発芽 その八

「けっこう険しいんだね」


 凛子が息を切らしながら呟く。


 神社へと続いているであろう参道は、そこまで荒れてはいない。しかし、緩やかな登りであった。おそらく神社は岬に建てられているのだろう。先ほどから、前方だけでなく左右からも潮騒が聞こえてきていた。松林であるため月光は木々の隙間から入るが、足元を照らほどの光量はない。私は懐中電灯で行く先を照らしながら進んでいた。


 懐中電灯をつけると、その強い光で目が眩み、それまで月光で微かに照らされて浮き上がるように見えていた景色が闇の中へと消える。懐中電灯が照らす直径一メートルかそこらの光の中以外は、すべて闇に包まれてしまった。


 足の裏に積もる松葉の柔らかさを感じながら歩を進めること数分。懐中電灯の光の中に、何かが浮かび上がる。


「あった」

「あったって、何が?」


 凛子は息を切らしながら顔を上げ、懐中電灯の光の先を見上げる。そのとたん「うわ」と声を漏らした。


 それは鳥居だった。石造りのそれは懐中電灯の黄色い光の中にどっしりと浮かび上がっている。


 私はさっと鳥居の周囲に沿って照らしていく。懐中電灯の光線がつくる鳥居の影が松の葉のスクリーンにじっとりと伸び、懐中電灯を動かすたびにその影がまるで得体の知れない何者かのように蠢いた。ざあざあと聞こえる潮騒の向こう側に、その得体の知れない何者かの息遣いが紛れているような気すらした。

私は思わず身震いをする。


「シンガクはないみたいだね」


 凛子の口から知らない単語が出てくる。


「シンガクって?」

「ほら、鳥居の中央に掲げられた、神社名とかが書いてある額のこと」


 頭の中で神額という漢字に変換される。


 確かに凛子の言うとおり、この鳥居にはそれらしいものはなかった。


「普通あるもの?」

「いや? そうでもないよ。まあ、とりあえず進もうか。此処も十分に雰囲気はあるけれど、目的地じゃないしね」


 凛子がそう言って、鳥居をくぐる。


 凛子に付いてしばらく行くと少し開けた場所に出る。しかし、そこには何もなかった。てっきり社があると思っていた私は、拍子抜けしてしまった。しかし、神社がないとすると、その裏道というのも見つからない。目の前はどん詰まりとなっており、道は続いていなさそうである。


 さて、困ったとぼうっと立ち尽くしていると、凛子は何か感じとったのか、手早くあたりを見渡す。そして視線を左側に向けたとたん、ぴたりとその動きを止める。

その視線の先には小さな鳥居と社があった。しかし、その大きさは、先ほど見た石造りの鳥居のとはいささか不釣り合いである。せいぜい二メートルほどの高さであり、神社の社というよりかは祠のようである。


 私はよく見てみようと近づこうとした瞬間、凛子に腕をつかまれる。


「ちょっと待った」


 振り返ると凛子は私の肩越しに在るその祠を見つめたまま固まっていた。その目は真剣そのもので、そして、多少の恐怖が混じっていた。


 その恐怖が私にも伝染し、俄かに心拍数が上昇する。


「な、なに?」

「やめた方がいいかも」

「どうして?」

「あれ、たぶんセッシャだよ」


 また聞きなれない言葉だ。


「何それ?」

「ほら、神社とかで境内の中にある、小さな祠を見たことない?」

「ああ、あるね」

「本殿以外のそういう小さなお社のことを摂社、末社っていうの」


 振り返って改めてその社を見る。確かに、小さな鳥居に小さなお社。神社でよく見るアレである。しかし、それがとはどういうことなのだろうか。神様を祀るという意味では神社に違いない。


