第10話 魔女は嫌われものなのかしら。

 空を飛ぶエニシダの杖は、とても役に立った。

 やっぱり魔女のネリーにとって、白夜砂漠の旅は簡単なものではなかったから。


 さすがは魔女の呪いでできた砂漠なのか、白砂を踏みしめるたびに、ネリーには怨嗟の声の欠片が届くことがあった。

 それは三百年前、魔女狩りで殺されていった同胞たちの声なのかもしれない。

 どうして、どうして、と嘆きの声が聞こえるたび、ネリーの胸は息苦しくなって、涙で溢れかえりそうになった。


 ラァラたち集落の魔女は、白夜砂漠を渡れないって言っていた。彼女たちがここを歩いたら、この声がもっとはっきり聞こえるのかもしれない。この声のことについてエルネストやジーニアスに聞いてみたけれど、二人には聞こえないようだから、魔女特有のものみたいだった。

 ラァラがエニシダの杖を持っていけと言ってくれなかったら、ネリーは体力以前に、心まですり減ってしまっていたかもしれない。それくらい、魔女が白夜砂漠を渡るのは大変だった。


 そんなネリーと対象的に、キャラバンは慣れたもので、炎天の日差しを避けて、時折風で巻き上がる白砂を吸い込まないようにストールをしっかり抑え、砂漠を渡っていく。

 それでも、オアシスも植物も何もないこの白夜砂漠での約二十日間の旅路は、普通の砂漠渡りなんかよりもよっぽど過酷なものに変わりなかった。






 シャナルティン皇国にほど近い場所まで来ると、段々と白砂に枯れ木のような茶色いものが混じり始めた。純粋な土の色。経年により錆びて赤くなる、きめ細やかな鉱物の流砂。これが自然本来の土の色で、三百年経っても雪のように白い白夜砂漠こそが異質なものであることがうかがい知れる。

 その頃にはキャラバンにつまれていたたっぷりの水も食糧も底を尽きかけていて、慣れないネリーははらはらとしてしまった。彼女が持つ、井戸の妖精が住む水筒や、とんがり帽子につめこんでいたおやつ用の瑞々しい果物を分け与えたくなった。その度にジーニアスが「余計なことをすんな」とネリーに怒ってしょんぼりとしてしまうので、エルネストがそんな彼女を慰めてくれた。


 そんな一幕があったものの、ジーニアスのキャラバンのまとめっぷりは見事なもので、その旅程の計算から食料備蓄の逆算まで完璧だった。

 白夜砂漠を抜けて皇国の関所が見えれば、キャラバンのぴりぴりとした空気もようやく緩む。この時にはもう食糧は底をついていたから、今日中に関所を越えることができなければ、ネリーは一晩、お腹を空かせて過ごすことになるところだった。


【これが関所なのね! とっても大きな石の壁だわ! こんな石、どこから切り出したのかしら? 皇国には魔女がいないんでしょう?】


 白夜砂漠を越えたところで、ネリーはエニシダの杖に乗って空を飛ぶのをやめた。ジーニアスから魔女だと知られないようにしろと司令がくだったので、関所が見えて来たらラァラの変身薬で頭を作った。ちなみに作った頭はラァラの顔だ。ドロテの顔にしようとしたら、ジーニアスにやめておけと止められてしまったから。

 ラァラの顔をしたネリーの唇から、もわとわと煙が伸びていく。ジーニアスは無言でキャラバンの積荷にあった煙管をネリーに持たせた。これなら口から煙が出ていても、怪しまれない、はず?

 細くたなびくネリーの雲の文字を読んだエルネストがその隣を歩きながら、この壁の成り立ちを教えてくれた。


「これは白夜砂漠ができたあとに作られたものです。この石は、皇国の西にある鉱山地帯から切り出したものだと聞いています」

【西の鉱山といったら、グラナイト鉱山?】

「よく知っていますね。そうです、そこからですよ」

【まぁまぁ! すごいわ! でもどうやって? こんな大きな岩、どうやったらそんな遠い場所から運べるの? ゴーレムにして歩いてもらったの?】

「皇国に魔女はいねぇよ。丸太だ。丸太の上を転がして運んだって伝わっているぞ」


 ネリーとエルネストの会話にジーニアスが割り込んできて、ネリーに答えを教えてくれた。ネリーは【頭がいいのねぇ】と、人間の素晴らしい叡智に感心してうなずく。

 顔ができたぶん、少しだけネリーの仕草に人間味が戻ってきた。相変わらず表情は変わらないけれど、相づちがあるのとないのでは、全然違う。

 ジーニアスが、ネリーにそろそろ話すのをやめて、口を閉じるようにと伝えた。煙を出さないようにうつむかせて、ローブとストールをしっかりと装備させられる。

 首なし魔女・ネリー。

 とうとうキャラバンとともに、二十日もの砂漠渡りを乗り越えて。

 ドロテが好き放題しているという、シャナルティン皇国へとたどり着いた。



 ❖❖❖



 キャラバンを代表して、ジーニアスが関所で入国の手続きを行ってくれた。しれっとキャラバンの隊員として増えているネリーのこともうまく誤魔化してくれたようで、一行はすんなりと関所を越えることができた。

 物語だったら、ここでひと悶着あるのだわ! と身構えていたネリーだけれど、そんなことはとんと無く、平和に関所を越えてしまう。

 ちょっと不満なネリーだったけれど、関所の門を越えてしまえば、そんなのもう、気にならなくなってしまって。


 人、人、人。

 見渡す限り人だらけ!

