003.未知(変な男の人)との遭遇

桜庭さくらば悠里ゆうり 2041年 4月1日 am11:34 新生迷宮『TTai-N02』/4層】



 わたしは急いで迷宮を進んでいた。


 男の人だったみたいだけど、もしかして……もしかしたら、お兄ちゃんかもしれない。


 ううん。男の人の方の声はもっとこう現実じみていたというか、離れた場所の『そこにいる』ようだったけれど……。


 ともかく、たしかめなくちゃ。このダンジョンは不思議だし、お兄ちゃんの情報にもつながるかもしれないから!


 あれから〝返事〟は返ってきていない。待ってくれているだろうか。


 急ぐ。急ぐ。


(……いた!)


 そして、段差のある棚地を何度か下った先に、四角い荷物を背負った人影をとうとう見つけた。滑りやすくて急な傾斜につかまりながら進んだわたしの服の前はすでに泥だらけだ。でもそんなの気にする余裕さえなく、少しでも早く『その人』の顔と正体がたしかめたくてわたしは走った。


「……あのー!」


「逃げないから走るな! このあたりは崩れやすい!」


「っ……! きゃっ……!?」


 勢いだけで進んできたわたしはその言葉にギクリとしてつんのめってしまった。傾斜に足を取られて転んでしまいさらにパニックになりかけたけど、棚地が丸ごと崩れるということはなかった。よかった……。


 でも、崩れていたら?


 ……崖の下は、底の見えない闇が広がっている。


「……」


 わたしはかなり肝を冷やしながら、立ち上がって、言葉の通り待ってくれていた彼に少しずつ近づいていった。


 五分後、ようやく顔の詳細が分かるぐらいに近づくことができて、片手で応じて挨拶を送ってきてくれた男の人は、歳のころは近そうだけど兄ではなかった。当たり前か……。


「よう。新人ニュービーさん、こんなとこまでよくきたな~。しかも丸腰とか。実はけっこうすごいタマなのかな、アンタ?」


 どうしてわたしが新人だって分かったんだろう? やっぱりベテランの人はそういう〝空気〟みたいなのが分かるんだろうか?


 そこで気づいたけどこの人、わたしみたいに服がぜんぜん汚れてない。


 ……『すごい人』な気がする。


「あ……はい。あの、えっと。わたしは、桜庭さくらば悠里ゆうりと申します! 先ほどは、ご忠告をありがとうございました!」


 思いっきり頭を下げると、彼は「うんうん」と注意した小学生にでもするお兄さんみたいな軽い相槌を打っていた。


 ……たしかに、小学生に見間違えられることもたまにあるけど。


 あ、や、たまにですよ?

 この人もそうじゃないよね?


「俺は久世くぜ幹也みきやだ。急いできてくれたところ一応言っておくが、俺は要救助者じゃないぞ」


「あ、はい。それは……そうだろうな、って思ってます」


 久世くぜ幹也みきやさん。


 腕を組んでそう名乗った目の前の彼は、素人のわたしから見てもそんな感じじゃないのは明らかな人だった。


 身長はきっと日本人の平均よりも高めな方で、装備の上からでも鍛えられたベテランって感じが分かる。歳は、成人しているのは間違いない。


 なんだかすごそうなカーキ色(で合ってるかな?)のヘッドギアに押し上げられてる黒髪は短めで切りそろえられて、精悍な印象。こんなダンジョンの奥地でもまったく気を張っていないひょうきんとさえ言える表情が、ご近所のお兄さんみたいで場違いにも思えるし、転じてベテランの空気なようにも感じる。


 なにより、なんだか装備がすごいのだ。


 わたしには詳しい知識はないけれど、〝踏深者〟専用通販サイトで「うわぁ……こんなの何十年かかっても買えないよぉ……」と思いながら眺めていたような『感じの』装備品フルセットといった出で立ちだったのだ。


 そして、背に背負った四角い巨大なバックパック。

 クッション材と一体になった、なんだかすごく高級そうな機材に見える。


 こんな重そうな荷物を持って、この人はさっきわたしが苦戦した、思い切ってジャンプしなきゃいけないところとかも越えてきたのだろうか……?


 やっぱりすごい人な気がする。


「……あと一応言っておくけど、迷宮そばは……売ってないから……お腹空いてたんだったらゴメンね」


 と、急にもじもじとし始めていた。なんだろう?


「はい? おそばですか?」


「いやなんでもない。それならヨシ!」


 ベテランさんって迷宮でおそばを食べるのが通なのかな?

 ともかく、久世さんは高級そうなグローブの手を開いて、再度わたしに聞いてきていた。


「で、荷物は? まさか本当に手ぶらできたのか?」


「えっ? あ、荷物は……あの、さっき地面が途切れてて跳ばなきゃいけない場所があったので、手前で置いてきてしまいました」


「そうなのか……うーむ。いや、普通によくないぞ、ソレ。どうしても荷を置いていかなきゃいけないケースに遭遇したんだったら、迂回路を探すか、それもないなら引き返す以外の選択肢はないぞ。それだけは絶対にやっちゃダメだ。生きて帰りたいならな」


 はっきり言って、正気の沙汰じゃないね――


 そう締めくくられて、返す言葉もない。


「はい……すみません……」


 声音は変わらないけれど、心の底から真面目に叱ってくれているのだと分かったので、余計にしょげてしまった。


 本当にすみません。でも……


「わたし……どうしても、たしかめたくて……」


「んー?」


 首をひねる久世さんに、わたしは思い切って打ち明けてみることにした。


「あの――久世さん! 久世さんは、このダンジョンの奥から、呼びかけてくる女の人の声を聞いていませんかっ?」


「女の人の、こええ?」


 だけど、返ってきたのは、ほかの人と同じよう。……ああ。そんな気はしていたけど。

 でもここから久世さんは不気味がったりすることはなく、むしろ興味深そうに顔を詰めてきた。


「それってどんな声!? このダンジョンの奥から!? どれぐらいの大きさ!? なんて言ってた!?」


「えっ!?」


 えっ!?


