(肆)興長の問いかけ・弍
人を斬る、ということについて、正直なところユキはあまり考えてこなかった。
父の仇を斬るつもりはある。首を落とす様は幾度となく頭に描き、その為に耐え忍んで剣を振るってきた。確実に首を斬る為におえんの手を取り、足りないものを補うために興長に頼ることを選んだ。
物盗りに襲われた時も、斬りはしたが命をとる気はさらさらなかった。長引いても、多少怪我をしても、それで済ませられると思っていたからだ。こちらが加減しても勝てる相手だと、ユキの命が危うくなることもない相手だと判じていたから。
(次、相対する人がそうとは限らない。戦う相手が興長さんみたいな人だとしたら。がむしゃらに勝ちをもぎ取りに行って勝てるかどうかわからないなら──剣士だった父さんは、どうしていたんだろう)
ユキは小屋の外で素振りを繰り返しながら、興長の言葉を反芻していた。足元には訓練用に興長が用意してくれた紙が真っ二つになって落ちている。興長とアンドレが細かい打ち合わせをする間に、稽古をしておけば良いとの提案だった。
ユキも交渉の術を知っておきたいと言ったのだが、
「実は僕の野暮用も絡むから、今回ばかりはシルバ殿と二人で話がしたい。次、必ず契約満了までにそういう場を設けるよ」
興長にそう言われれば大人しく下がるほかない。
素振りには当然、おえんも付き合っている。ふたりで舞うように地面を踏んで、蹴って、跳んで、ユキはその動きに合わせて剣を振るう。木や妖具を仮想的に見立てて、間違っても興長やアンドレの縁は切らないように気をつけながら、脳裏に浮かぶ父の背中を追って剣を操る。
地面に爪先が触れて、ユキはそのまま立ち止まった。僅かに肩で息をして、ちらりとおえんを見上げた。
「……ねえ、おえん。俺に、人が斬れるかな」
「あン? なんだヨ、おまえまだ考え込んでるのか?」
「うん」
素直に首肯した。
「おえんは、どう?」
「どうってなにさ」
「きみは人を斬った方が強くなったり、するの。そういう妖刀もいるでしょ」
「人喰い刀の性質なんて、どいつもこいつも持ってるもんだぜ。それこそ、あたしだって例外じゃない」
「……そうだよね」
「まー、同じ妖物でも人でも命ならそンで納得するケドよう、結局はそれを喰って妖物はでっかくなンだぞ。大体おまえヨ、そういう契約だろ」
「俺はちゃんと、それを分かった上できみと契約した、つもりだったんだけど……」
実際に突きつけられるとすぐに「はい」とは答えられなかった。これまで剣を打ち合ったのは、すべて稽古としてのものだった。芥間はユキに対人戦の術を教えてはくれたが、真剣を持って対峙したことはない。
「ナー、ユキ、忘れンなヨ」
「……うん」
「斬れるかどーか、もう選べやしないンだぞ、ユキ。おまえはもうあたしの剣士だ。妖刀えんきりと契りを結んだ剣士だ。通せんぼする奴は斬る。おまえが斬れなくても、あたしが斬る。そーゆー約束だ」
「わかってる。……ごめん、少しだけ戸惑ったんだ」
「まー、理解してやるけど。まさかおまえ、正義の味方になりたかったのかヨ?」
「……元々は、うんと昔はそうだったのかもね、父さんが死ぬまでは」
そう言って苦笑した。元々はそうだった。けれども、えんきりを手にした瞬間に、そのもっと前に捨てたはずだった。
「そンなら諦めるンだナ。あたしの剣士。おまえはただひとつだけ、あたしとお前との約束だけあればいいんだ」
「大丈夫だ、おえん。きみとの約束は守るよ」
「もしもおまえが斬りたくないなら、あたしが斬るからさ。お前の身体をあたしに貸してくれりゃあそれでいい。おまえの目を隠せってンならそうしてやるよ」
「ありがとう」
「ゆっくりで良いからナ。どーせあたしの時間は
ユキは小さく微笑んだ。
善い剣士にはなれないことは、仇討ちを決心したときには決まっていた。胸に鈍痛を感じたけれど、蓋をしてユキは柄を握る手に力を込める。
(俺がやるべきことは、ひとつだけ────)
