(拾)妖剣士、夜を舞う・弐

 おえんに引っ張られる形で、ユキは宙に舞った。すぐそばを掠める弾丸──地を蹴り、素早く身を翻す。ひとり、ふたり、さんにん……櫻葉の仕掛けた私兵の数は想定よりもうんと少ない。


「おえん、ごめん」

「こンぐらいなら想定内だっての。こいつらも懲らしめとくかァ!」


ユキは目を凝らして、宙で刀を構え直した。飛んできた弾が肩を掠めた。ちりりと熱いが、無視をして斬りかかる。着地のついでに妖具を弾き飛ばして、男が慌てて振りかぶった刀を鍔で受けると、空いた胴におえんがすかさず鞘を叩きつけた。男もユキも目を剥いた。

 ぐらりと揺れた男を踏み台にして、おえんが跳ぶ。


「驚いた!」

「へへ、どーヨ? あたしらってば、最高の連携だナ」

「きみって色々できるんだね」

「トーゼン、妖刀えんきり様だぜ? まー本体えんきりとか凝った妖具だとかは、あたし一人じゃ持てねェからおまえが居なきゃいけないわけだけど。そのお飾りの鞘でぶん殴るくらいなら任せてくれよナ!」

「わかった。そっちはまかせるね」

「ンじゃ、お前が斬ってあたしが殴ってふたりで跳ぶ、これからの旅はこれで行こう」

「いいね」


 ユキは目に映る縁を斬り払いながらその場に集められた追手を斬っていく。

 しかし、確かに興長の称するように不用心が過ぎた。油断があったとしても、ユキに妖刀の加護があったとしても、他愛のない小僧ひとりに良いように翻弄される警護ではあってないに等しいものではないか。

 現にユキの足元には櫻葉を守るべき人たちが呻き声を僅かにあげながら倒れ伏していた。

 ユキとは直接的には無関係な縁を斬ることを、一瞬だけ躊躇ちゅちょしたのだが、


「商人には縁は何よりも大切だろ? 縁がなけりゃ商売あがったり! こんだけ斬りゃ、今後苦労するだろーし。要は悪人への罰だナ!」


けたけたと笑うおえんに何も言えなかった。確かに悪人ならそれくらいは良いか、と思ったのもある。空を薙いでしまえば縁は綺麗に吹き飛んだ。



 着実に追い詰めていく。

 じりじりと後退する櫻葉を追いながら、屋敷近くの土手に誘い込まれたころには、斬り続けた櫻葉とアンドレとの縁もほつれてほどけて消えていた。


(──やった!)


ユキはおえんに目配せした。あとは逃げるだけ、姿を隠して興長のくれた妖具で目眩しをすればそれで良いはずだった。


「ユキ、引き時を見失うなよナ?」

「え──」

「ま、あたしはおまえの選択に従うぜ」


おえんが低く囁く。ユキは怪訝に眉根を寄せた。


 一言にユキは慢心していた。

 この相手ならばいつでも逃げられる、襲われても反撃ができると思っていたのである。相手取った時の感覚として、たとえなにがあっても対処の可能な相手だと。

 土手の上、櫻葉の背後にある粗末な小屋に人の気配があった。攻撃してくるような気配はなかったが、誰かがいるのは確かだ。ひどく古びた造りだが、周到に妖術が張り巡らされているのが見える。何かの目隠しのように、何かを封じるように──それが僅かに解かれていた。


「いや、これは参った。粋がっておいてこのザマとは情けない」


 のんびりと言葉を紡いで、余裕綽々よゆうしゃくしゃくな櫻葉はわざとらしく拍手をした。降参と言わんばかりに両手を挙げる。


「しかし、きみは何故儂に刀を向ける? 何処の誰かも知らんが、儂に恨みなどないはずだろう」

「……別に、あなたのそれは欲しくありません」


ユキは慎重に言葉を紡いだ。


「刀から手を離してはくれないかな。儂はこう見えて臆病なんだ」

「……」

「まさか丸腰の相手を襲うのかね。それがユラのやり方か?」

「いえ。……俺の用は済みましたから」


これ以上やり合って、互いに良いことなどない。

 ユキがじりりと一歩後ろに下がると、櫻葉が「待て」と声をかけた。「無視すればいーのに」ともっともなことを言うおえんに反して、ユキは意識をそちらに向けた。


「……なんですか」

「貴様の力は存分に見せてもらった。腕づくでは儂だけでは敵わんからなァ、どうだ、ひとつ交渉をしようじゃないか?」

「交渉は必要ありません」

「まあ待て、そう急くなよ。貴様にも、貴様の雇い主にも、儂にも悪くない提案だぞ」


 櫻葉は笑みを浮かべると、両手を広げてみせた。


「そう、貴様が儂に仕えるならば…………よい。貴様の同胞を見逃してやろう。奴のことは金輪際忘れるし、奴のことは二度と追わぬと約束してもよい。奴にも世話になったしな、暫く贅沢ができるよう金を渡してやるのも良いか」

