第9話 騎士様のお話を聞かせて?
食事の片づけまですっかり終わると、キャラバンの隊員たちは仮眠を取るために各々の天幕へと引っ込んでいった。
変身薬の効果も切れて元の首なしに戻ってしまったネリーも、とんがり帽子の中から特製シーツを取り出して、夕方からの砂漠渡りに備える。
砂漠の真昼間にお昼寝なんてこと、少々どころかだいぶ暑苦しくて、なかなかお昼寝に向いてくれない。
それを見越して持ってきた、ひんやり冷たくなるおまじないを刺繍した夏用のシーツ。これをかぶるだけで白砂に照りかえる砂漠の真昼間だろうと、紅蓮の熔岩煮えたぎる火山の火口だろうと、どこでだって気持ちよくお昼寝ができる代物だ。
ネリーはそのシーツを被って、いざ仮眠を取ろうとした……のだけれど。
ふと、頭の中にエルネストの顔が浮かんだ。
もふんと心持ち、ネリーの首からくゆる雲が、人の顔の形をとって。
ネリーは少しだけ逡巡すると、そっと天幕を抜け出した。
ネリーの天幕の隣に、エルネストの天幕がある。
こぢんまりとしたその天幕の入り口からそっと中を覗き込むと、甲冑の騎士様が窮屈そうに横になっていた。
ネリーがそっと近づこうとしたら――エルネストがガシャリと鎧を鳴らして起き上がってしまう。
「ネリーさん? 仮眠は取らないのですか」
【ふふっ、ちゃんと眠るわ! だけどね、エルネストさんに渡したいものがあって】
エルネストはまだ眠っていなかったみたい。
ネリーは雲の文字をくゆらせながら天幕の中に入ると、手に持っていたシーツをエルネストの鎧の上からかけてあげた。
「これは?」
【わたしお手製のひんやりシーツよ! 夏の寝苦しい夜は、これ一枚で解決しちゃう優れものなんだから!】
エルネストはガシャガシャとシーツの下で動くと、やがてその下から手甲がガシャリと出てきた。
それから素手でシーツに触れたエルネストが、ぴたりと動きを止めて。
「これはすごい……! さらさらとした手触り、ひんやりと心地よい温度……! 砂漠での生活に手放せなくなりますよ! ネリーさん、これを作ったのですか!?」
【んふっ、そんなに褒められちゃうと嬉しいわ! 嬉しいわ!】
頬に手を当てるような仕草をしながら、嬉しいと雲の文字を紡ぐネリー。
エルネストは暑苦しい甲冑の中でこの感動を噛みしめているみたい。ネリーはシーツに施された刺繍の部分を、その細い指先でなぞっていく。
【これはね、魔女のおまじないなの! 魔女ネリーは裁縫の魔女。妖精から紡いだ糸で魔法の文様を刺繍するのが得意なのよ!】
白色の布に水色の刺繍糸で飾られたシーツ。
これも魔女の力なのかと、エルネストは驚いたように息を呑んだ。
その様子に満足したネリーは、楽しそうに雲の文字をけぶらせる。
【このシーツ、エルネストさんにあげるわ! 素敵な夢を見られるように、おまけのおまじないもしてあるの】
「そんな、悪いです。これはネリーさんのでしょう?」
【いいのよ! エルネストさんにはこれからお世話になるし、それに、旦那様の安眠を守るのも奥さんの努めだって、物語に書いてあったわ!】
ネリーがすっかりエルネストの婚約者として振る舞うと、エルネストはいったいどうしたのか、ぐっと胸のあたりに手を当ててしまう。
【エルネストさん? どうかしたの?】
「……いいえ、なんでもありません」
【そう? 何か言いたいことがあったら言って頂戴ね! わたしったら、あまり男の人とお話したことってほとんどないものだから、緊張しちゃって他に何を話せばいいのかわからないもの!】
魔女の集落にくるような男性はキャラバンくらいなもので、それも年に数回しか訪れない。魔女の集落に引きこもっているネリーは男の人との共通の話題なんて見あたらないし、会話の切り口もひょっとしたらおかしかったりするのかも。
でもそんなネリーの気持ちなんてお見通しというように、エルネストが鎧の向こうで笑うような気配が伝わってきて。
ネリーがそっと耳を傾ければ、彼女の首から流れる雲が、エルネストの方へと流れていく。
「ネリーさん」
【なにかしら? なにかしら!】
「せっかくなので、一緒に仮眠を取りましょうか。このシーツは大きくて、俺が甲冑を脱げばネリーさんも入れますよ」
【それはいいわね! シーツは一枚しかなかったから、そうさせてもらえると嬉しいわ!】
それじゃぁ、とエルネストは鎧を脱ぎだした。ガシャリガシャリと鉄の音がして、一つ一つ、エルネストから鎧が剥がれていく。
【頭は外さないの?】
「これは……やめておきます。誰かがうっかり俺の顔を見てしまうかもしれませんから」
エルネストはそう言って、シーツをめくってネリーを促してくれた。
「どうぞ」
【お邪魔するわ!】
無防備にシーツに潜り込むネリー。
エルネストはそんなネリーごと、シーツにくるまってくれて。
【エルネストさん、狭くはなぁい?】
「平気ですよ」
【シーツが大きくても、そんな端っこではあんまり涼しくないのではないかしら?】
「そんなことはないですよ」
ネリーの言葉に、エルネストが適当に相槌を打つ。
それならいいわ、とネリーが眠るために寝心地の良い体勢を探っていれば、エルネストから柔らかい声が届く。
「ネリーさん、暑いですか?」
【ふふっ、大丈夫よ! なんだか楽しいわ! 子供の頃に戻ったみたい】
楽しそうに揺らぐネリーの雲の文字。
くすりとエルネストの忍び笑いが、甲冑の向こうから聞こえた。
ネリーは横になったまま、エルネストの方を向く。
