発芽 その七

 コーヒーをおかわりし、半分ほど飲んだ頃だった。


「お二人はどうしてこんな田舎に旅行に来たんですか?」


 それは、まさに凛子が待ちに待っていた絶好のパスだった。彼女はここだとばかりに、身を茜ちゃんの方に寄せて話始める。


「実はね、ある人を探しに来たの」


 茜ちゃんは涼し気な目元をさらに細める。


「人を……」

「そうそう。この子の小学校の頃の友達なんだけれど、行方不明なんだ」

「行方不明……ですか」と茜ちゃんは不安そうに呟く。

「それでね。どうやらこの宿に泊まったみたいなんだよね」

「え? うちにですか?」


 茜ちゃんは目を見開く。


「あの、それっていつ頃……」

「分かんないんだよね。ただ、この宿で撮った写真があるんだ。あ、そうだ瑠璃さ、茜ちゃんに見てもらったら? 何か覚えているかもよ?」


 凛子がさも今思いついたかのように手を叩く。


「そう、だね……」


 私はスマートフォンを取り上げると、写真フォルダを開いて例の写真を選択する。画面を茜ちゃん側に向けて、スマートフォンを差し出す。囲炉裏の角を挟んで座っている茜ちゃんは、身を乗り出し、慎重に両手でスマートフォンを受け取り、画面を覗き込んだ。


 写真を見た茜ちゃんの顔が一瞬曇る。やはり、あの写真には人に不吉な予感を感じさせる何かがあるのだろう。


「どう? 見たことある?」

「いえ……覚えにないですね。でも、確かにうちの宿ですね」


 茜ちゃんは画面を覗き込んだまま応える。


「ねえ、その写真、変なところがあるんだけどなんだか分かる?」と凛子が茜ちゃんに尋ねる。


 茜ちゃんは顔を上げると、眉根を寄せ「変なところですか?」と聞き返す。その声には若干の不安が混じっていた。


「そう」

「なんだろう……」


 茜ちゃんは再び写真に目を落とす。


「あの、画面触っていいですか?」

「ん? いいよ」


 茜ちゃんは画面の上で人差し指と親指を滑らせ、細部を確認していく。そんな姿を見ていた凛子が何か言おうと口を開きかけたとき、茜ちゃんは何かに気が付いたのか「あっ」と小さな悲鳴を上げた。


「気が付いた?」と凛子が茜ちゃんに問いかける。茜ちゃんは口を手で覆ったまま答える。


「カメラが……ないです」

「そうなんだ。不思議だよね。鏡越しに撮っているのに」


 茜ちゃんは頷きながら画面を見ないように私にスマートフォンを手渡す。


「なんなんですか、その写真」

「さあ、わかんない。でも、これが唯一の手掛かりなの」

「その女の人、その写真を撮った後に行方不明になってしまったんですか?」

「いや、違うみたい。確か、小学生の頃だったよね?」


 私は頷く。


「え? 小学生? でも……」

「そう、写真の人は大人だよね。私が小学生の時、ある日突然友達だったその子がいなくなっちゃったの。で、最近さっきの写真が別の友達から送られてきて……」

「そうだったんですか」

「で、どう? やっぱり見覚えない?」


 凛子の質問に茜ちゃんは首を振る。


「ごめんなさい。見覚えはないです。あの、うちのおばあちゃんなら、もしかしたら何か知っているかもしれません。聞いてみますか?」


 私は首を振る。


「良いの。今見てもらったように不気味な写真だし、女将さんに変な気を使わせたくないから」

「そう、ですか」


 一瞬私達の間に沈黙が流れる。ぱちりと囲炉裏の中で炭が爆ぜる音がした。そんな沈黙を凛子が破る。


「ねえ、茜ちゃん。この辺の不思議な噂とか、怖い話とか知らない?」

「怖い話ですか……」


 茜ちゃんは顎に手を当ててしばらく考える。何か思い当たる節があるのか、顔を上げて「そういえば」とつぶやいた。


 凛子がにわかに興奮するのが分かる。


「何かあるんだね?」

「ええ、まあ。でも、その……」


 茜ちゃんは言い淀み、私の方をちらりと見た。彼女が何に気を使っているのか私は直感する。やはり、みんなそう思うのだと私は妙に納得する。


「大丈夫だよ。私も同じことを思ってる。つまりその、あの子はもう死んじゃってるんじゃないかって」


 茜ちゃんはふっと目を伏せる。


「ごめんなさい」

「良いの。大丈夫」


 茜ちゃんは目を上げると悲しげな顔をして続ける。


「実は、この辺は見てのとおりすごい田舎で特に観光地もないのでほとんど県外からのお客様は来ないんです。もちろん、一部の常連様を除いて、うちにもめったに来ません。でも、なぜか数年に一度、町中で知らない人を見かけることがあるんです。そういう人は大抵、一人で、その……」

