第25話 騎士様はマリッジ・ブルー?

 魔女の婚礼には星の巡り合せが大切。

 巡合の魔女スティラの占いによって定められた、ネリーとエルネストの婚礼は、彼らが出逢ってからちょうど一年を数えた日になった。


 鎧を着込むために短く刈っていた金の髪を撫でつけ、エルネストは鏡を見ながら純白のネクタイをきゅっと締める。

 ベストを着て、優しいぬくもりがこもった風合いの柔らかい白のジャケットを羽織れば、晴れの日に相応しい装いになった。

 おかしなところがないか、エルネストが鏡を見ながら注意深く自分の姿を眺めていると、彼のいる部屋を誰かがノックする。

 エルネストが入室を許可すると、入ってきたのはガヴェイン騎士団長と、その娘のベヨネッタだった。


「エルネスト、男前になったなぁ」

「お兄様ったら、本当にあの女とご結婚なさるの?」


 快活に笑うガヴェインに対して、ベヨネッタは未だ納得していない様子の言葉をエルネストにかけてくる。

 エルネストは苦笑しながら、二人を振り返った。


「ベヨネッタ、何回も話しただろう? ネリーさんはこの国を救ってくれた恩人だ。悪い人ではないよ」

「わかっているけれど……! でも、どうしてもあの顔を見ると腹が立ってしょうがないの!」


 誰に似たのか、苛烈な性格の妹にエルネストは困ったように眉を下げた。

 ネリーとの結婚にあたって、エルネストが一番大変だったことは家族を説得することだった。

 父であり、騎士団長でもあるガヴェインは、ネリーがドロテを断罪するための場にいて、その力を如才なく発揮してくれたのをその目で見ている。

 だからネリーとの結婚も、エルネストの覚悟だけを問われて好きにすればいいと言ってくれたけれど、母や妹はそうもいかなかった。

 とはいえ、実際ネリーが花嫁衣装を持って挨拶に来てくれると、エルネストの母はその人柄の良さを感じ取ったのか、明るく素直なネリーにほだされてしまった。ネリーも「お義母さま!」と慕っているので、世間一般的な嫁姑問題はなさそうだとエルネストはほっとしていたのだけれど。

 唯一、妹のベヨネッタだけが。

 ドロテと対峙し、その怒りに触れ、呪詛を目の前でかけられそうになった彼女だけが、未だに説得できていない。

 説得できずに婚礼の日取りが決まってしまったのが悔やまれるけれど、魔女の婚礼は普通の結婚式とは違うようで、この日の巡りをネリーはとても気にしていた。

 人生で一度の結婚式。

 この日のためにネリーはたくさんの支度を一人でしてくれていたから、せめてエルネストは、彼女が後悔のないようにさせてあげたかった。

 とはいえ、家族を説得できないままこの日を迎えてしまったのはエルネストの不徳の致すところ。

 どうしたものかと困り顔になっていれば、ガヴェインが仕方ないとエルネストの肩をぽんと叩いた。


「悪い娘ではないのはわかるし、彼女も被害者なのは知っているが、やはり国の中枢に近いほどしこりは残る。だが、それを押しのけてでも、結婚したいと思えた女性なんだろう?」


 散々言われ続けてきた、ガヴェインの言葉。

 エルネストはそれに、ただただ、うなずく。


 エルネストはネリーを幸せにしてみせると言って求婚した。自分では彼女に相応しくないかもしれないと思い、一度は反故にしてしまいそうになったのを、ネリーから繋ぎ止めてくれて。

 エルネストはネリーのように、自分を曲げない、真っ直ぐな人間になりたいと思ってしまった。ネリーはエルネストのことを誠実な人だというけれど、貴族に生まれ、国の黒い部分を垣間見てきたエルネストは、ネリーが言うほど実直な人間ではない。