寝る時でも甲冑を被っているエルネスト。
ふと、ネリーの首から不思議そうにゆらゆらと文字がけぶった。
【ねぇ、エルネストさんはどうしてドロテに呪いをかけられてしまったの?】
そういえば、エルネストはこれからどうしたいのかばかりで、自分のことはあまり話してくれていない。
さっき、ようやく彼の本心に近いところに触れたような気はしたけれど、それ以前に、どうしてエルネストがドロテに呪詛をかけられてしまったのかという話は、深く聞いていなかった。
寝入りばなの話題としてはあんまり好ましくはないけれど、ネリーの好奇心は気がつくと、するすると首から雲となって流れていってしまう。
エルネストがもう目を瞑っていれば、返事は返ってこないはず。
だからネリーは隠すこともできなくて、そのまま雲の文字をくゆらせていたけれど。
「……あまり、楽しい話ではないですよ?」
エルネストから応えがあった。
ネリーの雲の文字がそわそわと揺れている。
【気になるわ、気になるわ。魔女の婚礼でしか解けない呪いと聞いているけれど、どうしてエルネストさんにそんな呪いがかけられたのか、気になるわ!】
ネリーの文字はとても素直。
自分に正直すぎて、エルネストに嫌がられないかとも思ったけれど、彼は仰向いて訥々と話してくれた。
「もともとこの呪いは、私の妹を狙った呪詛だったんです」
エルネストとシャナルティン皇国の皇太子は、幼い頃から交流があり、エルネストの妹とも仲が良かった。
知的で決断力も行動力も持っていた彼女は、未だ婚約者のいない皇太子の、婚約者候補の筆頭とも噂されていたほどの人物。皇太子とはお互いに国のため、民のためにと同じ志を持つ同志のような間柄で、この二人が担う将来はきっと明るいものだろうと言われていたし、エルネストもその様を見ていたいと常日頃から思っていた。
けれどある日突然、皇太子がドロテを連れてきた。
我儘三昧、贅沢三昧。皇太子はドロテに魅入られて腑抜けてしまい、エルネストの妹はこれに激怒した。
国民の血税はお前のためのものではないと、ドロテに啖呵をきった。
「私の父も騎士なのですが、妹は私とその父から、ドロテの魔の手によって宮中がどんなひどい状態になっているのか、聞かされていましたから。彼女自身もドロテとはち合わないようにしていたのですが……」
皇太子には政敵が多い。
そのうちの誰かが隙をついたようで、ドロテとエルネストの妹が出会ってしまった瞬間があった。
エルネストの妹は苛烈な女性だった。悪を正して正義を貫く。騎士団の長であるエルネストの父のように、国を守る剣であろうとするような女性だった。
そんな彼女が、ドロテに対して何も行動を起こさないなんてことは有り得なくて。
「ドロテは当然、それが気に食わなかったのでしょう。呪詛を妹にかけようとしたので――ドロテの護衛として侍っていた私が、それを妨害しました」
近衛騎士であるエルネストの仕事は本来、皇族の護衛が主だ。けれど皇太子の命で、ドロテの護衛として選出されていた。ドロテの暴挙を諫めて職を追われるか、彼女の暴挙を見てみないふりをするかの二択しかない中で、エルネストがとった行動は当然のものだったのかもしれない。
自分の妹に危害が加えられるのを、みすみす見逃すような人ではなかった。
「ドロテは妹に対して、女性としての自信というものを奪いたかったようです。なので醜くなるような呪いをかけようとしていたようで……私の妨害に憤慨したドロテは、その呪詛を私にかけ、なおかつ、魔女の婚礼でしか解呪不可の制限をかけたのです」
静かなエルネストの声は、ただありのままの事実を話しているだけ。
それなのに、ネリーの中には言葉にできないもどかしさが浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。
泡沫のように儚い気持ちをかき集めて生まれたネリーの雲は、優しい文字を形作った。
【エルネストさんって、素敵な人ね】
「そんなことありませんよ」
【いいえ。誰かのために何かができる人って、素敵だわ。ドロテの呪詛に立ち向かえるような勇気がある、立派な人よ。ちっとも弱くなんてないわ】
ネリーは覚えていた。
エルネストが昼間、ネリーにほんの少しの本心を吐露してくれた時、彼が自分のことを我儘で情けない人間だと言っていたこと。
だけど、そんなことはなくて。
むしろエルネストは、一番難しいことを、躊躇なくできるような、そんな人。
そんな立派な人が。
【わたし、エルネストさんが来てくれて嬉しいわ! わたしの理想の騎士様。強くて、誰かのために行動できて、とっても優しいのよ。なんて素敵なのかしら! なんて素敵な旦那様なのかしら!】
ぷかりぷかりと跳ねるように紡がれていく雲の文字。
エルネストがその文字を見たのか見ていないのかは分からない。だって返事が、なかったから。
エルネストがごろりと寝返りをうつ。ネリーに背を向けてしまった。ネリーもごろりと寝返りをうつ。エルネストの背中と同じ方を向く。
「ネリーさん、そろそろ眠りましょう。話し込みすぎました」
【そうね! おやすみなさい、エルネストさん!】
ネリーの文字は届かない。
だけど、ネリーもまた気がつかない。
甲冑の中でエルネストの頬が恥ずかしそうに染まっていたことを知るのは、誰もいなかった。
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