「自殺しに来た人なんだね?」


 そう私が聞くと、茜ちゃんはまた目を伏せた。


「そして、なぜか皆さん同じ場所から身投げするんです」

「ほんとに?」


 凛子は驚きを隠せないという様子で目を丸くする。しかし、静かに興奮しているのが手を取るように分かった。


「そうです。此処から少し歩いたところに在る崖なのですが、皆さんそこから。地元の人たちは気味悪がって誰も近づきません」


 私は、朋絵ちゃんもそこから身を投げたのだろうと確信する。


 白いロングのワンピースを着た朋絵ちゃんが断崖の上に立っている。青い月の光に白いワンピースが透け、彼女の細身の裸体が影となって浮き上がる。そして、彼女はゆっくりとこちらを振り向く。その表情は月の光の影となり、見て取れない。しかし、私の手には彼女の心の感触がはっきりと感じられた。ああ、彼女は今から死ぬのではない。とっくに。ゆっくりと彼女の体が後ろ側に倒れていく。そして、崖の向こう側へと彼女の死体は消えていった。


 私は、彼女の死の幻視から目を覚ます。行かなくては。その場所に。


「ねえ、その場所って遠い?」

「え? そんなに遠くは……」

「あんた、まさか今から行くつもりなの?」


 凛子の言葉に茜ちゃんは目を見開く。


「で、でも、夜は危ないですよ!」


 茜ちゃんの目は心配で揺れていた。


 しかし、行かなければ。


「あ、こりゃだめだ」


 凛子が私の顔をじっと見つめた後にそう言った。


「だ、だめ?」


 茜ちゃんは完全に狼狽えていた。いや、恐怖しているといっても良かった。


「この子、こう見えて頑固でさ。こうなったら何言っても聞かないの。ごめんね。私達行かなきゃいけないところが出来たみたい」

「じゃ、じゃあ、あの、せめて懐中電灯を持って行ってください。崖になってて、足を踏み外したりしたら本当に危ないですから」

「ありがとう。頼める?」


 私がそう言うと、茜ちゃんは大きく頷くと「取ってきます」と言って立ち上がる。


「お履き物、準備しておきますので、お二人はお部屋に上着などを取りに行ってください。夜は冷えますから」

「分かった。ありがとうね」


 茜ちゃんは軽く会釈をすると、小走りで裏へと消えていった。


 私達は言われたとおり上着を取りにいったん部屋に戻った。トレンチコートに袖を通す凛子に私は話しかける。


「わがまま言ってごめんね」

「いいって。いつもの事じゃん」


 凛子は笑ってくれた。


 ロビーへと戻ると、カーデガンを羽織った茜ちゃんがカバンを持って立っていた。


「あれ? 一緒に行ってくれるの?」

「いや、その、私はそろそろ家に帰らないといけなくて……でも途中までお送りします」

「そっか。今日はありがとうね。コーヒーもご馳走様」

「いえ、そんな。私も楽しかったです」


 そういって茜ちゃんは微笑んだ。しかし、その顔にはまだ少し不安が残っているようだった。


 私達は茜ちゃんが出しておいてくれた靴を履いて、玄関を出る。


 秋の冷たい風に思わず体を抱いた。


「さむー」


 凛子は二、三度その場で足踏みをしながらそう言った。


 今日は満月らしい。旅館から伸びる道には街灯はないが、月の光に照らされている。まるで白黒映画に青色のフィルターをかけたかのようだ。


「行きましょうか」


 茜ちゃんの言葉で私達は歩を進めた。


 しばらく私達は黙って歩いた。


 歩を進める度に潮の香りが強くなる。気が付くと前方の遠くから潮騒が聞こえてきていた。海がもうすぐそこなのだ。住宅街の奥、家々の屋根の上にこんもりと盛り上がった木々が見えた。それらは月の光がつくる陰影でえも言われぬ立体感を醸し出している。住宅街を抜けると少し開けた十字路に出た。


 右手側は小さな公園となっており、桜と思わる木が何本かその公園の外周に植わっている。左手前方には、先ほど屋根の上に見えていた木々が海風に吹かれてざわついている。どうやら松林のようだ。


「この道をまっすぐ行くと、林道に突き当たります。その道をまっすぐ行くと神社に出るのですが、その神社の裏側に海へと出られる道があるので、それを進んだ先が例の場所です」


 茜ちゃんが指さす方を見る。私達が歩いてきた道は、少し左側へとカーブし松林の中へと続いていた。


「あの、私はここで……」

「うん。ありがとうね」

「本当に気を付けてくださいね」

「うん。大丈夫だよ。あ、そうだ。これ、どうすればいい?」


 私は手に持った懐中電灯を掲げる。


「それは宿の受付に置いておいてください。おばあちゃんには言ってあるので」

「分かった。じゃあ、また明日ね」


 私がそう言うと、不安そうにしていた茜ちゃんの顔が多少明るくなる。


「はい! また明日」


 茜ちゃんはペコリとお辞儀をすると、元来た道を駆けて戻っていった。そんな彼女の後ろ姿を小さくなるまで二人で見送る。


「さて、行きますか」


 凛子が振り返り、松林(おそらく鎮守の杜なのだろう)を見上げて言う。


 私は答える代わりに一歩踏み出すのだった。

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