結実 その十一

 私は家を飛び出し、姉のマンションへと向かっていた。


 なんと説明すればよいか分からない。彼女はクチナシ様の存在を信じないだろう。それどころか、その名を口にすれば、怒り出すに違いない。まだ、そんなものを調べているのかと。


 しかし、ここで手をこまねいている訳にはいかない。


 姉に危険が迫っていることは確かだ。


 今までクチナシ様は遠く離れた咬ヶ島から呼んでいた。茜ちゃんが語ってくれた怪談、自殺者の多発するあの岬の話は、そんなクチナシ様の呼び声に感応した女性たちが身を投げたのではないか。


 以前、凛子に霊感について彼女の持論を聞いたことがある。曰く、ラジオのチューニングのようなものらしい。霊の発する波長と合ってしまった人のみがその声を聴き、姿を見ることができるのだそうだ。そして、そのチャンネルは、その存在を信じている人間ほど開きやすいとのことだ。これは、かつて津田が言っていた降霊術や呪いの儀式に共通する要素である信仰心と通ずるものがある。


 姉は私以上に現実的な人間である。ラジオに例えれば、電源が入っていないに等しい。


 一方私は凛子からオカルト的な話を聞くこともあり、そう言った非現実的な話を受け入れやすい体質になっていたのかもしれない。だからこそ、私は知らず知らずのうちに、クチナシ様に呼ばれ、あの地を訪れたのだ。あれが望んだのは、凛子ではなく、姉の実咲を連れてくることだった……そう考えると、つじつまがあう気がした。


 そして今、クチナシ様は島ではなく、ここにいる。


 ならば、姉を直接攫ったり、憑りついたりすることができるかもしれない。


 一刻も早く姉のもとへ行かなければ。そして、この鳴らない鈴を渡さなければ。


 私の焦りと裏腹に、世間は通常どおりのスピードで進む。電車もダイヤどおりに運行されている。そんな当たり前のことに、私は苛ついていた。


 ホームで電車を待つ間、私はたまらず姉に電話をした。


 永遠にも思える呼び出し音。


「お願い……出て……」


 私の願いが通じたのか、姉がようやく電話に出た。


『もしもし、瑠璃?』

「ああ、よかった。出てくれた」

『どうしたの?』

「いや、この間はごめん」

『別に、良いのに。で、それだけ?』


 姉の声は覇気がなかった。しかし、それ以外はいつもの姉だった。心の底から安心する。


「いや、なんとなく姉さんに会いたいなって」

『今から?』

「うん。だめ、かな」

『別にいいけど……どこか行きたいわけ?』

「ううん。そうじゃない。家行ってもいい?」


 姉は私の殊勝な態度に何かを感じ取ったようで、大きなため息をついた。


『……いいけど。あんたまさか』


 お説教の匂いを感じ取った私は、何か言われる前に口を挟む。


「違うって。姉さんの考えているようなことじゃないから。友達から安産のお守りをもらったからさ、渡そうと思って」

『ふうん。誰から?』

「誰って、誰でもいいじゃない」

『……まあ、いいか。言っとくけど、何もおもてなしできないからね』

「分かってる。私が家事するよ」

『そう。分かった。何時ごろ?』

「今、最寄りの駅。あと二十分でつくよ。あ、電車きた。じゃあ、またね」

『はいはい……』


 姉が何か言ったようだが、ホームに進入してきた電車の音にかき消され、良く聞こえなかった。


「なにか言った?」

『……』

「姉さん?」


 俄かに心拍数が上がる。


 嫌な予感がした。


「お姉ちゃん? ねえ、どうしたの?」

『うるさい。ありがとうって言ったのよ』


 そこで電話は切れた。


 私はまだ早鐘のようになる心臓を何とかしようと胸の辺りを押さえる。


 良かった。まだ、間に合う。


 お姉ちゃんは私が守る。この世でたった二人だけの姉妹だから。


 その決意を胸に、私は閉まりかけた電車に飛び乗った。

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