第47話

 ほんの少し前のことだ。

「ねぇ、相城そうじょうさん」

『なに?』

 暗い室内で、膝を抱えてうずくまった天音あまねは耳に付けたインカムに問いかける。

 返ってくるのは、甘ったるい観生みうの声だ。

朝桐あさぎり君、どう?」

『カメラないからわかんない』

 声は甘ったるいくせに、返答は厳しかった。

 手に握った軽い拳銃の感触を確かめながら、話題を変える。

「自殺って、苦しいよね?」

『したことないけど、死にそうな時の気持ちならわかるよ。ジョーカー投与で何度も死にかけたし』

「どうだった?」

『死んだ方がマシっていうの、ああいうときに使うんだなって思った』

 実に後ろ向きな会話だった。

(違う、こんな話をしたいんじゃない)

 首を振って、マイナスな考えを振り払う。

「朝桐君、勝てるよね?」

『勝率は低いね。ゼロじゃないけど、今回ばっかりは危ないんじゃない?』


 ダメだ。

 こんなことではダメだ。

 他人にすがるな。


「わたしにできること、ないかな」

『ないんじゃない?』


 他人に寄りかかるな。

 自分の行動を、決断を、他人にゆだねるな。

 ここで観生が「自分の頭を撃ち抜け」と言えば、首肯するのか?


 違うだろう。

 ただ、自分に都合のいい言葉をかけてもらうことを期待して、思考を放棄し、失敗すれば「こう言ったじゃないか」と自分の行動の責任を転嫁する。

 自分に力がないから仕方ない?

 自分には経験がないから判断できない?


 違うだろう。

 自分の行動の責任を、他人になすり付けるな。

 ここで得るべきは『自分への指示』ではなく、『自分の決断』への材料だ。


鉄砲コレって、わたしでも扱えるかな」

『詳しいことはわかんないけど、天音ちんが持ってる銃は口径はちっちゃいから、扱いやすい部類だと思うよ』

 音声だけで『コレ』なんて伝わるはずないが、観生は察して答えた。

『ま、当たるかって言われれば、多分当たらないけど』

 安全装置はかかっていない。

 引鉄ひきがねを引きさえすれば、弾が出ると言っていた。

 刀弥なりの配慮だ。正しい配慮なのかというとそうではないのだろうが、それがなければただのオモチャに成り下がっていただろう。

 照準のつけ方は、わからない。

 あくまで自決用に、苦しんで死ぬならいっそのこと…、と渡されたものだ。刀弥もそれ以外の用途を想定していない。

 蓮山天音が戦うことなど、頭の片隅にもなかったのだろうから当然だ。

(当たらないなら、近づいて、撃てばいい)

 当然と言えば当然だが、無謀と言われても仕方がない暴論だ。天音にそれができるのならば、刀弥はとっくに勝てている。

(これは、わたしの選択なんだ)


 黙って殺される?――――いやに決まっている。

 恐怖に駆られて自ら命を絶つ?――――そんなこと、できない。

 この銃で自ら戦う?――――できない。


 パンッ!と自ら頬を叩く。

 できない?違うだろう!

 蓮山天音は悲劇のヒロインでも無力な被害者でもない。

 足掻いてみせろ!

 何もせずに絶望の運命を受け入れるのか、

 可能性を一パーセントでも上げる行動を取ってから絶望する殺されるのか。


 銃刀法違反?

 犯罪行為?

 ルールを守らないといけない?

 この状況下で?

