(肆)興長への依頼

 興長は本当に色々と買って帰ってきた。衣服やら食べ物が詰まった箱、様々を器用に抱えている。彼はユキが身を起こしているのを見て、目尻を下げた。


「起きたか。色々買ってきたが、食えそうかな」

「はい。いただきます」


頷いたユキにほっとして、味噌を塗って炙った握り飯やら魚肉や野菜の焼いたのやら漬物やらをユキの隣に並べはじめる。甘い果実水の竹筒もある。艶やかな飴は美味そうに輝いていて、ユキは目を奪われた。

 興長は手際よく三等分、皿に分けた。

 興長と、ユキと、おえんに。


「お、モンモン、気がきくじゃん!」


おえんは喜んで自分用に分けられたそれに飛びついた。小気味よくぱりぽりと齧られる漬物、齧られてぱりんと音を立てる飴。あれこれと実に美味しそうに頬張っている。

 ユキはそれを眺めながら首を傾げた。


「興長さんには、おえんの姿は見えてないんですよね」

「うん、最初に言った通り、見えも聞こえもしない。まあ、妖刀殿は存在感があるからね、大体の位置はわかるけども」

「それじゃあ、おえんが食べたりものを持っているのってどう映るんですか」


確かにそこには両手に握り飯を持ってがっついている少女の姿があるのだが、他の人には宙に浮きながらひとりでに削られていく飯の姿でも映るのだろうか。

 聞けば、興長はそれも見えないと答えた。


「見えない?」

「気がつかないうちに、いつのまにか消えているという感じだな。食べ物がそこにある、次の瞬間にはパッと消える。おそらく彼女が手に触れたものは視認できなくなるのかもしれないな──もちろん、きみ以外は……だけど」


それはそうだ。おえんに触れることでユキの姿が見えなくなれば……と考えたところで、これは妙案ではないかと考え至る。並の剣士であれば殺気でバレるだろうが、それでも姿が見えないという利点があれば仇討ちの成功率は跳ね上がるのではないか──。

 しかし、これについてはおえんが先読みしたかのように否定した。


「ンな便利な技、あれば使いまくってるヤローは山ほどいるぞ。転移の術と一緒だナ。転移の対価を払った後で気持ちが変わらンのなら、試してやってもいいケド? お試しだけでもめちゃくちゃ気をすり減らすことになるだろーがナ!」

「……やっぱりだめか」


使えたら、今回のような護衛の任があったとしても対象を隠してしまえれば誤って殺めるようなことには至らないかもと期待したのもあった。

 便利な妖術でも、そうは都合よくいかないらしい。



 ユキもおえんに倣って握り飯に手を伸ばす。香ばしい香りが口内に広がって胃が締め付けられるように痛んだ。飲み込む時に焦げた表面が刺さるような感じがしてさらに痛んだので、果実水で乾き切った口を潤す。張り付いていた喉が解放されて吐息が溢れた。

 漬物を一口齧る。

 野菜だけ口に運ぶ。

 腹は確かに空いているはずなのに、中々喉を通らない。


 興長はそんなユキを心配そうに見つめていた。

 どうしてこの人はこんなに面倒を見てくれるのだろう、とユキは思う。芥間イヅミは父の親友だったから、助けてくれた。そうではない他の大人たちは手を差し伸べたりはしなかった。

 逡巡しつつも、ユキはそういえばと切り出した。


「興長さん、アンドレさんからの依頼料についてなんですが」

「ああ、後で渡そうと思っていたけど、今のうちに渡しておこうか」


そう言って取り出した袋には、想定以上の貨幣が入っているようだった。あの人、土壇場でこんなものをよく持ち出せていたものだと舌を巻く。これさえあれば旅費としては安心だろう。