 すごい食い気味!


「あ、の……ごめんなさい。このダンジョンの奥から、かどうかは……分からなくて。ほかのところでも聞こえていたんです。でも、『ここ』が一番〝声〟が大きくて。だから、今度こそ、かも、って……」


「うんうんうん……うんうんうんうん! ほかのとこでも!? マジで!? それでっっ!?」


 気持ち悪い女だって思われないだろうか……思って……ない!? の……!?


「えっ……と。『ここにいる』って。『早くきて』、『早く気づいて』、『急がないと』って……」


「言ってたの!?」


「うっ? は、はい……」


「今も!?」


「は、はい!?」


「ボクにも一声オナシャースッ!!」


「ひゃっ!?」


 シャース……シャース……シャース……!


 あさっての方向に突然久世さんが叫んで、反響がさながら『地下峡谷』な第4層の空間にこだましていく……。


「……」


 しばらく手を当てて耳を澄ませていた久世さんだけど、返事がきた様子はなかった。ちらっとこちらを見られるけど、わたしにも聞こえてません。


「……女の子が好きな人だと思うか?」


 ……え?


「分かりません……すみません……」


 そんなこと考えもしなかった。もし本当にそうだったらどうすればいいんだろう?


「あ……というか、すみません。〝声〟は……久世さんの声が聞こえてきたあたりから、途切れているんです」


「なーんだー。そっかー。やっぱり女の子同士のアレコレという……」


 ええ……。そんな。わたしそっちの方じゃないんです。どうすればいいですか?


「それか俺の声がということは……俺のEPCが干渉したっつう可能性も……迷宮に拠らない従来のゴースト現象だとしたらそれも……っても俺はそんな撒き散らしてないが……」


「え?」


「いやなんでもない。なら俺にも聞こえてなきゃおかしかったし」


「はあ」


 なんだろう? 『いーぴーしー』とかなんとか、さっぱり分からない。『ゴースト』って聞こえた気もするし、背中の機材から見ても『そういう研究』をしている人なのかな?


 と、わたしは思った。

 大災厄の前までなら関わっちゃいけない人との認定そしりを免れなかっただろうけれど、〝今〟は〝迷宮〟という非常識が常識になってしまった世の中だ。そういう研究が大真面目にされていても不思議じゃないかも……。


「……ふふふふ」


 しばらく思案していた久世さんは、やがて面白そうに身体を揺すり始めて、わたしを見ていた。抑え切れないワクワクを表現しているみたいに。


 あ……今気づいたけど久世さんの背負ってるバックパックが揺れていないな。

 これは宣伝CMとかで見たことがある。重たい荷物を背負って激しく動いても荷物が同じ高さを維持するので加重の負担がかからず、荷の方も揺さぶられずに保護されるという装置だ。けっこういいお値段だった気がする。


 怪しげに見つめられてどうすればいいか分からない現実逃避にそんなことを考えていたけれど、久世さんは特にトンデモな言動でわたしを追いつめてくるでもなかった。


「君、〝声〟の正体が知りたくないか?」


 え?


「え、それは……はい。もちろん、知りたい、です。けど」


「でも、この先は危険だ。足場が全体的に脆い上に地形も不安定。荷物を置いてきてしまった君がこの先に進める道理はない。普通なら、まあ、俺が入口まで送り届けるとか……そうしてもいいんだが」


「……」


「だが、おもしろい!」


 え?


 もう一度、同じような思い……怪訝さも含めて……抱いた予感をたしかめるように、久世さんを見上げると。


「君は、おもしろい! 俺はその『ダンジョンの声』というのを知りたい! 君も知りたい! 俺たちの利害は合致している。この先は危険だが魔物とか普通の迷宮におけるソレじゃないから俺がサポートすれば問題ないだろう。俺の目当てとしては、おそらく――最深部だ。そこまで、よかったら俺と一緒にいかないか!?」


「!!」


「この先の状況と場合によっては、俺個人から協力金を払ってもいい。……どうだ!?」


「あっ、あのっ……ぜひ……よろしくお願いいたしますっ!!」


 わたしは、考える前に頭を下げていた!

 普通だったらこんな駆け出しの装備もない新人、しかもオカルトじみた怪しい主張をしている女ひとり連れていってくれる人なんていない。


 不思議な雰囲気の人だけれど、この久世さんは『大丈夫な人』のような気がする。なにより、ベテランの風格を漂わせる先輩〝踏深者〟さんの力を借りられるのが頼もしかった。


 お金というのも聞き逃せない魅力があったけど……ああ、値段って、いつ聞けばいいんだろう。聞けないよね……。うう。でも……。


 わたしは、どうしても知りたいのだ。

 聞こえてきたあの〝声〟が、わたしになにを伝えたいのかを。知らなければいけない気がしてたまらないのだ。そうしたら、もしかしたらその奥に……お兄ちゃんだって……。


「決まりだな」


 ニッ、と笑って差し出された久世さんの手を取った。


 そう。『この人』だ。


 きっと、これがわたしの……不思議で、騒がしくて、おどろきと、大変さの連続で……やがて世界さえも巻き込んでしまう運命の――


 始まりだったのだ。

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