結実 その二

 私はノートパソコンをシャットダウンし、画面を閉じる。パタリと軽い音が自室に響いた。


 津田に電話をしようとスマートフォンに手を伸ばしかけた手を止める。


 電話して何になるのだ? 話すことなど何もない。


 津田がスキャンした例の報告書が今朝、メールで送られてきていた。それをたった今確認したところだ。報告書の内容は恐ろしかった。恐ろしかったがしかし、私には予感があった。そして、あの屋敷の地下室の扉を見たとき確信したのだ。クチナシ様と言う伝承の正体がであったことを。だから、報告書を読んで抱いた感想は『やっぱりか』という至極淡白なものだった。


 そして、この実験を指揮した敷島桜という男は、やはり私の血縁の者らしかった。私は東京に戻ってきたその足で自分の実家へと帰り、父に訊ねたのだった。


 父は私の突然の帰郷に驚いていたが、素直に喜んでくれた。


 父は、「敷島桜」という人間が親戚筋にいるかという私の問に頭を傾げた。娘が突然帰郷し、何事かと思えばそんなことを訊ねるわけであるから疑問に思うのは当然だろう。しかし、頭を傾げた理由はそれでだけではなかった。知らなかったのである。 


 父は婿養子で、母の敷島の姓を継いだ。母の代、敷島家では男が産まれず、長女であった母が私の父を婿に迎えるという形で家督を継いだのだそうだ。母が家督を継ぐ直前まで、敷島家は名家であったらしい。しかし、祖父がバブル期に不動産事業に手を出し、そしてバブル崩壊とともに多額の借金を負った。その返済のため、家財も土地もほとんど手放すことになってしまったのだそうだ。今では、本宅である東京にしては大きめのしかし古い屋敷が残っているのみである。


 婿養子の父は、敷島家の血縁には当然疎いのである。ならば、敷島家の直系である母に聞くのが筋であるが、母は私がまだ幼いころに亡くなっていた。加えて祖母も祖父も最近亡くなってしまった。もはや敷島家の人間は私達姉妹のほかには父しか居なかった。そんな頼みの綱である父だったが、予想通り『聞いたことが無いなあ』と呟いた。しかし、暫くしてからポンと手を叩き、屋敷の奥の方から家系図を引っ張りだしてきた。私も家系図を見るのは初めてだった。こんなものが在ったのかと驚く私に、父は眼鏡の奥の目を細めて『俺も瑠璃が産まれて書き足した時以来、存在自体を忘れてたよ』と言った。


 家系図の一番下流には姉の「実咲」という名と私の名「瑠璃」が記されている。それを一つ上流に辿ると、母「由実」と父「才次郎」が、そのさらに上流には祖父、曾祖父と続き、そして曾祖父の弟にその名を見つける。


 敷島 桜


 この敷島桜という男は私の曾祖そうそ叔父しゅくふにあたる人物であった。この男に関する何か噂話などを聞いたことはないかと父に訊ねてみたが、名すら聞いたことが無いとのことだった。


 

 この男は先の大戦で戦死したのだろうか?


 そもそも、本当に当時の陸軍はクチナシ様などという非現実的な存在を信じ、そしてそれを産み出す実験をしていたのだろうか?


 報告書を読む限り、少なくとも村人はクチナシ様の存在を信じていたようである。そして、その中の幾人かははっきりとその存在を視認している。


 しかし、クチナシ様自体が村人を殺したというよりも、それを目にした人間の精神が破壊され、そして互いに殺しあったというのが事実のようである。


 その時、暗い部屋の中で机の上のスマートフォンの画面が点灯した。


 手に取ってみると、そこには津田の名前が表示されていた。

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