閑話 傾国の魔女の旅路

 魔女ドロテの気分は最悪だった。

 せっかく魔女の集落から外の世界へ飛び出したというのに、大嫌いな妹弟子の手によって、瓶に詰められた虫のごとく、輸送されているから。


 ネリーの動きに合わせて跳ねる小瓶の中でバウンドしながら、ドロテは走馬灯のように、集落を飛び出してからのことを思い返した。







 ドロテが白夜砂漠を越え、関所も越えて、真新しい世界で見つけたものは、自分の母親から始まった、魔女と皇国の確執だった。

 ドロテの母親であり、箒星の魔女と呼ばれるネルテは、シャナルティン皇国にとって、大罪人。

 三百年前の魔女狩りを引き起こした張本人。

 皇国の昔語りでは、皇太子を誘惑して、国を混乱の坩堝に招き入れた災厄の魔女だと語られる。


 今でも皇国では、魔女ネルテの人相書きが出回ってるくらい。魔女が人間の理から外れた化け物で、不老長寿だってことを知っている奴らが、魔女よりちっぽけな命のくせして、子、孫、ひ孫と命をつなぎ、三百年経ってもうようよいた。


 ドロテの顔は、ネルテそっくり。

 この風潮のせいか、白夜砂漠を越えてからは散々だった。

 何も知らないドロテは、行く先々でネルテを捕まえて国に報奨金を貰おうとする馬鹿や、「魔女の血を飲めば不老不死になれる」だのと言って切り刻もうとする愚か共に痛い目にあわされた。当然そんな奴ら、ドロテの手にかかれば、呪詛の一つで三倍返しにしてやれたから、いいのだけれど。


 そんな目にあって、ネルテの手配書を見つけ、ようやくこの顔が原因だって分かったドロテは、考えた。

 呪詛の素質ばかりが特化してしまったドロテでは、ラァラのばばあの魔法薬なしじゃあ、変化の術は大して使えない。

 悩んた末に思いついたのが、魔女の集落を出る前、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーーーーーーっと気に食わなかった、大嫌いな妹弟子の頭を使うことだった。


 この首は本当なら、魔女の集落よりずいぶん遠く離れたところにあるという海の中に沈めて捨ててやるつもりだった。

 でも捨てる前に、有効活用できるなら。

 それに首を入れ替えるのであれば、これなら呪詛の力でドロテにもどうにかできそうだったし。


 ハイエナのようにドロテの生活に寄生していた妹弟子は、顔だけは良かった。その顔がなかったらキャラバンにも見捨てられただろうに、とドロテは思っていた。どうせ白夜砂漠に捨てられたのだって、その顔に嫉妬した誰かに捨てられたのだろうとも。赤子のくせに美人とか生意気だ。


 そうして気持ち的には嫌だったけど、背に腹は代えられなくて、妹弟子の頭と自分の頭をすり替えたドロテは、その後はびっくりするほど街歩きが楽になった。

 美人って得だ。皆にチヤホヤされて、路銀が尽きても、嘘泣きの一つで泊まる場所をくれるし、支度金だってくれる。

 たまに面倒くさい奴らが絡んでくるけれど、そいつらは簡単な暗示でドロテの下僕にしてやった。下僕が増えるたび、世渡りが上手くなっていくような心地がして、その歩みには力がみなぎった。


 ドロテの旅の目的は、母が時折さみしげにその名前を呼んでいた父を見つけること。

 母が死んでも顔を見せに来なかったクソ親父ではあるけれど、ドロテには言いたいことがたくさんあった。――それこそ、父に母が死んだことを知らせて、どうして一緒にいてくれなかったんだって、罵倒してやる気満々だったくらいに。


 魔女の命は一粒種だ。

 魔女の婚礼で紡がれた命は、砂時計のように母から子へと受け継がれる。

 不老長寿の魔女の命はそういう仕組み。

 それを知っておきながら、あのクソ親父は、母の側にいてやらなかった。

 最後の瞬間まで母は、あのクソ親父に会いたがっていたのに。


 ドロテの母は箒星の魔女のくせに、のんびりとした性格で、めったにこの呪詛の力を使いやしなかった。よっぽどラァラのばばあの方が箒星の魔女だって言われたほうが似合ってるくらいに気性が荒い。

 その母はドロテと、あのハイエナのような妹弟子を育てながら、娘たちの前では絶対に寂しいなんて言わなかった。でも、こっそりとクソ親父に会いたいって満月の夜を数えては再会のおまじないを繰り返して。本当は寂しがっていたのを、ドロテは知っていた。