 それでも腹の探り合いをするような政治には不向きな性格だったからこそ、父のように騎士を目指したのだけれど。


 ネリーは「いつかきっと仲良くなれるわ!」と言っていたものの、人に納得してもらうことは難しいことだと、エルネストは痛感している。

 でもそれは、エルネストの都合だ。

 ネリーにエルネストの都合を押しつけてはいけない。これはエルネストが、なんとか折衝してでも折り合いをつけなくてはいけないこと。

 沈黙してしまったエルネストは、ひとつ頭を振ると、泰然と立つ父に声をかけた。


「母上は?」

「ネリーさんのところだ。あちら側の親族が誰もいないからな。花嫁様の支度を手伝っているぞ」


 魔女は白夜砂漠を渡れない。

 魔女の集落にいる魔女は、ネリーとドロテ以外、三百年前の生き残りだ。全員で白夜砂漠の呪詛を維持しているのだとか。

 その呪詛も、もうすぐ解かれるとネリーが言っていた。


 三百年前に生き残った魔女のうちの一人、墓守の魔女によって、白夜砂漠に葬られた者たちの魂が間もなく全て昇華されると予言がされたのだそう。

 呪詛の核であったネルテが魔女の婚礼によって、魔女の業から解き放たれていたこと。

 魔女の集落に渦巻いていた恨みつらみが、ドロテとネリーの成長を見守る中で薄れていったこと。

 外からの訪問者――キャラバンを率いたジーニアスやエルネストが、魔女に好意的だったこと。

 様々の理由で、シャナルティン皇国と魔女の集落を隔てていた砂漠は、いずれ緑を取り戻すようになる。

 それは何十年、何百年先の話にはなるけれど。

 いつか、魔女が本当にお伽噺のような存在になってしまったときにはきっと、ラァラもドロテも、孫やひ孫、やしゃ孫なんかに囲まれて大往生してしまうのだわ! とネリーは笑っていた。


 ネリーと再会してからの日々を思い出して、エルネストは思わず口元がゆるむ。ある日突然、女の子が空を飛んでいる! と通報があって出動していけば、エニシダの杖に腰かけたネリーが、紫水晶アメジストのような髪を空に羽ばたかせて皇都の空を飛んでいたのだから、みんな呆気にとられていた。

 その後も、ドロテと間違われて何度も嫌がらせを受けたり、敬遠されたりもしたけれど、その度にネリーは笑って自分で状況を打開していった。

 気がついたら世論はみんなネリーの味方で、「空の魔女」「救国のお姫様」「悪いことをしたら首なし魔女が小瓶につめちゃうぞ」など、あることないことたくさんの噂が駆け巡っている。

 物思いに耽るエルネストに、なにか思うことがあったのか、おずおずとベヨネッタが口を開いた。


「ねぇ、お兄様。あの方のどこが良かったの? 魔女なんて、恐ろしいじゃない。魔女の呪詛のせいで、私、お兄様を……」


 ベヨネッタの瞳に罪悪感がにじむ。

 エルネストやベヨネッタ、ガヴェインは魔女の呪詛の恐ろしさを知っている。国だけじゃない、エルネストたちの家族の中で、しこりとして残ってしまっている部分が顔を出す。


「ベヨネッタ、その話は過ぎたことだから」

「そんなことを言っても、私はあの時のことを忘れられません。あの記憶がある限り、私は魔女を好きになれないわ」


 強情なベヨネッタに、エルネストは苦笑する。父であるガヴェインも苦みばしった表情をしていて。


「……まぁ、ベヨネッタ。こうして仲直りできたのだから良いじゃないか」

「お父様は怖くはないの!? 私、嫌よ! お兄様に向けて刃物を向けた自分が未だに恐ろしいわ!」


 ベヨネッタの叫びに、エルネストは目を伏せる。

 これが、ドロテの呪詛が遺した、魔女への禍根だった。

 エルネストがかけられた呪詛は、顔が醜くなるだけではなく、見た者に嫌悪と殺意を与えるというもの。

 妹も父も、母でさえこの術中にはまり、いっときはエルネストを罵り、刃物を突き出した。

 救いであったのは、術中にあった父がその剣を抜かなかったこと。普段のガヴェインの鷹揚とした表情とは一線を画す戦士の気迫で、エルネストはガヴェインと対峙した。あの時、ガヴェインの理性が働いていなかったら、エルネストは五体満足で白夜砂漠を越えられた気がしなかった。

