(弐)興長モンド

 力の差は歴然だった。

 素早く刀を返すと、興長モンドと名乗るその男は、姿勢を崩した男に容赦なく峰を打ちつける。びん、と伸びた身体に向けてついでとばかりに拳を叩き込めば男はすぐに沈黙した。

 ユキとおえんが何をすることもなく男は地面に伸びあがる。呻き声ひとつ聞こえないことを確認すると、興長は満足そうに刀を納めた。


「僕はこういった手合いは嫌いなんだ。相手が弱いと見ると粋がって、反撃されると怒って、自分勝手ったらない」

「……あ、あの、すみません。助けていただいてありがとうございます」


ユキが慌てて声をかけると、興長は振り返った。やや垂れ目がちの目と、表情の柔らかさも相まって、人の良さそうな男だった。しかし、大きい。芥間イヅミも大きな人ではあったが、この人も随分と大柄だとユキは見上げた。興長は身体を折るようにしてユキと視線を合わせた。


「いや、突然失礼した。君一人でもどうにかできたろうに出しゃばってしまった。……こんな落ち着いた土地で物盗りに会うとは、珍しい。きみも災難だったな」

「はい、その、俺も突然のことだったので困ってたんで、助かりました」

「そう言ってくれると嬉しいよ。きみは怪我はしていないだろうか」

「ありません。ご心配まで、ありがとうございます」

「いい子だな──しかし、なるほどな。うん、こりゃ狙われるわけだ」


 興長は苦笑を浮かべた。おえんの浮かんでいる辺りを見上げてから、すぐにユキの握る刀に視線をくれた。


「立派な刀だな。その刀はきみのかい」

「俺の刀です」

「ではお節介を重ねるようで申し訳ないが、そのまま背負っていくのは勧められないな。そりゃあそんなに珍しいものを旅慣れていない少年が引っ提げていちゃあ、目立つだろうよ。狙われもしようものさ」

「……なる、ほど」

「何処かで仕舞う袋を見繕うか、せめて布でも鞘に巻いておくことを勧めるよ。きみの思う以上に、その刀には価値がある」


彼はそう言いながら羽織っていたものを脱ぐと、取り敢えずユキの刀に掛けるようにと渡してくれた。大人しく従えば、ぶわっふ、と何もされていないはずのおえんが声をあげる。ユキは小声で大丈夫、と耳打ちをすると、おえんは口を尖らせた。


「大丈夫だけど、いきなりなにすンだよう!」

「……そんなこと言っても」

「止めンじゃないぞ、ユキ。コイツからは妖術の臭いがぷんぷんしやがるからな──ちぇ、どんだけ契約してンだよ! コイツにゃあたしが妖刀だってことも分かってるはずだ! おい、コンニャロウ、どうなんだよッ」

「…………」

「おーい、おーい! むむむ?」


 騒ぐおえんに、だんまりの興長。

 ユキの視線に興長は肩をすくめると、おえんのいる辺りを見て、それから刀の方に視線を戻した。おえんは尚も騒ぐけれど興長は特に構うそぶりも見せない。

 ユキはしばし迷いながらも小さく尋ねた。


「……あの、変なことを聞きますけど」

「どうぞ」

「なにか見えているんでしょうか。聞こえてたり、とか」

「いいや、なにも」


興長はきっぱりと否定した。


「それでも、きみの持つそれが普通の刀でないことはわかるよ。なにも僕が特別というわけじゃない、それなりに妖術を齧って、それを生業にしていれば分かるものじゃないかな」

「……例えばですけど。この人もそうなんでしょうか」


ちらりと足元に伸びる男を見遣った。


「ううむ、それはどうだろうな。コイツには珍しくて凝った拵えの刀にしか見えていなかっただろうさ。言ったろう、それなりに妖術を齧っていれば、だからね」

「はあ……」

「コイツの技量は妖具を扱えるぐらいの、まあ一般的なところだろう。そう言う人の目には、少年がいやに高そうなものを持ってるなあ、くらいのもんさ。それはそれで問題だけど」


 ユキは興長を窺い見て、


「あなたの目にはどう映ってますか」


首を傾げた。おえんの姿は見えないと言うが、確かにおえんの存在自体は感じているのだ。時折走る視線もおえんの方を捉えている。そうさなあ、と興長は顎を撫でる。


「その刀が随分、気が荒そうだと言うのはよくわかるよ。それはそういう気の色をしている。きみも厄介なのに好かれたな。刀自体に妖術が掛かっている──のかな、見たことのないものだ。……僕がわかるのはそれくらいだね」

