「でも忘れンナ。アイツを斬ると、たとえ咄嗟でも決めたのはユキ自身だ。そういう判断の出来る奴だ。あたしはあくまでも刀だぜ?」

「……ひとまず、その時の状況を教えてくれよ」

「仕方ねー奴だナ」


大袈裟にため息をつくと、おえんはあったことを興長にこんこんと説明し出した。

 逃げるまでの戦いっぷり、ユキが櫻葉の縁を切ることを優先したこと、誘い込まれた先の現場に子供がいたこと、その命が危険に晒されたこと、ユキの焦り、咄嗟の判断。

 櫻葉は金で人を雇うか、或いは素人向けの妖具がなければまともに戦う術を持たない人間だが──それでも、人を見る男だ。ユキが人を殺したことのない人間だと嗅ぎつけてもおかしくはない。

 そして賭けに出てもおかしくはないのだ。


「モンモン。おまえがどう思おうが、ユキには必要だったのさ、今回のことは」

「そうかな」

「忘れてないか? あいつはさ、仇を斬る為に妖刀あたしの剣士になったンだぜ?」

「忘れるものか。人を斬る方法を教えろと言われたんだぜ、僕は」


そんなことを知らないまま生きられる人もいる中、ユキは人を斬る術を求めなくてはいけない。求めざるを得ない。耐え難い何かがあの子の道を歪めた。

 ひとつしか道を知らない。

 それがどれだけ悲しいことか。


「……僕だって、偉そうなことを言える立場じゃないのに」

「アイツの敵はすんごい強いらしーぞ? そンなら人ひとり斬ったことのないアイツで勝てるわけがない。ユキには刺し違えるンじゃなくて、圧倒して完全に勝たなきゃいけねェのさ。だからさ、必要だろ?」

「まったく、代われるなら代わりたいよ。彼みたいな子には純粋に、普通に広い世界を楽しんで欲しいのになあ」


 興長は長くため息を吐く。おえんはべぇ、と舌を出した。


「まーた自分勝手ナ。この道もユキが選んだんだから邪魔すンなよナ。第一さ、おまえはお人好しが過ぎるンじゃないかヨ。気味悪ぃ」

「安心してくれ、きみたちの邪魔をする気はないとも。……八年間、揺れることなく仇討ちを願うくらいだ、出会ったばかりのよそ者が知った顔でどうこう言えるものでもないだろう。僕は何も知らない」

「止める気もねーならヨ、なんでコイツにそんなに構うのさ」


おえんはじとりと興長を見つめた。

 見透かされている気になって、気味が悪い。実際見ているのだろう、人の目には映らない何かを。


「ついこの間まで存在も知らなかった同士だろーに」

「理由なんて必要ないだろう、すべてただの自己満足に過ぎないんだから。僕は褒められる人生は送ってないもんでさ、その分目の前にいる人に親切にしておきたいんだ。それで善人になった気になっているだけだよ。偽善、欺瞞、傲慢、僕の気はそんなものばかりさ──でも妖物きみたちはそういう気が好きなんだろう?」


にやりと笑えば、今度はおえんがため息をつく番だった。


「難儀な奴。あたしはおまえを気に入ってンだぜ、モンモン。そーやって取り繕うのもケッコーだけどさ、おまえも程々にしろよナ」

「ご忠告どうも」

「それから、あたしはおえん・・・だ。ただの妖刀殿じゃないぞ。ユキのおえんだ」

「……わかったよ」

「わかっンたならおえんって呼べよナ」

「はいはい、おえん殿、これで良いかな」

「ンー、及第点。父上・・に殿をつけて呼ぶのは変だぞ。まー、今日のところは許してやるか」


 悪戯っぽく言うと、おえんは興長の首を見つめる。そこに巻き付く無数の縁を。そのいくつかを触りながら、小さく首を傾げた。


「ナ、モンモン。おまえのその縁、どれか切ってやろーか? 息苦しそうじゃねーか」


気に入っているというおえんの言葉に嘘はない。第一、ユキが懐いた相手なのだ。それを助けるくらいはなんということはない。特段対価も要求するつもりもなかったが、にべもなく断られた。


「いいよ。全部まとめて僕の縁だ」

「そんなんやってたら首絞まるぞ」

「それを含めて縁ってものだろう」


 そう言って、ようやく興長は立ち上がってさっさと自分の布団に戻った。


「悪かったな、邪魔をした」

「別に、おまえとのお喋りは嫌いじゃねェし」

「そりゃなによりだ。……おやすみ、おえん殿」

「おまえも大人しくおやすみしとけヨ、モンモン」


おえんが寝る気配はない。

 頁を捲る音を聞くうちに、夜が過ぎていく。

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