弐話 良縁と悪縁
(壱)出逢い
屋敷の外に出てから、ユキとおえんは立花から教えられた街を目指すことにしていた。父についても何の手掛かりもなく、この町で聞き回ることも得策ではないだろう。大きな街にはそれだけ人がいて、人がいるならば情報がある。
刀は古布を紐がわりに、背中に背負う形にした。多少は目立つが、剣士として堂々としておけばいいのでは──と浅い考えだ。隣をおえんが歩く。
できる限り人通りの少ない道を選んだ。
ユキは八年間屋敷から出たことがないから、彼が咎人の子だと一目見た程度でわかる人はいないだろうが、ちらちらと時折人の視線が突き刺さる。見慣れない少年が貧相で薄汚れた格好でふらふらと歩いているから、目立つのだろう。
食べるものを探そうとも思ったが、これでは店に立ち寄れない。とりあえず、その辺に生えている木の実で空腹を誤魔化した。
これに関してはおえんがとても頼りになった。
「それ、甘いケド腹下すぞ。そっちは食えるが超不味いヤツ、人間の身体にゃいいケド。あれは甘いけど痺れるから食うなヨ? 因みにあたしはあっちの赤いヤツのが好きだ!」
といった具合に、食べられるものとそうでないものを教えてくれるので、ユキは食べられると判じた物だけを口に運んだ。誤って採った食えない木の実も、一応とっておく。
二人は最初こそ街道沿いに進んでいたが、食事や人の目もあり、次第に街道からはずれていた。
「街に入る前に、先にどっかで水浴びしたいな。服も洗って乾かせば、少しはマシになると思うし……髪もちゃんと束ねないとだ。刀も目立つみたい」
「刀は着ない服でも巻いたらどーよ? 川で洗うのもいいケド、旅立ち記念でいっそ全部買ったらどーだ?」
「立花さんから貰ったお金だけじゃ、少し厳しいかな……」
「ちぇ、タッチーのケチー。でもこーいうのは初期投資ってヤツだろ。せめて
「そうかあ……。おえんは沢山知ってるね」
「そりゃ、おまえよりはナ。おまえ、仇を見つけるまでは剣の腕を売って生きてくつもりなンだろ? 小汚いやつよりはそれなりにシャッキリしたやつの方が仕事もらいやすいぞ」
「……そりゃそうだけど」
おえんのつけたヘンテコなあだ名にくすりと笑いながら、柔らかな草を踏む。慣れない香りが鼻をくすぐって心地よい。
ユキより旅慣れているとは言え、おえんもこの辺りの土地勘にはあまり聡くはないようだった。
ユキは落ち着きなく辺りを見渡した。
芥間屋敷のある町は、規模としてはそう大きくない町だった。いくつか店が軒を並べて、民家や畑もあるが、落ち着いている。周りに柵はあるものの、門は常に開かれていた。
時折通る人影、飛び交う鳥すら珍しいものに見えて、ユキはあちらこちらに視線を送る。
風は涼しく、草花の香りや何処かから食べ物の香りを運んでくる。ちょろちょろと流れるせせらぎに、初めて見る生き物。踏みしめる土は柔らかく、常に誰かの動いていた屋敷とは違って周りに人影は少ない。記憶に残ったものと合わせながら懐かしむように時折それに触れた。
「……いいね、外は」
「屋敷からまだまだご近所だけどナ。でもおまえ、ずうっとあの屋敷にいたわけじゃねェンだろ? 子供ん時はこーゆー景色も見ていたワケだ、初めて見るわけでもあるまいし」
「記憶してるそれと目の前のこれとじゃやっぱり違うよ。おえんもそうじゃない? 道がどこまでも伸びているのだって新鮮だ」
「そりゃ、あの屋敷じゃあたしは蔵ン中しか知らねェケドさ。あそこに来るまではいろーんな所を歩いたンだぜ? おまえよりもウンと知ってるもん」
「その話も今度聞かせて欲しいな」
トーゼンだろ、と胸を張ったおえんがユキの手を強く引くのと、ユキが刀に手を掛けたのはほとんど同時だった。
「──ユキ」
「──うん、おえん」
強い視線。町で受けたそれとはまた違う、品定めをするようないやらしさを
「だれ」
短く問うた。
すぐに音を立てて薮が揺れて、影から男がのそりと姿を現した。小汚い衣服に、ぎらついた瞳、伸び切った髭がとぐろを巻くように渦巻いている。大方物盗りだろう──が、よくよく考えてみれば己も大差ないのではと気がついた。小さくため息をつく。
