(参)興長の問いかけ・壱

 小屋を出て、少し離れたところに立つ。

 辺りを見渡すと興長は爪先で大きく円を地面に描いて、その内側にユキを招いた。少しだけ耳が詰まった感覚の後、辺りの音が静かになった。


「これは結界……ですか」


芥間も似たような妖術を使うらしいと聞いたことがある。結界の内外で音や視覚を遮断するモノ──もっとも、ユキとの稽古では使うことはなかったが。よく知っているなと興長は笑った。


「急拵えのとても簡易的なものだけどね。これからの話は彼に聞かせる話でもないしな」

「そうですね」

「ところでカゲユキ、顔色が悪いが身体は大丈夫か?」

「あの人を運ぶために少しだけ妖術を使ったんです。おえんの力を借りて。それでだと思います」

「……なるほどな。終わったら、気休めだが滋養のあるものを食べようか」

「ありがとうございます。あの……父上、アンドレさんの依頼なんですが」


ユキが声を上げると、興長はすぐに頷いた。


「先ほどは勝手に決めてしまってすまないね。一日も要らない、宿をとって休んでもらっているうちにサッと済ませられると思ったから受けたんだ。まあ、中途半端に投げ出しては可哀想だろうしね」

「大丈夫です。俺も助けられるなら、助けたいんで」

「うん、それについてはきみの意思を聞きたい。旅の方針は僕に決めさせて欲しいとは言ったが、これに無理矢理に巻き込むつもりはない。ただ、きみは剣士として旅をするつもりだと言っていたね」

「はい」

「それなら、これが初めての依頼と言うわけだ。僕としてはもう少しゆっくりと色々と教えようと思っていたのもあって、時期尚早かなとも思う。きみに剣士ではない別の道を教えてからでもいいだろうと──」

「俺もアンドレさんを手伝いたいです」

「当然、きみはそうできるし、僕に止める権利はない。場合によっては危険があるが……何事も経験だと言うし。ただ、ひとつだけ。僕には懸念してることがあるんだよ」



 降り注ぐ真面目な視線を受け止める。

 ユキはここまで話を聞いておいて放置できるような性格ではない。それに、商人ともなれば噂話には耳聡いだろう。直接話は聞けなくとも、周囲から知れることはあるかもしれないとの思いがあった。なにせ、父の情報は嘘みたいに何も残ってないのだ。


「なんにせよ悪縁を断つなら、あたしが必要だろ?」


おえんがユキを覗き込む。


「早いうちにこーいう場は踏んでおくに限るぜ。おまえは慣れなきゃなんねえ。ざっと見たところアンドゥーの悪縁は根深そうだが──斬れんこともない。モンモンにもそー言えヨ」


ユキは頷いて、静かにえんきりを背中から下ろした。横に持ち、布を解く。

 豪奢な鞘は陽の光を弾き、きらきらと輝いていた。


「興長さん、この件で、俺とおえんは役に立てると思うんです。俺の妖刀おえんは、縁を切る刀です。人を斬らずとも、縁だけを斬ることもできます」

「……なるほどね。妖刀殿は縁切り刀か、そりゃあ珍しい──」

「縁がなければ、道が交わることもないかなと。逃げるのも安全になるんじゃないかと思うんです。斬るべき縁を見極めて仕舞えば、ややこしいことなくすぐに終わらせられると思います」

「今ここで斬らないのは何故?」

「どれがか、わからないので」


ユキはちらりと背後に視線をくべた。

 アンドレの縁の糸は色々な色で絡み合って伸びていた。ある一定の長さになると見えなくなるが、太いものがいくつかある。おそらくこのうちのひとつが櫻葉との縁だろう。


「アンドレさんのは覚えました。ただ、余計なものを切ってもいけないので……櫻葉さんの色を確認してからでないといけません」

「櫻葉の色を確認して、斬る? 直接でなくとも会う必要があるのか」

「……その必要は、あります」

「ふうむ……いやさ、正直なところ、きみの技量に関してはそんなに心配はしていないんだ。僕は櫻葉の周りにいる奴らについても知っている。きみの実戦経験が足りないというのも、まあ補える範疇の相手だろうが────」



