結実 その十

 私は自宅に戻るとベッドへと倒れこんだ。


 ひどく疲れていた。


 津田が亡くなったことはもちろんショックだった。短い期間だったが、協力関係にあったのだ。しかし、それ以上にショックだったのが、彼から咬ヶ島の調査結果を聞けなかったこと、そして鳴らない鈴を受け取れないことだった。


 このまま何もしないわけにはいかない。しかし、何をするべきかが分からなかった。


 ごろりとベッドの上で寝返りを打つ。


 寝室の床に昨日来ていた喪服がくしゃくしゃになって落ちていた。


 きっと皺になっている。でも、もうどうでも良いい……一瞬そう思ったが、落ち着いたら津田の葬儀にも出席しなければならないことに思い至る。


 どこか冷静な自分に溜息をしつつベッドから這い出て、床に丸まっている喪服を取り上げる。


 その時、何かが服から落ちていった。


 何だろうかと床に目を落とすと、そこには取調室で見た、あの鈴が転がっていた。


 はっとしてそれを取り上げる。よく見ると、それはあの時見た鈴とは違うものだった。鈴が結ばれている組紐の色が違うのだ。その組紐は赤色だった。


 心臓が煩いほど大きく脈打つ。


 その鈴を振ってみる。


 鳴らない。


 これは、鳴らない鈴だ。


 でも、なぜこんなものがここに?


 私は、放り投げた喪服の上着を拾い上げ、ポケットに手を突っ込んでみた。すると、何か紙のようなものに指先が触れた。それをつまんで引っ張りだして目の前に掲げる。


 とたん、私は静電気に感電したように肩を震わせ、手に取ったそれを放り投げた。


 それは、やはりメモ用紙だった。しかし、そのメモにはべっとりと血がついていた。


 次の瞬間、コインロッカーに詰められた津田の死体がフラッシュバックする。


 虚ろな目をした津田の生首。それを囲うように詰められた、きちんと折りたたまれた両足。頭の上には、だらりと力の抜けた腕が置かれていた。


 胃から良くないものがこみ上げてくる。


 私は我慢できず、寝室から飛び出すと台所の流しに手をつき、盛大に吐いた。


 昨日から水分以外何もとれていなかったため、ほとんど胃液だった。胃液が喉を焼く熱さと、酸っぱい匂いで目から涙がこぼれた。


 もう二、三度吐くと、少し落ち着いてきた。


 私は流しで口を濯いでから寝室に戻り、先ほど放り投げたメモ用紙を拾い上げる。


 そこには、走り書きで次のように書いてあった。


 ――鳴らない鈴を持て。鈴が鳴ったら逃げろ。資料はメールで。


 おそらく津田の文字である


 こんなものを拾った記憶がない。


 しかし、ロッカーを開けた瞬間に何かが落ちてきたような気もする。もしかしたら、無意識のうちに拾ったのかもしれない。


 やはり、この鈴は鳴らない鈴で、そして津田の読みどおり、クチナシ様の接近を知らせる警報装置だったらしい。


 そして、重要な点がもう一つ。


 津田は、資料をメールしてくれているらしい。


 スマートフォンにそれらしいメールは届いていなかった。ということは、PCのメールに送ったのだろう。


 急いでPCを立ち上げる。


 もしかしたら、この状況を打破できる重要な情報が手に入るかもしれない。そう思うと、ログインパスワードを打つ手が震えた。


 受信ボックスを開くと、一件の未読メールがあった。タイトルはない。しかし、確かに津田からのものである。受信日時を確認すると、丁度津田が襲われる直前に送信されているらしかった。


 震える手でメールをクリックする。


 本文も、添付も何もなかった。ただ、一つのURLだけが、白い画面の中に青く浮かびあがっていた。


 そのURLをクリックすると、無料で使うことのできるファイル共有サイトに飛んだ。そこにはzip化されたファイルが一つだけ保存されていた。パスワードはかかっておらず、クリックすればすぐに解凍される。そのファイルは、音声ファイルだった。


 そのファイルを開くと、PCの動画再生ソフトが自動で立ち上がり、PCのスピーカから津田の声が再生される。


 聞きなれた低音の声。もう、二度と聞くことのない声。

 