 ルールを守って無力な一般人として死ぬか、銃を手にして自身の生存を勝ち取るか。この二択しかないのなら、後者を選ぶべきではないのか。


 怖い。

 本当に、怖い。

 でも、この怖さ以上の絶望が待ち受けているかもしれないと思うと、もっと怖い。

 だから、少しでも、一歩でも、前に進む。




 衝動に任せて立ち上がる。


 ドアに手をかけ、静かに開ける。大きな音を立てないように。


 通路に出る。

 ドアがダンパーによってゆっくり閉じていく。

 その間に銃を構える。


 そこで初めて、状況を知る。


 背を向けた黒く長い、膝まで届きそうな髪の、全裸の女。

 蓮山天音の母、蓮山翠はすやまみどり、その

 そう、あれは、母ではない。

 生真面目で融通の利かないルール順守が口癖の母が、同級生の男子の首を片手で掴んで持ち上げたりなどしない。

 悠々と片手で掲げられた刀弥の表情は虚ろだ。死んでいるのか、気絶しそうになっているのかわからないが、このままでは間違いなく殺されてしまう。

 思ったよりも距離がある。一〇メートルはないと思うが、刀弥は数メートルの距離でも外したことがあったと思う。

 事実、天音とその母が立つ八メートルという距離は、素人が拳銃を扱って当たる距離ではない。

 そもそも、だ。

 母を撃てるのか?さっき初めて銃を触った、ただの女子高生が。

(甘えるな…!)

 できない、ではない。

 できない言い訳を考えるな。

 そんなことを考えている暇があるなら、どうしたらできるかを考えろ。


 腰のあたりから、半透明の触手がうねうねと天井に向かってうねっている。

 の意識は刀弥に向いている。

 一歩でも足を踏み出したら、多分気づかれる。

 開け放ったドアが閉まったら、絶対気づかれる。

 もう、今撃つしかない。

 弾が何発入っているかわからない。確かめ方もわからないし、そんな時間もない。


 パァンッ――

 

 冷静な思考ではなかった。

 

 パンパンッ――

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」


 自分が叫んでいることに、天音は気づかないまま、何度も引鉄を引く。

 思ったよりも、反動は少ない。


 パンパンッ――パンパンッ――

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」


 オモチャかと思うほどに緊張感の薄い銃声。

 叫びすぎて、銃声と自分の声が判別できない。

 へっぴり腰の、構え方もなっていない、見るものがいれば情けないことこの上ない姿勢での射撃。


 カチッカチッカチッ

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」


 弾切れを起こしても、天音は叫び続けた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……」


 そして、息が続かなくなって、そこで初めて弾が切れたことに気づき、ようやく状況が変わったことを知覚した。


 全裸の女が倒れていた。

 血というには黒味の強い赤を通路に広げながら、うつぶせに。


「やっ……たの……?」

 ふらふらとした足取りで、少しずつ近づいていく。

 女の広がった長髪、その間に見える背中に二つ、小さな穴が空いている。

 人を撃ったというのに、思ったよりも恐怖心が感じられない。

 母の姿をした女を人と認識していないからなのか、興奮から覚めていないだけに過ぎないのか、わからない。

 だが、ひとつだけわかった。


 生き残った。


 自分だけではない。

 刀弥も助けることができたのだ。


 視線を倒れた女からさらに先へ向ける。

 女の手から投げ出されたのだろう。刀弥も一緒に仰向けに倒れている。

「朝桐君っ」

 拳銃を取り落とし、女と血溜りを飛び越えて、倒れる刀弥へと駆け寄る。

 どんな形であれ、自分は助かり、尚且つ刀弥を助けることができた。

 そんな達成感が、心から湧いてくる。

「朝桐君、やったよ…!」

 刀弥の傍らに腰を落として呼びかける。

 ほっとして、涙が溢れてくる。

「ねぇ、あさぎ――」


 そこで、気づく。

 

 倒れている刀弥の体から、赤が広がる。

 隣で倒れている女のものとは別の、鮮やかな赤。

 刀弥の胸には、女の背中と同様の、小さな穴が空いている。


 夢中で撃った。

 その結果、触手を生やした女を倒すことはできた。

 刀弥を、巻き添えにすることで。


「あさぎり、くん……」

 声が、震える。


「あさ、ぎり……くん……」

 先ほどとは違う種類の涙が、溢れる。


「あさぎりくぅん…‼」


 さっきまで胸中を満たしていた達成感は、全て困惑と恐怖に置き換えられた。

 

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