「なーんだ、話し相手が増えたと思ったのにヨ」


 おえんはつまらなさそうにすると、見えないことをいいことに「あっかんべぇ」と舌を出した。姿は見えずとも、なんとなくその態度は伝わったらしい。

 興長は苦笑しながら、手を軽く叩いた。


「楽しい話はまだ続けたいが、その前にコイツを片付けなくちゃいけないな」


言いながら、己の荷物から紐代わりになるものを引っ張り出すと、手早く物盗りを縛り上げていく。いやに手際が良い。


「こういうのは忘れないうちにやっておかないと」

「はあ……その、どうするんでしょうか。この人をここに置いていくのも、夜風は冷えますし、風邪をひいても困りますし……」

「ははは! 自分を襲った相手だぞ? 変な心配をする子だな、きみは。なに、治安警備隊に引き渡すだけだよ。第一、領主様のお膝元でこんなのをのさばらせるなんてな、彼らにもきちんと仕事をしてもらわなきゃだろう? 僕はこういうことには慣れているから任せてほしい」

「……お願いします」



 ユキはじっと物盗りの男を見た。おえんと手を繋いでいない今、彼を取り巻く縁はひとつも見えない。足元に転がる瓶は粉々に砕け、欠片は既に色を失っていた。


「そういえばこの男は妖具を持っていたな」

「妖具……」

「さっききみが壊したその瓶だ。妖術をかけた道具のこと──妖術が不得手でも気軽に使えるように加工された小道具だよ。きみも見たことはあるだろう? 電灯だとか、火起こし器だとかなら分かりやすいかな」

「それはわかります、けど」


ユキが怪訝に眉を顰めるのを見ると、興長はまた手を叩いた。癖なのかもしれない。


「なあきみ、申し訳ないが、このあと時間を貰いたい。この先に宿をとっているんだが、少し飯でもつまみながら話をさせてもらえないかな。無論、急ぐ旅路ならば無理強いはしない」

「飯! おい聞いたか、飯だってヨ!」


ユキの代わりにおえんが弾んだ声を上げた。


「飯だぞ、ユキ! これは乗るっきゃない誘いだぜ! 食えるうちに食う、寝れるうちに寝る、これが鉄則だ!」

「…………おえんは人間のご飯も食べられるんだっけ」

「おう! あたしは天下の妖刀様だぜ? さっきだって美味い木の実教えてやったろう」

「妖刀だから聞いたんだけど……そっか」


どん、と胸を張るおえんは、食事は趣味なのだと言い切った。一瞬、さぞ蔵の中はひもじかったろうと考えてしまったユキも、胸を撫で下ろす。


「それにユキ、ごはん以外にも理由はある」

「なに?」

「この縁はおまえの旅に必要になるってコト! なんてったって、コイツはそれなりの・・・・・妖術士なんだもの。斬る、見る、感じるの稽古にゃいいだろ」

「……そう、なのかな」

「まーまー、まずはついていこうぜ! コイツから悪意は感じねぇし、危険はないンじゃねェかナ。ま、あたしにも咄嗟の逃げ技はある」

「ホント?」

「ホント」


低い小声でボソボソと喋るユキの様子を、興長は興味深そうに眺めていた。ユキはしまったかな、と表情を硬くした。おえんが見えないのならば、かなり不審な姿だと遅く自覚する。


「すみません、独り言です」


やや強引かなと思ったが、やはりそのようで。


「まさか」


興長はくすりと笑った。ユキは感情を押し殺す練習はしてきたけれど、嘘をつくことには慣れていない。ユキが視線を彷徨わせるのを、困ったように興長は見ていた。


「凄いな、きみの妖刀は、持ち主と自由に意思疎通ができるのか。それはずっと?」

「…………はい」

「ははあ、実に面白いな。だけど、尚更その辺りの立ち回りも含めて話がしたくなったな。僕が思ったよりも、きみはあまりに真っさらな子のようだ」


 興長がユキに手を差し出した。握手だと一瞬遅れて悟って、慌てて両手で握り返す。


「改めて、食事に誘うわけだしね、自己紹介といこう。僕は興長モンド。勝手気ままな旅の妖術士だ。きみは?」

「俺は、剣士のカゲユキです。刀の方はおえんと言います」


ユキは咄嗟にそう名乗っていた。父の名と、自分の名。偽名にしてはあまりに単純だが、どちらも珍しい名前でもない。


「カゲユキにおえん、いい名前だね。ところで、きみの持っているそれは妖刀だろうに、剣だけでやっているのかい。妖術は使わないのかな」


「ずっと妖術なんて使ってたらユキの気力が保たねェヨ」とおえんが返す代わりに、ユキはゆっくりと頭を張ってみせた。


「……妖術を習ったことがないんです」

「それは失礼したな。きみの時間が許すなら、食事に付き合ってくれた礼に教えようか」

「はい。その、丁度、俺もあなたに聞きたいことがあるので」


ユキは頷いた。


「よし、ではカゲユキ。先に行っておいてくれ。コイツをしかる場所に届けて、日が落ちる頃までには戻るよ」


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