第48話

 刀弥とうやが目を覚ますと、白い天井が目に入った。


『だ~か~ら~、こう後先考えずにちゅ~、ってすれば目覚めるって』

『ふざけないでよ、こんな時に!』


 体が重い。

 強い倦怠感を覚える。まるで重傷を負ってPNDRに搬送された後のようだ。


『え~~大丈夫だよ?今がチャンスだよ?』

『なんのチャンスよ⁉』


 近くで、誰かが話している。


『ささ、舌までなら許すからさ』

『それほぼ最後までじゃない!』


 というか、うるさい。


『何言ってんだい天音ちん、最後までって言ったらおしべとめしべが――』

『あなた――っ』

「うるさい」


『『え――?』』


 一言発するだけで、体から何かが抜けていくような錯覚を覚える。

 視線を少し横に向けると、にやにやと笑う髪を二つ縛りにした相棒ちびっこと、三つ編みの少女の後ろ姿が目に映った。

 三つ編み少女が振り返る。赤いフレームの眼鏡をかけた同級生が、慌てた様子で刀弥を覗き込む。

「朝桐君っ!よかった、目、覚めてくれた……」

 ほっと胸を撫で下ろす天音あまねを見上げながら、刀弥は遅れて自分がベッドで横になっていると気付く。

「PNDR、か…」

 状況を理解し、視線を天井へ戻す。

 ここ数年は経験がなかったが、変異体対処を始めた当初はよく、戦闘の度に重傷を負ってPNDR医療区画へ搬送されていた。

 懐かしさはない。

 というより、目覚めた時にこうして人に見られていることが珍しく、違和感がある。

は?」

「無力化されたよ。天音ちんのおかげでね」

 記憶が曖昧な刀弥は、当時の状況を思い出せずにいる。

 だが、いくらかの誇張はするかもしれないが、観生みうが事実と異なる報告をするとも思えない。

「いや~、愛の力だね~」

 いや、最近はお遊び発言が多いので、本当は信用できないかもしれない。

 そう思い直す刀弥だったが、観生がいつものノートPCの画面を見せてくる。

 画面端に見切れてしまっているが、女の頭と刀弥が倒れる様子が映っていた。恐らく付近の監視カメラ映像だろう。その後、天音が駆け寄って刀弥の隣であたふたとする様子が映り、遅れて女の頭が汚泥のように崩れていく様子も確認できた。

(あの巨大化した変異体と同じか…)


 結局、天音の母が特別だったのか、特別だったとしてそれは遺伝子なのか細胞なのかなどわからずじまいだが、あの泥のように溶けた物体を調べればわかるのだろうか。少なくとも第一人者であるドクター・カルーアは既に殺害されている。解析は難航することだろう。

 良くも悪くも、ドクター・カルーアがMMMC内で、PNDRの中で『ジョーカー』の研究を主導し、進めてきた。ほとんどグレーどころか真っ黒な研究の責任を、実行者である彼女の死と組織責任者の解任で有耶無耶にすることだって充分考えられる。

 もしかしたら、『ジョーカー』の存在も明るみにでるかもしれないし、相変わらず秘密裏に刀弥たちが動くことになるかもしれない。

(兵隊が考えることじゃないな)