 魔女の耳は地獄耳。

 先天的に精霊の声をよく聞いていたドロテは、妹弟子がが知らないことすら、知っている。

 たとえばそう、クソ親父が失踪した理由とか。


 クソ親父ことカイニスは、拾ってきた赤子の両親を探すため、キャラバンを抜けたんだそう。齢を十重ねるくらいの頃、精霊たちがひそひそ声で教えてくれた。

 なんでも妹弟子の髪と目は、魔女に縁のある、どこぞの滅んだ王家の色をしていたとか。

 紫水晶アメジストのような艷やかな紫の髪に、満月のようにまん丸な金の瞳。

 人間離れしたその美貌は、滅亡した王家の最後の美姫にそっくり。


 ……だとかなんとか、精霊たちは言うけれど。

 そもそもの話。どうしてそんな妹弟子の両親を探すために、ドロテの父親があれこれやらないといけないんだ!

 それで母が寂しくなるのもおかしい話だと、ドロテは憤慨した。


 集落の魔女たちはみんな、ネリーをドロテの妹だとか宣うけれど、ドロテは一切認めない。

 まるでハイエナのように、ドロテから父も母も奪おうとするやつを、妹なんかに見れるわけがない。


 全部、全部、あのハイエナ女が悪い。

 あいつのせいで、自分の生活が脅かされている。

 母も、父も、あいつのもんじゃない。

 それなのに、ドロテの母親であるネルテは、いつもネリーばっかり気にかけて。

 くすぶり続けた恨みつらみは、ネルテが死んだあと、ネリーの首を奪うことで晴らしてやった。本当は全然、晴らせてやいないけど。


 旅路が楽になるならと自分でやったことなのに、鏡を見るたび、あのハイエナ女の顔が映って気持ちが悪くなる。

 この皮の面を剥ぎ取って、なめしてやりたいくらい。

 だけど、それはまだ時期尚早かと思っていた矢先に、出会いがあった。


 ケイネス・ロイヤル・シャナルティン。

 シャナルティン皇国の皇太子。

 ネリーの――今はドロテの髪の色に惹かれて、近づいてきた。

 三百年前に滅亡した国の王族の特徴。

 ちょっとそれっぽく演じてみれば、皇太子は打算的な色を隠しながら、口八丁で上手くドロテを皇都へと誘ってきた。


 ――これは好都合。


 自分一人では当初の目的だった人探しにも限界がある。

 ドロテはケイネスを通じて、人探しをさせようと思いついたから。


 だから最初はドロテも猫をかぶって大人しくしていた。

 面倒ではあったけれど、従順にしていれば、うまくケイネスは取りはからってくれたから。

 人探しをしてくれている間は、寝る場所も、美味しい食べ物も、綺麗なドレスだって与えてくれた。

 ドロテに相応しい装いを、といって本物のお姫様のように仕立てられて、沢山の侍女に傅かれて。

 鼻高々で優雅な皇族暮らしを堪能していたドロテだったけれど、そんなある日、届いた報せによって、ドロテは猫をかぶることをやめた。


 カイニスの死。

 魔女差別の強い地域で、魔女を信仰する者として、殺されたと。


 結局は、三百年前と変わらない。

 父と母は輪廻のさきで巡り逢い、魔女の婚礼によってその業をすすがれても、魔女の業故に死んでいく。

 なんて虚しい生き物なのだろう。

 魔女も、魔女に関わる人間も。

 白夜砂漠に引きこもっている魔女を恐れる人間たち。

 滑稽だった。

 彼らは魔女のように長生きでもなければ、三百年前にあったできごとの、何を恐れているのか。

 すべては、人間どもの身勝手さで始まったことだったのに。


 そんな馬鹿みたいな国、存在する意味、ある?

