双子の姉妹と科学にまつわる物語 -Epilogue-(2)

 〈オリオンタワー〉の正面ドアの前に着いた蒼穹祢。セリアから送られたパスワードを電子錠に入力すると、ドアは開いた。先日と違い、今日は正規の客としてタワーに招かれる。

 一階フロアの中央にエレベーターが一台ある。搭乗した蒼穹祢。かご内は至って普通の、無機質なステンレスのグレーだが、


「わ、きれい」


 上昇を始めると、色が抜けたように側面が透明に変貌し、加速する科学の不夜城イマジナリーパートの近未来的な街並みを360度贅沢に望むことができた。加えて、


「青空……?」


 加速する科学の不夜城イマジナリーパートといえば不変の夜。しかしここから広がる世界は、晴天に照らされた摩天楼の街並みだ。街で暮らして十年になるが、初めて見る光景である。


「ああ、そういうことね」


 ゆえにこの現象は、機体の側面が透明になったわけではなく、上昇に合わせて側面に街並みを映していると説明がつく。さながら観光用タワーに向けた実験的な演出かもしれない。街の展望を独り占めできる箱舟だ。


「ま、悪くない演出だわ」


 エレベーターはぐんぐん上昇し、周りにそびえるビルを次々と追い越してゆく。頂上に近づくにつれて街は夕暮れに、そして夜へと様相が移り変わっていった。

 そうして最上階に到着。頂上へはエレベーターで直通されていないため、フロアを辿って点検用のステンレス製の階段を上がっていく。八十メートル近い登りは遠く、最後の段まで上がると息が切れていた。


 簡素な扉があり、ハンドルレバーを捻って扉を押す。一歩出ると、そこは標高600メートルの野外。風がビュウビュウ吹き、青髪が靡いて雑に舞う。


「お待たせしたわ」


 散りばめた星々と、横断するように飛び交う流れ星。そんな夜空を背景に、――セリアは柵の前の踏み台に腰かけていた。風が吹くも、腰に伸びる銀髪は揺れていない。


「いらっしゃい。さ、こちらにどうぞ」


 振り向いた彼女は、闇夜でも映えるルビーのような瞳で蒼穹祢を捉え、隣に招いた。

 招かれた蒼穹祢は腰を下ろす。宝石箱をひっくり返したようなイルミネーションの海を前に、思いがけずため息が出た。


「そういえば。ネットワークの世界じゃないけどセリアが見えるわ。どうして?」

「照明装置で投影してるのさ。まるで本物だろう? 制御が難しいから、情報生命体でも私しかできないけどね」

「そうなのね」


 たしかに目を凝らせば、蠅のように小さい機器がセリアの周囲に散っている。セリアの言う照明装置のようだ。実物と見間違う精度を前に、街の技術の高さに改めて感心する蒼穹祢。


「それで、呼んだ理由は? というかセリアって……一応は敵じゃないの? どうして平然といるのよ」

「今はもう敵じゃないよ。こないだも言ったけど、私は加速する科学の不夜城イマジナリーパート忠犬わんこなんだって。表向きでも、計画を遂行するための努力は見せないといけない立場だからね」


 そう言ったセリアは、仮想オブジェクトを使って頭に犬耳を、頬にひげを生やしてわんこを表現する。


「ねぇ、かわいいから写真撮っていい?」

「ダメだよ。私の存在は機密事項だから」


 スマホを取り出した蒼穹祢に、犬耳とひげを引っ込めたセリアは断る。


「じゃあ……撮らないけど、パンダはできる?」

「はぁ? パンダ? そんなのできな……いや、できる!」


 何かを思い立ったのか。セリアは指でフレームを作って蒼穹祢を切り取った。


「えっ?」

「パシャ」


 効果音を呟いたセリアは仮想ウインドウを広げる。呆気に取られた蒼穹祢の顔に、パンダ模様のARメイクを施した写真がくっきり映っていた。


「ちょっ!」

「ヒナに送ろっと。かわいいお姉ちゃんにきっと喜ぶよ」

「やめっ……!」

「ごめん、送った」

「もう!」


 まったく、あとで妹になんと言われるか。蒼穹祢は憮然顔でセリアを睨みつけ、


「ふぅん。表向きでも、ねぇ。にしてはノリノリで悪役してたわよ。ずいぶんとヒナを痛めつけてくれたじゃない?」

「まあ、悪役は愛嬌ってことで。……ヒナの件は悪かった。手加減すると街につけ込まれるから……仕方なく」


 珍しくしゅんと項垂れるセリア。彼女にも事情があることは知っているから、それ以上問い詰めなかった。


「その件はもういいわ。話を戻しましょう。私を呼んだ理由って?」

「ああ、例の計画について話そうと思って」

「例のって、〈NARSSナース〉のこと? 正式に凍結が決まったの?」


「そうだね。ヒナを計画に組み込むことが無理な以上、凍結せざるをえないと判断されたみたいだ」

「よかったわ、安心した」

「凍結と言わず廃止してほしいところだけどね。世界のプライバシーが崩壊するし。人類から気が休まる時間が減るよ」


「なんだ、セリアもそう考えてるのね」

「そもそも〈NARSSナース〉なんて計画は立案すること自体が失笑モノだよ。せめて有人の宇宙飛行に成功してからにしてほしいね」

「その宇宙飛行プロジェクトのことなんだけど。失敗について、セリアはどう思ってるの? いえ、加速する科学の不夜城イマジナリーパートが科学で失敗するなんて想像できないから」