 刀弥は余計なことだと割り切って、思考を切り捨てる。

「あの、朝桐君、その……」

 言いにくそうに、天音がもじもじと視線を合わせたり逸らしたりする。

「なんだ」

「あ、あのね!」

 特に急かすつもりなどなかったが、天音には責めるようなニュアンスに取られたのか、慌てて言う。

「ごめんなさい!」

「何がだ?」

 刀弥としては謝られることはないのだが、天音にとっては山ほど謝罪したいことがあった。

「昨日、朝桐君のこと撃っちゃった」

「撃たなければ蓮山も死んでいただろう。蓮山の判断は正しかった。……昨日?」

 丸一日目を覚まさなかったと、観生が補足した。

 天音の謝罪は続く。

「昨日逃げてるときに、お母さんのことで騒いで、迷惑かけちゃった」

「結果には影響していない」

 触手に襲われながら通路を走った際は、素直に天音が走ったところで危険には変わりなかった。よって、刀弥としては終わってしまえばどうでもいい。

「いつも学校で、朝桐君の境遇とか、そういうの考えないで、ひどいこと言った」

「……ああ、それか。こちらが秘密にしていた結果だ。問題ない」

 学校で「不真面目だ」「二人揃って家庭環境が複雑なのか」などと感情に任せて叱責されたことであると遅れて気づき、そもそもいつも聞き流していたので問題ないと返した。

「この傷だって、数日で完治する。そういう体になっている」

 恐らく直近で気にしているであろう刀弥への誤射だって、あの天音の行動がなければ刀弥も天音も死んでいたわけだし、こうして生きているので問題ない。傷自体も、こうして生きているということは、『ジョーカー』による細胞変異のせいで数日で跡形もなくなるはずだ。擦り傷なら翌日、骨折だって適切に処置されれば一週間以内に接合される。無論即死するような負傷からは回復しないだろうが、胸の違和感から察するに、心臓や肺には損傷がないはずだ。この傷はもう一晩すれば完全に塞がり、軽く動けるようになると経験則で予測できる。『ジョーカー』に侵された朝桐刀弥バケモノならではの体の特徴だ。

「謝罪はいらない。むしろ、驚いた」

 だから、刀弥は傷のことは気にしていない。

 むしろ、少し気がかりなのは別のことだ。

「まさか、自決用に渡した拳銃で助けられるとは思わなかった」

「え…?」

 思いもしなかった刀弥の言葉に、天音が呆然となる。

「蓮山は、もっと無力で、嫌だ認めたくないと喚くだけの、無力な保護対象だと思っていた」

 刀弥の言葉に、少し引っかかるものを感じながらも、天音は黙って聞いている。

「だが、思っていた以上に、蓮山は強かったらしい」

 そう言われ、天音は再び呆然となった。

 どちらかというと、いつも不甲斐ない存在を叱責するような、そんなイメージの刀弥から、認められるようなことを言われるとは思いもしなかった。

 だが、少し違うと、天音は口を開く。

「違うよ」

 今度は刀弥が黙った。

「強く、なったんだよ。ほんの少しだけ、本当に、ちょっとだけ」

 ただ怯え喚くだけの、被食者弱者に過ぎなかった存在。

 恐らく窮鼠猫を噛む、くらいのものだったかもしれないけれども。

「あの時だけは、朝桐君に死んでほしくないって、自分に何かできるかを考えて、飛び出した結果だから」

 蛮勇と言われてもしょうがない行動だったと思う。

 でも、結果的に、それが天音と刀弥の生存を勝ち取る結果に繋がったのだから、今この時だけは誇らせてほしい。そして、礼を言わせてほしい。

「俺が死ぬ分には問題ない。俺はただの高価な消耗品だ」

「そんなこと、言わないで!」

 しんみりとした空気が一変。天音が声を荒げた。

「ねぇ、もしかして、自分なんかいつ死んだっていいって思ってる?」

「事実だろう。俺はMMMCの所有物だ」

「あなたは、朝桐君だよ!」

「それは便宜上の名前だ。俺はA一〇八だ」

「違う!わたしにとって、あなたは朝桐刀弥なの。いなくなったら寂しいし、死んじゃったら悲しくなる、生きていてほしい、そんな人なの!」

「俺は、普通の人間じゃない」

「そういうのやめて。あなたは自分のこと、道具とかバケモノとか言ってるけど、わたしにとっては、すごく大切な、その……、なんていうか……友達だから……」

 隣の観生から何か言いたげな視線を感じたが、天音は一度、唇を引き結んでから、ゆっくりと、落ち着きを取り戻しながら言う。

「あのとき、倉庫から飛び出すことができたのは、一歩踏み出せたのは、朝桐君のお陰だよ」

「俺は何もしていない」

「ううん、わたしはあのとき、確かに朝桐君から勇気をもらったんだから」

 刀弥と天音の視線が合う。

 負傷のせいか少し弱弱しく見える刀弥と、目を潤ませて見下ろす天音。

 その光景に、


「じゃ、乳繰り合いが始まる前に、お邪魔虫は退散しますかねー」


 観生がばたばたと部屋を出ていく。

「おい」

「相城さんっ」

 片や呆れながら、片や赤面しながら、低身長同級生女子の背中を視線で追う。

「もう、相城さんはいっつもこう……」

 赤面しながらぶつぶつ文句を口にする天音。


「……」

 刀弥はなぜか天音と顔を合わせづらくなり、観生が消えたドアに視線を固定した。

 

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