閑話 興長モンド、芥間イヅミに会う

 とにかく、音がない。

 しんと屋敷は静まり返っている。使用人の囁き声に耳を澄ませば、どうやら嫡男が体調を崩していたらしいのだが、今朝方に嘘のように落ち着いたとか。ようやく落ち着ける、と万感の呟きも耳は拾う。


 時遡って、ユキとおえんが領主屋敷のある町を出たばかりの頃──興長は芥間屋敷にいた。門で書状を確認されて、細やかな検査を受けて、客間に通される。ここでも待たされるかと思っていたのだが、存外早くに領主は姿を現した。

 さっと興長は頭を下げた。


「はるばるよく来たね、興長君。久方ぶりだ。文を貰って驚いたよ」

「久方ぶりにございます、芥間様」

「待たせてしまってすまないな。ああ、顔をお上げ。旅に出るのだと聞いたが、目的地は? ふふふ、私の周りでは旅が流行りなのかな」

「特には決めておりませんが、ミヤトでも観光しようかと」

「あはは、きみが観光か! よくもまあ許しが降りたものだな。きみのことは手放し難いだろうに」

「どうでしょうか……心よく送り出されましたよ」

「ははは、本心は引き留めたかったはずだとも。そうだな、旅の終わりにもしも行くあてがなくなったら、我が屋敷に来ても良い。飽きたらおいで」


興長は微笑みに誤魔化しておく。


「……いや、しかしお忙しい所に押しかけてしまったようで……、イナタ様の御加減がよろしくないと聞きましたが、如何ですか」

「ああ、アレはもう良くなったから構わないさ」

「流行病ですか」

「いやあ────どうしようかな。ふふふ、口が硬いきみには教えようかな」


芥間は悪戯を思いついた子供のように、そっと身を乗り出して囁いた。


「興長くん、私はアレを妖術の跳ね返りに違いないと見ているのだよ」


興長は眉根を寄せた。契約の不履行の代償は、当然興長も理解しているのだが、名のある妖術士の子がそのような事態に陥るとは思えなかったのだ。実戦であればともかく。


「跳ね返り? そんな不安定な……いえ、危険な術を試されたのですか」

「そうであったならばまだ良かったろうな。しかし現実は醜悪の極みでね、身内の恥だが愚痴を聞いてもらうとしよう」

「いえ、何も無理せずとも──」

「いいや、聞いておくれ。実はアレには人を虐めて悪戯をして楽しむきらいがあってね、そのバチが当たったのだろうな。なんともひどい後継だとは思わないか? 失敗した術はどんなものかと見たところ、これまた悲しいかな、とても簡易な術を間違えたと……。油断しては何が起きてもおかしくはあるまいが」

「なんと……」

「まったく考えも行動も恥ずかしく愚かな限りだろう? ……此度のことで灸は据えておいたが、ふふ、芥間の子ならば、もっと善い子であってくれねばな」


 言葉とは裏腹に、実に楽しそうに笑う芥間の姿は異様だった。その、嫡男に虐められたとされる人は無傷で旅に出たのだと嬉しそうに続ける────なるほど、先ほど旅が流行りだと言ったのはそれでだったか、と興長は納得した。



 芥間イヅミとは、歳こそ離れてはいるものの、それなりに長い付き合いになる。近くに寄れば挨拶はするし、時折文も送り合う仲ではあるが、興長はこの男が苦手だった。

 丁寧な物腰と常に湛えた笑みで柔和な印象を人に与える。高い技量を持つもおごらずひけらかさず、謙虚だと言う人もいる。

 否や、彼は興味がないだけなのだ。

 手慰みに素晴らしい妖具を作り上げ、妖術士として名を上げて、美しい妻と優秀な息子がいて、それでいてそのどれにも熱を示さないのだから不思議であった。仄暗い瞳には何も映していないのがひどく不気味なのだ。

 興長はゆるりと頭を振ってみせた。


「ご謙遜を。イナタ様は善きご子息であられます」

「さあてなあ。そうだ、きみに一度くらい稽古をつけて貰えば良かったかな」

「私がイナタ様に? 既に良き師範がいらっしゃるのに、私などが出る幕はありません」

「いいや、私は愛弟子のことで手一杯でね。それに、きみの術は面白いだろう? 愚息も学ぶところが多かろう」


子よりも弟子を優先すると、悪びれもせずに言い放った。

 弟子、と一言に言っても芥間道場にて剣を習っている人ではないだろうというのはすぐにわかる。年端のいかない少年を囲っているらしいとの噂は興長自身も度々耳にしていた。親友の子、咎人の子、どれも曖昧な話ではあったが、特に目をかけている子がいるらしい。その少年が件の愛弟子なのだろうか。