 その声は、苦しそうに喘いでいた。


『敷島さん、聞いてくれ……ほんとは会って話したかったんだが、時間がない。あいつが来ちまった。くそっ……。とにかく、全部は伝えられないが、大事なことをだけ、今伝える……』


 その音声ファイルは、彼の死の直前、クチナシ様に追われながら録音したものらしい。死がすぐそこまで迫ってきているという状況の中、それでも私に伝えようとしてくれていた。


 その声に、恐怖は微塵も含まれていなかった。あるのはただ使命感のみである。その声は私を奮い立たせた。


 私はPCの前で強く拳を握りこむ。


『……まず、思ったとおり鳴らない鈴の正体は、クチナシ様の接近を知らせる警報装置だった。咬ヶ島にある六平神社に在った。あの島は無人島なんかじゃなかったよ……敷島さんの予想どおり、第二の実験場だった。あの村にもあったクチナシ様の木像もあったよ。ああ……くそっ! 鈴の音が止まらねえ! 近づいてきてる……! ちくしょう!』


 そう津田は叫ぶが、再生されているのは津田の荒い息と、声だけだ。鈴の音は聞こえない。もしかしたら、クチナシ様に魅入られている人間のみが聞き取ることができるのかもしれない


『それから、島の地下に陸軍の施設も見つけた。六平神社に地下へと繋がる階段があるんだ。そこで、報告書も見つけた。やっぱり、陸軍の奴ら、クチナシ様を召喚しようとしてやがったんだ。それを軍事利用するために! 二人で見つけたあの廃村での出来事は実験の第一段階だった……クチナシ様を下ろし、そして制御できるのかを調べるための……結局制御は出来なかったみたいだが……殺すことは出来た。あの猿渡っていう爺さんの言うとおり、奴らは人間の赤ん坊にクチナシ様を宿して、そして、最後はその子ごと殺しやがった……! 咬ヶ島でも同様の実験をしようとしていた。でも、その実験は失敗したみたいだ……クチナシ様を宿した女が儀式中に死んだらしい。もちろん、お腹の中の子もな……。クチナシ様は赤ん坊に宿すからこそ殺せるんだ。その生まれるべき赤ん坊が死んじまったら、クチナシ様は制御不能のバケモンに成っちまう……。顕現したクチナシ様によってそこにいた実験体は全員殺されちまったんだ。まだあの島にはクチナシ様がいる。俺はこの目で見た……。あの木像と同じ姿をしてたよ……。敷島さん。あいつを祓おうなんて考えるな……。とにかく、今までのことは全部忘れてとにかく逃げろ。あいつのいないところに! ああ! くそっ! なんで、こんなところまで追ってくるんだ!』


 私は無駄だと分かっていても、彼の無事を祈らないわけにはいかなかった。


 いつの間にか両目から涙が溢れていた。


 次の瞬間、津田の声色が変わる。


『ちょっと待て……なんであいつはここにいる……? 朋絵も、あの子の友人も直接殺されたわけじゃない……『呼ばれた』そう言っていた……。あいつは今まであの島から呼んでたんだ……でも、なんで今ここにいる? あ、ああああああ、くそおおおおお! 俺か! 俺が呼んじまったのか! くそおおおおおおおお!』


 津田が絶叫する。


 耳を覆いたくなるほど悲痛な叫び声だった。


『敷島さん、本当にすまない……俺はあいつに憑かれちまったみたいだ。そして、あいつは俺を追ってきた。島の結界の外に連れ出しちまった! ああ! くそっ! たぶん、あいつもの目的は、産まれてくることだ。約百年前の儀式の続きをしようとしているんだ。だから呼ばれるのは俺じゃなくて朋絵だったし、敷島さんや、その友達だったんだよ……女だから……とにかく鈴を持って逃げるんだ。頼む!』


 そこで音声は途切れた。


 私の脳は完全に混乱していた。すべてを今理解することは出来ない。しかし、たった一つ、聞き逃せない情報があった。


 ――クチナシ様の目的は


 ずっと私がこの物語の中心なのだと思っていた。


 しかし違う。違うのだ。


 私はただの駒の一つでしかなかったのだ。


 クチナシ様がずっと呼んでいたのは、本当の狙いは、自分を呼び出した敷島家の直系――姉の実咲だ。


 クチナシ様は、姉の腹を借りて産まれてくるつもりなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る