第24話 騎士様の花嫁はわたしだけ。

 エルネストと別れ、果てしなく遠い白夜砂漠を越え、出迎えてくれたラァラたち集落の魔女におかえりと労ってもらった後。

 二年ぶりに首を取り戻したネリーは、くるりくるりと表情を変えながら、騒がしくて忙しい日々を送っていた。


 ネリーが魔女の集落に帰ってきて真っ先にやったことは、小瓶に詰めたドロテをラァラに渡すことだった。

 先にお届けされていたドロテの首は、ラァラによって秘密の場所に隠されていた。こっそりその隠し場所をネリーは教えてもらったのだけれど、なんとウツボユメカズラのお腹の中なんだとか。ウツボユメカズラの消化液で溶けないようにおまじないをしたとはいえ、ラァラも大胆なことをするわね! とネリーは大笑い。


 そのドロテだけれど。

 散々人に迷惑をかけたドロテはラァラに叱られ、罰として呪詛をかけられた。

 その罰とは、ドロテがこれまで呪詛をかけた人と時間の分だけ、同じ呪詛をかけられるというもの。ある意味呪詛返しのようなものだけれど、本当の呪詛返しはネリーが全て解呪してしまった。なので因果関係を読み解くのが得意な巡合の魔女スティラが、ドロテの過去を見通して呪詛という名の枷を与えた。

 当然、その時にドロテは魔女の力も封じられたから、呪詛返しなんてできなくて。ちょうどいいからとまず二年、ネリーと同じ首なし生活が始まった。ドロテの悪道はこの一年ほどとはいえ、人数がそこそこいたので、もしかしたら百年くらいは呪詛の追体験が続くかもしれませんね、とスティラは困った子を見るようにドロテに呪詛をかけていた。

 その上、最近では慈善奉仕という名目でそれぞれの魔女たちのにこき使われている。内心を隠してはくれない雲の文字が、真正直に不満だと主張してけぶるたびに、年長の魔女たちからながーい説法を受けているのを、ネリーはよく見かけた。


 ドロテが帰ってきてからは、二年間平和だった魔女の集落もてんやわんや。

 毎日なにかしら面倒事の中心にいるドロテに、ようやくネルテが生きていた頃の活気が集落の中に戻ってきたみたい。


 ネリーはそんな集落の端っこにある小さな自分の工房で、純白の反物にちくちくと色とりどりの刺繍糸を縫いつける毎日。

 今日も今日とて、心をこめて丁寧に一針ずつ縫う彼女のもとへ、お客さまがやってきた。


「よぉ、ネリー。どんな感じだ?」

「今日はこの冬最後の冷えこみとなるでしょう。ひざ掛けとケープはちゃんと身につけましょうね」

「ラァラ、スティラ!」


 ネリーの工房は、たくさんの糸を紡ぐ蚕の妖精と、彼らを染めるための染花の植木で溢れている。工房の真ん中には機織り機。その機織り機から少し離れたところに揺り椅子とサイドテーブルが置かれていて、ネリーはその揺り椅子で刺繍をしていた。

 ネリーは手に持っていたものをテーブルの上に置くと、遊びに来た二人を大歓迎する。


「刺繍はね、もうちょっとで完成するわ! ねぇスティラ、それじゃあ今夜が最後のオーロラの日になるのかしら?」

「そうですね。今晩は冬の澄んだ空気が夜空をより一層見通しやすくしてくれます。晴れますから、きっとオーロラも見えるでしょう」

「まぁ! それじゃあ、今日は刺繍なんてしている場合じゃないわね!」


 スティラが床にまでつきそうなくらい長い銀色の三つ編みを揺らしながら微笑むと、ネリーは手を叩いて喜んだ。いそいそと刺繍針を道具箱の中へ片づけはじめ、今日の作業を終えようとする。

