結実 その五

 咬ヶ島、それは現代まで伝わっているクチナシ様の伝承の舞台である。


 実際にクチナシ様の実験が行われたのは山村だった。しかし、その後、おそらく陸軍の手によって村の存在は文字通り地図からも消され、そして、代わりにクチナシ様の伝承は、咬ヶ島を舞台とした伝承へと改竄された。


 その理由ははっきりとは分からない。


 しかし、予感はある。きっと次の実験場だったのだ。


「やっぱり、咬ヶ島は無関係じゃないんですかね?」

『ああ。俺はそう考えている。敷島さんが言ったとおり、第二の実験場だったんだと思う』


 彼ははっきりとそう言い切った。何か確信のようなものが在るらしい。


「どうしてそう言い切れるんですか? 確かに、私もなんとなくそう感じていますが、単なる想像、いや妄想に近いですし……」

『ああ、それはな、咬ヶ島を舞台とした伝承が広まっているからだよ。それ自体がもう、証拠みたいなもんだ。最初俺たちは、クチナシ様が現れた本当の場所を秘匿するために改竄したと思ったよな? それで、咬ヶ島から遠く離れているにもかかわらずやけに伝承が色濃く伝わる西側の地域に目を付けた』


 そうだ。それで、あの村を見つけたのだ。


『でも、それはおかしいんだよ。本当に実験自体を秘匿したいのならば、場所だけをすり替えるんじゃなく、その噂ごと闇に葬ればいい』

「それ、私も思ったんです。地図すら改竄してまで実験場の場所を隠したのにも関わらず、どうして伝承自体も一緒に葬らなかったんだろうって。だから私、逆に噂を広めたかったのかも、そう考えたんです。でも、それも何か違うような気がして……なんか、矛盾しているんです。ううん、矛盾と言うか、中途半端っていうんですかね? 隠したいのか、そうじゃないのか、どっちなのか分からないんですよ」

『敷島さんの言うとおりだよ。でも、それには訳があるんだ』

「それって、一体……」

『敷島さん、すべての宗教儀式、降霊術、呪いの儀式なんかに共通する、絶対になくてはならない要素ってなんだか分かるかい?』


 そんなものが在るのだろうか? この世には様々な宗教があり、それらには独自の文化が根付いている。すべてに共通する要素など、果たしてあるのだろうか?


「分かりません」

『それはな、信仰心だよ。信じる気持ちと言い換えてもいい』


 彼の言葉がストンと腑に落ちた。


 確かにそのとおりである。それが無ければそもそもそんな儀式などを行おうとすら思わないはずだ。


「あ……」

『気が付いたか? そう。このクチナシ様を召喚するという実験には、クチナシ様という伝承を信じる人間が必要不可欠なんだよ。実験場を咬ヶ島に移した陸軍が最初にやるべきことは、クチナシ様を信じる人間を集めること。いや、たぶん違うな。洗脳したんだろうな。するとどうなると思う?』

「どうって……」

『人の口に戸は立てられぬ、だ。その噂が広まるわけだ』

「なるほど……でも、じゃあ西側の地区に噂が集中していたのは偶然だったんですかね?」

『いや、おそらくそうじゃないだろう。こっちはやっぱりクチナシ様の伝承の舞台を隠蔽する目的だったんだろうな』

「ちょ、ちょっと待ってください。頭が混乱してきました」

『だからな、もし第一の実験のことが万に一つでも漏れていて、それが咬ヶ島に住む第二の実験体の耳に入った場合、信仰心が揺らぐ可能性がある。それは何としても防ぐべきだろう? だから、第一の実験場に近かった村の麓の地区には重点的に噂を流したんだろう。前に話したと思うが、人間は自分の信じたいものしか信じない。自分のすぐ近くの村で起こった恐ろしい話よりも、遠く離れた咬ヶ島での話の方が信じやすいってわけだ』

「なるほど……」


 私達の間にしばらくの沈黙が流れる。


 受話器からは小雨のような小さなノイズが聞こえてくる。


 そんな沈黙を津田の低い声が破る。


『敷島さん。俺は咬ヶ島に行ってくる』


 その声にはただならぬ決意に満ちていた。


 私も行く、そう言いたかったが、なぜだかそれを言わせてくれない雰囲気があった。


「そう、ですか……」

『ああ、何かあればまた連絡する。それじゃあ』


 私が何かを言う前に、彼は電話を切った。


 電気をつけていない暗い部屋の中、通話が終了した旨を知らせるスマートフォンの画面だけが浮かんでいた。


 私はため息をつき、机の上にスマートフォンを置こうとした。


 その時、手の中のスマートフォンの画面が再び点灯し、部屋を照らす。その光に一瞬目が眩む。


 画面をのぞき込むとそこには見知った名前、姉の実咲からであった。


 一瞬胸騒ぎがする。


 きっといつもの、旦那の愚痴でも言うために電話してきたのだろう、そう自分に言い聞かせてから電話にでる。


 スマートフォンを耳に当てなくても聞こえるほどの絶叫。


 全身に鳥肌が立つ。


 スマートフォンの小さなスピーカーは、姉の悲痛な叫び声を再生する。

『瑠璃ぃ! どうしよう! いっちゃんがあ! いっちゃんがあ!』


 いっちゃん、郁人いくと。それは、姉の旦那の名前だった。


「いっちゃんが、電車に飛び込んだって! あああああ!」


 全身の血の気が引いていく。それと同時に津田との会話で多少疲弊しオーバーヒート気味だった脳の温度が下がる。


 そして、冷えた頭で私はこう思ったのだった。


 ――ああ、彼も呼ばれたのか、と。

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