「……奴って」

「ふん、その髪色はユラ王国のものだろう。シルバ村のアンドレ──知っているのではないか? 大方、貴様は彼奴に雇われたのであろうさ。そうでなければこんな|辺鄙「へんぴ》なところに異邦人が何人もいるものかよ」

「……いるものかもしれませんよ」

「おっと、勘違いするな、言葉遊びをしたいわけではない。まあ、要求を呑めばきみ自身にも十分な報奨金も出そう。奴に別れの手紙を書くならば代筆もしようじゃないか。きみに求めるのは儂の為に働くことだけだ。悪くなかろう?」


ユキは答えない。

 ふわりと、ユキから香の香りが風に乗る。アンドレがユキに渡した、練り香である。櫻葉は満足そうに深く息を吸った。


「この香り──ああ、これだ、間違いない。ユラの香術とその身体能力があれば儂は更に上へと上り詰められよう。貴様が儂と契約し、真摯に仕えてくれるのであればすべてを水に流してやる。すべてだ」


悪くないだろう、と問う櫻葉に、やはりユキは答えなかった。

 

「さあ、どうする? 貴様に選ばせてやろう」

「……」

「貴様はどうせ人を殺したことはないのだろう?」

「そんな、ことは」

「は、臭いでわかるのだよ、儂のような人間には。貴様は儂の役立たず共を痛めつけて動けぬようにしても、殺すことはしておらんのだったか────実に甘い甘い甘い! しかしそこが気に入った!」


芝居掛かった物言いにユキはじりりと距離をとる。


「おっと、逃げようと思うな。そのうち、貴様にやられたうちの誰かが役人に報せる。そうすれば貴様には道がひとつしかないわけだ。町からは当然出られない、その髪色では町に隠れても半日ともたぬだろうよ」

「はん、どんな脅し文句を捻り出すかと思えばそんなもんかよ。だいたい、コイツが持ってる力で、ユキに優ってるのなんて商才と人を切り捨てる能力くらいだろ。戦闘能力はほとんどねーモン。ぴょん、と跳んで終わりだ。なんなら首も落とせるぜ?」

「……そうだね。この人のは要らないけど」


鼻で笑うおえんにユキは頷いた。

 懐に手を差し入れる。興長から受け取った護符はある。

 

「さあ、契約を交わそうではないか」

「あなたの要望には応えられません」


 ユキは足に力を入れた。小屋の中の人がどう来るかが心配だが、きっと出てきても今までと同じ程度であれば如何様にもできるだろうという算段だった。

 櫻葉が強く手を叩く。


「逃げるなよ、小僧。じきに役人も来るしな、時間稼ぎは慣れないが、小僧相手ならば造作もなかった。貴様もこれを見れば気が変わるのではないかな?」

「これって────」


ユキの声に被さるように、バン、と大袈裟に戸が開かれた。

 小屋から少年が転がり出てきたかと思うと、櫻葉の私兵らしき男がユキに火筒を向けているのが目に入る。櫻葉も懐から同じものを取り出して、それを少年の頭に突きつけた。猿轡さるぐつわの奥から悲鳴のような呻きが溢れた。


「ユラの者よ、この小僧がどうなってもいいのか?」

「え……」


 突然に現れた見知らぬ子供に、ユキは狼狽えた。困惑するほかない。堂々と出されたそれは、ユキのまるで知らない人だったのだ。櫻葉は恐怖に固まる少年に火筒を突きつける。


「──誰」

「ははは、儂は慈悲深いのだ。貴様の選択を後押ししてやろうと思ってな。もしも貴様が投降し、儂に永遠の従属を誓うのならば、アンドレもコイツも自由の身だ。そうでなければ、今ここでコイツと貴様を殺す」


 たじろいで、ユキは唾を飲み込んだ。

 目の前の見知らぬ子の為に危険は冒せないのは当たり前だ。けれども、目を逸らすこともユキには難しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る