(弍)悪縁の友

 小屋に戻るなり、興長は慣れた手つきで火を起こして鍋を炊くスペースを組み上げた。細かく干し肉と米とを茹で戻し、臭み取りにいくつかの草を入れて、見たことのない香辛料で味を整える。最後に木の実の搾り汁だけを回し入れて、人数分の欠けた椀に取り分けた。


 立ち上る香り自体はとても良い。

 ただ、正直なところ美味いかと聞かれると答えに窮する味付けだった。


(……これは……?)


なんというか雑味が多くて、味の印象が定まらないのだ。温かい分、屋敷で食べていたものよりはずっと良いかもしれないし、ユキとしてはそもそも食べられれば文句などつけようもないので有り難く食べるのだが、おえんは何とも言えない顔で椀と、興長とを比べて見ていた。

 アンドレも一口、二口と口に運んでは首を傾げ、覚悟を決めて残りは一気にかきこんだ。


「……ご馳走さま。なんかこう、なんとも独創的な……他所では出せない味だった」

「それはどうも。おかわりもありますよ」

「よしておこう。病み上がりに食べすぎるのも良くないし……、うん、育ち盛りに譲ろう」

「カゲユキは残り、食べられるかい」

「いただきます」


 残すのも勿体無い。

 食べ終えた器に妖術をかけながら、興長はアンドレに顔を向けた。


「では、シルバ殿。お話をお聞かせいただけるでしょうか。突然現れた私を信頼しろと言うのも難しい話ですが」

「いいや、この優しい子の父なんだろう、信用するよ。ま、どの道ボク一人では逃げ切るのは限界だ。君たちが誰であれ、手を貸してくれるならなんでも話そう」


 アンドレはゆっくりと呼吸を繰り返して、目を瞑った。それから思いを断ち切るように頭を振る。


「君たちに頼みたいことはひとつ、町の近くから安全に離脱させてくれ。それだけだ。ボクは人に追われている」

「あなたを追う人とは」

「サクラ……櫻葉さくらばカズマ。知ってるかい」


ユキはちらりと興長を見上げた。興長は是とも非とも言わずに先を促した。


「商人だよ。それもすごく大きな屋敷が町にあって、大きな街や首都やら、あちこちに売りに出てる商家の主人だ。野心家で子供みたいな奴だよ。……それでも、まあ、ボクの友人だった」

「今は違うのです?」

「そうだとも、実に悲しいことに。最初はよかったよ。ミヤトの酒場で出会った飲み仲間でね、サクラとは歳も国も違うのに結構気が合ったんだ。朝まで酒を飲んで、互いの話をして、彼はこの町に招いてくれた。彼は親切で、色々と教えてくれたんだが……」


変化はすぐ訪れたのだという。アンドレが故郷に伝わる技術について溢してから、櫻葉の態度は変わった。親切に対価を求められるようになった。

 初めは少し、それから徐々に過分に。


「ボクらの友情は永遠なのだと信じていたよ。ああ、そんなことありえなかった! あいつにとってはボクの存在なんてものはこの小さな香炉にも満たないものだったんだから」


アンドレは自嘲しながら、小さな香炉をユキに差し出した。昨日路銀と共に取り出していたものをいつの間にか磨いていたらしい。

 きらり、おえんの瞳が好奇心に光る。

 掌に乗った小さな重みのあるそれは、見たことのない植物の模様で彩られていた。


「これはなんですか」

「ボクたちの国に伝わる秘術、香術の道具さ。とは言っても、ボクは専門の技師じゃあないから造りは下手くそだけど、綺麗だろ? これはボクを助けてくれた礼としてカゲユキにあげたくてね」

「……ありがとう、ございます」

「使い方は簡単だが、手順は守ってくれよ。まずは香に火をつけて────おっと、派手に燃やすんじゃないぞ。軽く火をつければそれでいい。蓋をして、少し待つ。それから蓋を少しだけずらして溜まった煙を風に溶かせば周囲に軽い幻惑を掛けられるというものだ。香も綺麗だからと、くれぐれも食べるなよ?」

「わかりました」


 あくまでも娯楽用であって、煙自体には危ない作用はないと念を押してユキに押し付けた。宝の持ち腐れではないかと迷ったが、布に丁重に巻いて荷物へ入れる。

 煙を吸うだけで作用する香は、欲しい人からすれば喉から手が出るほどに欲しいに決まっている。


「櫻葉……さんは、これが欲しいんですね」

「そう。それのもっと危険な奴だ。ひと嗅ぎで人の心を壊してしまうようなね。もっとも、ボクなんかにそんな代物は作れやしないけど──いや、そもそもだ。きみたちはユラという国を知っているかな?」


