(玖)世間知らず・壱

 その日、興長は朝早くから領主の屋敷に出かけ、ユキとおえんは二人だけで町の外を歩いていた。

 思えば屋敷を出てきてから日が経ち始めていたので、そろそろ町を出たい頃合いだった。父の手がかりは未だ見当すらついていないが、何をするにも大きな街には着いておきたい。暇を出されたというのに屋敷の人に会ってしまったりなんかするのも面倒である。興長にそれを告げると、


「それなら、先に出発しておいてくれるかな。道はひたすらまっすぐ行けば、村か街に当たるはずだから」


と返された。


「いいんですか」

「いいも何も、あくまできみの旅だからね。むしろ、丁度領主様との面会が重なって、同行できなくてすまない。流石にミヤトに着くまで追いつかないとか、そんなことにはならないから」

「……町から出たいだけ、なんで。ゆっくり歩きます」

「助かるよ。とは言え、きみを案内する契約は契約だからね、護衛代わりとしては頼りないかもしれないけど、この子を連れて行ってくれ」


そう言って例の紙を取り出した。蝶を模したそれは、ひらひらと宙に浮いた。それに指先を当てて、小さく何かを囁けば、それは限りなく透明に近づいて、それからゆっくりと飛び始めた。


 そんなわけで、宿屋から出た三人は一度別れたのである。

 人目のないところで休憩ついでにおえんとの立ち回りを練習したり、日課の素振りをしたり、道端の食べられる木の実を集めたり、比較的のんびりと進んでいる。それでも、町をでて半日もすれば辺りの景色は木々ばかりになっていた。


「ユキ、ユキ、そろそろ水飲もーぜ」


 そう言って、ユキの荷物から勝手に水筒を引っ張り出す。中に入っている甘い水がおえんの舌に合うらしい。

 興長は稽古終わりには必ず甘い果実の味のする水を買ってくれた。初めて飲んだにえらく感動して、ちびちびと味わっていたのだが、それがむしろ興長に気を遣わせたらしい。事あるごとに買ってくるようになったのだ。今朝も、稽古終わりにとの名目で渡されている。

 分け合って飲んでから、岩場に腰掛けて写した地図を広げた。


「ええっと、芥間様のお屋敷がここで、さっき通ったのがこの川だから……」


人差し指と親指とで距離を測る。これまで歩いた道のり。目的のミヤトまでの距離。途中にも町や村がある。


「次の村にもう着きそうだ。意外と近いんだね」

「そこで休憩か?」

「ううん、もう少し先の、この町までは行けそうだ」

「その頃にはモンモンも追いついて来ンだろ」

「どうかな……興長さんの方は、きっとまだまだかかりそうな気がする。旦那様、気に入った人だとか面白い人相手だと、食後のお酒にも誘うんだ」


ユキは思い出しながら呟いた。

 芥間はユキと食事をとりたがる日もあったが、結構な頻度で外に出て、或いは客人を連れて食事をとっていた。気に入った相手だと、屋敷内に造らせた小川の側でとっておきの酒を振る舞うのだ。

 まさか咎人の子が客人に会うわけにもいかない為遠巻きではあったが、ユキは何度かそれを見たことがある。


「旦那様、興長さんのことは気にいるだろうな」

「そういうユキはモンモンのこと好きか?」

「まさか、嫌いなわけはないよ。お世話になっているし、とても優しい人だと思う。それにすごく強い人だ。……でもまだ会ったばかりだから」

「嫌いじゃないなら良いンだ。もし、おまえがアイツは嫌だって言うんだったら食っちまおうかと思ってナ」

「なにそれ、おえんは人も食べられるの?」


本気にせず、くすりとユキは微笑んだ。この妖刀なりにユキを気遣っているのだと察してはいる。


「あの人に妖術とか剣を教わってるのは楽しい……と思う。屋敷の中にいたより、今は自由に息ができるんだ。俺も妖術を──あ、そうだ」


 ユキは自分の胸をそっと撫でて、それからえんきりの柄に手を触れた。


「聞いてもいい?」

「不安なことでもあンのかヨ」

「うん。おえんと俺の縁なんだけど、間違えて斬れたりしないのかなって。えんきりは他の人とか、妖術を斬れるでしょ」


おずおずと口に出せば、妖刀はあっけらかんに笑い飛ばした。


「あたしはあたしを斬れやしないぞ。あはは、それができたら流石にアホだろ、自分の縁を自分で斬っちゃあさ」

「そうなんだ」

「うん。どーしても斬りたかったら、妖刀あたしを折るか、この刃でもって剣士おまえの心の臓を抉るかだナ」

「……よかった、きみとの縁は切れないわけだ」

「まあな、だってあたしは縁切り刀だもん、特別なのさ」

「うん」


ユキは柔らかく笑んだ。

 いつかは抜け出そうとしていたあの屋敷。それの一助となった不思議な縁切り刀。この妖刀が何を望むのだとしても、彼女は初めてできた友達のような存在なのだ。それも、目的を同じくする──。


(よかった、おえんが妖刀で)


妖刀でなければ、ユキの歩む道をきっと共に歩いてはくれないだろう。あの日芥間に拾われて、あの夜おえんと契約を結び、今は親切な興長に剣と妖術を教えられている。

 ユキの夢に一歩ずつ近づいている。


「俺、なんだかんだ幸運だよね。おえんと、興長さんと、いい縁もたくさん結べてる」

「ふふ、そうか?」

「うん。この先は悪縁ばかりかもしれないけど、今はね」

「悪縁良縁、どちらも結構! 結んで切ってまた結んで、そうやって廻る縁の内側で好きなものを選りすぐっていきゃいいのさ」

「自由だね」

「いいか、ユキ。あたしは自由な刀なんだぜ。自由なあたしを使うおまえもまた自由なんだぞ。出来ないことはひとっつもないンだナ!」


おえんはユキの手を取り、くるりくるりと回るようにステップを踏む。ユキも倣って軽い足取りで彼女と舞いながら再び歩き始めた。

 と、まあ、そこまでは良かったのだが、旅をするなら当然の事態にユキとおえんは直面した。即ち、次の町に入れないのである。

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