その道を見失うなと何度も言い聞かせる。父の死の真相を知り、仇を討つ、それだけだと。その後何処に堕ちて、どんな凄惨な目に遭っても、ユキは仇を討つだけなのだ。
しばらくして。
ガタリと小屋の戸が揺れて、中からのっぽの影が現れた。すぐに戸を閉じて、そこに一枚紙を貼り付ける。口の中でなにやら唱えてから、ユキの方へとやってきた。
「カゲユキ」
「終わったんですか」
「うん。まとまった」
「父上、まずはどうしましょうか。結界があっても、ここに留まるのも危険だと思います」
その通り、と興長は肯定した。
「ここは町から近すぎるな。彼自身、逃げるのに結構な香を使ったとかで目眩しは出来ているようだが、それも時間の問題だろう。僕ときみがこの付近を彷徨いたことで人の痕跡も残っているしな、馬鹿じゃなきゃ、そろそろ調べに来るはずだ」
「拠点を移すんですか」
「いいや、今日のうちに逃げてしまおう。ただ、その前にいくつかやりたいことがあるんだ。シルバ殿と話して決めたんだが、まずはきみの通行証を作りにいこうと思うんだけど」
にこりと興長は笑った。そんな悠長な、とユキは言いかけたものの、そもそも自分が持っていないせいで町にも入れないのだから何も言えずに口籠もる。
「彼に絶対の安全を約束する代わりに手筈は好きにして良いと
「……その、居場所はわかりますか」
「町に行けば奴の配下はうじゃうじゃいるさ。当人も叩けば出てくる類の奴だよ、誘き出すのは容易い」
「わかりました」
ユキは頷いてから、ふと小屋に視線を流した。いくら結界を張ったと言えども、流石に二人とも離れるのは不用心がすぎるのではないだろうかと泡沫の不安が湧いてきた。帰ってきて襲われてました、最悪もの言わぬ骸に成り果ててました、となれば目も当てられない。
興長は見透かしたように三本指を立てた。
「彼は安全だ。護身、隠蔽、反撃、三つばかり妖術は仕込んでおいた。万が一危険があればすぐに僕に伝わるし、これを解けはしないだろう」
「……凄いですね。俺はまだ、あんまり使えないので」
それもおえんの力を借りて、だ。純粋に羨ましい。
自分の掌をグーパーさせて眉尻を下げたユキにふっと笑いをこぼした。
「なに、人より長くこの道にいるというだけだ。きみも鍛錬を怠らなければそのうちに扱えるようになる」
「そうなれるように頑張ります」
「うん、その意気だとも。なんと言っても妖刀殿がついているんだぜ、きみには」
彼は指先で地面に落ちた紙を拾い上げた。ふう、と息を吹きかけると、砂状になって崩れて、風に溶け込んでいく。
おえんと手を繋いでさえいれば見える縁の光も、ユキ一人だと何も見えない。ため息を溢しながら、ユキはゆっくりと刀を納めた。日は高いが、ぐずぐずしてはいられない。
「急ぎましょう。あんまりアンドレさんを一人にしておくのも、悪いので」
「そうしよう。──で、話は戻るが、偵察して特に問題がなさそうなら、きみは櫻葉たちの目を惹きつけてもらいたい」
「囮、ですか?」
「そう。きみと妖刀殿は人を翻弄する戦い方ができるからさ。それにきみ自身、疾いし単純な立ち回りはかなり上手い。陰からこっそり櫻葉の縁は切れるだけ切って、なにも真剣に立ちあう必要はない──時間を稼いだらそれで終わり。きみとしても、稽古とは違った人の動きを観察する訓練になるだろう。無論、初めて一人でやってもらうからね、妖術はかけさせてもらうが」
「その隙に興長さんは、アンドレさんを逃すんですね」
「この先にうってつけの船着場を知っている。追われている人を逃がすのが好きな連中で、丁度僕の方も用があってね。それで取り敢えずは大丈夫かな」
「はい。せっかくなので、他の人の戦い方も見ておきたいです。妖術士、でしょうか」
「名乗るだけならそうだ。加えて金持ちだから、剣も妖具も使うが、質はな」
まあ見て見なよと興長はからりと笑い飛ばして、「さあ行こう」とユキの背中をぽん、と押した。
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