(伍)仇の痕跡
先ほどからユキが碌に食べていないことに気がついたのだろう。比較的手が進んでいる果実水と飴の方をユキに差し出しながら、汁物も買ってくればよかったなと今更のように呟いた。
「カゲユキのしたいことはわかったし、僕のできる限り協力しよう。だがその前にきみは元気にならないといけないな」
「俺、病気にはあまり罹りませんよ」
丈夫なんです、とユキは胸を張る。
芥間屋敷に勤めた八年間、ユキが熱を出したのは初めの半年くらいで、それからは一度も倒れたことはない。そう言えば、興長は苦笑した。
「そう言うことじゃない。きみは痩せすぎだ。剣を振るう力はあるが、もっと肉をつけないと。身体が出来上がっていないと言うのかな、身体が弱れば気力も弱る。それじゃあ妖術も使えんだろうさ」
「……今はお腹が空いてなくて」
「食べること自体は焦らず、少しずつでも構わない。いきなり食べたら身体に負担になるのも確かだからな。……とは言っても、栄養不足では妖刀殿の取り立てに耐え切れるかわからんぞ。ゆっくりでいいから食べなさい」
「むー! あたしを悪徳取り立て屋みたいに言うナ!」
おえんはむう、と頬を膨らませる。言い方が気に食わないらしいが、残念、興長は声までは聞こえないのだ。
さっとユキに視線を向けた。
「きみがすべきはまず、たくさん食べて、嫌になるほど寝て、これでもかと休むことだ。今目を逸らして平気だと思っていても、後々響くことがある」
旅程は委ねることは先の契約ですでに決めている。ユキ自身、仇のことをどこから調べるかもわかっていないのだ。それどころか、まだ父の罪の全容も知らない。
そうだ、と思い出す。父の罪を、或いは父を殺したその人を、この人ならば知っているのではないだろうか。
芥間イヅミは父の罪については語ろうとしなかった。
馬鹿正直に語っては自分を明かすようなもので中々に口に出せないものがあった。だから、慎重に言葉を選ぶ。
「あの、興長さん。ひとつ聞いても良いですか」
「どうした」
「興長さんは、旅をして長いですか。その、色んな土地を回っている、と言うか」
「まあ──それなりだな。仕事の都合であちこちに行く機会はあったし、首都の方にも何度か行ったが」
「それなら」
なんて言おうか考えあぐねる。しかし下手な嘘よりは、事実で語れるところのみを端的に言うべきだろうと、口を開いた。
「強い人殺しって、誰か知ってたりしますか」
「……そりゃ曖昧すぎるよ」
興長は困り顔で肩をすくめた。ユキも思わず同じ顔になる。それはそうだ、抽象的がすぎる。逡巡していると、助け舟を出される。
「きみの言う強いってどれくらいのものかな」
「剣では誰かに負けるのを見たことがないくらい……そんな人を殺したんです。俺が十人いたって、一振りであしらえちゃうような人を、殺せるくらい強い人」
「うーん、その人斬りは確実に生きているのかな」
「そう、願ってますけど」
そうか、死んでいるかもしれないのかとユキは思い至って眉間に皺を寄せた。死んでいたら仇を討てないではないか。そんな当たり前を考慮しないで飛び出したのかと自省する。
ただ、そう言った話を聞いたことはなかった。誰も教えてくれなかっただけかもしれないが、芥間だって、父の話題は避けていたとしても、もしも仇が死んでいるなら教えてくれそうなものなのだ。
「不躾になるが、すまないね。これは答えなくても構わないが、きみの仇討ちが始まったのは、いつ頃?」
「……八年くらい前、です」
「ううん、それくらいだと記憶にあるのはコウロウの街の方で生天目の騒動があったが……あとは首都の方でも
「生天目……」
生天目カゲヨシの話は、そんなにも有名なものなのか。
ユキは乾いた唇を舌先で湿らせた。動揺を悟らせまいと目線を動かさないように、声が震えないように己に言い聞かせる。
さも「つい興味が惹かれた」風に呟いてみた。
「──その、生天目って人は、有名な妖術士とかですか。名前に覚えが、あるので」
「僕が知るのは剣士としてはだが。噂に聞いたばかりで会ったことはない。まあ、珍しい名前ないからな」
「悪人なんでしょうか」
「人斬り稼業に悪も何もないだろうさ。特に北の方は元々そう言う騒動が少ないから、余計にな」
(人斬り? 父さんが?)
