「なりたいものになるためだ」 -2-

 ミオーネの横に座ったサムは、深いため息を漏らした。今しがた、ミオーネからテディにまつわる事態について、全て説明されたのだ。

「テディ……もしかして、前に農民になりたくないと言っていたことに、何か関係があるのか?」

 サムは落ち着いた声で、顔を伏せたままのテディに語りかける。

「農民になりたくない?」

 エヴァンが、その言葉を聞いて復唱する形で問いかけた。サムは頷く。

「あれは先の冬節になりたてのころだったと思います。俺はテディと一緒に、収穫したカブを市場へ売りに行ったのですが、その帰り道のことです。テディは俺に『農民になりたくない』と言いました。おそらく、その時市場で出会った商人の息子の影響だと思うのですが」

「市場で何かがあったのだな?」

 サムはまた頷き、言葉を続ける。

「俺たちがカブを売った商人も、市場にテディとちょうど同じ年頃の息子を連れてきていて、彼に商いを教えているようでした。俺たちが持ってきたカブを数えて、商人はカブを一つ銅貨五枚で買い取ってくれると言い、商人は息子にいくらになるかを計算させていました。しかし、商人の息子が答えを出すよりも早く、テディはその答えを口にしたのです。ええと、確か……」

「カブは全部で五二個。全て売ると銀貨一枚と、銅貨一〇枚になる」

 サムの話に反応するように、今まで黙りこくっていたテディが口を開いた。その場にいた全員の視線が彼に集中する。視線に促されるように、テディは言葉を続けた。

「オレは農民になんてなりたくない。あいつよりオレの方が計算もできるし、もっと上手い商売をやっていける自信がある。オレは父ちゃんみたいに体も大きくないし、力も強くない。農作業よりもずっと、商売の方が向いてるんだ」

「だから言っただろう。商人の子は商人に、農民の子は農民になると決まっているんだ。大人になったら、農民は領主様から農業のできる土地がいただけるんだぞ。ありがたいことだ」

「そんなこと、誰が決めたんだよ! オレは土地なんか欲しくない」

 諌めようとするサムの言葉に反抗して、テディが叫ぶ。その言葉にハッとしたのは、サムとミオーネだった。エヴァンは無意識に眉根に皺を寄せ、テディの発した言葉の内容を考えていた。

「領主様、どうか誤解なさらないように。この子はただ物事もわからず、癇癪を起こしているだけなのです」

 サムが慌てて弁明するが、エヴァンは表情をそのままに、わかっていると示すように軽く手を上げて、それを制す。

 農民は土地に縛られている。だが逆を返せば、農民は皆平等に、領主から土地を与えてもらうことができる。それはその土地で農業をしなければならないという義務であると同時に、農民の生命線たる権利でもあった。

 どこへ行くにも特に制限のない商人や職人は、己の商いが失敗すれば後ろ盾はなく、路頭に迷う可能性もある。しかし、領主より土地を与えられている農民は、与えられた土地で真面目に働けば、安定的に生きていくことができる。もし天候不順などで農作物が育たなかったり、病気の蔓延などで家畜が死んでしまったりした場合は、領主がそのカバーをしてくれる。

 例えば厳しい冬が長引いた一昨年。エヴァンが交渉してリオン領から食糧支援を受け、農民に配ったのがそれだ。

 生命線である土地を与えてくれる領主を前にして、土地などいらないと叫ぶ。それは本来、自殺行為に近い。

 エヴァンは考え込みながら、テーブルの上に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せた。

「農民になりたくなくて火炎岩を盗んだのだと認めるのだな? だが、そこに何の繋がりがある。商人になるのに、火炎岩が何の役に立つのだ」

 テディはサムとミオーネを見て、気まずそうにまた顔を伏せる。そんな息子の姿に、ミオーネがまた声を荒げた。

「ちゃんと話しなさい! あなたはとても悪いことをしてしまった。悪いことをしたら、誠心誠意謝って説明して、償わなければならない。黙っていれば、そのうち終わるなんてことはないのよ」

 いつしか、ミオーネの声に涙が滲んでいた。母の切ない声を聞き、ついにテディが顔をあげ、口を開いた。

「この家を離れて、商人の子供になろうと思ったんだよ。市場で商人に養子にしてくれって言ったら、子供を育てるのには金がいるから、養子にはできないって断られたんだ。そんな時、火炎小屋の窯が脆くなってるのに気づいた。火炎岩を売ったら金になる。だから盗んで、金にしてやろうと思ったんだ」

 火炎岩を盗んだ理由は、彼が家を離れるためだった。その衝撃的な告白にミオーネは息を飲み、サムが身を乗り出す。

「テディ……そんなにも農民が嫌なのか? 今まで一緒に働いていて、畑を耕し、作物を育て、収穫することの楽しさを、今までいっさい感じることができていなかったのか。それは、父ちゃん、母ちゃん、ミミィを捨てて、この家を出ても構わないと思うほどのものなのか」

「そう思われるから、言いたくなかったんだよ。家が嫌なわけでも、農業が嫌なわけでもない。ただ、オレはもっと自分に向いた仕事がしたいんだ」

 テディは不貞腐れるように唇を突き出す。そんな彼の言葉に、エヴァンは薄く息を吐いた。

「自分に向いた仕事か……誘惑に駆られ、己のために盗みを働く者を、使用人として雇うことはできない。同様に、そのような者を相手に物を売りたい、買いたいと思う者もいない。なぜなら、商人は信用が命だからだ。信用できないような者は、職人としてもやっていけない。半端な仕事をされては困るからな。兵士に至っては、信用できない相手に背を預けることは言葉通りの意味で命に関わる。そして、農民にとっても誠実さは大切なものだ。農業は生半可な気持ちで取り組み、成果がでるようなものではないからだ。では、盗みを働いたお前に向いている職とは、もはや盗人や詐欺師以外にないのではないか」

 エヴァンの口にする言葉の一言一言には、重みがある。そして彼の眼差しは、今朝の騒動から今にいたるまでのどの時よりも強く、テディを見つめていた。

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