 興長は目を瞑って、思考を走らせていた。

 迷うようになんだか口を開きかけて、唇を軽く噛む。ややあって、ところで、と小さく呟いた。


「カゲユキ、きみの旅の目的を教えてくれるか」

「目的、ですか」

「話せないならそれでいいが、聞かせて欲しいんだ。きみは何を目指して剣士になろうとしたのか。きみが思う剣士と、実際の姿はきっと違う」


ユキはなんと言うべきかを迷って、それでもすぐに答えていた。


「……俺はある人を探して旅をしています。旅をしたくても、俺には剣術しか、残ってないから」

「なるほど、生きる糧にと剣士の道を選んだというわけだ」

「俺の師匠も剣士でした。俺はそれしか知らないんです」

「だから、まあ……それでも、だ。きみは剣士を選んだ。きみが思うよりずっとこの世界の秩序は荒れている────つまり、剣士としてやっていくならば避けられない道として聞いて欲しいんだけど」


一度切って、興長は静かに言葉を繋げた。




「きみは、必要となれば櫻葉カズマを殺せるかい」




 ユキは一瞬息を止めていた。すぐに我に返って、眉根を僅かに寄せる。人を斬れるか、と無感情に繰り返した。


「そう。旅をして、剣を教える以外の道を歩むなら、剣士は時に人を斬るのが仕事になる」

「斬らない人もいるんじゃないんですか。俺はいたずらに誰かを斬ることはしない、つもりです」

「単なる護衛、用心棒、形としてはなんであれ、すべてが筒がなく済めば或いは一生人を斬り殺さずに済む人もいるかもしれない。剣を教えるだけならば突然斬ることはない──が、あまり甘い期待はしないことだ。きみが、剣士として、仕事を受けるつもりなら」


ユキの知る剣士は少ない。父と、芥間と、そして芥間流の門弟たちも剣士。剣を持てば誰だって──。

 無意識に妖刀の柄を握りしめる。鞘の上から撫でる。


「友人を手にかけることを厭わないと聞くに、もしもの最悪を考えておくなら──櫻葉がきみやシルバ殿を殺しに来た時、きみはどうする?」

「……戦います」

「その先だ。きみと、依頼主を守るためにどうするのか。その瞬間選んでいる暇なんてないんだよ、カゲユキ。その刀は飾りじゃない。人と対峙すれば斬らねばならない時も、斬ってしまうことだってある」


口ごもる。それはそうだ、斬る為の刀だ。


「きみは依頼人を守る為にきみの尊厳もすべて捨てられるかい。一言に悪といえば気持ちがいいかもしれないが、要するに人を殺すモノは人殺し、人でなし、そうなり得るのが剣士だ」

「ひとごろし」

「そうだとも。きみはそこに堕ちていけるかな。どんな事情があれども、きみは誰からも赦されない。剣士として生きるということは、そういうことなんだよ」


おえんに助けを求めて視線を向けたが、彼女は楽しそうにユキと興長を見つめるだけだ。ユキは当然、「是」と答えるものだと、そう目で語っている。

 そういう契約だから。

 思わず、視線を逸らしてしまった。


「殺さないほうがずっと難しい場面もある。……変なお節介を焼いてすまない、妖刀殿には怒られそうだな。僕はきみの意思に間違いがないかを確かめたいだけだ。なに、剣士以外にも路銀を稼ぐやり方はある」

「……父上は、櫻葉を斬るつもりなんですか」


ユキは聞いておいて、後悔した。変なことを聞いた。


「ああ。必要があるなら僕は斬るよ。それが僕が選んだ道だ。何の咎もない人を斬ってはならないのは大前提だが、ただ、斬らなきゃ殺されることもある」

「その時に斬れるか……」


 咎人の子は所詮、という誹りの声が蘇る。ユキはぶるりと震えた。自分も捕まるのか。この世界で剣を売るということはそういうことなのだろうか。まさか父は────と思考が回り出したところで、興長がユキの頭をぐしゃりと撫でた。


