(陸)ユキモン稽古・弐
ユキは元来小柄で機敏なのだが、屋敷で日々端から端に呼び出されていたこともあって、かなりすばしっこく出来ていた。人の目を掻い潜るように生きてきたから気配を殺すのも得意で、芥間との稽古でも不意打ちや速度で翻弄する手法を好み、芥間自体もそうやって戦うことを勧められていたのだが。
(だめだ、間に合わないッ!)
興長モンドはユキの見てきた中でも、
興長よりも背丈が僅かに高い芥間も、かつての記憶の父もここまで疾くはない。だからこの人もきっとそうなのだろうと思い込んでいた。
(興長さんのこと、無意識に見誤っていた!)
なんて失礼なことをしていたんだろう、とユキは僅かに顔を歪めた。
刀を握る手に力を込め、膝をバネに興長に肉薄する。寸でのところで身を翻し、背に向けて斬りかかったそれも難なく流されてしまった。そのまま飛んできた一閃を避けて再び距離をとる。
初撃を除いて、興長はユキを受け入れる体制に変えたらしい。ほとんど動かないままユキの太刀筋を見定める。
大柄ならばと足元、低い位置に横薙ぎに刀をいれたが、それも難なく避けられる。姿勢は崩れない。その姿勢から跳ねるように胴体目掛けて袈裟に斬り込むがこれも打ち返された。ユキの方が反動で隙がうまれてしまう始末だった。
必死に頭を回転させた。芥間は、父は、どのように動いていたか。斬撃の合間に相手の動きの癖を追う。
打ち返されるそれを弾いた刹那、興長が見せた僅かな隙。
ガラ空きの右側、弾かれた刀は刀を防ぐのにはきっと間に合うまい。それでもユキはその姿勢からすぐに距離をとった。これは引っ掛けだ、その先の手が見えない──。
「よし、ひとまずはこれまで」
興長は満足そうに頷いた。ユキも力を抜く。
「やはりきみは目がいいな、カゲユキ。人の動きを良く見ている。太刀筋も迷いがないし、君の年頃を考えれば十分なものだろう。どこの流派かな」
「……我流と、近くに詳しい人がいたので芥間流を少しだけ。目は、どうでしょうか。人とあまり比べないので」
視線を一瞬彷徨わせるが、嘘はついていない。芥間の剣は一端の流派として名が通っているが、生天目の剣術はそうなる前に潰えた。
頭におえんが乗っかる。不思議と重さは感じない。
「いンや、おまえの目はすこぶる良いぞ、ユキ! 遠くのものとか細いモンがよく見えるってのもそう。無意識におまえは人の気を手繰るのが上手いってのもあるンだナ。気がどっちに流れるかを見極めてる」
「よくわからないけど……人の顔色を伺ってたからかな……」
「あはは、そンで息を殺してたから気配が薄くなった? なーんだ、おまえにも良いこともあったナ!」
おえんが覗き込むように笑った。良いことなのかな、とユキは苦笑する。
ぽん、と興長が手を叩いた。
「話しているところに悪いが、続きに行っても?」
「構いません」
「ありがとう。きみの動きは年齢を考えればかなりのものだ。道場でやっていくならば文句ないだろうが、もしも剣士として食っていくのなら話は別になる。物盗りに襲われることもある、依頼によっては剣士同士でやり合わないといけないこともある、或いは人に仇なす妖物と戦うこともあろうな──そんな時に生きて残る為には、今ある隙はすべて潰さないといけない」
「隙、ですか」
「そう。剣士として剣術を
要はユキは隙だらけだと。返す言葉もない。
元よりユキは道場での剣術しか習っていないのだ。見てきた剣術も、父のそれと芥間流の門下生たち、当主イヅミのそれだけ。妖術も他の人が使うのを何度か目にしたことはあるが、マトモに人と対峙したのは昨日が初めてだった。
(仇の首を落とす前に自分が死んだら意味がない)
恩人である芥間に不義理を働くような旅立ち方をしてまで来たのだ。父の仇だけは必ず取らなけばいけない。
叶うならば父と同じ剣で、父を殺した男を斬る。それが叶えば後はどうだっていい。そこにさえ至れれば、なんだっていい。
(足りないのなら、周りすべてを利用しなくちゃ)
ユキは改めて頭を下げた。
「興長さん、お願いします。俺にもう一度稽古をつけてくれませんか」
「何度でも。喜んで」
興長は元々そのつもりだと頷くと、ユキに刀を抜くように言った。彼もまた、懐から小刀と数枚の紙を取り出す。
「次は妖刀殿も一緒にどうぞ。小綺麗な道場剣術も良いが、君の戦い方は妖刀殿との剣舞なのだろう」
「はい。あの、でも刀は──」
「そのままでも構わないよ。まあ、きみが不安ならば妖刀殿、刃潰しのようなことはできるかな」
「ふふん、素人のユキ相手とはいえ、モンモンてば中々自信家だナ? もちろん、できるとも!」
おえんは得意げに笑うと、えんきりに小さく口付けた。それだけ、しかしちゃんと興長の言う通りになったらしい。抜刀してみれば刃自体の輝きが、どこか鈍いものに変じている。
「ありがとう。あとはきみの普段通りにやってくれて構わない。僕も妖術を使わせてもらうかな」
「わかりました」
おえんがユキの手を取る。ユキは握り返した。痺れるような感覚が指先から走る。視界に現れるのは、太さも色も異なる糸。ユキと興長の間にもつながっている。
「おえん」
「おう。ユキ、動きはあたしに任せろ。おまえはただ、目を凝らして刀を振えばいいんだぞ」
「あの妖具は斬っても大丈夫なのかな」
「跳ね返りを気にしてンのか? 跳ね返ったところであいつなら平気だよ。大体それを体感すンのも込み込みでおまえに稽古を申し出たんだろうさ」
そーだろ? と問いかける声は興長の耳には届くことはない。彼はユキの視線に肩をすくめた。
「興長さん、ありがとうございます。俺のために色々と」
「いいや、人ってのは大概自分の利になるように動くものさ。要は僕の為の稽古でもあるんだよ。きみは妖具を斬っただろう?」
「昨日の、ですか」
「そうだ。きみが斬るのは妖具なのか妖術そのものなのか──それが僕たち妖術士にとってはなによりも怖い。その可能性を昨日まで知らずに、ついぞ目にしてこなかったんだから尚更のこと」
扱う妖術が強ければ強いほど、契約を破った時の跳ね返りは大きくなる。それを問答無用に断ち切れる妖刀を持つ少年剣士がいる。それが怖いことなのだと彼は言った。
「ひとつ在ればふたつ在ってもおかしくはない。僕もこの腕を売ってる身だからね、糧にさせてもらうってことだ」
「わかりました」
「じゃあ、早速行こうか」
二人、距離を取る。ユキはえんきりを構え、興長も太刀を抜いた。切先で足元に薄く円を描く。
風が吹き、葉が落ちる。
「──行きます」
ユキとおえんは地面を蹴った。
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