結実 その九

 気を失った私は、警邏中の警官に起こされ、救急搬送された。倒れたときにできたと思われる擦り傷以外、特に目立った外傷はなく、また念のため撮った頭部CTの結果も問題なしということでそのままその日は帰宅した。


 翌日、私は警察署で事情聴取を受けることとなり、今はその取り調べの最中だった。


「敷島さん、もう一度、確認させてください。この写真に写っているのは誰ですか?」


 伊丹と名乗った刑事は私に一枚の写真を見せる。


 それは、胸のあたりまで布をかぶされた、ある男のバストアップの写真だった。その顔は青白く生気がない。素人の目から見ても一目で死んでいると分かる。


「敷島さん、どうですか?」


 刑事が再度私に確認を求める。


 私はその写真に写る人物を見る。何度瞬きをしようと、何度見返そうと、それはよく見知った人物であった。


「……津田さんです」

「ありがとうございます」

「その、津田さんは……」


 刑事は眉根をよせ、沈痛な面持ちになる。


「ええ、あなたの供述どおり、ロッカーの中で……お悔み申し上げます」


 刑事は頭を下げた。


 それにどう反応してよいのか分からず、私は、ただ黙っていた。


「犯人は我々警察が必ず捕まえます」


 犯人という言葉が魚の小骨のようにちくりと胸に刺さる。


 当たり前のことだが殺人事件には必ず犯人がいる。おかしな化け物ではなく、人間の仕業と考えるのが普通である。


 私は刑事の言葉になんと返してよいか分からずただ、黙っていた。


 刑事は困ったような、憐れむような顔をすると自分の頭を掻く。


「津田さんから電話を受けたとき、コインロッカーへ向かうように指示されたんですね?」

「……違います。いえ、違わないのですが、今は来るなと言われました。翌日にロッカーに預けたものを受け取るようにと」

「その、預けたものとはこれですか?」


 刑事はそう言ってビニール袋に入れられた一つの鈴を机の上に置いた。


 その鈴は普通の鈴よりも少し大きめ、サクランボくらいの大きさがある。その鈴には紫色の組紐が取り付けられていた。鈴はくすんだ黄色をしており、それなりに古いものであることが見て取れた。おそらく真鍮製であろう。


「たぶん、そうです」

「たぶん?」

「ええ。津田さんは鳴らない鈴を探していました」

「鳴らない、鈴……」


 刑事はその鈴を取り上げて、振ってみる。

 

 鈴の音は鳴らない。


「確かに鳴らないようですね。どうやら、中に玉が入っていないようです」


 刑事は鈴を袋に入れたまま、観察する。


「ところで、この鳴らない鈴というのは何ですか?」


 正直に話すべきかどうか一瞬迷う。正直に話したところで、信じてもらえるとは到底思えなかった。


 しかし、疲れ果てていた私は取り繕う気力すらなかった。


「一種の魔除けです」


 魔除けという言葉を聞いた瞬間、刑事の眉間にしわが寄る。


 おおかた、私の頭がおかしいと思ったのだろう。


 しかし、どう思われたってかまわない。私は、ただ知っていることを正直に話すだけだ。


「その魔除けを津田さんはなぜあなたに託そうとしたんでしょうか? 心あたりはありますか?」

「はい。あります。私と津田さんは、福井県のとある地方に伝わる伝承を調べていました。クチナシ様という伝承です」

「クチナシ様……」


 刑事の顔がさらに険しくなる。


「クチナシ様は人を喰う化け物です。その鈴はクチナシ様の接近を知らせてくれる、魔除けの鈴なんです」

「これが……ところでなぜ、お二人はそんな伝承をお調べになっていたのですか?」

「私と津田さんはそれぞれ大切な人を亡くしています。私は高校時代の友人、彼は恋人です。その二人は、福井県のT市に旅行に行った際に亡くなったのです。私達はその死の真相を知るために、クチナシ様の伝承を調べていたんです」


 刑事は深く頷くと「なるほど」と呟いた。


「なぜ、亡くなったご友人の事件がクチナシ様と関係があると思ったんですか?」

「彼女が亡くなる直前に言ったんです。『クチナシ様』が呼んでるって。それを呟いたあと、夢遊病患者のようにふらふらと部屋を出て行って……」

「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃあ、敷島さんはそのご友人と一緒に旅行していた、そういうことですか?」


 なぜ、そんなことを今更聞くのだろうか。先ほどからそう言っているじゃないか、いや、言っていなかったか。


 疲労で頭がぼうっとして、自分が何を話しているのかよく分からなくなっていた。


「そうです。それで、彼女は私の目の前で崖から飛び降りました」

「なんですって⁉」


 刑事が驚愕の表情を浮かべ、大声を上げる。


「その後、凛子の死体が海から発見されました。その身体には無数の歯形がついていたそうです」

「その、津田さんの恋人という方もその、歯形が?」

「ええ。そうです。だから私と津田さんはクチナシ様の伝承を調べていたんです」


 刑事は頭を抱え「なんてこった」と呟く。


「敷島さん。落ち着いて聞いてくださいね」


 刑事はそう前置きしてから語りかけてきた。


 刑事が何を言おうとしているのか、はっきりと分かった。


「あったんですよね。歯形。津田さんにも」


 刑事ははっと目を見張る。


「……そのとおりです」


 やっぱりか、そう思った。


 刑事が急に険しい顔になる。


「敷島さん。良いですか。この事件は連続殺人事件の可能性が高いです。そして犯人は非常に危険な人物だと思われます。絶対にこれ以上何か調べたりしないでください。あなたの身にも危険がおよぶ可能性があります。この件は警察に任せて。良いですね?」


 その声には有無も言わせぬ強い響きがあった。


「……分かりました」


 私は小さくうなずいた。


 しかし、この件が警察にどうにかできるとは到底思えなかった。だって、犯人などいないのだ。すべてはクチナシ様の仕業だ。


 人は信じたいものしか信じない。


 津田の言葉は、真理だと思う。


 今までの私は、クチナシ様の存在をどこか否定的にみていた。しかし、今ではそれを否定することに私は疲れ切っていた。あれこれと論理と推理を組み立てるより、クチナシ様に殺されたのだと思った方がはるかに楽だった。


 その後も刑事の事情聴取は永遠と続き、私はここ数か月で経験したすべてを刑事に話して聞かせた。


 荒唐無稽な私の話に、刑事は最後まで相槌を打ちながら理解を示してくれた。てっきり、頭がおかしいと思われるか、最悪怒られるとすら思っていたので不思議に思った。


 こんな馬鹿げた話を信じてくれるのかという私の問に、刑事は力強く頷き「もちろんです。どんな些細な情報も捜査には必要ですから」と言った。


 長い事情聴取がおわり、私はようやく解放された。


 取調室を出るとき、私はダメ元で刑事に聞いてみた。


「あの、さっきの鈴なんですが、持って帰るわけにはいかないでしょうか」


 刑事は困ったような顔をする。


「すみません。あれも証拠品なので……」


 まあ、大方予想はついていた。殺人事件の証拠品ともなれば、おいそれと返却するわけにはいかないのだろう。


「いえ、こちらこそ無理を言ってすみませんでした」


 そう言って私は警察署を後にした。

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