ユキは思わず表情を崩しかけた。ユキの見た父親は、優しくて、不器用で、目指すべき剣士の姿だ。それが人斬り?
信じがたい気持ちを呑み込む。
「人斬りなら、俺の、仇かも。何をしたんですか」
「コウロウの領主屋敷に押し入って、盗みついでに九人ほど斬り殺したってんで騒がれたな。しかも元々勤めていた屋敷だと言う話だが……さて、僕の記憶では違ったはずだが。気になるのなら、役所で当時の資料を取り寄せてもいいよ。あの頃の人斬りで目立つのが彼というだけで、他にも山といるから、当てになるともかぎらないけど」
「そんなこと……できるんですか」
「もちろん、領主様のお使いをしたから、多少は融通を効かしてくれるはずだ」
興長は町を出る前に写しに行ってきてやろうと請け負った。そこに父の痕跡か、或いは誰か関わりのある人の名があれば良い。或いは、悪人を斬った者の名前だとか。
(そう上手くはいかないだろうけど)
そういえば芥間は、よくユキに「父と似ている」と言っていた。似ているというのが顔立ちのことなら、迂闊な真似はできない。
興長はさて、と真面目な顔をした。
「死していたり、そこらのならず者ならばまだいい。問題はきみが探している仇が、闇討ち人だった場合だ」
「……闇討ちだと、見つけられないんですか」
「うん、そうなる。そもそも、闇討ちはお上から殺しの許可を持った人たちだ。皆過去を消して、家族もなく、顔も名前も一切わからない。彼らが仇なら、きみの仇討ちは諦めた方が楽になる」
「そんな」
ユキは眉間に皺を寄せた。
「闇討ちに狙われるのって、咎人だけですよね」
「普通はな。まあ、それを著しく、それこそ闇討ち人を殺そうとするほどに匿った人が巻き込まれたこともあるが……」
「どうやって闇討ちだとわかるんですか」
「彼らは必ず殺しの相手の手配書を持っているものなんだ。妖術を施した特別な紙さ。……それが現場にあれば調査は打ち切られるんだが、きみにそういった記憶はあるかな」
「いえ」
あったとしても何ひとつ帰ってこなかったのだから、知らないのだ。
「そうか、それがないなら、闇討ちに遭ったということはないんだろうな。それなら普通に人斬りの線で探せば良い。……しかしそれはそれで情報がないとなると厳しいな」
力になれずにすまない、と眉尻を下げる興長に対して、ユキは慌てて取り繕った。
「十分です。俺自身、あんまり当時のことを……その、覚えてない、ので。自分でも探そうと思ってるんですけど、念のために聞いてみたんです」
+++
興長は改めて八年前にあった目ぼしい事件について、情報を集めてくれると約束してくれた。おえんに対価を払って、それが落ち着いた頃に行ってくるとのことで。
そうだ、とユキはおえんを仰ぎ見た。まるで重さなどないように、彼女は逆さまに浮いたまま漬物を咥えている。よくもまあ、あれで食べられるものだと感心しながらユキは声をかけた。
「そういえば、おえん。転移術の対価って────」
気力でいいの、とユキは首を傾げる。何度か(おえん曰く)簡単な妖術を試した時に経験したが、まだ慣れない。
「トーゼン。空間とかサ、捻じ曲げるのにウンと力を貸してやったンだから、文句は聞かねーぞ。ふふ、おまえたち数日はまともに動けなくなるかもナ!」
「……俺たちはどうすればいいの?」
「なぁんにも。ちょい、とおまえたちに触ったら一気に引き抜くさ。それで今回の転移の術に関わる契約は正式に完了ってことだナ。身の丈に合わない力の対価は味わっておくといーぞ、ユキ! そーだナ、飯を食い終わったらモンモンから貰おーと。伝えてくれ」
「────だそうです」
「お手柔らかに。その前に今後の旅程だけ話しておきたいんだが、構わないかな」
興長が苦笑すれば、「いいぞ、どーせ誤差範囲」とおえんは快諾した。くるりと宙で回って、音もなくユキの隣に着地する。
「ひひ、二人とも寝込む準備をしておけヨ! ナ、ユキ? おまえたちの都合に合わせて待ってやるあたしってば、超優しい妖刀だとは思わないか?」
おえんは悪戯っぽく笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます