(拾壱)ユキとおえん、ワケありの男を拾う

 主街道からは逸れて、人通りのない木立の中。そうは言っても町から遠いわけではない。

 ユキはさっと周りを見て、他に人がいないことを確認した。物盗りにでも襲われたかと思ったが、襲った人は近くにはいない。或いは逃げてきたのだろうか。人に追われているならば、じきに誰か来るかもしれない。


「──聞こえますか」


 ユキは男のそばに膝をついた。明確な返事はないが、微かに声のような吐息が溢れた。太腿ふもももと背中の布が大きく裂けてじっとりと黒く濡れている。瞼は固く閉じられていた。


「おえん、痛み止めになる草を探してくる。この人を見守ってて。人が来たら教えて」

「ほいさ、任せろ。ケド、あんま遠くに行くなよナ」

「水の音も近いし、大丈夫。すぐ戻るよ」


ユキは刀に手を添えてみせてから、記憶を手繰り寄せて目を凝らした。

 動いてすぐに目的のものは見つかった。好き勝手に生えた葉花の中から、柔らかな白い産毛が細かく生えた、尖った形の葉を探して摘み取っていく。指先ですりつぶして父が昔使っていたものを思い出してきっとこれだと判じて、一掴み分とる。

 小川も近くにあるにはあったが、ユキの荷物には小さな椀しかなかったので、水はほんの少ししか掬えなかった。水と草とを持って急いで戻れば、おえんはホッとしたように笑顔を向けた。


「あったか?」

「うん」

「そいつを煎じるのか?」

「確か、この草はすり潰すだけでよかったと思う」


 手近な石を拾って、薬草をすり潰す。それを椀の水で溶いて伸ばした。少しだけ指先につけて味を見て、あまりのエグ味と臭いに眉根を寄せるが、記憶にあるものと近い。経口か経皮か、どちらにも使えたはずだと布に染み込ませることにした。元より完全な治療などユキにできるはずもなく、あくまで治療を受けるまでの繋ぎなればそれでいいのだ。

 様子を眺めていたおえんはふうん、と片眉を持ち上げた。


「なーんか旧時代的だナ」

「昔、俺が怪我をした時に父さんが裏山から草を取ってきて、こうやってくれたんだ。ただ、飲むよりも少し効きが悪いかもしれないけどね。気を失ってる時に薬を飲ませたこともないから、わからないけど」

「だろーナ! さー、相棒、ここからはあたしの出番だぜ」


答える前におえんがユキの手をとった。痺れるような感覚が指先から身体に走る。おえんは薬液に触れるか触れないかのところに指先を翳した。


癒々ゆゆ


力が僅かに抜けるような感覚が身体を走った。

 強い感覚ではなく、しかも刹那的なものだ。目にはユキから伸びた糸が薬液に溶け込んでいるのが映る。


「これ、治癒の妖術……」

「そゆこと。ほら、早く使わねェと効能が切れちまうぞ」

「時間制限があるの?」

「ふふ、こいつはチョー簡単な術だからナ。おまえの気を抜き取って、代わりに薬の効能を一時的に跳ね上げたのさ。対価の支払いは終わってるからヨ、効力切れる前にやらねェと払い損だぜ」


 ユキは手早く荷物から比較的綺麗な布を取り出すと、薬液に浸して男の傷口に当てた。残った薬液をその上からかける。すぐに男は呻き声をあげるが、瞼はおりたままだ。

 おえんはちょいちょいとユキの背中を小突いた。


「ユキ、今の感覚をさ、ちょっとずつでいいから掴んでおけヨ」

「どの──ああ、力の抜ける感覚?」

「そ。あれが妖術を使う感覚だからナ」

「さっきの術って簡単なものなんだよね。それでも、ハッキリと力が抜けたから……もし、今の俺が興長さんと同じことしようとしたら気絶しちゃうね。あの、紙を動かすやつ。あんなことしたら、一気に力が抜けるんじゃないかな」

