(拾壱)妖剣士、夜を舞う・参

 櫻葉とアンドレとの悪縁は断ち切った。

 即ち、ユキのやるべきこととしてはこのあとは適当なところで切り上げるだけだった。


(どうしよう──どうすべきだ、俺は)


 ユキは頭巾の下で眉根を寄せ、醜悪だ、と思う。櫻葉は無関係な子供を何故引き摺り出したのか。何よりも辟易へきえきとしたのは、あれだけ忠告を受けていたのに引き際を見誤った己自身にだ。

 どうすべきか──簡単なこと、おえんと共に踵を返せばいい。そうすれば少なくともユキは無事だ。姿を隠して、見た目が元に戻ればそれで終わり、与えられた役割もしっかりとこなしたことになる。櫻葉はいもしない誰かを追い続けることになるのだ。

 それでも、ユキは動けない。


「もー、そんなどこの誰かも知らん奴は捨ておけヨ!」

(わかってる、けど……)


 おえんの言う通りなのだとは、ユキも思っている。目的は見失うべきではない。櫻葉の目を引きつけ、時間を稼ぎ、アンドレの悪縁を切り、無事に隠れて宿に戻る──彼に与えられた任はたったそれだけだったはずなのに、ユキは予定外のところで立ち止まってしまった。


 逡巡する。

 ここから綺麗にまとめるには・・・・・・・・・どうすればいいのか。今回、誰ひとりも殺すつもりはなかった。必要もなかったはずだ。たとえ少年を捨て置くのが正解でも、それを善しとしない中途半端さで心が揺れている。

 櫻葉は実に満足そうにそれを眺めていた。


「はははは、いや愉快愉快! やはり思った通りの甘ちゃんだか。この小僧も役に立ったなァ、よもやこういう使い道もあるとはな!」

「……そんなことをして、許されるんですか」


苦し紛れに吐いた言葉は笑い飛ばされる。


「無論、それが双方合意の上ならば、罪になりようもなかろう? 借金の方にこの小僧は奉公人として儂に売られたのだ。儂の物の居場所は、儂が決める」

「……酷い話だ」

「仕事も、その対価に住む場所も飯も与えている──それで十分ではないかね? 慈善事業ではないのだよ、世間知らずの小僧よ」


 少年は猿轡さるぐつわを咬まされ、薄汚れた衣服が目についた。骨と皮ばかりの腕を見るに、ご飯も十分には食べていないのだろう。それに多様な臭いが混ざり合っている。ぎょろりとした目が困惑してユキを捉えた。

 恐怖と不安に揺れる瞳。

 まさか、とユキは顔をしかめた。この子は常からこの小さな小屋に閉じ込められていたのか。えた臭いの中に仄かに甘い香りがまとわりついて、アンドレの言っていた危ない香を作っていたのだろうかと邪推する。作り方と材料さえわかれば、誰でも作れる代物だという話だ。そうであっても不思議ではない。

 本当のところは分からないし、ユキには知る理由もない。それでも不快感がひどく渦巻いていた。


「……俺とあなたの交渉に、その子は関係ありません」


ユキはどうにか声を絞り出した。


「交渉なら、俺とあなただけで十分だ」

「ああ、しかし儂が必要だと判じたのだから仕方あるまい。なんとも惨たらしいよなァ、貴様の判断のせいでこの無関係なガキが死ぬのだぞ」

「あなたが殺すんだ、あなたのせいに決まってるでしょう」

「いいや、貴様が儂の提案を蹴れば死ぬのだから、貴様のせいだ。なにも儂は誰かに死ねと言っているわけではないのだよ、わかるだろう? 手足になってくれとそれだけだ。貴様ひとりが頷くだけで、全てが丸く収まる」

「もーユキ、おまえは呑気に会話を楽しんでる場合かヨ? ま、それがおまえの選択ならあたしは尊重するケドさ?」


 おえんは頬を膨らませながらも、何処か楽しげにユキの指先を弄びながら呟いた。


「あたしがいれば、おまえは絶対ここでは死なないのは確かだナ。それは約束してやる。ただ、その先を見なヨ」

「先……」


 ユキは呟く。

 櫻葉よりも、その私兵よりも疾く動けば良いだけだとユキは自分に言い聞かせた。おえんの力を借りれば、ユキのもともとのすばしっこさもあるから、容易にできるだろう。他と同じく気絶させればいいのだ。たとえ撃たれても興長の護符もある。ある程度なら怪我を負っても動けるはずだ。

 はかる。


(本当に間に合うか、この距離、この感覚、関係ないあの子だけは怪我をさせないように、俺にできるか)


 一歩踏み出したユキの背中を汗が伝う。私兵と櫻葉に視線をやる。「ユキ、選べるのはひとつだぞ」と、おえんが耳元で囁いた。何のこと、と聞く前に、櫻葉が空に向けて撃った。


 夜の空に乾いた音が響く。

 少年が布の奥で悲鳴をあげた。

 遠くが騒がしくなったような気がして、ユキの焦りに拍車がかかる。誰かが来たらまずい。


「おっと、返事の前に動かれては困る。忘れるなよ、この町は儂の町だ、異邦人を助ける者がいるものか──刀を捨てろ。そら、おぬしが斬るよりも儂らが引き金を引く方が速いぞ──」


 もはや、行くしかない。


 ──ひとつ。

 刹那のうちに身体が動いていた。

 地面を強く蹴る。

 おえんも何も言わずに飛び出した。指先で足元を探り、土を掬い上げて、こちらを狙う私兵の目に投げつけた。男に向けてえんきりを投げる。「おい、ユキ!」叫ぶおえんの力を借りて、「受けとめる!」とユキはぐんと加速する。

 十分に間に合う距離だ。

 その切先は確実に届く。

 巻き込まれた子だけは助かる。

 ユキもここで立ち止まるわけにはいかなかった。


 ──ふたつ。

 よろめいたところに、えんきりを叩き込み、私兵の男の手をね飛ばす。

 男が撃った一撃か、なにかが肩口を掠めたのを感じたが、ユキは構わずに飛び込んだ。胴に峰を打ちつけて、男を蹴り飛ばし、次いで囚われていた少年を蹴倒して、そのままの勢いで櫻葉に斬り込む。

 歪んだ櫻葉の顔、その指が宣言よりも速く動くのを捉えて、ユキは刀を振り下ろす。


 ──みっつ。

 銀色の光が夜に疾る。

 乾いた音が夜に弾ける。


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