「なりたいものになるためだ」 -3-


 家の中に重苦しい空気が満ちる。誰もが口を閉ざし、沈黙が支配した数分間。

 少年は突然、その場で地団駄を踏み始めた。

「うるせぇ! アンタだって、生まれた時から領主の息子だったくせに。生まれた時から恵まれて、農民の息子が農民になるように、そのまま成り行きで領主になったアンタなんかに、そんなこと言われたくないんだよ」

「テディ!」

 ミオーネが悲鳴のように叫び、サムは立ち上がった。そして、エヴァンが止める隙もなく、テディの頬を叩く。テディは驚きに目を見開いたまま、立ち尽くす。

 今までになく緊迫した空気を察したように、今までおとなしくしていた赤ん坊が泣き始めた。ミオーネは慌ててそちらへと向かうと、赤ん坊を抱き上げてあやしはじめる。

 サムはそのまま床に膝をつき、床に額を押し付けるように、エヴァンへ向けて深々と頭を下げた。

「息子がたいへん無礼な……許されざることを口にしました。平にお詫び申し上げます。この罪は全て、俺が償わせていただきますので、どうか……」

「やめてくれ、サム。俺は特に気にしていない。今テディが言ったことに関しては、何も間違ったことは言っていないからな。確かに俺は領主の息子で、だから領主になった」

 エヴァンはサムの腕に手をかけ、彼の体を引き起こした。

 だがエヴァンのその言葉には、今までただ黙って様子を見ていたセルゴーが、我慢ならなくなったというように口を開いた。

「エヴァン様は、ただ成り行きで領主になられたわけではありません。ルテスーンで勉学に励み、剣の腕を磨かれ、出兵先でゴブリンの大軍勢を倒し、お力をこの国に示された。だからこそ法王様は、エヴァン様にユレイト領主を任ぜられたのです」

 セルゴーはそこで一度言葉を途切れさせる。そして、未だ呆然としているテディへと、冴え冴えとした視線を向ける。

「俺は、元はルテスーン所属の兵士で、エヴァン様が我らに混ざり、共に戦ってきたお姿の、すべてを見てきている。あまりにも多すぎるゴブリンの数に半ば抗戦を諦め、ジリジリと後退していくしかない前線の中で、エヴァン様はそこにいる兵士一人ひとりに語りかけ、全体の士気をあげた。そして一兵士でしかなかったエヴァン様は、皆の人望を集めて隊長として全体の指揮をとり、ゴブリンを制圧して我らを勝利へと導いてくださった。世間もろくに知らぬ子供が。エヴァン様のことを、分かったような口で語るな」

 セルゴーの言葉は澱みひとつなく続けられテディを圧倒した。しかし、少年もひくにひけなくなり、一層声を大きくする。

「じゃあ、オレが頑張ってとびきり美味い野菜を作ったら、いつか領主になれるのかよ。たくさん畑を耕して回れば兵士になれるのか? そもそも、初めに立ってる場所が違いすぎる。そういうのを不公平だって言うんだ。農民が農民以外になろうとしたら、じゃあ他に何をしたら良かったんだ!」

「……俺の話をしてやろうか」

 セルゴーの後を引き継ぐように、今度はロウが口を開いた。

「俺は元農民だが、お前のように農業を教え、守り育ててくれる親もいなかったし、俺のいたところの領主は温情のある奴ではなかったから、生活は毎日、生きるか死ぬかって感じだった。そんな苦しい生活の中でも俺はメイドになりたくて、子供の頃から足掻き続けた。だからお前の気持ちは、ここにいる誰よりもわかるつもりでいる」

 少年の境遇に心を添わすようなロウの言葉に、テディはわずかに表情を緩める。ロウの話は続く。

「俺がメイドになるためには、まず農民の身分が邪魔だった。農民の土地の制約がある限り、俺は農民以外のものにはなれないし、故郷であるセルジア領から出られない。俺を土地の制約から解放できるのは、領主しかいない。でも、セルジアではこうしてユレイト領のように、領主に直接話を聞いてもらうことはできない。でも土地の制約があるかぎり、他の領に移ることもできない。堂々巡りであり、正攻法ではどうしようもない事態だ」

 ロウの口から語られる話を、その場にいる全員が聞き入っていた。エヴァンは、ロウがセルジアの騎士長に決闘で勝って、土地の制約から解放されたという話は、ギルバートから聞いていた。だが、そこに至るまでの話を聞くのは初めてのことだ。

「セルジア領では、騎士同士の決闘大会が、ある種の見せ物として定期的に開催されていた。そして、その決闘で勝ち抜いた者には、領主から望む褒美が与えられる。そういう決まりだったんだ。俺がメイドになるには、その決闘に参加して、褒美として土地の制約から解放してもらうしかないと思った」

「でも、アンタは農民で、騎士じゃないじゃないか」

 テディの言葉に、ロウは頷く。

「そうだ、正攻法では出られない。ではどうするか。俺は生きていくために農業を続けて食い繋ぎながら、その合間に鍛錬を重ね、そして、仲間である農民相手に、ありとあらゆるいちゃもんをつけて、決闘を申し込みまくった」

 とんでもない話の飛び方に、エヴァンは思わず笑う息を漏らしてしまった。ロウは気にすることなく話を続ける。

「毎週誰かと決闘して完封する。そんなことを三年も続けていたら、噂を聞きつけて、兵士がやってくるようになった。次に兵士たち相手に決闘を続け、勝ち続けていたら、今度は騎士がやってくるようになった。そこからは早かったな。決闘大会には、あくまで特別参加の余興として出場を許された。そこで騎士長に勝って、領主に褒美として、土地の制約から解放してもらったんだ。あとは各地を転々として、俺をメイドとして雇ってくれるところを探し、流れ流れて今、俺はここにこうしている」

 事前にそのことを聞いていたエヴァン以外の全員が、唖然とした顔をして、メイド服を着ているロウを見ていた。ただの農民が騎士長に勝つなど、ありえないことだ。しかもその動機が「メイドになりたいから」である。

「物心ついた時から親もいなくて、腹が減って死にかけの毎日だった。夢を叶えるために、鍛錬と決闘に明け暮れるのも、生半可な気持ちじゃやり通せなかっただろう。だがな、俺は一度たりとも、道から外れたことをしようとは思わなかった。なぜか? それは、俺のなりたいものになるためだ」

 ロウは、話の終点に息を呑んだテディに歩み寄り、彼を静かに見下ろす。

「テディ、お前は盗人になりたかったのか」

「違う」

「人を騙して嘲笑う詐欺師になりたかったのか」

「違う! オレはただ……」

「ただ、なんだ。世の不公平さに怒り、かわいそうな自分は報われるべきだと、甘えた気持ちで盗みを働いた、バレると思わなかった。そうなんだろう? バレなければいい、騙し通せばいい。人にバレなければ悪事を働いても構わない。あるべき自分を形作る、自分を律する心よりも、他者からの目を判断基準にした挙句、いっときの誘惑に負けたんだ、お前は」

 テディは下唇を強く噛み、うつむいた。ロウは腰を屈め、そんなテディの顔を覗き込む。

「悪いことをしたらどうすれば良いか、お前の母親が教えてくれただろう。謝るのは決して悪いことじゃない。謝って認めることで、お前の気持ちも救うことができる」

 ついに顔を上げたテディの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。

「ごめんなさい……」

 謝罪の言葉と共に出てきたのは、年相応とも言える、幼い泣き声だった。

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