第8話 お姉さんったら、いけないわ!

 ゆらゆらと元気に暴露したネリーの雲の文字が漂う。

 三者三様の面持ちで止まってしまった時間を動かしたのは、カイニスをよく知る、ジーニアスだった。


「……なぜドロテはカイニスを探していた?」


 ジーニアスいわく、カイニスが彼のキャラバンにいたのは、もう二十年近くも前の話だそう。

 カイニスの父親がもともとジーニアスと取引のある商人で、その伝手でカイニスはキャラバンに入隊した。

 始めての砂漠渡りでドロテの母であるネルテと運命的な恋に落ち、情熱的な求婚を重ね、やがて折れたネルテと魔女の婚礼を挙げた彼は、ネリーを拾った張本人でもあって。


「ちょうどネリーを拾った後だったな。カイニスが姿を消したのは。砂漠のど真ん中で、飾り羽ラクダを一匹連れて、姿を消した。その後の行方は、誰も知らん」


 当時を思い出すかのように訥々と話すジーニアスは、食事の気分ではなくなってしまったのかもしれない。手に持っている食べかけの薄いパンを、持て余しているようだった。


「ドロテにとって……まぁネリーもそうだが、父親というのは名前だけの存在だった。気持ち的には一度も会ったことのない、赤の他人も同然だ。そんなやつを、どうしてドロテは探していたんだ?」

「……理由に関して、ドロテは話したがりませんでしたから、分かりません。カイニスが彼女の父親だということも初耳です」

「そうか……はぁ〜、あのお転婆娘、まったく何やってんだか」


 これまでのドロテからは考えつかなかった出来事。

 顔に手を当て天を仰ぐジーニアスの肩を、ネリーはぽんぽんと叩いた。ジーニアスが視線をネリーに落としてくれる。


「どうした?」

【お姉さん、寂しくなっちゃったのかもね? お師匠様が死んじゃってから、荒れてたもの】

「あのクソガキが寂しいとか思うタマか? ……あー、すまん、すまんかった。ネリー。別に悪口じゃない。悪口じゃないから、背中を殴らんでくれ。地味に痛い」


 【悪口はだめよ!】と、もくもく雲の文字を紡ぎながら、ぽかぽかとジーニアスの背中を叩くネリー。ラァラの肩たたきでで鍛えられたネリーの腕はそこそこの威力をジーニアスに与えたようで、彼はしかめっ面になる。


「あー……ドロテが魔女の集落を飛び出した理由は、なんとなく分かったということにしておこう。だが解せんことがもう一つ。その流れで、なぜドロテが皇太子の寵姫になった?」


 ネリーがジーニアスの背中を叩くのをやめて、ひょっこりとその影から顔をのぞかせる。エルネストはネリーと視線が合った気がしたけれど、はりぼての顔は瞬き一つもしないで、どこを見ているのかも分からない。虚無を見るネリーの真顔はちょっと怖かった。

 こほんと兜越しに咳払いをして、エルネストはジーニアスの疑問に答える。


「それが私にも不思議なのです。最初、主君は……その、あまり良いことではありませんが、ドロテを身内に取り込もうとしたのです。その髪の特別さを、よく知っておられますから。それがいつの間にか……」

木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになったわけか」


 エルネストが濁した言葉を、ジーニアスが引き継いだ。

 男二人で深刻な面持ちで顔を突き合わせていると、ネリーがはいはい! と大きく挙手をして、主張する。


【ねえ、エルネストさん。髪が欲しいのならあげるわ。私の髪、たっぷりと伸ばしていたもの! でも、なにに利用するというの?】


 いまいち分かっていないらしいネリーの的はずれな言葉。ちょっと毒素を抜かれてしまったようで、エルネストの空気が和らいだ。とはいえ、あまり話したいことでもなかったようで、少し口が重たそう。