(……領主屋敷のある町はずれに、こういう人がいるんなら、どうりで町の人も俺のことを警戒するわけだな……)
男はユキの爪先から頭まで舐めるように値踏みして、ユキの手にある刀に目を留めた。
「おい、小僧、その得物を置いていけ。そうすれば命は見逃してやる」
ユキは応えずに構えをとった。そこらの人には警戒され、物盗りには狙われる──やはり早急に
男は一歩、ユキに詰め寄った。
「身の丈に合わねえモンを持ってこんな所を
見れば、相手も古びた太刀を下げている。それ以外にも武器を持っているのか。
稽古事以外で人と相対するのは初めてだった。
いやに心臓がうるさい。思考を巡らせる。落ちつけと、刀を身体の前にに運び、ゆっくりと呼吸を繰り返す。既に相手の太刀の届く
「ユキ、やったナ? 早速あたしを使った実践だ!」
いきなり実戦は危険でしょ、なんて言っている暇はない。
ユキが頷くのと、男が剣を振りかぶるのがほとんど同時だった。咄嗟に刀を抜き放ち、男の一打を受け流す。ユキは素早く身を翻して、
「おえん!」
「おうよ!」
手を繋いだ。
ばちりと電気が走るような錯覚の後、視界に
男が繰り出すのはほとんど型も何もない
ただ、力が強い。
太い腕で
(耐えきれないほどじゃないけど、これをまともに受け続けるのはばかだな)
おえんに引っ張られてユキは体勢を整える。力で負けるなら速度で翻弄するほかない。幸い、相手は隙が多い。
「小僧、負けを認めるならば今のうちだぞッ!」
太く首元に風が迫るのを受け流した。跳ね上げて、ちり、と頬を掠め、おえんがユキを引き寄せる。返す刀で斬りあげるが寸でのところで届かない。次で潜り込む、と狙いを定めた瞬間。
「ユキ、跳べ!」
「──ちょッ」
答えも待たずにおえんは舞いあがると、反動をつけてユキを宙に放り投げた。入れ違いに立っていた箇所に男が何かを投げつけていた。いやな臭いの煙が立ち上る。
重さも感じさせず、おえんは器用にユキを振り回した。ユキは手近な木の幹を足掛けにして、反動をつけて男に斬りかかった。
真一文字、男の二の腕に赤い線が走った。
次いでユキは背後に着地して、辺りに揺蕩う線ごと膝裏を真一文字に斬りつけた。浅い──しかし、これでユキが逃げ出しても追いかけられない。
「この
たたらを踏んだ男の顔が怒りに歪んで、苛々と唾を飛ばした。ユキは再び宙で姿勢を整えながら、必死に思考を巡らせる。
(殺さずに、殺さないで、どのくらいなら斬りこめるか)
跳ぶ。狙いをつけて肉薄する。
刹那、ふと、鼻に微かな芳香が漂ってきたことに気がついた。背後から濃く、目の前の男からも似た香りがしていた。
「ユキ、青を斬れッ」
「青、青──」
慌てて視線を走らせる。青! 視線を動かして、見つけたそれに刀を走らせる。
しかし、やや遅い。ユキが斬り下ろした先は仄かにほつれたくらいで、断ち切るまでには行かなかった。男は大きく退いて懐から何かを取り出している。瓶状の青く光るなにか──。
あれが妖術を使った道具だということは分かる。しかしその効能はわからない。踏み込めば、傷は負っても妖術を断ち斬れるか、否か。どっちみちこちらへ向けられた攻撃ならば、斬る隙はあるだろうか。
男が強く握り込む。
(どうやって、どこから、何がくるか)
迷う間もなくユキは踏み込もうと脚に力を込める。
「こ、小僧、あははは、高い勉強代だったなあッ! 奥の手ってェのは最初から準備しておくもんだッ!」
男が声をあげる。おえんが舌打ちして、刀に手を当てて力を込めるその瞬間に。
大きな影が走り出てきた。
「少年、少し右に退いてくれ」
ユキが首を引っ込めるなり、何かが瓶を撃った。弾き飛ぶ瓶、ぐらりと揺れた男の軸、すかさずユキが瓶に刀を振り下ろす。さっと横を見れば、続いて男の古びた刀が、何者かの一閃に軋んでいた。誰だ、と顔を向けた。
そこに居たのは、背の高い男が一人。
「不要かとは思うが──
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