 魔女の集落のぽつぽつとした家の並びが間延びしているように見えるほど、建物がきっちりかっちりお行儀よく整列している。整備された舗道はとても歩きやすくて、ひょっこりこんにちはしている木の根に蹴躓いて転ぶこともない。

 ネリーの胸にひそんでいたときめきが、むくりと顔をのぞかせる。今にも走り出して、あちらこちらと歩き回ってみたくなる。

 ネリーがそわそわとしている間にも、ジーニアスは慣れた足取りで街並みを通り過ぎ、一つの大きな建物の前で足を止めた。宿屋らしいそこは、馬やラクダを預かってくれる厩舎もあって、ジーニアスはそこでさっさと宿の手配まで済ましてしまった。砂漠渡りでくたくたのキャラバンは行きつけのその宿を貸し切って、その日はゆっくりと羽を休めることとなったのだけれど。


 鮮度が命の商人は休むという文字を知らないかのかもしれない。

 数日はここで休むと言っていたジーニアスの言葉は仮初めだったのか、翌朝早々に市場へと散って行ってしまった。

 ネリーがゆっくりと久々にふかふかのお布団を贅沢に味わい尽くした頃には、すっかりとお天道さまも真上に来てしまっていた。部屋に引きこもっているのも退屈なので、まだ部屋にいたエルネストに声をかけたネリーは、彼と一緒に町並みをゆっくりと見て回ることにした。

 ネリーは変身薬でラァラの顔を作って、ジーニアスにもらった小道具の煙管を持つ。それだけで煙草を嗜む貴婦人になれる。あとはあまり雲の文字を目立たせないように無心になることだけが、ネリーの試練だった。


「大丈夫ですか」


 石畳の歩道をガシャガシャと鎧を鳴らして歩きながら、エルネストがネリーに気遣ってくれる。

 魔法薬で作った顔のネリーは微笑むことができなかったけれど、浅くうなずきを返すことで【大丈夫よ】と伝えることができた。身振り手振りって、とっても大事。


 関所の街はとても賑わっていた。白夜砂漠だけではなく、東側に隣国へと続く街道が伸びているこの街は、交易の街として盛んなのだとエルネストが教えてくれた。交易品で物資が潤うおかげか、建物がしっかりと構えられている店の窓を覗けば、豊富な品揃いが目白押しで、ネリーはついついお店の中にまで入りたくなってしまう。


 ふらふらと歩くネリーがはぐれないように、その後ろをぴったりとついていくエルネスト。ネリーは気づいていないけれど、こんなにも人通りが多い中で彼女がすいすいと真っ直ぐ歩けるのは、フルフェイスの全身鎧が悪目立ちしているからだったり。

 全身鎧の護衛を連れ、煙草をくゆらせて歩く貴婦人の噂を風が運び、あっという間に賑やかな街中で広がっていく。

 そんなことはつゆ知らず、ネリーはふとショーウインドウじゃない、煉瓦造りの壁の前で歩みを止めた。

 とってもよく知っている人の人相書きが、煉瓦造りの壁にべたりと貼られている。

 その文字をしっかりと読もうとして――銀色の手甲がその張り紙を隠してしまった。

 ネリーの口から、控えめに文字がくゆる。


【エルネストさん、読めないわ】

「読む必要はありません。あまり、良いものではありませんから」

【そうね。これ、魔女の手配書だもの。しかも、お師匠様のお顔ではないかしら?】


 ネリーが見つけたのは、ネルテの顔が書かれた手配書。

 紡いだばかりの真白な絹のように白い髪に、紅玉ルビーを嵌め込んだような赤い瞳。

 まさしくそれは、ネリーの記憶にある、ネルテの顔。


“災厄の魔女ネルテ”

“魔女は不老長寿”

“忘れるな、三百年前の悲劇を!”

“魔女を断罪せよ”


 少し読んだだけでも、シャナルティン皇国において魔女がどういうものなのか、悲しいことに分かってしまう。

 ネリーの口から、弱々しく、雲の文字がこぼれ出る。


【魔女は嫌われているのね。ラァラたちが、ドロテを追いかけようとしたわたしを止めた理由が、よく分かるわ】


 二年前、ドロテに首を取られてしまったネリーは、すぐに彼女を追いかけて白夜砂漠を越えようとした。

 だけどそんなネリーを引き止めたのは、他でもない、魔女の集落に住む魔女たちで。

 一人で白夜砂漠を越えてはいけないと、何度も何度も説得された。

 白夜砂漠の向こうは何が起きるかわからない。ここなら守ってあげられるけれど、向こうの世界では魔女の魔法も届かない。まだその時ではないと、何度も、何度も。

 だからネリーは二年もの間、首なしのまま、魔女の集落で過ごしていた。


【三百年前って、魔女狩りの時代でしょう? 一体何を、皇国の人は怖がっているの? お師匠様はもう、死んでしまっているのに……】

「……あまり、魔女であるネリーさんにお聞かせしたくはないんですが」


 ネリーが作り物の顔をあげれば、エルネストも手配書から手を離す。

 銀色のバイザーがネリーを見下ろした。


「この手配書は惰性でしかありません。平和な国を維持するための必要な悪、共通する敵として存在するだけのものなのです。今はもう、一部の過激派をのぞけば、魔女への偏見はもうほとんどないんですよ」


 そう呟いたエルネストが、そっとネリーへと手を差し伸べる。


「市場を見てみましょう。ネリーさんへの答えが、そこにありますから」


 差し伸べられた手に、ネリーが戸惑いながら自分の手を重ねると、エルネストがその手を引いてゆっくりと歩き出した。

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