ユキは頭を振って(ついでにおえんも頭を振って)、興長だけは首肯した。


「遠く海の向こうにあるボクの故郷さ────ヨウ国きみたちに妖術があるように、ボクらにも独自の技術があって、それが香術だ。サクラとはそれを巡ってのいざこざがあったんだ」

「凡そ、商売敵や顧客に不利な香を吸わせて手玉に取ろうとしたんでしょう」

「まさしくその通り! 君たちも祖国のわざが他国で悪用されて良い気はしないだろう? それでさ、ついにこの間に喧嘩になった」

「ユラの香でしたら、商人であれば見逃さないでしょうな」


 ユキとおえんには馴染みのないものである。惚けるユキに向けて、興長は静かに付け加えた。


「ユラの香は、不思議なものでね。材料、形、刻む紋様、焚き方、それらの組み合わせで色々な効果が得られるんだ。加減が難しいし一定の技量が必要だが、妖術とは違ってきちんと学べば誰でも安全にモノを作れる。……まあ、そんなに不安がらなくても良いよ。強い効能のものはユラですらそう出回らないし、そもそもここまで来るユラ王国の人は少ないからね」

「おお、あなたは物知りだな、モンド!」

「こうみえて勤勉な性質たちなのですよ。それで櫻葉殿はあなたにその香を商店で取り扱いたいと言ったのですね。あなたはそれを断った、と」

「その通りだ。ただ、正確に言えば最初に教えると言い出したのはボクだし、モノを提供したのもボクだ。娯楽目的のつまらない香なら私でも量産できるし、ユラ王国では普通に買えるからな。……無論、単純な香だとも。少し気分が高揚する宴の伴のような軽いものさ。経済支援を受ける代わりに、ボクは香の作り方を教えた」

「ふむ」

「ボクは危険な紋様も教えた。ほら、間違えたら危ないだろう。流石に詳細な作り方は伝えなかったが、彼は好き勝手に図式を改変する癖があってね。万が一ダメな紋様を刻んで、事故があったらいけないと思ったんだ。ところが、どうだろう! あいつはボクが教えた危険な紋様の香を作って売っていたんだ! それも金のない奴を狙って、格安で、実験するみたいに! 信じられるかい」


興奮して床を叩きつける。痛みが走ったか、アンドレは顔を顰めたが、なお怒りは収まらないようだった。

 精神に作用する、認知されていない異国の技術。しかも、嗅ぐだけでその効能を発揮するのだ。悪人であればそんな旨い話を見逃すはずもない。

 ユキはじっとアンドレを見つめた。


「……それで、喧嘩をして、追われる身になったんですか」

「そうだ。ボクは今すぐに売るのをやめろと迫ったよ。ところがあいつは辞めるどころか、もっとちゃんとした作り方を教えろと言う始末だ! 街全体を操れるような──は、馬鹿馬鹿しい! 断ったら今度は用済みだからと、怖い奴らが斬りつけてきてね。痛くて、しかしそこにいたらきっと死ぬだけだろう。なんとか逃げ出して、どうにか手持ちの香も使って撒いて隠れていたところを────」

「俺が見つけた?」

「そうだとも!」


 僥倖だ! と大袈裟に天を仰ぐアンドレは心底ホッとしているようだった。切羽詰まれば、ここまで警戒心は緩むものなのか、と考えたところで、そういえば自分も警戒心が足りないと言われていたことをふと思い出す。

 興長はわかりました、と頷いた。


「カゲユキ、またすまないね。旅の日程にズレがでる」

「あの、父上、俺は何をすれば」

「それはこれから決めよう。……まずは私がシルバ殿を安全な場所へ送り届けることは約束しましょう。──息子については、少し話をしてからでよろしいでしょうか。なにぶん、まだ子供でしょう。こう言った話に巻き込むのは……」

「ああ、すまない、浅慮だったな。藁にも縋る思いで」

「お気になさらず。さてと、まずは作戦を立てたい──カゲユキ、少し外で話せるかな」

「わ、わかりました」

「それと、シルバ殿。あなたにいくつか妖術をお掛けします。あなたも使えそうな香があれば使っておいてください。人除けのものだけで結構です」

「わかったとも」

「では」


興長はユキに手招きをした。

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