(漆)ユキモン稽古・参

 興長はユキとおえんの戦い方を剣舞と呼んだ。確かに、それがしっくりとくる。もっとも、ユキとしては舞っているというよりもおえんに振り回されているだけなのだが。


 おえんは小さい体躯だがすこぶる力がある。くるりと身を捻り、腕一本でユキを放り投げ、その勢いで自分も中に舞い、空中で縦横無尽に振り回す。おえんが上手くやっているのだろうか、不思議とユキが姿勢を崩すことはない。

 ユキは目を回さないように一点、斬るべき相手だけを見据えて剣を振るうだけでいい。


 興長が振る一打をつばで受け、弾いて突き出した切先をかわされる。相手の動きの癖を読む。一手先、二手先、おえんが振り回す動きから隙を突く。ユキの額には汗がにじむが、興長はどこかにこにこと遊ぶように剣を振るう。


「昨日は軽く見ただけだが、なるほど、見慣れぬ型ではあるが先ほどよりも動きは良いな。不規則で軌道も読みづらいし、速度もある。きみ自身の体幹も柔軟で芯がしっかりしているからきちんと刀に力も乗っている」


 言いながら興長は受けた刃を跳ね上げる。ユキは反動で身を崩しかけたが、おえんが素早くそれを抱き寄せた。興長の剣が空を斬る。


「そして妖刀殿との連携も悪くないときた! うん、これは楽しい。やりあって楽しい相手だな、きみたちは!」

「楽しい──ですか」

「きみは楽しくはないのかな?」

「そういうことは、ないですけど」

「では、趣向を凝らそうか!」


 興長モンドは取り出した紙をひらりと宙に放った。閃く切先でそれを突いて、


げん


と呟く。たちまち紙がひとりでに動き始め、やがて蝶を模った。それが羽ばたくごとに増えていく。

 辺り一面の紙の蝶。

 溢れる淡い光、興長と繋がる縁の糸に、これも妖術のひとつなのだとユキは目を凝らした。糸は細く、容易く斬れそうだった。実際、えんきりが触れれば溶けるように消えていく──。

 木漏れ日を弾いて一閃、蝶を薙ぎ払った。


 はらりと散った紙は光を失って地に落ちていく。が、なにぶん対象が小さくて飛び回るものだから斬り損ねるのが数枚いる。剣の軌道からするりと抜けて、縦横無尽に飛び回る。


「おえん!」

「おう! ユキ、ついて来ナ!」


地面を足の裏でしっかりと踏み込んで、二人勢いよく駆け出した。

 肉薄して、すんでのところで身を翻し剣を奔らせる。そこに降り注ぐ、蝶の群れ。硬い感触に舌打ちをして、返す刀でせめて蝶だけは斬ってしまおうと振り上げた。そのうち一枚に手が触れそうになるなり「触れンナ!」とおえんが叫ぶ。

 微かにそれ自体が淡く光っていた。慌てて避けたが間に合わず、チリ、と頬に微かな熱が走った。頬を掠めたそれは興長の手元へと戻っていく。

 ユキは荒く呼吸を繰り返しながら、動きを止めた。


「これも、妖術ですか」


そう聞けば、興長は機嫌良さげに頷いて、懐から別の紙を取り出してひらひらと振って見せた。


「中々面白いだろう? 普段はコイツらを爆発させたりもするんだが、今日はお試し版だ」

「凄いですね」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。それにしてもきみは本当に疾いな、カゲユキ! その上容赦がない。本当に容易く妖術自体を断ち斬ってくれる──それならこちらも数を増やすとしようか! げん

「チクショー、マジかヨ! モンモン、やるじゃねェか!」


視界いっぱいの蝶におえんが歓声をあげる。早く斬ろうぜ! と息巻く。

 これが楽しいのだろうか、とユキは考えた。

 高揚感はある。

 興味もある。

 今は稽古をつけてくれているのだから、大分手加減をしてくれているのだというのはわかった。この人が何も気にせず戦うならば、どんなふうに動くのだろうと、それに追いつきたいと思うユキもいる。


てん


 興長が呪を紡ぐと、はらはらと紙の蝶が崩れ落ちた。そのカケラからわらわらと湧き出てきたのは指先ほどの蜘蛛である。サイズは小さいが、興長と繋がる糸は先ほどよりも太くなる。何かを仕掛けてくるか────と警戒したものの、興長はアッサリ姿勢を解いた。


「数は十分だろう? 斬れるだけ斬ってみてくれ」

「い、いいんですか」

「どうぞ」


 ユキは蜘蛛、ではなく目の前の線を薙ぐようにしてえんきりを振るった。微かに──切れ味の悪い鋏で布を断つような──微妙な手応えがあった後、やはりはらりと音もなく糸は散った。