「まあ、万が一だ。万が一、それよりも多い確率でそういう場面に立ち会うことになる。先も言ったが、誰も斬らないで済む剣士も当然いるとも。万が一をきみに確認したかったんだ」

「……万が一、ですか。その、そうやって人を斬った剣士はどうなるんですか。追われる身で、咎人になって」

「このご時世だからな、時と場合によっては、ある程度はお目溢しがあるのが現実だね。それ専門を職とする人もいるにはいるぐらいだ。まあ、自分勝手に無辜の民を好き勝手に殺せば、当然裁かれることになるわけだけど」


 ユキが思っていたよりも酷い話だった。


(つまり、父さんを殺した人は裁かれないってことか。咎人にはならないんだ)


きっと仇は無辜の民ということになる。むしろ極悪人を殺したのだと英雄扱いかもしれないと思うと、ふつふつと湧き上がるものはある。

 そしてそれを付け狙い、殺すユキは咎人となるのだ。不平等だ、と思う。何の説明ももらえず、家族も家も名前も突然奪われたのに。

 

「ひどいですね」

「まあな──そんな世の中であるわけだけど、世間的に裁かれるか否かは関係なく、人を斬った瞬間にきみは誰かの仇となることは忘れないでほしい。誰に見つからないように斬ったって、一人斬ればきみは元には戻れない。一生かけても、きみは人には戻れない」


興長はユキと視線を合わせた。


「剣を人に向ける以上は、命を斬る可能性は必ずあるということは忘れてはいけない」

「……俺は」


ユキとて、人は一人殺す気でいる。父の仇の首は何があっても落とすつもりでいる。けれども、己の怨恨と関係のない範疇でとなればわからない。

 個人的な恨みもない、背景も知らない人を斬れるか、斬れぬか。己が恨み続けた存在と同じ場所に立つのか、否か。逡巡して、答える。


「わかり……ません」

「そうか」

「でも、それが悪い人なら。きっと俺は迷いなく斬れます」

「善悪では難しいよ、多面体だから、あらゆる方向から見る必要がある。見たところで決められないしね」

「誰かを傷つけて、それを楽しんでいる人なら、俺は悪人としてみます。……善人だった人は、きっと悪人に嵌められて殺されたんだ。……先へ行くために、必要なら斬れます」


父が言っていた善い剣士とは程遠い。それどころか、皆が謗ったような咎人に、本当にユキはなろうとしている。

 ユキはゆっくりと深呼吸を繰り返した。


「……俺は、そもそも人殺しを探しているんです」


その言葉に、興長は眉根を寄せた。途端に険しい顔になる。それはそうだ、人殺しを探す少年なんて、異様だろう。深く考えなくても仇討ちの可能性が一番に浮かぶだろう。


「人殺しを────きみの仇か。それは剣士?」

「わかりません。その人に大切な人を奪われたことだけは間違い無くて。その人を探すために俺は旅を始めたんです」

「こりゃまた曖昧な……」

「俺は何も知らないから、進むしかないんです。そうですよ、それもきっと人でなしなら。同じ側に行けば見つけられるかもしれない。見つけられるなら、俺はなんだってやる」


目の奥に燃え上がる仄暗い焔。おえんが好いてやまない暗くて強い気の塊。

 他人に言われた程度で見失うな、と己を戒める。

 興長はそれを認めて、悲しそうにひとつ頷いた。


「……よし、わかった、きみを尊重しよう、カゲユキ。脅すようなことを言ったが、追跡の甘さを見るに、今回は憂うこともなく、ひとつ経験として積めるはずだ」


ぽん、と頭に温かな掌が乗せられる。乱雑に撫で回されて、ユキは思わず気の抜けた声をあげてしまった。


「ふえ」

「お節介が過ぎたようだね────さっきの問いかけはあくまでも最悪の場合だ。きみが手を汚さずに済むのならそれがいいのは変わらない」

「……すみません」

「いいや、謝るのは僕のほうだ。脅すようなことを言ってすまないね。どうしても、心配性でさ」


興長はさっと爪先で円を掻き消した。


「可能な限り、きみのその縁切りの力だけを使うようにしよう。誰も傷つけないで済むのなら、それが良いだろうから」


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