「……髪ではなく、その血が欲しかったのです。亡国の姫君と謳えば、世論は主君に傾き、皇位継承権を目論む一派の牽制もできますから」

「皇家のお家騒動はもはや名物だな」


 呆れたようにそうぼやいたジーニアスに、エルネストも兜の裏で苦笑しながら同意した。

 対するネリーの方はというと、たいへん困った様子で偽物の頬に手をあてている。


【どうしましょう? わたしったら亡国のお姫様なんかじゃないし、エルネストさんのお嫁さんになるのよ! 皇子様となんて添い遂げられないわ!】

「いや、突っ込むところはそこじゃねぇ」


 ネリーの主張の激しい煙の文字に、ジーニアスが的確に突っ込みを入れた。しかも裏手拳つきで、ノリがとっても良い。

 そんなジーニアスとネリーの、ゆるゆるとしたやりとりを見ながら、エルネストが控えめにネリーへと尋ねる。


「その……その顔は、本当なら、ネリーさんの顔、なんですよね?」

【そうねぇ。わたしはわたしの顔を作ったつもりだったのだけれど、うっかりお姉さんの顔を作ってしまったのかしら?】

「いいや、その顔は間違いなくネリーだ」


 ネリーの不思議そうな文字を遮るようにジーニアスが手で雲を払い、否定する。

 間違いなく、ネリーの顔であると断言したジーニアスに、エルネストは重々うなずいた。

 つまり、現状。

 考えられるとっても最悪の事態は。


「ドロテが、ネリーさんの顔を使っている……?」

「そういうことだ」

「では、ドロテの首は、今どこに」


 ゴールに向かっていたはずが、振り出しに戻ってしまったような気がして、三人の間に長い沈黙がおとずれた。






 考えても、見ていないものについて頭を悩ませるのは至極難しい。

 ジーニアスは懐中時計を覗き込んでそろそろ太陽が炎天にかかる頃だと言い、食事の手を進め始めた。エルネストにも片づけるからさっさと食えと言いおいて、ジーニアスは黙々と食事を再開する。

 エルネストはおもむろに二人に背を向けた。

 慣れた手つきで頭の兜を取り外していくと、銀色の兜の下から、短く刈りあげたお日様のような眩しい金髪が現れて。

 普段エルネストは、皆が片づけを始める頃に天幕に一人で入って、かきこむように食事を摂っていた。今もひとくち、ふたくち、みくちで、パンをまるっと飲み込んでしまう。

 その姿を見たネリーが、たまらずといったようにエルネストの後ろにそろそろと近づいた。

 ジーニアスは呆れたようにそれを見ている。


「ネリーさん?」

【まぁ! 分かるの?】

「あの、なんで近づいてくるんですか……?」


 噛み合わない会話は、エルネストが背後を振り返ってネリーの文字を読めないから。

 ネリーの文字がもくもくと【よく噛んで食べないとだめよ!】と主張しているけれど、エルネストはもぞもぞと居心地悪そうに食事を摂る。

 まるで主人の食事を邪魔する、猫のような仕草のネリー。

 ジーニアスはこのままだとエルネストが落ち着いて食事ができないと思い、ネリーの首ねっこを引っ掴んだ。ネリーの悲鳴が雲になって噴出してしまう。


【きゃあっ! ひどいわ、ひどいわジーニアス! 声くらいかけてもいいでしょう?】

「お前がそれを言うか。今の状況、そっくりそのままエルネストに当てはめろ」


 襟を掴まれてじたばたしていたネリーがハッとしたように動きを止めた。しょんもりと肩を落とす。


【そうね……そうね……ごめんなさい、エルネストさん……】

「いえ、大丈夫です。あの、なにか御用があったからでは?」


 ジーニアスがネリーを捕まえたほんの少しの時間で、エルネストはすっかり食事を終えてしまったらしい。

 しっかりと兜を装着し直して振り返ったエルネストに、しょんもりとしたネリーの謝罪の文字がかかる。


「お前の早食いが気になったんだと。ゆっくりとよく噛んで食べろってな」

「……それだけですか?」

「そう、それだけ」


 エルネストが肩を落として項垂れているネリーを見た。

 それから肩を震わせて。

 ネリーが顔をあげるのと、エルネストからくぐもった笑い声が聞こえたのは、同時だった。


【まぁ。どうして笑っているの、エルネストさん!】

「いえ……いえ。ネリーさんと一緒にいるのは、楽しいなと」

【まぁ、まぁ! 楽しいのは良いことよ! でも、どうして? そんなに楽しいことはなかったでしょう? なかったわよね??】


 無表情のはりぼて頭を傾げるネリー。

 エルネストはくつくつと喉の奥を鳴らして、笑ったまま。


「ネリーさんはそのままでいてください。それだけで、俺が勝手に楽しくなるだけなので」

【謎かけ? 謎かけなの?】

「あー、てめぇらいい加減、食器を片づけさせろ。当番のやつが皿の回収に来てるぞ」


 ジーニアスが天幕の入り口を指差せば、控えめにこちらを覗いている食事当番の男性がそこにいて。

 エルネストは慌てて皿とマグカップをまとめると、そのまま片づけの手伝いをするために天幕を出て行ってしまう。

 残されたネリーはジーニアスを見上げて。


【エルネストさんったら、とっても変な人ね? 何があんなに楽しかったのかしら?】

「お前のほうがよっぽど変だわ、首なし娘」


 疑問符を浮かべているネリーに、ジーニアスがやれやれだと、匙を投げた。

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