(捌)妖刀と妖術士

 ──夜半。

 興長がユキの稽古をつけるようになって三回目の夜である。このところ続く空咳を何度か繰り返しながら、開けた窓から風を通して涼んでいたところだった。今朝方届いた書状に目を通し終えて、本でも読もうかとした時に、いきなり部屋の戸が開け放たれた。

 声かけのひとつも、遠慮する気配もひとかけらもなく、勢いよく開け放たれた。勝手に部屋に入ってきたのは、くだんの少年剣士である。彼は気さくに


「ヨ、モンモン。元気そーじゃねェか」


と歯を見せて笑った。勧める前からどかりと座布団に腰を下ろすと、当たり前に卓上の茶菓子に手を伸ばす。興長は本を閉じて、身勝手な来訪者に視線を送った。


(──誰だ、これは)


 あどけない少年の皮を被ったなにか。しかしその少年は稽古に疲れてぐっすり眠りについたはずだった。先ほど見に行ったら、剣を右手に抱いて、左手に本を持ったままよく眠っていた。妖刀相手に読み聞かせでもしていたのか。


「…………きみ、妖刀殿か」

「そ、あたしだ。ユキの刀のおえん・・・だナ。あたしに殿とかそーいうのは不要だぜ、妖術士殿?」


おえんは揶揄うように笑った。


「おまえは目がいいが耳は遠いンだもん──直接話すのはお初だよナ? 体調はどんなモンだ?」

「僕の体調はどうでも良いのではないかな」

「そうかあ?」

「ああ。それよりも、だ」


興長の眉間には深く皺が刻まれる。

 妖物に身体を乗っ取られるということは、あまり良いモノではない。上手い具合に言いくるめられて、体の自由を委ねるような契約を結んでしまったのか。あの少年ならばあり得る。


「契約主の身体を勝手に使うとは何事かな」

「失敬な、ちょいと身体を借りただけだぞ。なーに、気にすンなよナ! あいつの意識は夢の中、今のこれだってユキの記憶には残ンねぇし、これが原因で体調を崩しもしやしない」


約束を破るような刀じゃないとおえんは胸を張る。一体どんな願いをしたのかとこめかみを押さえた。どういった契約をすれば体の自由を明け渡すにまで至るのか。

 興長は溜息を飲み込んで、


「……それでわざわざ何用かな」


先を促した。


「内緒話をしにきたのサ」

「きみとカゲユキの契約について教えてくれると」

「おまえ、ばかか? 言うもんかよ。おまえだって妖術を使うんだから、契約内容をべらべら話すのは自分の首を絞めるだけだって分かるだろ」

「まさか契約の綻びを僕が狙うと思っているのかい? その子を害してなんになる。妖刀殿は邪悪な思考をお持ちのようだ」

「妖術士ってのはみーんなそんなやつだろ」


おえんは鼻を鳴らした。


「あたしはおまえに釘を刺しにきたンだぜ、モンモン」

「ほう」


興長はすっと居住まいを正した。彼が考えていたよりも、この妖刀は少年剣士を気に入っているのだと伝わってくる。そんな刀からの要求には興味がそそられた。


「忠告を聞こうか」

「おまえがユキに手を貸すなら、おまえとあたしも仲間だ。けどヨ、邪魔するってンなら話は別になる」

「僕のほうから彼に踏み込んだんだ。自分勝手にあの子を見捨てるつもりはないよ」

「何があっても?」

「もちろんだ」

「ユキは嘘が下手だからナ、隠し事の一つや二つ見え隠れするだろ。それをコソコソ調べられても不愉快なんだよナ」

「なにを隠していたとしても、それを探る気もないさ──ああ、なんならきみに誓おうか」

「……そこまでされると不気味だナ。おまえ、変だぞ、なんでアイツを助けてやンだ?」


 おえんは純粋な疑問を浮かべて興長を見た。なんでか、と興長は困ったように眉尻を下げて笑った。


「──いや、何故って、前にも言わなかったかな。困っている子を放っては置けないだろう」

「それだけ?」

「目の前に困っている人がいて、僕に助ける力があるのなら、十分な理由になるだろう」

「おまえはやっぱりばかだナ、ふふふ、嫌いじゃないケド! 目に映る奴みんなにそうする気かヨ」

「そんなことは不可能だ。できる範囲は限られているから皆を救うつもりもないし、できるとも思ってないさ。彼にお節介を焼いたのは──そう、たまたまだな」

「ふうん?」

「それとも実は彼と知り合いだったとか、そういう運命めいたことをご所望かな。残念ながら、どれもこれも自己満足だよ。僕も結局、僕のために動いている」


おえんは少年の顔で、意地悪く口角を吊り上げた。普段あまり動かしていないからだろう、歪な形になる。


「まー今日のところはそれでいいや。ひひひ、おまえも中々チグハグな野郎だな?」


そう言って、満足そうに湯を啜った。

 気がつけば備え付けの茶菓子はあっという間に姿を消していた。空になった茶碗に急須からぬるい湯を注いでやれば、当然の如くおえんがそれを受け取って飲み干す。興長は、仕方なく直接急須から飲むしかない。それを見ておえんがけらけらと笑う。そうしていると、普段の彼には見られない、年相応の無邪気な表情が見え隠れして複雑な心持ちになった。


 その刀が妖刀だというのは一目見て分かったことだ。

 人ならざるモノが宿れば、いやでもそう言うが纏わりつくもので、特に妖術に染まり切った興長からすれば何故あんなモノを見せびらかしているのかと気が気でなかったのである。幸いにして、あの物盗り以外には襲われてはいないらしいのだが、それにしたって無防備だった。

