(拾)世間知らず・弐

 アッサリと芥間屋敷のある町を出たことからユキもおえんも忘れていたのだが、通常、町には門があり、門番がいるものだ。そこを通るには領主が発行する通行手形か所属する組織から発行される身分証が必要であるのは、旅人としては当たり前のことである。或いは、身分証のある人が一人いれば子供の同伴者も許されるらしいが、その立場にいてくれそうな興長はまだ追いついていない。


 村を通り過ぎて歩き通してたどり着いた町の前には門がどっしりと構えていて、そこで門番が細かく何処から来たのか、目的は何なのかを聞いているのを横目に、ユキは木立の中でどうしようかと頭を悩ませていた。

 たまに通りがかる人は、当然のように門番に身分証を見せていく。これが小さな村であるとかならば話は別であることは、途中通り過ぎた村では一切何も要求されなかったことから分かる。

 一度村まで戻るべきか、このまま怪しまれないように近くで張っておくか。早急に興長と合流しなければならないのは確かである。


「興長さん……」

「そー焦らなくたって、今日明日のうちにゃ来るだろ。いやあ、それにしてもおまえ、通行証を持ってないのかぁ」


けらけらとおえんが笑った。


「モンモンもおまえに追跡用の妖具持たせたところまでは良かったのに」

「追跡用の……そっか、この護衛の蝶か」

「おう。でもモンモンもまさかさ、旅をしてるって奴が通行手形ひとつ持たないなんて、想像できなかったんだナ!」

「…………そうだよね。旅をしてるのに、それを知らないわけないな。どうしよう、参ったな」

「出掛けにタッチーはなんかくれなかったのか?」

「うん、立花さんのくれた路銀の中にも荷物にも、そういうのは入ってない……かな」


 ユキはこめかみを押さえた。子供の頃は旅になんざ出てないし、何より父に全て任せていたのが仇になった。屋敷にいた頃は当然、そんな機会もなければ当たり前の常識について誰かと語らい合うこともなく。


「……だよね。証書自体は見たことあったんだけど、海を渡るとか、山を越えるとか遠くに行くときに必要なんだと思ってた」

「残念! 山の内側海の内側でも必要だナ。まー、基本的には大概の奴らは持っててトーゼン、だからそんなに苦労しないけど」

「……ひとつ気になるんだけど、芥間様のお屋敷がある辺りには町を囲むような門とかはなかったよね。あの町もそんなに小さくないはずだけど、なんでだろう」


ち、ち、ち、とおえんの小さな指先が左右に振られる。聞けば、中にはそういう町があるのだと言う。


「少ないケドナ、中には誰でも受け入れる・・・・・・・・、そーゆー町があるのさ」

「ふうん……わからないな、ただの町よりも領主屋敷の周りの方が、危険な人がいないか取り締まるべきなんじゃないの、とは思うけど」

「知らネ。でも、そういう町は後ろ暗い奴らも受け止める役割があるのさ。幾分かは必要だろ?」

「……まあ、俺みたいなのには助かるけど……。住んでる人は不安じゃないかな」

「だから治安警備隊の奴らがいンだろ。まー、いてもおまえ、変なのに襲われてたけどナ!」

「ああ、あれ……」


けらけらと笑うおえんに、物盗りを思い出してユキはため息をついた。結局あの男はどうなったのだろう。妖具の跳ね返りも気になる。

 しかし、それよりもまず、だ。


「これから旅をするにはさ、何処かで身分証とかを貰わないといけないんだね。まいったな……」

「そーだな。じゃなきゃ無理矢理にでもモンモンを引き連れたまま旅するかだけど」

「……旅の目的を知ったら止められそうだね。あの人、いい人だから。どっちみち、仇のいる街に入れないことになったら困るから、どうにかしなきゃ」

「ちょいと地図見せてくれヨ。えーと、一番てっとり早いのは…………うん?」


 突然、すん、とおえんが鼻を鳴らした。

 かと思えば、ユキ、と囁いて手を引っ張る。ユキも頷いてゆっくりと彼女に続いた。時折吹く風に足音を殺して歩く。

 血の臭いが、ユキのもとにも微かに届いた。

 顔を顰める。決して慣れた臭いではないが、何度か覚えがあった。仄かな光が木立の隙間に見え隠れして、やがて大きな岩陰に人を見つけた。横向きに倒れたまま動かない。

 銀色の髪に、血の気もない白い肌。見たことのない意匠の衣を見に纏ったその人は、浅い呼吸を繰り返していた。傷を見てユキは慌てて近づく。


「ふ〜ん、こりゃ余所者よそものだナ」


 おえんはぐるりと男を見回して、わかりきったことを言う。つんつんと指先でつつくが、感触は伝わるのか。

 の人は多くはないが、珍しいことでもない。船が行き来する街があると聞いたこともあるし、金持ちは外の世界に行くこともあると聞く。芥間屋敷でも時折見かけたことはあったが……。

 ユキは周囲に人がいないことを確認して、素早く服の裾を裂いた。おえんは小首を傾げてユキを見る。


「何やってンだ?」

「手当。簡単なものなら俺にもできるから」

「はー、おまえってばお人好し! ……だが、ふふふ、そうだナ? そのお人好しにあたしも乗ってやるぜ!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る