「なんで近づかない方がいいの?」

「摂社はね、本殿に祀られている神様に所縁のある神様を祀るものなの。例えば親族とか。でもね、こういった規模の小さい神社で摂社が置かれることってあんまりないの」


 確かに、こういったお社がある神社はどれも観光名所だったりする有名な神社であることが多い気がする。


「こういう小さい神社の摂社に祀られているのは、本殿の荒魂あらみたまであることが多いんだよ」

「なにそれ?」

「まあ、神様の別人格ってとこかな。人を導き、救うのが神様の一つの顔だとしたら、人を喰い、呪い、祟るのも神様のもう一つの顔ってこと」


 神様にもそんな恐ろしい一面があるのか。確かにそれは怖い。怖いが、それを鎮めるのが摂社の役割なのだろう。全国には荒魂を祀る摂社がごまんとあるはずで、たいして珍しいものでも、恐れるものでもない気がする。


「でも、摂社があるのは別に珍しくはないんでしょ」


 凛子は「まあね」と頷く。


「でもね。本殿がないのに、


 その言葉に私はなぜだか悪寒を覚える。


 凛子は社をじっと見つめたまま、声を落として続ける。まるで何かに聞かれまいとするかのようだった。


「ここには昔本殿があったはずだよ。でも、今はもうない。今あるのは、人を祟る恐ろしい御魂だけ。でもね、私が本当に恐ろしいと思っているのはそれじゃないの」


 じゃあ、凛子は何に怯えているというのだ。


「あれ、見て。お社の前」


 凛子が指さす方、懐中電灯の光に浮かぶ社をじっと見つめる。古いが特に変わった様子はない。しめ縄からはよく見る白い飾りが垂れ、観音開きの扉の前には白い花瓶に入ったこれまたよく見る植物の枝が刺さっていた。


 やはり、異常は見られない。


「特に変わったところはないけど。普通って感じ」

「だからさ、普通なのがおかしいんだよ」

「どういうこと?」

「まだ、んだよ。だって、ほら。どう考えたってしめ縄も榊の枝も、新しいじゃない」


 私はもう一度社を振り返る。


 しめ縄から垂れる飾りは真っ白に、供えられた植物の葉も青々と懐中電灯に照らされ、浮かび上がっている。それらは、まさに今しがた誰かが取り替えたように真新しかった。


 誰かが、まだこの社を信仰しているのだ。人を祟る恐ろしい神様を。


 知ってか知らずか、それは分からない。しかし、もし悪意を持って祀っているのだとしたら? あのしめ縄も榊の葉も新しすぎる。もしかしたらたった今交換したばかりで、誰かがこのくらい闇の中に潜み、私達を監視しているかもしれない。

そう考えると恐ろしく、全身に鳥肌が立った。


 もう行こうと凛子に声をかけようとした瞬間、彼女がものすごい勢いで振り振り返る。そして、しきりに松林の中を懐中電灯で照らす。


 尋常ならざる凛子の様子に私は恐れ慄いて「な、なに」とほぼ悲鳴のような声を絞りだした。


「いや、誰かに見られている気がしたから。でも、気のせいだったみたい」

「や、やめてよ」

「ごめん。さて、先に進もうか。茜ちゃんが言ったとおり、あの摂社の後ろには道があるみたい」


 そう言って凛子は社の少し左側を照らす。確かにそこには道のようなものが続いていた。


 私たちは、お社を左から大きく回って、その道らしきものへと近づいてみる。それは、一本の下り階段だった。その階段は蛇行しており、先は闇の中だった。私達は互いに見合うと、同時に頷き、二人並んで階段を降り始めた。


 海が相当近いのか、先ほどとは比較にならないほどの音量で潮騒が聞こえる。それが、風に吹かれて鳴る松葉の音と混ざり、何者かが呼んでいる声のようだった。


 私はふと朋絵ちゃんを想う。


 彼女はこの暗く騒がしい道を一人で歩いたのか。


 ――ざわ、ざわ、ざわ、ざわ、ざわ、ざわ、ざわ。


 ほうら、呼ばれてる。


 ――ひそ、ひそ、ひそ、ひそ、ひそ、ひそ、ひそ。


 嗚呼、そうか。私も呼ばれているのだ。彼女にではない。この地に潜む何か恐ろしいものに。


 ――かちり


 何かが歯を打ち鳴らすような音が確かに聞こえた。


 次の瞬間、私の視界が一気に開ける。

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