第31話 Clock-26

「さぁ、入って入って!」


 楓は自分のアパートの玄関を開けて、満面の笑顔で入室を即した。

 もちろん相手は・・・時田英治であった。


「あ・・お邪魔します・・・」


 ぼそっと、つぶやくように返答して英治はおずおずと玄関から中に入る。


「じゃあ、座っててね。今、お茶を入れるから」


  いつもの日曜日はファミレスで打ち合わせをしていたのだがなかなか話しずらい内容も出てきている。そこで、今日は楓の自宅で話そうと無理やり英治を連れてきたのだ。

 

 電気ポットに水を入れてお湯を沸かす。

 その間に、カップを二つ取り出して紅茶のティーバッグをそれぞれに放り込んだ。


 時田英治を見ると、居心地悪そうにテーブルの前に座っている。

 その表情を見て、楓は嬉しくなった。


 英治はいつも無表情。

 話す内容も、事務的な口調で淡々と話す。


 まだ少年・・・高校生といいうことなのだが、英治が楓に年齢相応の表情や感情を見せることはほとんどなかった。

 そのことが楓には心配であった。

 その冷静な表情。それは常日頃からなのだろうか?友達や家族には、高校生らしい言動や表情を見せているのだろうか?

 だとしたら、楓に対してももっと砕けた対応をしてもらいたい。


 そのためにも、自室であればからかったりして表情を変えるところを見ることができるのではないか。

 そんないたずら心で、自室に連れ込んだのである。


 もちろん、男性と密室で二人きり。

 襲われる可能性も少し考えた。


”まぁ、その時は・・・その時で・・・”


 そうなったとしても、あまり嫌ではないかも・・・と思っていたりした。


「はい、紅茶。お砂糖とかいる?」

「あ、なくて大丈夫です」

「うん、じゃあ・・・着替えるね」

「ええ!?着替え・・ですか?」

「うん、ちょっと待っててね」

「え・・・・ど・・どこで?」


 楓のアパートはワンルーム。すなわち・・・同じ部屋の中で着替えるしかない。


 動揺し、目を見開いて慌てる英治。

 その表情を見て、楓は内心ではしめしめとほくそ笑んだ。


「そ、こっちで着替えるね」


 そう言って立ち上がり、英治の背後に移動した。


「こっち見ないでね」


 からかうように言う。


「み・・みませんよ」


 部屋の中を衣擦れの音がする。

 楓は来ていたパーカーを脱ぐ。

 そして部屋着にしているゆったりとしたTシャツに着替える。


 その間、英治はそのままの姿勢で硬直したように固まったままだった。


「おまたせー」


 楓は英治の前に回り込んでテーブルに向かい合って座った。

 英治はちょっとうつむいて目線を泳がしている。ちょっと顔が赤い。

 楓はにやにやとしながら、その表情を楽しんだ。


”次は何しよっかな~”


 そう考えながら英治の顔を見ていた楓に対し、英治が話しかけてきた。


「そ・・・それで、来週の対応ですがまた朝にメールしますのでそれに従って売買をしてください。来週は、今週以上にあまり利益が出ないようにするつもりです。やっぱり、あまり目立ちすぎるとまずいですので」


 もうすでに、口座にある資産はかなりの金額となっていた。

 確かに、あまり目立ちすぎるの考えものである。


「うん、わかった。それより、この間の話だけどどうしようか?」

「この間の話・・ですか?」

「そう。私はバイト代として報酬をもらっているけど、英治君にお金を全く返せていないじゃない。毎週とか毎月とか決めてお金を渡すって話」

「あぁ、その話ですか。それについては、税金がどうなるかとか簡単にはいかないと思います」

「え・・・税金?」

「そう。他人にお金を渡すのは贈与税とか発生すると思います。それに、定期的にお金をおろして渡していると銀行とかに怪しまれると思います」

「え~~~、もともとは英治君のお金なのに?」

「そういうことになると思います」


 そういいながら、英治は楓から目線を外している。

 なにしろ、ゆったりとしたTシャツ姿の楓。

 姿勢を変えるたびに、首周りの隙間やそでの隙間などから下着が見え隠れしている。ちなみに、下着はピンクである。


「う~ん。じゃあ、どうしたらいいのよ。もともとは英治君のお金なんだから英治君に渡すのが筋ってもんじゃないの。なんとかならないのかしら」

「そうですね」


 英治は少し目をつぶって考える。


「一つの方法としては、会社を起すとかでしょうか。そしたら、給与という名目でお金を払うことが不自然でなくなります」

「え・・・会社?」


 楓は、想像した。

 ぴしっとしたスーツを着て、働く姿。まるで、ドラマに出てくる”できる女”見たいな服装で颯爽と歩いたり、オープンカフェでお茶を飲んだり。

 そうだ、社長秘書なんかになっちゃったりして。

 高級車の後部座席のドアを社長が乗るために開ける。そして自分はその隣に座って”社長。今日の予定は・・・”なんて・・・


「楓さん、どうしました?」


 英治のその言葉で現実に引き戻された。

 しかし、会社という言葉に楓は心を動かされた。

 高校を出て、ほんの少ししか正社員で働いたことがない。

 それ以来フリーターの身の上。会社員のいうものに憧れがあった。


「英治君。会社、いいかも!でも、私と英治君だけだから有限会社とかなのかな?」

「今は有限会社というのは無いそうですよ。その代わり、一人からでも株式会社を作ることが可能なようです。会社を起こす面倒な書類を作ってくれるサービスとかもあるそうですよ」

「へぇ、そうなんだ。詳しいんだね~」

「一度調べたことがあるので。基本的には登記申請書類を役所に提出することで認められるようですね」

「そうなんだ、意外と簡単そうね」


 楓は、にこにこと笑顔である。何しろ、ずっと英治が払ってくれたお金を返すこともできず、気になっていたのだった。それが、ようやく解決するのだ。


 英治がスマートフォンを操作して、少ししてから見せてきた。


「こういうサービスを使うと、比較的安く簡単に会社を作れるみたいです」

「へえ、便利なのね。この代表取締役って?」

「代表取締役は・・・いわゆる社長ですね。会社を作る書類に書かないといけないので」

「社長?それだったら、もちろん英治君が社長だよね」


 にこにこと、さも当然のように楓は言う。なにしろ、楓は英治に雇われていると思っている。もともとのお金を出したのも英治であるし、毎日英治の指示に従って働いているに過ぎない。


 それに対して、英治も珍しく・・にっこりと笑って言った。


「いえ、僕は未成年なので代表取締役にはなれないですよ」

「え?」


 楓は、その英治の笑顔が怖かった。

 ちなみに、正確に言えば未成年でも会社は起業することは可能である。ただし、親権者の同意が必要である。


「じゃ・・・じゃあ、誰が・・社長?」

「それはもちろん」


 笑顔で、まっすぐに楓の目を見つめている英治。


 ふるふる

 ふるふる


 さっきまでの上機嫌はどこへやら。


 楓は追い詰められた小動物のように震えながら首を小刻みに横に振るのであった。

 


 

 


 






 

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