 それからだ。エルネストが鎧を身に着けて過ごすようになったのは。

 でもその鎧も、今は脱ぎ捨て、こうして家族と顔を合わせられるようになって。

 エルネストはベヨネッタに優しく言い聞かせた。


「ネリーさんの魔法はドロテなんかとは違う。人の幸せを祈る、綺麗な魔法だったよ」


 市場で、ネリーが織ったという反物を買っていった女性がいたことを思い出す。

 幸せになるおまじないがうんと詰めこまれた反物を、はにかみながら買っていく女性は、眩しいほど幸福に満ちた笑顔を見せていて。

 魔女の魔法は、決して不幸を撒き散らすだけのものじゃないと、エルネストはそう思っている。


「……お兄様が魔女の肩を持つのは、恩人だから? 義務だけで結婚するくらいなら、何もあの人じゃなくても」

「義務だとか、責任だとか。もう、そんなことはどうでもいいんだ。本当は……俺のほうが、ネリーさんに惹かれていたのだから」


 初めてネリーの優しさに触れたのは、白夜砂漠。

 気持ちを伝える手段がお互いに声と文字しか頼れない中で、エルネストが本心を吐露したとき。ネリーはエルネストに寄り添ってくれた。

 街の人々の営みに心を踊らせ、いつだって明るく前向きに考えるネリーの強さに憧れた。

 でも、それだけじゃなくて。


「ネリーさんは強かだけれど、普通の女の子なんだ。甘いものを見れば目を輝かせるし、綺麗に刺繍ができれば無邪気に喜ぶ。彼女は魔女である前に、一人の女の子で――とても、儚くて」


 エルネストは見てしまった。

 ドロテと相対したネリーがカメオを失い、意識を失った後。

 スペアのカメオを使って、なんとか一命をとりとめたと安堵したのもつかの間、ネリーの首から雲となってたちのぼった、彼女の恐怖。

 自分はいらない子。

 誰にも必要とされていない。

 捨てられて当然の。

 ネリーの首からか細くけぶるその文字に、エルネストの心が酷く痛んだ。

 あの瞬間だった。

 ネリーに背負わせすぎていたことを自覚し、彼女を守らなければならない大切な存在として、エルネストが認識したのは。


「ネリーさんは一人でなんでもやってしまうような人だけれど、でも、そんな彼女が前に進めなくなったときは……俺が一番に、そのそばにいてあげたいんだ」


 そう、優しい表情で言い切ったエルネストに、ベヨネッタがむくれたように顔をそっぽ向けてしまう。

 そんな娘に仕方がないと言うように、ガヴェインは彼女の肩を叩いて。


「それなら何も言うことはないな。だろう、ベヨネッタ」

「仕方ありません。お兄様の意志がそこまで硬いのなら、祝福してさしあげます」


 そっぽを向いてしまったベヨネッタだけれど、でも、とその後も言葉を続けて。

 エルネストが耳を澄ませば、予想外のことを彼女は口にした。


「私、ネリーさんにひどいことを言ってしまったわ……。今更、仲良くなれるかしら……」


 初めてネリーがエルネストの家族へ挨拶をしたとき。

 ドロテと全く同じ顔をしたネリーに、ベヨネッタは随分と厳しいことを言っていた。

 ネリーは気にしていない様子だったけれど、その日はエルネストと大喧嘩して。

 誤解は解けているものの、ベヨネッタの方にも罪悪感はあったらしい。

 エルネストは笑った。

 兄らしく、屈託のない笑顔。


「結婚式の後、ネリーさんに話しかけてごらん。きっと笑顔をかえしてくれるから」


 その笑顔が答えになる。

 お前の兄はこれから、そういう素敵な人と結婚をするのだと、エルネストはその姿で伝えた。

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