 町外れで襲われていたのも不思議ではない流れではあった。

 意外だったのは、その妖刀が限りなく少年に寄り添っていたということである。彼の独特な立ち回りはこの妖刀によるものだと言うし、意外と物知りで色々教えてくれるんですよとも言っていた。

 妖刀は興長をチグハグと言ったが、無垢な剣士と禍々しい妖刀、こちらの方がよっぽどチグハグな組み合わせだ。


「なあ、あの子は何故────」

「秘密にゃ触れねェンじゃないのかヨ?」

「答えられないのならばそれでいい。ただの独り言として流してくれ。…………しかしな、あの子は何故、あんなにもまっさらなんだ」

「それが何か問題なのか?」

「問題だよ。読み書きは出来る、剣術もしっかりと学んで身についているし、身の回りのことはそつなくこなせる。銭勘定さえできる教養があるのに──学ぶ機会がなかったとは思えない。それなのに、あの子はあまりに世間を知らなすぎるだろう」


 ユキの痩せぎすの肢体を思い出す。無我夢中で安宿のご飯を食べ、まるで興長が一生の恩人かのように礼を言った少年。貪欲に、無意識に、目を輝かせて訓練に励む少年。

 使用人を邪険にする人もいるのだが、それにしたっておかしい。剣や算術を教わる機会があって何故、知っていて当然のことも知らないのだろうか。


 まるで剣を振うためだけに、意図的に不必要なものを遮断して、徹底してそれだけを叩き込まれたような────それにしても不完全だ。

 この少年を通して、何かを作ろうとしていたのか。


「……あの子はきみが出会った時から、ああなのか」

「うん」


おえんはあっさりと頷いた。


「勤めた屋敷のアイツ──旦那サマとはヨロシクやってたんだとサ。まー、蓋を開けりゃあーめちゃくちゃ中途半端に目をかけてやがるんだモン、笑えるよナ」

「当主に気に入られていたのか」

「そ。あいつにゃ恩人なンだとサ。剣術も読み書きも銭勘定も教えてくれたんだって」

「ならば、他の人も表立ってはどうこうできないだろう。なのにあの子は……特別食が細いと言うこともあるまい。知識にも飢えている」

「それがさ、ユキは当主以外とは仲が良くなかったみたいでヨ。あたしゃ人の世にも詳しいけど身寄りもない子が良いように当たられるのは、この世界じゃ珍しくもないンだろ?」

「…………そうだな」


興長は息を吐いた。又聞きでは判断がつかないが、嫌がらせにしろなんにせよ、彼が腹を空かせて知識が偏っているこは意図的なものであるのだろうことはわかった。

 おえんはそれ以上話す気はないらしく、湯呑みを空にして満足そうに腹を叩いた。


「モンモン」

「なんだ」

「むう、おまえ、意地でもおえんと呼ばねェつもりだナ? ユキがくれた名前なのに」

「……それを言いたかったわけではあるまい」

「おっと、そうだった。ナ、もう一度忠告してやるよ。おまえ、ユキが歩くのがどんな道でも邪魔するなヨ──それが納得できないなら」

「きみからあの子を引き離す?」

「は、できるモンならやってみナ!」


少年の双眸が、興長を好戦的に睨みつける。


「おばかなユキとは違ってあたしはひとつふたつは策を用意してンだぜ。千年かけておまえの魂を食ってやっても構わねェぞ」

「安心していい。僕はきみたちの邪魔はしないよ──きみが、その少年を害さない限りね」

「ふん、害するモンか。ま、なんにせよ納得できないならあたしらのことは放っておいてくれヨ。あたしもおまえはそれなりに気に入ってンだ、余計なことはしたくない」

「誰かに選択の善し悪しをご高説垂れるような善人でもないからね、僕は。約束しよう」

「そンならいーけどヨ」


 おえんは、ごちそーさま、と口元を袖で乱暴に拭うと、来た時と同じように大股で戸を開けた。夜だというのに、遠慮がない。妖術張り巡らせた男の部屋だ、音が漏れることはないが、普段の彼とのギャップに苦笑せざるを得なかった。


「きみが」


呼び止めた興長に、なんだとおえんは振り返る。


「彼を選んだ理由はなんだい」

「……たまたまだナ。懐かしい匂いがして、こいつの願いに起こされたからナ。起きてやろうって気になったのサ」

「ははあ、運が良かったんだな、彼は」

「とびきり。だけどそれだけじゃあ足りない。あたしを起こすのはいつだって強い気がなくちゃだめだ。暗くて辛くて切実な狂おしいまでの思いがあって、それでもあいつは純粋なんだもん────ナ、おかしな目覚めだろ? どうせ長い刃生人生、楽しそうな奴と愉快に過ごしたいじゃないか?」


おえんは幸せそうに笑うと、大股で興長の側まで戻った。耳元に口を寄せて、わざとらしく囁く。


「親切な妖刀様がもひとつだけ教えてやるヨ。きっとユキはおまえと同類になるンだぜ、モンモン。先達としてよくしてやってくれヨ」

「……どういう意味かな」

「ふふふ、惚けた面しちゃって。おまえの血生臭いその匂い、妖刀あたしに隠せると思ったか? おまえ、確かに人に事の善し悪しを説く人間じゃねェや。善人なのか悪人なのか、どっちが本当のおまえだ?」

「…………はは、こりゃ参ったな。生憎どちらも僕だよ」

「ま、おまえ強いからナ! 助けてくれるのは歓迎だし、ユキもおまえに懐いてる。おまえはおまえの好きにするといい──あたしは告げ口も口封じもしないからナ」


 それだけ言って、今度こそさっさとおえんは帰って行った。ピシャリと戸も閉ざされて部屋に残されたのは興長一人。

 興長はため息をつきながら、机の上に置いていた書状に目を遣った。面倒ごとは尽きないものだ。

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