 そんなネリーの側へと歩み寄ったラァラが、まだ刺繍途中の生地を手にとって、その出来を眺めた。


「いつ見ても良い糸だな。ちゃんと蚕の精の喜楽の感情で紡いである。蔦の婆さんはまぁ良かったが、ネルテは蚕の精の選別に苦労してたなぁ」

「ふふっ、お師匠様ったら細かい作業は苦手だったものね!」

「ドロテがそのあたりを継いでいるあたり、血は争えません」


 ラァラがネルテの花嫁衣装を思い出しながらしみじみと呟くと、スティラもおっとりと微笑みながら母子の不器用さを指摘する。

 ネリーは楽しそうに笑って道具を片付けると、刺繍していたものは工房の隅にあるトルソーへとかけた。


 トルソーに着せて贅沢にドレープを波打たせても、床にたっぷりと広がっていく純白のドレス。

 その首の位置にかけられたのは、ネリーが今まで刺繍していたウェディングベールだ。

 冬にしか採れない雪綿花ゆきめんかからできたオーガンジーはとても軽やかで透明感がある。それに染花を食べさせて色づいた蚕の妖精から採った彩り豊かな刺繍糸で、ネリーは華やかな花の刺繍を細々と縫いつけていた。


「婚礼の用のまじないはどこに縫ったんだ?」

「ちゃんとあるわ? ここよ」


 ネリーはあられもなくドレスの裾をぺろりんと捲る。

 その下に隠れていたボリュームたっぷりのペチコートに、これでもかと言わんばかりに緻密な刺繍がぎっしりと縫いつけられているのを見せつけられ、ラァラは絶句した。


「おま……っ! どこに縫いつけてもいいからってこれは蚕が可哀想だろ!? こんなぎちぎちじゃあ、蚕の妖精が泣かないか!?」

「そんなことないわ! ちゃんと楽しそうよ?」

「本当ですね。みちっとしているのが嬉しそう」


 ラァラがネリーのドレスの秘密を知ってしまって嘆くけれど、ネリーはとんと気にしない。スティラも紡がれた糸から蚕の妖精がおしくらまんじゅうを楽しんでいる様子を読み取って、微妙な顔になっている。楽しいと嬉しいがつまった蚕の妖精の糸には、窮屈という概念はないみたい。

 その後、ネリーはすっかり道具を片づけてしまうと、手持ち無沙汰になって機織り機の椅子に座っているラァラと、ネリーが育てている蚕たちを眺めているスティラに声をかけた。


「ラァラ、スティラ、お茶にしましょう。椅子をもう一つ、用意するわね」


 ネリーはそう言うと、工房から出て、住居の方から椅子を取ってこようとする。

 それを静止したのはラァラだ。


「あー、いい。あいつらに持ってこさせる。最近はドロテに仕事をさせていたから、暇を持て余して日和始めてやがるからな。扱き使ってやらないと」


 そうぼやいたラァラが指笛をふいた。

 ピュイッと響いた指笛の音に、どこからともなくクチナシネズミがわらわらとあふれてきた。

 ガーデニアの花で染めたような淡い黄色い体毛に、その名の通り口を閉じてしまうと毛に隠れて口がないように見えるネズミたちは、ラァラの使役獣。

 とっても賢くて、今もラァラから「椅子を取ってこい」と命令がくだされると、ちうちう鳴きながら一目散に何処かを目指して走っていった。

 そうしてしばらくもしないうちに、ネズミたちがネリーの家の住居スペースら持ち出してきた椅子を一脚、ラァラに献上してしまう。ラァラは満足そうに彼らの頭を撫でてねぎらった。


「よーし、よくできた。後でミントを一株やるよ」


 クチナシネズミたちがラァラからのご褒美に喜んだ。

 ネリーはそれに笑顔を向けながら、お茶の用意をしていく。

 工房の隅にある小さな暖炉。今年は冬の間中、蚕の妖精と染花の植木鉢のために火が灯してあって、その暖炉の火で湯を沸かすと、ネリーはたっぷりの言霊茶を淹れた。


「さぁ、おいしいお茶を召しあがれ!」

「言霊茶か、いいな」

「お茶菓子もいりますよね?」


 ラァラが機織り機の椅子をテーブルの方まで持ってくる。ネリーがお茶を振る舞いながらスティラを揺り椅子に座らせると、スティラはそう言ってラァラの使役獣ネズミを見た。

 ラァラは肩をすくめると、クチナシネズミたちに命令してお菓子を持ってこさせる。

 ネリーの小さなサイドテーブルにはティーカップが三つも並ぶとぎゅうぎゅうだ。置き場所がないわ、とネリーが首をひねっていると、ガーデニア色のネズミたちが持ってきたのは小瓶に詰められた彩り豊かなマカロンボーロで。