 ユキは頬を軽く撫でながら、地に落ちた蝶や蜘蛛の残骸を見た。先ほど蝶が掠った頬を抑える。


「気分は? 妖術を斬っても何もない?」

「はあ、特には……」

「そうだろう、そうだろう。見ていてもきみ自身に何かあったようには見えない。いや、面白いな、そこまで一方的に断ち切ってくれるか」

「あの、これ──」

「ああ、練習用に作ったものだからその蝶に触ったからって特に危険はないよ。少しかぶれるくらいのものだ。……少し加減を間違えていたのならすまない。もしや痛むのかい」

「いえ、それは大丈夫です」


横からおえんがぺちぺちと赤くなった頬を叩いている。治療行為なのかなんなのか。しかし不思議と頬の感覚が薄れている。

 ユキは足元の──もはやただの紙切れと化したそれを拾い上げた。


「……こんな妖術もあるんですね」

「ひとつひとつは弱いけどね、これで結構使えるんだ。きみも覚えてみると便利かもしれないよ。紙が大きいとすぐにへたる・・・し、小さいものを使役するにはコツが必要だけどね。慣れれば楽なもんだ」


そう言って指をす、と上に立てた。


しゅう


指先に蝶が十匹集まる。他は地面に落ちたまま動かない。


さん


と唱えれば、今度は四方八方に飛んでいく。


めつ


最後にその言葉でさらさらと砂のように崩れ落ちた。風が欠片をさらってしまえば、後には何も残らない。


「ほら、後片付けも簡単」

「はあ……」

「妖術と一言に言っても、要は妖物との契約だからね、その数だけ形があるものなんだ。きみがこれまで見てきた妖術なんだが、どういったものを見てきたのか聞いても良いかな」

「どんなもの……妖具は割と見てきました。風景を投影するもの、湯を沸かすもの、モノを冷やすものだとか」

「妖術使いに会ったことは?」

「……何人か、見たことはあります。手から雷を出すとか、刀に火をまとわせるとか。触れたこともあるんですけど、実際痛くても燃えたりとかはしなかったです」

「……待て、何故触れた? ……いや、いい、聞かないでおこう。事故もあるだろうしね。では結界を作るだとか、モノを使役するだとかの妖術は──」

「今日初めて見ました。俺はあまり妖術に詳しくないんで、多分ですけど」


 興長は考え込むように顎を撫でた。今の妖術は一般的な妖術だったのかもしれない、とユキは紙を拾い上げた。しかしこんなモノがまかり通っていたならば、恐ろしいと思うのだ。芥間のような善い領主が治安維持のために飛ばしていれば良いのだろうが、悪い人が扱えば簡単にあちらこちらに襲撃を掛けられるのだから。


「あの妖術の悪用でも心配してンのか? そりゃ無用だぜ、ユキ。まー、そういうのはあとで教えてやるヨ」


暗い顔をしたユキにそっとおえんが囁いた。相変わらずユキの心情を察するのが上手い妖刀である。

 ようやく考えがまとまったらしい興長がユキを見た。


「きみは何処かの屋敷で働いていたと言ったが……その最中は一度も家へは帰らなかったのかい。ずっと屋敷の内にいたと」

「……はい。故郷が遠いのと、身寄りがないので」


嘘はついていない。


「そうか。ならば仕方ないところもあるか……」

「俺の知識が足りないこと、ですか」

「足りないというよりも偏っている、が近いかな。読み書きはできて、銭勘定ができて、剣術の基礎もかなりできている。それなのに……なんと言おうかな、先も言ったがきみは不用心なんだよ」

「……気をつけます」

「うん、気がつくことが最初だ。少しばかり、きみの旅の枷になりかねないだろう。知っていたら簡単に避けられる罠だって、知らなきゃ頭から突っ込んで死ぬまで気が付かないなんてこともあるからさ。そこについても道中稽古をしていこうか」

「すみま──」

「僕に謝ることではないよ」

「……ありがとうございます」

「いや、まあ、まずは知識は置いておいて、稽古を続けようか。まだいくつか、試したい妖具があるんだ」


興長は荷物からあれやこれやと取り出し始めると、少年のように笑った。その表情にユキは思わず吹き出した。

 まるで父さんみたいだ、と何処かで思う。剣を握った父さんは、とても生き生きとしていた。新しい剣技を練っているあいだなど、背後で必死に練習するユキに向けてよく笑いかけてくれていた。

 懐かしいなと、少しだけ感傷的になった心で剣を握りなおした。

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