 幼い頃から培われてきたドロテの嗜虐心が、鎌首をもたげた。

 ドロテにかかれば、暗示なんてお手の物。調薬や刺繍とかいう細かい作業は苦手だったけれど、呪詛の効果をより高めてくれる暗示の術だけは随分と覚えた。それこそ暗示をかけるだけなら、言霊茶の葉を燃やした煙を吸わせるだけでも良かった。

 そうしてドロテは皇太子に暗示をかけた。ドロテの下僕と思わせた。この皇太子は、この国は、もうドロテの思うがまま。

 気に食わない奴は呪って、国を少しずつ、少しずつ、狂わせていく。ドロテ一人をどうにもできないくせに魔女狩りをするような人間たちが、自分にひれ伏すのを見るのは愉快だった。


 それでも。

 それでも、ドロテの心は晴れなくて。


 ――虚しい。


 ――寂しい。


 ――憎い。


 父は死んだ。

 あのハイエナのような妹弟子のルーツを探って、その果てに危ない橋を渡って、ドロテとネルテの知らないところで死んだ。

 どうして、どうしてあのハイエナ女のために父が死ななきゃならなかったんだ!?


 くすぶりつづける、ドロテの中の恨みとつらみ。

 首を刈り取るだけなんて、甘かった。

 ドロテが、世界で一番大っ嫌いなネリー。

 次に会うことがあれば、その業を背負わせてやろうと思っていたのに。







 ネリーの胸の前に吊るされた小瓶の中、ドロテはこれまでのことを思い返していると、ようやく跳ねていた小瓶が落ち着いた。不満が爆発するように、雲の文字がぼわっとけぶる。


【ちくしょう、だから嫌いなんだよ。馬鹿か? 馬鹿だろう。あたしがいるのになんで走る! なんで瓶を胸に吊るす!? そこらに捨ててけ! くっそ、視界が回るどちくしょう……!!】


 口汚く罵るドロテの雲の文字は、詰められた小瓶の中でけぶって、滞留する。ずっとそう。ドロテの隙をついて小瓶に詰めたネリーは、ドロテを責任持って監視するなどと宣って首から吊り下げていた。

 ドロテにはネリーの頭の中がわからない。どうしてそうなる、というような突拍子もないことをするのが、彼女の妹弟子だった。


 そもそも、今はなんで走ったのか。この馬鹿が走る理由になるようなものがあったのかと、瓶の外へと注目すれば、景色は一転していた。

 それまで白砂ばかりだった視界に緑が戻り、その先にはよく知る赤毛の女性が立っていて。


「ラァラ、ただいま!」

「よく帰ったな、ネリー。精霊たちがざわついて教えてくれたから、迎えに来てやったぞ」


 魔女の集落からはまだ距離がある。魔法薬の調剤に使う素材を取りに来たついでなのか、ラァラのその腕には籐で編んだ籠が吊るされていた。


「ネリー、ドロテは?」

「ここにいるわ!」

「おー、おー。ずいぶんと可愛くなったもんだな、ドロテ」


 思い出したかのように丁寧な手つきで、小さくなった首なしドロテが詰められている瓶をラァラに渡すネリー。

 ドロテとしては今この瞬間ではなく、もっと道中気を遣ってほしかったもので、不満のあまりにぷすぷすと首から雨雲のような煙がけぶっている。


「ドロテ、おかえり」


 ラァラがドロテの小瓶を視線の高さに持ち上げて笑った。森林のような緑の瞳に首のないドロテが映りこむ。


【……チッ】

「瓶の中身が曇りすぎて分からないが、あまり態度がよろしくないのは伝わるぞ。ネリーの首の件含め、外の世界でずいぶんとやんちゃをしたそうだな。ネルテもいない今、お前を叱るやつはいないと思ったら大間違いだぞ」


 そう言ってラァラは瓶を手持ちの籠の中に詰めた。砂漠渡りをしてきた騎士たちを休息させるため、魔女の集落へと案内する。

 ゆらり、ゆらり、揺り籠のように揺れるラァラの籐籠。

 ドロテは瓶の中で不貞腐れていれば、ふと籐籠に詰められていたものを見とがめて。


【ゴーストアップル……】


 魔女の森の中でも年中雪が積もっているくらい寒い場所がある。そこで育つ林檎は水晶のように透明で、中心のほんのり色づいた部分には極上の蜜をたっぷり蓄えている。

 ドロテの好物で、彼女は特に、この林檎を使って焼いたアップルパイが大好きだった。


「後でアップルパイを焼くぞ。ドロテ、お前も手伝えよ。反省するまでお前はあたしたちの召使いだからな」


 籠の上から降ってくるラァラの声。

 ドロテはふいっと顔を背けた。顔を背けるといってもそこから先がないので、首がちょっぴりひねられただけたけれど。

 でも、ドロテは。

 魔女の森にしかないこの林檎の味をもう一度味わえることだけは、帰ってきてよかったと思えた。


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