8-1.【事例5】人身御供が来た!

 私は、化学プラントの設計・工事の仕事に従事していたため、仕事柄、本社と、工場・研究所を交互に転勤していました。


 この事例の時は、私は工場の設備部隊に勤務しており、ある化学製品を生産する化学プラントの生産能力のアップを検討していました。


 化学プラントの運転は大きくバッチ運転と連続運転に分かれます。


 バッチ運転というのは、原料を反応装置に入れて、化学反応を起こさせ、生成物を抜き出すという操作を繰り返すものです。すなわち、原料を反応装置に入れて、次に化学反応を起こさせ、最後に生成物を抜き出すという操作を順番に行なっていくのです。この順番になった一連の操作の1回分を1バッチと呼びます。そして、その一連の操作を1日に12回繰り返せば、1日12バッチの運転と呼ぶわけです。つまり、この場合は、1バッチを2時間で運転していることになります。


 一方、連続運転というのは、反応装置に連続して原料を投入し、反応させて、連続して生成物を取り出すというものです。つまり、原料投入、反応、生成物の取り出しという3つの操作を同時に行うわけです。


 その時に私が担当していたプラントは、全体は連続運転だったのですが、化学反応の反応装置だけはバッチ運転がなされていました。当時、そのプラントは出来たばかりで、化学反応を1日に12バッチ行っていました。すなわち、1バッチを2時間で運転していたのです。そして、プラント全体の生産量を、バッチ運転で代表させて、『1日12バッチ』と呼んでいました。


 さて、私は反応装置だけでなく、プラント全体の運転データを1年間かけて、徹底的に調べてみました。夜間のデータをとるために、何度も徹夜をしました。


 すると驚くことに、現在の設備のままで、1日12バッチから、1日16バッチまでプラントの生産能力を上げることができるという結論に至ったのです。1日16バッチは、1バッチを90分で行うわけですから、1バッチが現在の120分から90分に大きく短縮できるのです。つまり、この分、生産能力を大きく上げることができるのです。


 当然、私はこのことを運転課に伝えたのですが、しかし、運転課の人たちは失敗を恐れて、誰も私の話に耳を貸そうとしませんでした。


 そんな、ある日の朝のことです。


 いつものように事務所に出勤した私のところに、まだ始業時間前なのに、そのプラントの運転課の課長から電話が掛ってきました。その電話は「いまから大急ぎで、こちらに来てくれ」というものでした。私は一体何が起こったのかと驚いて、その課に飛んでいきました。


 当時、その運転課は製造班と技術班に分かれており、課長の下に、製造班長と技術班長の二人の幹部がいました。私がその課に着くと、課長の机のところに、製造班長と技術班長が集まっており、3人が深刻な顔をして無言で私の到着を待っていました。


 そして、私が課長の席に歩いて行くと、それまで黙っていた製造班長がなぜか「人身ひとみ御供ごくうが来た! 人身御供が来た!」と叫んだのです。


 何のことか、さっぱり分からず、私は課長に「一体どうしたのですか?」と聴きました。その時の課長の話は信じられない内容でした。


 課長はこう言ったのです。


 「実は生産計画の調整に失敗して、このままだと今期の生産量が未達になってしまうんだ。ただ、明日から生産量を1日12バッチから14バッチに上げれば生産計画を達成できる。永嶋、お前は1日16バッチまで能力を上げることができると言っているが、我々には自信がない。そこでだ、永嶋。我々は明日から1日14バッチの運転に入りたいのだが、もし失敗して何か起こったら、お前が全責任を取ってくれ」


 私は耳を疑いました。生産計画の調整に失敗したから、計画を達成するために、大至急、生産能力を上げた運転がしたい。しかし、自分たちには能力アップの自信がないから、能力アップに失敗して設備の故障などが発生したら、私が全責任を取れと課長は言ったのです。私はあきれてしまいました。なんと虫のいい話なのでしょう。課長は、はっきりと「もし失敗して何か起こったら、お前が全責任を取ってくれ」と言いました。こんな話を聞き間違えるはずがありません。


 1日14バッチの運転となると、1バッチを現在の120分から、約103分に短縮しなければなりません。課長には、この自信が無かったのです。


 これで、私は、製造班長が「人身御供が来た!」と叫んだ理由が理解できました。 私は、製造班長とは親しかったので、彼は彼なりに「お前が人身御供にされる話だから注意しろ」と私に警鐘を鳴らしてくれたのです。


 『人身御供』を辞書で引くと、以下のように出ています。

1 人間を神への生けにえとすること。また、その人間。人身じんしん供犠くぎともいう。

2 集団または特定の個人の利益のために、ある個人を犠牲にすること。また、その犠牲にされる個人。


 私の場合は、もちろん、2の『集団または特定の個人の利益のために、ある個人を犠牲にすること。また、その犠牲にされる個人』が当てはまります。課長は自分の利益を守るために、つまり、生産計画に失敗したという自分のミスをばん回するために、私を犠牲にしようとしたのです。それに対して、製造班長が「お前が犠牲にされる話だから注意しろ」と私に警鐘を鳴らしてくれたというわけです。


 こんな無茶苦茶な話は、私も聞いたことがありません。しかし、私は自分の検討に絶対の自信を持っていましたので、課長にこう答えたのです。


 「〇〇課長。いいでしょう。その話、受けましょう。明日から1日12バッチから14バッチに生産量を上げてください。それで、もし何かトラブルが起こったら、私が全責任をとってあげましょう」


 その間、製造班長と運転班長は一切口を開きませんでした。


 そして、その日のうちに、1日14バッチ運転に必要な、プラントの主要な運転条件を私から課長に連絡したのです。


 翌日から、いきなり1日12バッチから14バッチに生産能力を上げた運転が始まりました。結果から言うと、私の検討どおり、何も異常は起こりませんでした。 


 そして、その課長は「うちの課が検討して、1日12バッチから14バッチに生産能力を上げる運転に成功した」と本社に報告したのです。私の名前は完全に闇に葬られました。まさに、あのとき、製造班長が「人身御供が来た!」と叫んで、私に「お前が犠牲にされる話だから注意しろ」と私に警鐘を鳴らしてくれた通り、私は犠牲にされてしまったというわけです。


 私は【事例3】で、私の企画が盗まれ、提案者の私の名前が消し去られたという話を書きましたが(6-1.【事例3】盗まれた提案書)、ここでもまったく同じことが起こったのです。そして、【事例3】と同様に、私の名前は闇の中に葬られてしまって、私は何の評価もされませんでした。


 しかし、この出来事は、【事例3】の後で起こったので、私も「ああ、また、同じことが起こったのか!」と、今回はさほど気にも留めませんでした。


 ただ、こんなにも人の功績を横取りする会社の風潮に嫌気がさすとともに、私が懸命にプラントを調査した1年間の努力は何だったのか、という激しい無力感とストレスにさらされたのは確かです。


 以上が【事例5】の私のストレス体験です。


 さて、皆様には、この【事例5】とよく似たご経験はありませんか? また、もし皆様がこの【事例5】の私の立場だったら、皆様はこの事例のストレスから逃れるにはどうしたらいいのでしょうか?


 それでは、次回にこの【事例5】をゲーム分析で振り返ってみたいと思います。

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