 しかしユキは首を横に振った。


「いいえ、いりません」

「エ⁈」


おえんが驚く。


「……なぜ?」


興長も怪訝そうに首を傾げた。勝手に決めてごめん、とユキはおえんに謝ってから、真っ直ぐに興長に向き直る。


「妖術士の興長モンドさんに依頼をさせてほしいんです」

「きみから金を受け取る契約じゃないだろう」

「それはミヤトまでの道案内についてです。それとは別の、その先のお願いです。俺に人と戦う術を教えてください」


 迷いなく言い切った。

 ユキは対人経験が極端に少ない。また人を斬ったらどうしようという恐怖が強い。

 けれども、ユキは人を斬らなきゃいけないのだ。その為に始めた旅路だ。不足するものがあるならば、信頼のできる強い人に力を借りたい。


「これまでと同じくらいの稽古なら、わざわざ金を介さなくてもいいのに。アレは僕の趣味というと変だけど、そういうものだから」

「俺は剣士として、足りないものが多いから。せめて自分で考えて刀を扱えるように、早くなりたいんです。……特に、経験ある方に、人を斬る術を教えてもらいたい」


興長の眉間に僅かに皺が刻まれる。

 ユキはずるいよな、と己を省みた。自分は吐いて取り乱したというのに。いまだにチラついて、でも自分以外の手が入ったと安心して、こんなにずるい人間なのに。

 他人の影には容易く踏み込むのだ。


「答えなくても構いません。興長さんは人を斬ったことはありますか。興長さんの意思で」


返ってくるのは、低い声。


「…………あるよ」

「なら、俺に人を斬る術を教えてくださいませんか」

「……よりによって僕にそれを望むのか」


 興長は、今度ははっきりと眉根を寄せた。不快感というよりも、もっと別な感情が浮かんでいた。


「きみに人殺しの術を教えろと? きみの剣の腕は十分だよ。きみが死なない為の剣術は、きみの身に染み付いている」

「剣術は師もいましたし、父からも教わりました。でも……どこを斬れば死んでしまうか、そうじゃないか、俺にはまだぼんやりとしかわからない。俺は悪戯に人を斬りたくない、斬り殺したくない。それでも斬らなきゃいけなくなった時に、こんどこそ判断を誤りたくないんです」


 あの時、ユキはどうすれば良かったのかはわからない。深追いしなければよかった、話を聞く前に逃げれば良かったのはそうだが、人質がいて、銃を向けられて、呑めない要求を突きつけられたあの時、ユキは何を斬れば良かったのか。

 

「……殺さなきゃ何をしても良いわけでもない。より面倒になるだけだ。だからって殺せというわけではないが」

「それもわかってます。だけど、守るために進むために、必要な時に、また同じことがあった時に、迷いたくない」

「きみは剣士として生きるんだな、カゲユキ」


興長の双眸はユキを真っ直ぐに捉えて、ユキもたじろがずにそれを受け止める。

 脳裏から離れない。掌の感触が残り続ける。初めて人を斬った、そしてこの先ユキが行き着く先でも人を斬る。この感触は旅の終わりまでユキに纏わりつく。


「俺は仇討ちの為に旅に出ました」

「ああ──そうだな」


だから人斬りかと、呟く声が落ちる。


「迷いなく人を斬れる剣士になりたいと」

「……ただ一人、仇の首さえ落とせればいいんです。でも今の俺は駄目なんだ。教えてくれる人がいなきゃ」

「僕は教師としては良い人材とは思えないが……」

「俺にはあなたが必要です」


 暫く、興長は考えるそぶりを見せた。立てた膝に頬杖をついて、遠くを眺める。

 悲しげなのか、寂しげなのか、はたまた失望か、そこにある感情は読みきれない。少しの間沈黙が落ちた後、興長はふう、とため息を吐いて


「いいよ」


一言で了承した。


「予想していなかったわけじゃない。ただ、思ったよりきみの決断が早くて驚いたんだ。なにもかも──もう少し心も休めて、もう少し悩んでからでだって良いのに。妖刀殿は、なんと?」

「刀は剣士に従うモンだ。でも金は少しくらいは取っとけって思うケド!」


おえんアッサリと頷いて食事に戻る。とは言えあらかた食べ切って、ユキの食べかけを羨ましそうに見るものだから、自分の分をそっとおえんの方に差し出した。


「……おえんはそれでいいそうです」

「きみは下手だな。妖刀殿とはあまり話をしてないから、何を言われたかまではわからんが、大凡こういう具合かな────」


 興長は袋から貨幣を半分取り出した。ユキに見えるように床に広げる。


「人にはよるが、旅の同行を頼む際の依頼料はこれが大体の相場だ。そこに護衛や雑用などが絡むと倍になる」

「……なるほど。では」


丸ごとどうぞ、と言おうとしたのを止められた。広げたうちから数枚また巾着に戻して、ユキの膝下にとんと投げる。


「ただし、今回は旅の道案内の対価は別に貰う契約は既に交わしている。護衛の必要もきみにはないだろう。これを丸ごとは流石に貰いすぎになるだろうな。残りはきみが持っていてくれ」

「流石に少なくありませんか」

「手抜きをするつもりはないし、また別の依頼があればその時は正規の値段で引き受けよう。まあ、今回はきみに元々教えようと思っていた範疇も含めてきちんと僕の技術で教えられることは教えるさ」

「……なんで」

「理由はどうつけたっていいが──ほら、きみは興長・・カゲユキだからね。仮にも父上・・である僕が息子からふんだくるワケにもいかんだろう」


 悪戯っぽく笑う興長に、おえんは「うへえ、ド濁りの甘ちゃんがよう」と訳がわからない罵倒をしつつも「受けられる好意は受け取っとこーぜ!」とユキを促した。

 目を閉じて、思いを巡らせて、やがてユキは頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

「うん。興長モンドは確かにきみと契約した」


契約書は食後に書こうと興長は笑うと、ぱん、と話題を変えるように手を叩いた。

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