(玖)妖剣士、夜を舞う・壱

 夜闇に銀髪が揺れる。

 ユキとおえんは共に夜の町を駆けていた。通りはしんと静まり返っている。門のそば、役人の詰所の前を不自然でないように避けながら、影を塗って稲妻の如くに走る。

 高く斜面を登り、追いかけてきたところで下に降る。木の影、木の上、橋の下、時折宙を舞いながら彼らを翻弄すれば、彼らは容易く想定通りの動きを見せた。

 見失わせない程度に、しかし各個を着実に引き離す。先ほど持っていた火筒か、それに類する武器を持っていてもおかしくはない。


「背後、どう?」

「ンー、追手は増えてるぞ。あいつら応援を呼べる便利道具あるみてェだナ。目の前からも来る」

「そうだね」

「力の感じはさっき倒した追手たちと大差ないや」

「よかった、俺もそう思う」


おえんとユキは更に高く跳んだ。火筒を誰かが撃ったのだろうか、遅れて乾いた音が響く。

 暗闇でも、無数に走る色付いた線で相手の位置はわかる。妖術である以上、火筒の位置も動きもわかる。人が増えるにつれ、こんがらがって見えにくくなるかとも思ったが、そこは大丈夫なようだった。

 その中から慎重にアンドレの色が混ざった縁を探す。ほとんどが触れれば途切れるか細い糸だ。


「……刀を出しても平気かな」

「アンドゥーじゃねェってバレるから? ふふん、例えそーでもあいつらはおまえを追うしかないンだ。なんてったって、おまえは確実にアンドゥーに繋がる手掛かりだモン。ま、目立たないようにはしてやれるぜ! あたしが出来る妖刀ってとこ見せてやろう」


 おえんは刀に手を翳した。聞き取れない音を発すれば、柄から鍔から刀身まで、ふっと色が黒ずんで闇に溶け込んだ。


「ま、すぐバレるだろうけどナ!」

「意味ないね」

「こーいうのは気持ちがイチバン! 峰打ちでもして邪魔な奴らから黙らすぞ」

「そうしよう」

「あたしの為に大暴れしてくれよ!」


嬉しそうなおえんに頷いて、ユキは地面を蹴った。狙いはすでにつけてある。目に映る縁を取り敢えず斬り払うと、駆け出した。

 弾丸のように飛び込んでくるユキに追手たちは対応できなかった。えんきりを構えて、円を描くように振り抜いて、絡む縁や妖具に絡まる糸を斬って肉薄する。


「な──ッ!」

「ごめんなさい」


刀を二度振り下ろした。腕にあたり鈍い音がしたのを確認して、その後頭部にもう一打。男が崩れ落ちて、おえんがそれを木立の向こうに蹴りやった。


「次」


おえんがユキを放り投げる。宙高く、火筒を構えた男がユキを見失って狼狽えるのを眼下に捉えながら、そのままの勢いで男の上に着地した。呻く男を踏み台にして木立の隙間に身を投じる。


「次」


 興長が有象無象と称するだけあって、追手たちは分かりやす戦い方をしていた。体格差はあるが、そもそもユキが反撃をすることを考慮していないから虚をつきやすい。

 あまりに容易に事が運ぶので、実はこれは罠で、もっと強い誰かが襲ってくるのではないかと気を巡らせる。けれども一向にその誰か・・はやってこない。

 頭の中で興長の描いてくれた地図を思い出しながらユキはひたすら走った。木々を縫い、道を駆け上り、駆け下り、翻弄しながら一人、また一人と減らしていく。


 ぴゅう、と高い口笛を吹く男がいれば、「こいつ助っ人を呼ぶ気だぞ!」とおえんが叫んで、振り回されたユキがその勢いのままに蹴り飛ばした。

 背中にぞわりと嫌なモノを感じて、「おえん!」ユキは木の幹を足場にして飛び上がる。乾いた音に立ち昇る香りで、火筒を撃ったのだろうとわかる。突然目標を見失って怯んだ隙に、距離を詰めて腕や胴に峰を叩きつけた。


 薙ぐ、払う、受けて、跳ね上げ、打ち付ける。


 おえんは楽しそうに、それでいて少し物足りなさそうにはしゃいでいた。踊るようにユキを振り回して、ユキが刀を操るのを幸せそうに見る。刀として生まれたモノなのだ、戦うことが好きなのだろう。


 ユキも剣の稽古は好きだ。

 たとえ相手が真剣でも、興長や芥間とは比べるまでもない人たちだった。油断は出来ないが、相手の方がそもそもユキを軽く見ているから、闇に乗じて仕舞えば容易く振り回されてくれる。怪我をさせることには申し訳なさを感じるが、そうでもしなければ困るのはユキなのだ。