「アレは基準にすンなよ、モンモンは特別製なんだ。ちょっとだけしか気を渡さねェ癖に相手を容赦なく働かせるのが得意なんだろーナ。妖物あたしらにとっちゃめちゃくちゃ悪徳雇用だナ」


にしし、とおえんは言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。


「興長さんが悪徳雇用……あんまり合わないね。上手い人はみんなそうなら、芥間様と坊ちゃんもか」

「まーそうなんじゃないか? 見たことないもん、知らネ」

「僕も、実を言うとないんだ。余計なモノを見る必要はないって言われてて。だからイメージが全くない」

「じゃーこれから覚えろ。あたしと手を繋いだら気が一気に流れるからナ、まずはその感覚だ。徐々に扱い方、妖物の特性なんかを覚えれば良い」


 ゆっくりと頷いたところで、また呻き声が上がった。ユキは水筒の水をひと垂らし、そっと乾いた唇に垂らす。僅かに唇が開いた。


「……だれ、だ」


聞き逃してしまいそうなか細い声だった。意識が完全に戻ったらしく、薄く瞼も持ち上がり、新緑色の瞳がユキを捉えた。ユキは口元に水筒を持っていく。


「水です。飲めますか」


男は頷く代わりに傾けた水筒を必死になって飲んだ。ユキが手伝わなければ中身をひっくり返す勢いだった。水筒が空になって、おえんが抗議の声を上げるが男の耳には届かないらしい。

 男は助かった、と呟きながらも警戒するようにもう一度


「……だれだ」


と繰り返した。ユキは慎重に言葉を発した。


「カゲユキです。旅の、剣士の。たまたま通りがかったところで、あなたが倒れてました」

「剣士? 子供、じゃないか……」

「……そんなことよりも、今は軽く手当をしただけなんです。早くきちんと治療した方がいいですよ。町の近くまでなら、肩をかせますが」

「まさか!」


 男は声をあげてから、しまったと言う風に顔を顰めた。痛みもあるのだろう。呻き声をあげて、顔色も酷いものだった。彼はじっとユキを見つめる。


「……サクラ、元気かな」

「……さくら」


鸚鵡返しに呟いて、女性の名前かと考え込んだ。飼っていた動物かもしれない。どっちにしろ、初対面のユキが知るはずもない。

 眉間に皺を寄せるユキを無遠慮に観察して、満足したのか男は息を吐いた。


「…………いや、間違えた」


忘れてくれ、とか細い声で言う。


「……きみは、何処から」

「俺ですか。来たのは領主屋敷のある町の方です」

「ああ、噂の物好き領主の」


 中央に屋敷を置かずに、郊外の辺鄙な町に屋敷を構えた芥間は、ことあるごとに物好きだと揶揄されるのはユキでも知っていた。

 咎人の子を預かるわ、可愛がるわ、妖術士として名高いのに決まった弟子は取らないわ、剣術に固執するわ、移動や宿泊の手間があるのに頑なに屋敷を移動させもしなければ、落ち着いた場所が好きだからとあの場所に留まっているわ──そこに当人の無頓着さも相まって、芥間は物好きだと言われているのだが、まさか異邦人にまでそう思われているとは。

 男は少しだけ警戒心を解いたのか、弱々しく頭を下げた。


「少年、手を、ひとつ貸してくれ」

「なにをすれば?」

「この先に、小屋がある。そこに、連れて行ってほしい。人に、会わないように」

「それくらいなら。急がないとですね」


ユキはおえんに目配せした。おえんは何も言わずに頷くと、そっとユキの手に触れる。

 ばちんと痺れる感覚に目眩を覚えるが、どうにか踏ん張って、息を整え、目の前の男を横抱きに持ち上げた。

 男がギョッとしたようにユキを見たが、痛みにまたうめいた。肩を貸すにしても埒が明かないだろうから、こうするのが手っ取り早い。


「揺らしちゃうと思います。捕まっててください」


言うが早いか、ユキは走り出した。

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