 普段は何も映さない瞳に光が宿る。

 これは安易に触れてはならないと判じて、興長は「機会に恵まれましたら」とだけ返した。芥間は可笑しくて堪らないという風に興長を見つめる。


「ふふふ、きみは相変わらずだね。線引きがしっかりと出来ていることは賢いな。無駄口を聞かぬところも気に入っている。他の者は勝手で五月蝿くて、かなわんよ」

「私が口を出す問題でもありませんから」

「その通りだとも。やはり君はいい────故に頼みたいことがあるんだ。旅の途中ですまないが、信頼に足る興長くんにいくつか仕事を頼みたい。良いかな」

「私に出来ることであれば、喜んで」

「当然だ。謝礼金も前払いするさ」

「それは有難い話です。当分は旅を続けようと思っておりますので」

「よかった。先の二枚がその契約書だよ」


 芥間は紙を三枚取り出した。ふう、と息を吹き掛ければ、ふうわりと浮き上がって興長の目の前に並んで浮かぶ。興長は指先でそれを取ると、素早く紙面に視線を走らせた。慣れた仕事だし、ミヤトまでの道中にある場所で済ませられるものであった。報奨金も期限も条件も無茶苦茶なものではない。二枚に名を書いて、芥間の方に吹き戻す。


「立派な妖術士のきみに、赤子のやるようなお遣いを頼むようですまないね。終わったらきみのやり方で便りを出してくれ」

「数日のうちに寄越しましょう──して、こちらは?」


興長は三枚目を手に取った。

 見れば、一人の人物について事細かに特徴が書いてあった。容姿の特徴自体はどこにでもいそうな少年ではあったが、芥間流の剣術に長けていると書かれているのには目を疑った。


「いつか、私の跡を継ぐことになる妖術士だ」


下手な返答は呑み込んで、興長は何度も紙に書かれた文字に目を走らせる。芥間家を継ぐ、それも嫡男を差し置いてとなれば相当な妖術士なのだろうということは予想に難くない。さらに剣術にまで長けているとなれば相当目立つはずだ。


「そちらは急ぎではなく、きみを縛るものでもない」

「人探しでしたら、姿絵などあれば有難いのですが」

「人探しでもないが、ああ、そうか、姿絵を残しておけばよかったのか」

「人探しでなければ、一体……」

「ただ見かけたら助けてやって欲しい。きみは強いだろう? この子も強く育てたが、親譲りの謙虚さもあってとても優しい子だから何かと心配なんだ。ミヤトの方に旅に出たらしいがウチの者は上手いこと撒かれてしまってね……。名を、生天目ユキノスケという────友と私の可愛い弟子だ」


芥間は目を細めて微笑んだ。

 生天目と芥間、その名の繋がりは興長も分かる。

 興長は無表情に紙を眺めていたが、やがてわかりましたとそれを畳んで懐にしまい込んだ。思うところはある。しかしこれは契約ではない。


「心に留めておきましょう」

「頼むよ。ふふ、いつか旅に満足したあの子が帰ってくる日がね、楽しみでならないんだ、私は……」

「その折にはぜひ手合わせを願いたいものです」

「ああ、いいね。きっと楽しかろう」


芥間の愛弟子ならば相当な使い手である。ならば己が助けるまでもなく旅をしていそうなのだが、こうも心配してしまうのは親心のようなものか。

 ふと、脳裏によぎる少年がいた。あの子は妖術士とはほど遠い、しかし不思議な雰囲気を持っていた。この辺りの出で、変わった刀を振るう剣士。

 つと、口を開いていた。


「時に、芥間様。妖刀をこの頃お見かけしたことはありましょうか」

「妖刀?」

「ええ」

「……いや、聞かないな。最後に見たのは随分と前のような──どうしてだか聞いても良いかい」

「つい先日、旅する妖刀使いの剣士と出会いまして。まだ若く実にいい剣の腕を持っているのですが、この辺りの剣士ならばよもやお知り合いではあるまいかと思いまして」

「なるほどね。しかし残念、そういった話は届いてないし、なにより妖刀使いの知り合いはとうに死んだよ。妖刀を操る剣士に覚えはない。きみがそう褒めるんだ、是非会ってみたかったものだが」

「左様でしたか」

「うん、やはり覚えはないな。今日ともなれば妖刀も定義は広いし、雑多に蒐集家はいるからね。その子飼いの妖刀使いと言ってもさして珍しくはないだろう。……しかし、きみから見て、珍しい力があったとか、かな」


興長は柔和に微笑んで首を振った。


「いえいえ、そんなことはございません。踊り子の如く飛び跳ねる脚力を与えるようなものでしたよ」

「ほう、人を踊らせる刀か。極めれば中々面白い戦いができような」

「ええ、故に気になってお聞きしたのです」


これ以上は藪蛇だろうと言葉を切った。

 窓の外の明るさを確認して、ふと、ユキは今頃どの辺りかと考えた。あの少年、健脚そうではあるのでとっくに町に着いている可能性もある。その手前に村や町があるから、立ち寄ってくれれば丁度いいのだが……。依頼もあるのでさっさと失礼しようと頭を下げた。

 それを芥間が止める。手を叩くと、音もなく襖が開いて酒と肴の乗った膳が運び込まれてきた。興長は苦笑する。


「興長くん、折角こうして会えたのだ。そう急がれると悲しくなるな。酒は好きだろう? 手紙をもらってね用意しておいたんだ」

「随分前のことになりますのに、よく覚えておいでで……」

「私はよく覚えている方だよ」


それでは約束もあるので一献だけ、と杯を持った。

 ゆるゆると時が進み、興長が屋敷を後にしたのはすっかり日が傾いた頃だった。ある程度であれば急げるが、仕事をしてから行けば、流石に日を跨ぎそうである。

 切り抜いた紙を宙に飛ばし、微かな痕跡を追い始める。

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