「あっ、それあたしの隠してたやつ……! くっそ、そうくるか……!」

「ラァラ秘蔵のお菓子だそうですよ、ネリー」

「とっても可愛いわ! ところでお菓子は食べてもいいやつ?」


 ラァラが目をそらした。

 ラァラは秘薬の魔女。彼女の薬はとっても不思議で効果抜群なのだけれど、たまにその能力をお菓子にも発揮するものだから、ラァラの持ってくるお菓子は油断したらいけない。案の定、このお菓子も普通のお菓子じゃないみたい。

 結局、色とりどりのマカロンボーロの瓶は飾りとしてテーブルにちょこんと立つことに。パッと視界が華やかになったので花瓶の代わりにちょうどいいかもしれないわね、と三人で笑い合う。

 ネリーはクチナシネズミの持ってきてくれた椅子に座ると言霊茶を堪能した。ネリーが味わう言霊茶はとっても美味しいけど、ちょっぴり渋い。昔、育て親であるネルテがお茶会で振る舞ってくれた味。

 しばらくそれぞれがお茶の香りと風味を味わっていると、巡合の魔女スティラが言霊茶の香りを優雅にくゆらせながら、ぽつりとささやく。


「ネリー。わたくし、貴女に聞いてみたいことがあったのですよ」

「なぁに、スティラ?」

「エルネストが貴女の運命だと占ったのはわたくしだけれど、貴女は彼のどこに惹かれたのでしょう」


 スティラの不思議な問いに、ネリーはぱちぱちと瞬いた。それから大きな満月の瞳が、みるみるうちにきらきらと輝きだして。


「聞いて頂戴! エルネストさんの素敵なところはいっぱいあるわ! まずね、ラァラの言った通りとってもハンサムなお顔をしていたのよ!」


 頬杖をついていたラァラの首がガクッとずり落ちたけれど、ネリーはそんなことお構いなしに、とめどない川の流れのように滔々と語り始める。ずっとずっと、誰かに話したくてたまらなかったから。


「いっぱいお手伝いしてくれるし、気が効くし。とってもかっこいいの。物語の王子様みたいだわ。紳士的で、素敵な約束をたくさんしてくれる。……まぁ、その約束は、まだ果たされていないし、ちょっとだけ遠慮がちで、頼りないときもあるのだけれどね?」


 でもその約束だって、これからの未来で果たしていくものだし、頼りないところがあったって、その分ネリーが補えばいいと思ってる。エルネストのために何かできることがあるのが、ネリーは嬉しい。

 それに、なにより。


「かばってくれたのよ。首がないわたしを、化け物じゃないって否定してくれたの」


 あの言葉が、一番嬉しかった。

 お互いの目的のために婚礼をあげることを決めたけれど、ネリーは魔女の集落に住んでいるし、エルネストは皇国の人だ。幸せにしてくれると言っても、婚礼をあげた後は疎遠になってしまうんじゃないかしらとも思っていた。

 だけど、あの瞬間。

 エルネストはネリーのために怒ってくれる人なんだと知った瞬間に、彼は本当にネリーを幸せにしてくれる人だと思った。

 想って、しまったから。


 優しい乙女の表情で、はにかむネリー。

 スティラもラァラも、そんな彼女を温かい表情で見守る。


「幸せにおなりなさいな」

「愛想を尽かしたらいつでも戻ってこい」

「ありがとう、スティラ、ラァラ!」


 今夜はこの冬最後のオーロラの日。

 オーロラの露をそそいだ青薔薇が咲く日も、きっともうすぐそこ。

 春になれば、ネリーは再び、魔女の集落を旅立つ。

 逢いたい人に、逢うために。

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