 蒼穹祢の問いに、セリアはふむと間を置いて、


「事故はロケットの部品ミスが原因みたいだけど。慢心はあったんじゃないかな。計画の立案から実行までかなりのスピードだったから。科学技術に自負があって、だから宇宙進出もイケルはずっていう空気はあったよ」

「たしかにびっくりする早さだったわ。なるほど」

「宇宙を目指すことはいいと思うけど、慎重に進めて、犠牲者を出さないようにしないとね」


 プロジェクトの搭乗員たちのような犠牲。科学の発展も大事なことだが、


「そうね。犠牲は……嫌よ。悲しいから」


 重い口ぶりで蒼穹祢は呟いた。

 雰囲気が暗くなる前にセリアは、


「ああ、そうだ。ヒナの夢は聞いてる? 私は昨日本人から聞いたんだけど」

「夢? いえ、聞いてないわ」

「なんでも『身体を治してお姉ちゃんとごはんを食べたい』そうでね。今の技術では難しくても、この街なら望みがあるからって。だから情報生命体として科学の発展に貢献したい、と」

「そうなの? もう、まず私に話してほしかったわ」


「照れがあるんじゃない? 近いうちに話すとは思うよ」

「ま、気長に待ってるわ」

「話をしていたときにマイナスの表情はなかった。強い顔をしてたよ」

「さすがね。やっぱり、ヒナは強いわ」


 蒼穹祢は目を細める。憧れを想うような目つきだ。

 そしてこんな思いが口に出る。


「以前は目を背けていたけど、しっかりとヒナを見て尊敬したい」

「それが言えるようになっただけ、蒼穹祢も成長したんじゃない?」

「そうかしら? 意識が変わっただけでは足りないわ。結果を出していかないと」

「おお、意識が高い。結果に繋がるといいね」


「そうだ、一つ決めたことがあって。両親に顔を見せにいこうと思うの」

「しばらく離れていたんだって? 両親もきっと喜ぶさ」

「あ、こういう話をして悪かったわ……。たしか孤児だったのよね」

「冷たい態度が目立つけど配慮はできるんだね。態度も改善していくといいよ」

「余計なお世話よ」


 蒼穹祢は口を尖らせる。セリアは苦笑いした。

 途切れた間。さて、どういう話題を振ろうか。空を見つめ、そんな様子のセリアは、


「宇宙飛行士が夢、なんだよね。まさか変わったなんてことはない?」

「変わるわけないでしょ。でも、ただ宇宙に行くだけじゃなくて、医療の発展に役立ちたいと思うようになったわ。ひょっとしたら難病に効果的な要素を発見できるかもしれないし、怪我の回復に有効な手段を見つけられるかもしれない」

「ヒナの影響?」

「まあ、それは認めるわ。具体的な目標があるほうが燃えるから。ヒナだってARやMRを目標にしてた。ちょうど研究部に誘われたし、そこで研究を進めていきたいわ」


「いや、ヒナを治したいからなのかな、と」

「ヒナなら私が宇宙飛行士になる前に治しちゃいそうよ。医療の発展はあくまで私の目標。喜ぶ人が少しでも増えてほしいから」

「そうか、叶うといいね」

「ええ。私だって科学の発展に貢献したい。その恩恵で幸せを得られる人がいるのなら」


「神代として?」

「私の意思よ」

「〈NARSSナース〉のように、科学が利己的に使われる現実があっても?」

「科学で一人でも救われるなら、私は尽力したいわ」


 それを聞いてうなずいたセリアの背景には、星と星が結ぶ“春の大三角”に、世界の果てまで流れていく流れ星。煌めきの一つひとつが主役になろうと懸命に光り瞬く満天の星々。


「きれいね。こんな近くで加速する科学の不夜城イマジナリーパートの空を見たのは初めてだわ」

「せっかくだし、今日は星を増やしてみた。あんなの、壁に光を投影しているにすぎないけどね。……おっと、余計な発言だ。失礼」


 セリアは自嘲気味に笑い、銀髪を小刻みに揺らしたが、蒼穹祢は優しく空を見守り、


「だけど、ヒナの夢はまさにそれなのよ。真っ暗な宇宙をわたし色に染めたいって夢。その願いはまだ叶えられていないけど――……」


 彼女はセリアに意識を戻すと、瞳に凛々と力を込め、


「ヒナはいつか叶えるはずだわ」

「そうだね。いつかやってくれるんじゃないかな。楽しみに待ってる」



「……」


 蒼穹祢は振動したスマートフォンを手に取り、なぜか空にかざした。そして立ち上がり、夜の天空を背景にセリアの前に立つ。

 すると、嬉しそうに笑って、


「私、幸せ!」


「……?」


 首を傾げるセリアに答えるように、蒼穹祢はそっと天空に指を向けた。セリアはつられて空を見上げる。だけれども、あるのは加速する科学の不夜城イマジナリーパートの星空。


「あっ」


 おもむろにまぶたを下ろして、緩やかに開き直したセリア。

 ルビー色の瞳に映る世界は、“現実”に折り重なる“ネットワークの世界”。

 星々が煌めく広大な夜空には、緋色に映える飛行機雲でメッセージが描かれていた。


 ―― Thank you, my sister! From Hinako. ――


 そんなメッセージを囲むようにハートマークが大胆に描かれ、黄色い星マークが添えられている。空を大胆に上塗りし、自分色に染めたそれはまさに〝わたしの宇宙〟。


 そして目線を下ろしたら。

 セリアの頬が緩む。


 だって、そこには――……。



 唇をほころばせる蒼穹祢あねに、背後から満面の笑みで抱き着く緋那子いもうとがいたのだから。

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オリオン・ネットワーク 安桜砂名 @kageusura

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