 物陰から飛び出してくる男の一太刀を避ける。その胴に鞘を叩きつける。火筒を撃つ男には、おえんがユキの手を取って放り投げて、掛かる妖術ごと断ち斬る。木の上から跳びかかり、物陰から斬りかかる。

 どさりと崩れた男たちは苦しげに呻くが、追う気力ごとへし折った。既に己と結ばれた縁の糸は断ち切っている。


(俺も興長さんみたいに、妖術が使えたら良いのにな)


 目眩しだったり、気絶させることだったり、縛り上げたり、興長ならもっと上手くやれただろう。おえんと手を繋げば妖術が見えて、妖術を使えはするのだが、おえん曰く「気が滞りすぎてて簡単なものをひとつふたつ使えれば良い方」とのことなので諦めるほかない。

 ユキは足元に転がる男の刀装具から小刀を抜き取ると、連絡用の妖具を取り出した男に向けて放る。呆気に取られたその隙に距離を詰めて妖具を斬り、男に峰を打ちつけた。

 それで、辺りには静かさが降りる。目を凝らして辺りを見れば、漸く淡い縁が暗闇に伸びているのが見えるだけである。ひとつ、遠くアンドレのそれらしき縁が薄らと見え隠れする。これが櫻葉との縁だろう、ほかのそれとは太さが違う。

 ユキは静かにその場を離れながら小声で呟いた。


「櫻葉さんがいない」

「親玉だモン。ンで、どーするヨ、ユキ? これでケッコー時間は稼いでるし、奴さんらの意識も引きつけてるし、追手の数もだいぶ減らしたしヨ。あとはモンモンから連絡あるまで身を隠すでもいーんじゃねェか?」

「まだ二人の縁切りをしてないよ」


アンドレの縁の色は空のような青色、櫻葉は淡い赤色、その二つが混ざり合う縁の糸を視界に捉えて、ユキは一閃した。しかし大した手応えもなく、縁は空気に溶けるように見えなくなっていく。


「もう少し近づかないと、ちゃんと斬れないみたいだ」

「あたしたちが頼まれたのは逃すことだぜ。それは今頃モンモンがやり遂げてるだろーヨ。その後のことは契約外だ」

「でも、減らせる危険があるなら減らしたいんだ。俺とおえんとで……無理をするような相手でもなかったし、そこまではやりたい。縁切り刀ですって紹介したし」

「ふうん? 別に縁切りしなくてもモンモンは怒ンねェだろーケド、それでもやりたいのかヨ」

「もう少しだけ……だめかな、おえん」


 ユキがそっとおえんを窺い見れば、おえんは悩むそぶりも見せずにやれやれと頭を振った。


「ちぇ、まー見つかるだろーケド。仕方ねーナ、あたしの剣士がそこまでそー言うならさ。おまえの妖刀が付き合ってやンのはトーゼンだからナ」

「ありがとう」

「そンなら後を追うぞ。ついてこい!」



 おえんが言うのに頷いた。陽動という点では与えられた任務は遂行できただろう。あとのことは、ユキとおえんにしか出来ないことだ。

 風に乗って、鼻先をくすぐる香りは、アンドレから貰った香に似ている。微かに見える縁の糸を辿る。道に人の気配はほとんどない。

 ユキはどこかほっとしながら町を駆け抜けていた。


「ユキ」


隣を走るおえんが呼びかけたのは、櫻葉の屋敷に近い土手の上。木が影を作り、草も好き勝手に生えている。そんな中でも、アンドレとの縁ははっきりと映っていた。


 片腕で刀を構えて、袈裟に斬り下ろした。

 風が鋭く鳴いて、えんきりは縁の糸に食い込む。すかさず刀を返して斬り上げた────そこで。


「待っていたぞ、アンドレ・シルバ!」


 ユキは顔を顰め、おえんは呑気に、ひゅうと口笛を吹く。

 道の先、とうに通り過ぎたはずの櫻葉が立ち塞がっていたのである。櫻葉は目を凝らすようにしてユキのことを見ていた。アンドレよりもうんと低い背丈、手に持つ刀、目元以外覆った顔。何から何までアンドレからはほど遠い。

 漸く、彼はユキがアンドレではないことに気がついたらしい。


「待て、貴様は一体だれだ? アンドレはどこにいる?」

「……」

「なんと…………いや、そうだとも、奴は刀など扱えぬ。彼奴あやつに何ができることもないのはわかっていたが……もしやと思ったのに」


櫻葉の声には露骨に落胆が表れていた。アンドレ、ともう一度悲しげに呼びかけてから、ユキに向き直った。


「……貴様は誰だ、名を名乗れ。その髪その瞳、確かにユラの血だな。貴様はアンドレの知り合いか? 刀をこちらに向けて何とする」

「……あなたには、関係のないことです」

「は、関係がない・・・・・とな! ええい、小生意気な。この儂に刀を向けるとは──」


櫻葉が吼えると同時に、おえんがユキを振り回す。

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